関東周辺やまなみ歩き
富士・御坂
中宮八幡堂(ちゅうぐうはちまんどう)
静岡県
最終更新:ggn
基本情報
標高 | 1260m |
---|---|
場所 | 北緯35度18分00秒, 東経138度43分36秒 |
現地案内板より
中宮馬返しとも言われ、村山より派遣された社人が常駐しており、
登山者の総ては、ここより馬で登ることは許されなかった。
付近に女人堂があり、女性の登山はここまでで禁止され、
女人堂に籠って頂上を拝み下山した。
天文年中(千四百年代)今川氏輝によって創建されたといわれ、
祭神は、八幡大菩薩(応仁天皇)が祭られている。
明治三十七、八年頃までは茅葺屋根の社屋、馬立小屋、杖小屋
などが存在していたが、村山登山道の衰微により倒壊してしまった。
当時、登山期には、村山より出張った堂守の社人が
付近の山中より切り出した雑木で作った杖を登山者に交付した。
百メートルほど東北方に井戸跡があり、
水神の祠と八大竜王の碑が立てられている。
戦前・戦中この付近は木炭生産の基地で、炭焼き小屋の集落があり、
炭焼き窯の後が方々に残されている。
現在の八幡堂の祠は、平成九年篤志家のご協力を得て創建したもので、
祭典は、毎年十月の最終日日曜日に、村山登山道探索会と併せ行われている。
中宮馬返しとも言われ、村山より派遣された社人が常駐しており、
登山者の総ては、ここより馬で登ることは許されなかった。
付近に女人堂があり、女性の登山はここまでで禁止され、
女人堂に籠って頂上を拝み下山した。
天文年中(千四百年代)今川氏輝によって創建されたといわれ、
祭神は、八幡大菩薩(応仁天皇)が祭られている。
明治三十七、八年頃までは茅葺屋根の社屋、馬立小屋、杖小屋
などが存在していたが、村山登山道の衰微により倒壊してしまった。
当時、登山期には、村山より出張った堂守の社人が
付近の山中より切り出した雑木で作った杖を登山者に交付した。
百メートルほど東北方に井戸跡があり、
水神の祠と八大竜王の碑が立てられている。
戦前・戦中この付近は木炭生産の基地で、炭焼き小屋の集落があり、
炭焼き窯の後が方々に残されている。
現在の八幡堂の祠は、平成九年篤志家のご協力を得て創建したもので、
祭典は、毎年十月の最終日日曜日に、村山登山道探索会と併せ行われている。
付近の山
この場所を通る登山ルート
この場所を通る登山ルートはまだ登録されていません。
「中宮八幡堂」 に関連する記録(最新10件)
富士・御坂
08:5945.8km1,278m6
27 42
2024年08月25日(日帰り)