
最終更新:綿はる
基本情報
標高 | 664.2m |
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場所 | 北緯34度56分38秒, 東経136度06分35秒 |
書籍 角川日本地名大辞典 25 滋賀県
編者 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三
発行者 角川春樹
P577に以下の通り書かれています。
はんどうさん 飯道山
甲賀郡信楽町大字宮町の東方、信楽・水口・甲西の3町にまたがる山。標高664.2m。近江の大峯山とも呼ばれる修験道の霊山である。古来餉山といい。 飯道寺創建後、金寄山と号し、飯道寺山と呼んだ。また遐齢山・餉嶺ともいい、般童子山とも書く。全山花崗岩で、のぞき岩・不動押し分け谷・蟻の塔渡し・胎内くぐりなどの奇岩怪石がある。山頂には奈良時代に紫香楽宮鎮護のために建てられたという飯道寺跡があり、僧房58宇を有していたといわれ、単なる修験道場ではなく、山岳仏教の道場としての色彩を帯び、 多くの五輪塔がいまなお残っている。また和銅年間に熊野本宮を分霊したという飯道神社は、式内甲賀8座の1つ。「延喜式」では「いいみち」と訓注。久安2 年、「飯道権現」の勅額をうけ、中世には油日大明神とともに甲賀郡内の信仰を集めた。南北朝期、山上に城郭が築かれ、建武4年4月、佐々木道誉に従う山中道俊・頼俊、柏木源蔵人らが軍忠を行った(山中文書2-7)。なお飯道山は一時興福寺末寺の扱いをうけたようで、嘉吉元年に再録された「興福寺官務牒疏」にその名が見える(寺誌叢書3/大日本仏教全書3)。 戦国期には甲賀忍者の修練場でもあった。現在山頂には飯道寺跡・飯道神社・行者堂・弁天堂、五院跡・木喰上人墓などがある。水口側(水口町三大寺)の飯道山麓には良弁が開創したと伝える僧坊があり、現在の飯道寺がある。飯道山へはハイキングコースもあり、 四季を通じて名勝地となっている。
編者 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三
発行者 角川春樹
P577に以下の通り書かれています。
はんどうさん 飯道山
甲賀郡信楽町大字宮町の東方、信楽・水口・甲西の3町にまたがる山。標高664.2m。近江の大峯山とも呼ばれる修験道の霊山である。古来餉山といい。 飯道寺創建後、金寄山と号し、飯道寺山と呼んだ。また遐齢山・餉嶺ともいい、般童子山とも書く。全山花崗岩で、のぞき岩・不動押し分け谷・蟻の塔渡し・胎内くぐりなどの奇岩怪石がある。山頂には奈良時代に紫香楽宮鎮護のために建てられたという飯道寺跡があり、僧房58宇を有していたといわれ、単なる修験道場ではなく、山岳仏教の道場としての色彩を帯び、 多くの五輪塔がいまなお残っている。また和銅年間に熊野本宮を分霊したという飯道神社は、式内甲賀8座の1つ。「延喜式」では「いいみち」と訓注。久安2 年、「飯道権現」の勅額をうけ、中世には油日大明神とともに甲賀郡内の信仰を集めた。南北朝期、山上に城郭が築かれ、建武4年4月、佐々木道誉に従う山中道俊・頼俊、柏木源蔵人らが軍忠を行った(山中文書2-7)。なお飯道山は一時興福寺末寺の扱いをうけたようで、嘉吉元年に再録された「興福寺官務牒疏」にその名が見える(寺誌叢書3/大日本仏教全書3)。 戦国期には甲賀忍者の修練場でもあった。現在山頂には飯道寺跡・飯道神社・行者堂・弁天堂、五院跡・木喰上人墓などがある。水口側(水口町三大寺)の飯道山麓には良弁が開創したと伝える僧坊があり、現在の飯道寺がある。飯道山へはハイキングコースもあり、 四季を通じて名勝地となっている。
山頂 | 飯道山 |
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