ヤマレコなら、もっと自由に冒険できる

Yamareco

雉岡城跡(きじがおかじょうあと)

都道府県 埼玉県
最終更新:tarancho
基本情報
場所 北緯36度11分33秒, 東経139度07分42秒
カシミール3D
トイレ

山の解説 - [出典:Wikipedia]

雉岡城(きじがおかじょう)は、埼玉県本庄市児玉町八幡山446他(武蔵国児玉郡八幡山)にあった日本の城。埼玉県指定史跡。別名を八幡山城(はちまんやまじょう)と言う。
山内上杉氏によって児玉郡八幡山の独立丘陵に築かれた城ではあるが、鎌倉時代には武士が居住していたと考えられており、城としての形態に整備されたのが室町時代末期(戦国時代初期)とされる(15世紀後半に築かれたと言う事になる)。
『武蔵国児玉郡誌』『新編武蔵風土記稿』などによれば、山内上杉氏の居城として築かれるも、地形が狭かったゆえに、上杉氏は上州平井城へ移ったものと考えられ、代わりに有田豊後守定基(城主となってからは夏目を称す)を雉岡城主として配備した。定基は赤松則村(円心)の裔孫であり、元は平井城に在城していた武将とされる。
築かれた目的は、鎌倉街道の交通要衝を押さえ、関東管領上杉氏の最前線地となっていた五十子陣(児玉郡北部)への兵站を確保する事であり、そうした経済的側面があったものと考えられている。つまり、当初は五十子陣の支城としての役割があった。五十子陣の解体後、上野国平井城の支城として活動し、後北条氏の時代では鉢形城の支城として活動したとされる。
150年近い歴史をもち、最終的には松平家1万石の城となり、八幡山藩が立藩するものの、江戸時代をむかえる前に廃城となった。

付近の山

この場所を通る登山ルート

この場所を通る登山ルートはまだ登録されていません。

「雉岡城跡」 に関連する記録(最新10件)

奥武蔵
02:5111.1km127m1
  15    5 
2026年04月06日(日帰り)
奥武蔵
02:3812.2km34m1
  49    11 
2026年04月05日(日帰り)
奥武蔵
02:249.6km80m1
  8    4 
2026年04月04日(日帰り)
奥武蔵
04:0919.7km158m2
  20     28 
2026年04月04日(日帰り)
奥武蔵
04:5416.1km622m2
  12    4 
2026年04月03日(日帰り)
奥武蔵
02:146.4km46m1
  19    7 
chamfrog, その他1人
2026年04月02日(日帰り)
奥武蔵
03:0615.9km91m2
  10    16 
2026年04月01日(日帰り)
奥武蔵
07:0329.6km1,084m4
  56     112 
2026年03月29日(日帰り)
関東
--:--8.2km73m-
  40     28 
2026年03月29日(日帰り)