箱根・湯河原
箱根駅伝折り返し地点
神奈川県
最終更新:sugegasa
基本情報
場所 | 北緯35度11分21秒, 東経139度01分28秒 |
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正式名称
「東京箱根間往復大学駅伝競走往路ゴール」
「東京箱根間往復大学駅伝競走復路スタート」
「東京箱根間往復大学駅伝競走往路ゴール」
「東京箱根間往復大学駅伝競走復路スタート」
山の解説 - [出典:Wikipedia]
東京箱根間往復大学駅伝競走(とうきょうはこねかんおうふくだいがくえきでんきょうそう)は、1920年に開始され、現在では毎年1月2日と1月3日の2日間で開催される関東地方の大学駅伝競技会(地方大会)である。主催は関東学生陸上競技連盟(以下「関東学連」という。)、共催は読売新聞社。箱根駅伝(はこねえきでん)の俗称で広く知られる。実施は関東学連が定める「東京箱根間往復大学駅伝競走に関する内規」(以下「内規」という。)に定める。現在開催されている駅伝の中で4番目に長い 距離を持ち、1987年からテレビ中継を開始した。なお、「箱根駅伝」は読売新聞東京本社の登録商標(登録番号: 第5565518号)である。出場校は20校で、これとは別に出場校以外の競技者による関東学生連合チーム(オープン参加)が参加する(2015年の第91回大会以降の編成)。2019年の第95回記念大会では「関東インカレ」成績枠が設けられた。
コースは国道1号線、東京都千代田区大手町・読売新聞東京本社ビル前 から、鶴見、戸塚、平塚、小田原の各中継所を経て神奈川県足柄下郡箱根町・芦ノ湖までの往復で、往路107.5km、復路109.6km、計217.1km。1月2日に東京から箱根への往路を、1月3日に箱根から東京への復路を走る。主に通過する路線名称は日比谷通り、国道15号、国道1号、国道134号などである。
第1回大会は1920年2月14日に行われた。これは、アメリカ大陸の継走での横断を実施するための予選会という位置付けで、1912年のストックホルムオリンピックに出場した日本人五輪選手第1号で1917年に実施された日本初の駅伝競走「東海道駅伝徒歩競走」でアンカーを務めている金栗四三が、「五輪で日本を強くするには、長距離、マラソン選手を育成すること」と発案したことがきっかけである。別の説として、駅伝の由来である宿駅伝馬制の飛脚をもとに、手紙に見立てた襷を、東京から東海道の宿駅があった鶴見(川崎宿)、戸塚(戸塚宿)、平塚(平塚宿)、小田原(小田原宿)で引継ぎ、箱根町郵便局(箱根関所)まで、どの大学が一番早く届けて、東京に帰ってくるかという大学対抗戦のイベントとして開催されたという説もある。第1回から第12回のゴール地点は箱根関所跡で、第13回から第44回までは箱根町郵便局がゴール地点であった(第22回を除く)。第二次世界大戦中の1941年から一時中断されたが、1943年に一度だけ戦時下で開催された(靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会)。その後、再び中止となり、戦後の1947年に復活。第31回(1955年)から現在の1月2・3日の開催となった(内規第1条)。
箱根駅伝は、関東地方では従前から人気があったが、警察から駅伝自体の中止を含めた内容変更を迫られるなど、存続の危機に立たされていた。しかし、1987年に日本テレビが全国放送で全区間の生中継(電波を途切れさせない完全中継実施は1989年から)を開始して以降、正月の風物詩(国民的スポーツ大会)として関東地方以外でも知名度・注目度が格段に向上した(詳細は#中継番組を参照)。箱根駅伝出場者からオリンピックや世界陸上などに出場を果たした選手も少なくない(詳細は箱根駅伝の人物一覧を参照)。
箱根駅伝は、関東学連が主催する地方大会であり、10位以内に入ると、同年の出雲全日本大学選抜駅伝競走(同年スポーツの日開催。以下「出雲駅伝」という)に関東代表として出場できる。一般に、出雲駅伝、全日本大学駅伝、そして本大会を併せて「大学三大駅伝」と呼ばれており、同じ年度の全大会に優勝すると「三冠」と称され、大東文化大学(1990年度)、順天堂大学(2000年度)、早稲田大学(2010年度)、青山学院大学(2016年度)、駒澤大学(2022年度)の5校が達成している。ただし、箱根駅伝は全国大会ではないため、関東学連加盟校以外の大学は三冠を達成することはない。大東文化大学は復路優勝を、順天堂大学と早稲田大学は往路優勝を逃しており、箱根駅伝を完全優勝しての三冠を達成した大学は2016年度の青山学院大学と2022年度の駒澤大学の2校である。
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