東北
八向楯跡(やむきたてあと)
山形県
最終更新:へろぞー
基本情報
標高 | 136m |
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場所 | 北緯38度43分50秒, 東経140度13分12秒 |
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八向楯は最上川右岸の八向山山頂に築かれた中世の城(楯)です。 最上川の方に突き出た尾根筋を二重・三重に断ち切って、本丸・二の丸・三の丸の郭を区画し、それぞれの境に薬研(やげん)掘りの二重の深い空濠(からぼり)を設けています。 本丸の南側は最上川に面した高い断崖で、この脚下を洗う激流によって、かなり浸食されています。 本丸南面の白い断崖中腹に祀られている矢向神社は、平安時代前期、貞観16年(874)に従五位下を授けられた、「六国史」(「日本三代実録」)に「矢向神」として記されている国史現在社である。古来、最上川を上下する舟人の信仰が厚く、同時代末、文治3年(1187)、兄頼朝と対立した源義経は、舟で最上川をさかのぼり、本合海で上陸して奥州平泉に向かいましたが、この時義経も「矢向大明神」を伏し拝んだと「義経記」に記されています。
八向楯は最上川右岸の八向山山頂に築かれた中世の城(楯)です。 最上川の方に突き出た尾根筋を二重・三重に断ち切って、本丸・二の丸・三の丸の郭を区画し、それぞれの境に薬研(やげん)掘りの二重の深い空濠(からぼり)を設けています。 本丸の南側は最上川に面した高い断崖で、この脚下を洗う激流によって、かなり浸食されています。 本丸南面の白い断崖中腹に祀られている矢向神社は、平安時代前期、貞観16年(874)に従五位下を授けられた、「六国史」(「日本三代実録」)に「矢向神」として記されている国史現在社である。古来、最上川を上下する舟人の信仰が厚く、同時代末、文治3年(1187)、兄頼朝と対立した源義経は、舟で最上川をさかのぼり、本合海で上陸して奥州平泉に向かいましたが、この時義経も「矢向大明神」を伏し拝んだと「義経記」に記されています。
展望ポイント |
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