大分県の低い山々
九州・沖縄
最終更新:らる
基本情報
標高 | 540m |
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場所 | 北緯33度14分24秒, 東経130度57分48秒 |
文武天皇の慶雲二年(起源七八五年)役の小角が善瞳鬼と共に紀州熊野から、豊前英彦山に巡来して峰を拓き給い更に当山に来往すること七年烏宿山を開拓して神山霊場とした。寛和元年(紀元九八五年)日田郡司大蔵永季が社殿を創建した。永季より十六代の郡司大蔵永秀、永老残錣源平の戦いで平家にとらわれた時、五社権現の助けにより難をまぬがれ、大将義経のもとに帰って勳功をたて、凱旋して烏宿山に社殿を建て神霊を斉き奉り大山庄の庄社として崇め祭らせた。
建久五年(紀元一一九四年)当口大守大友能直が当地に下向の折、三苫若挾に命じて宝殿を再栄させた。
応永六年、永正二年に亘って鰐口が奉納され、之は現存して県の重要文化財に指定されている。
天正年間(紀元一五八〇年代)竹田岡城主田紹鉄が烏宿城を築いてたてこもった。慶長年間(紀元一六〇〇年)社殿、建替、享和三年(紀元一八〇三年)社殿建替、そして昭和四年(紀元一九二九年)現在の銅板葺社殿に建替えた。
引用:烏宿神社由来
建久五年(紀元一一九四年)当口大守大友能直が当地に下向の折、三苫若挾に命じて宝殿を再栄させた。
応永六年、永正二年に亘って鰐口が奉納され、之は現存して県の重要文化財に指定されている。
天正年間(紀元一五八〇年代)竹田岡城主田紹鉄が烏宿城を築いてたてこもった。慶長年間(紀元一六〇〇年)社殿、建替、享和三年(紀元一八〇三年)社殿建替、そして昭和四年(紀元一九二九年)現在の銅板葺社殿に建替えた。
引用:烏宿神社由来
山頂 |
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