甲信越
万治の石仏(まんじのせきふつ)
最終更新:silverfrost
基本情報
| 場所 | 北緯36度04分58秒, 東経138度04分54秒 |
|---|
春宮に遺石の大鳥居を奉納するよう命を受けた石工が石材にノミを打ち入れた際、その石から血が流れ出た。驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立したのがこの石仏とされています。
この石仏を建立した願主が、万治3年(西暦1660年)と刻まれていることから、万治の石仏と称されました。
▼諏訪地方観光連盟
https://www.suwa-tourism.jp/archives/000053.php
「万治の石仏の歴史
1974年、たまたま諏訪大社の御柱祭を見学に来られこの石仏と対面された、画家の岡本太郎さんや、作家の新田次郎さん方が感嘆されたことにより、一躍話題を呼び講演又は雑誌等で全国に紹介され知られることになりました。石仏の「万治」は、この石仏を建立した願主が、万治3年(西暦1660年)と刻まれているところによるものです。」
この石仏を建立した願主が、万治3年(西暦1660年)と刻まれていることから、万治の石仏と称されました。
▼諏訪地方観光連盟
https://www.suwa-tourism.jp/archives/000053.php
「万治の石仏の歴史
1974年、たまたま諏訪大社の御柱祭を見学に来られこの石仏と対面された、画家の岡本太郎さんや、作家の新田次郎さん方が感嘆されたことにより、一躍話題を呼び講演又は雑誌等で全国に紹介され知られることになりました。石仏の「万治」は、この石仏を建立した願主が、万治3年(西暦1660年)と刻まれているところによるものです。」
山の解説 - [出典:Wikipedia]
万治の石仏(まんじのせきぶつ)は、長野県諏訪郡下諏訪町東山田字石仏にある、江戸時代前期の1660年(万治3年)に造られた石仏。所有者は下諏訪町で、同町の指定有形文化財に指定されている(1982年(昭和57年)3月26日指定、登録名「万治の石仏(みたらしの石仏)」)。砥川を挟み、諏訪大社下社春宮の対岸に位置する。所在地の小地名「石仏」も同石仏に由来する。1970年代に芸術家の岡本太郎が紹介したことで日本全国に広く知られるようになった。
「万治の石仏」は、下諏訪商工会議所を権利者とする登録商標でもある。
高さ2.6メートル、幅3.8メートル、奥行き3.7メートルの安山岩(含角閃石普通輝石安山岩)をそのまま胴体とし、その上に高さ約65センチメートルの仏頭を乗せた石仏である、明誉が同石仏の仏頭を刻み、心誉が胴体の彫刻を受け持ったと考えられている。
江戸時代の史料には「えぼし石」や「みたらしの石仏」の名称で記録されており。
胴体正面向かって左側に「万治三年」の銘が刻まれていることにちなみ、近年になって「万治の石仏」の名称が生まれている。公知の文献としては、有賀恭一による「萬治の石佛」の論述を含む刊行物が、1932年(昭和7年)に発行されている。また地元下諏訪町の郷土史家・考古学者の中村龍雄は、1961年(昭和36年)5月28日の下諏訪町博物館(現・諏訪湖博物館)主催の町内史跡巡りの際の図面や案内順列表に、「万治の石仏(阿弥陀如来)」の記載があると述べている。
この石仏が全国的に知られるようになったきっかけは、1974年(昭和49年)に中村龍雄、地域紙「湖国新聞」編集長・市川一雄らが、諏訪大社の視察に訪れた岡本太郎を現地に案内したことである。そこで同石仏を鑑賞した岡本はこれを高く評価し、全国紙のコラムなどで紹介した。さらに、小説家・石仏研究家の若杉慧は、同石仏を「文化財として非常に価値あるもの」と評している。これらの経緯により同石仏は多くの人々の関心を惹きつけ、遠方の研究家・石仏愛好者たちも足を運ぶようになったと、長野県の郷土史家・考古学者の宮島潤子は述べている。
これ以降、「万治の石仏」の名称を産業財産権として利用する動きも活性化した。市川一雄と交友関係にあり、下諏訪町で製菓業と学習塾を営む傍ら、当時湖国新聞でコラムを連載していた矢ケ崎孫次によって、「万治の石仏」を菓子類の商品名として使用するための商標登録出願(1975年9月6日、商品区分:菓子、パン)がなされている。続いて、別の出願人から他商品区分(調味料、穀物の加工品、べんとう)での出願も行われた。
なお、市川一雄と矢ケ崎孫次はそれぞれ、1974年頃に自身が同石仏を「万治の石仏」と命名した、と述懐しているが、先述の通り当時それは既に公知の名称であったため、いずれも命名者には当たらない。岡本太郎による同石仏の「発見」と同時期に彼らが「命名」した同名称を、先行して用いていた人物がいたことになる。ただし、湖国新聞などの地元メディアへの露出から権利化(商標登録)に及ぶ1970年代中期以降の両名の活動が、同名称の定着に寄与したということは、蓋然性の高い事実と言えよう。
新型コロナウイルス感染症が社会問題となった2020年(令和2年)以降は、「万治」が「よろずおさまる」に通じることから注目が高まっており、石仏がモチーフの関連グッズの人気が高まっているという。
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