東北
瑞巌寺五大堂(ずいがんじごだいどう)
宮城県
最終更新:えのすけべ
基本情報
場所 | 北緯38度22分10秒, 東経141度03分51秒 |
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松島のシンボル・五大堂は、大同2年(807)坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し、天長5年(828)慈覚大師円仁が延福寺(現在の瑞巌寺)を開基の際、「大聖不動明王」を中心に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。
秘仏とされる五大明王像は、五代藩主吉村が500年ぶりにご開帳した1700年代以降、33年に一度ずづご開帳されるようになりました。
現在の建物は、 伊達政宗が慶長9年(1604)に創建したもので、桃山式建築手法の粋をつくして完工したものです。堂四面の蟇股にはその方位に対して十二支の彫刻を配しています。
伝説では、 慈覚大師円仁が延福寺を開いたときに、五大明王を安置したところ坂上田村麻呂が祀った毘沙門天は、ある夜、光を発して沖合いの小島に飛び去り、 その島は毘沙門島といわれるようになったそうです。
拝観は無料ですが、夕方には閉門しますのでご注意ください。
五大堂に行くには橋を渡らなければなりませんが、透かし橋のため車椅子で渡ることは出来かねますので、ご注意下さい。
平成18年8月18〜20日には、33年に一度の御開帳が行なわれました。記念品の色紙には「端虚」と書かれてましたが、すみずみまで、心配りをするという意味だそうです。
秘仏とされる五大明王像は、五代藩主吉村が500年ぶりにご開帳した1700年代以降、33年に一度ずづご開帳されるようになりました。
現在の建物は、 伊達政宗が慶長9年(1604)に創建したもので、桃山式建築手法の粋をつくして完工したものです。堂四面の蟇股にはその方位に対して十二支の彫刻を配しています。
伝説では、 慈覚大師円仁が延福寺を開いたときに、五大明王を安置したところ坂上田村麻呂が祀った毘沙門天は、ある夜、光を発して沖合いの小島に飛び去り、 その島は毘沙門島といわれるようになったそうです。
拝観は無料ですが、夕方には閉門しますのでご注意ください。
五大堂に行くには橋を渡らなければなりませんが、透かし橋のため車椅子で渡ることは出来かねますので、ご注意下さい。
平成18年8月18〜20日には、33年に一度の御開帳が行なわれました。記念品の色紙には「端虚」と書かれてましたが、すみずみまで、心配りをするという意味だそうです。
展望ポイント |
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