これまでヤマノートに沢登りに関する情報をNACCメンバー向けに書いてきたが、実はコレが一番大切なのではないだろうか?と考えていたことを書ききれていなかった事に気づいた。観念的な話になるが、メンバーの皆にはぜひ一考してもらいたいと思うので、長文だけど読んでもらいたい。
■自己の責任を考える
沢登りに限った話ではないのだが、僕らの遊びは自己の責任を負うことが求められている。「自己の責任」とは、自分の事は自分でなんとかする心構えを持つ、そして具体的にその準備をする、ということ。
最近、過剰な「自己責任」という言葉が横行している。
これは2004年のイラク人質事件(治安悪化のイランへ危険を承知で入国したことなどが強く批判された)が契機だったと思うけど、最近使われる「自己責任」は「自業自得」と置き換えた方がいいような論調だ。
なので僕は「自己の責任」と表現したい。
責務という言葉があるように、僕は「責任には義務が伴う」と考えている。では沢や岩で遊ぶ僕らに伴う義務とはなんだろう?それは当たり前のことだが、怪我なく安全に生きて帰るということだ。そして、そのためには自発的・能動的に知識や技術を磨くこと。これらやるべきこと、なすべきこと(当為)を行うのが「自己の責任」だと思う。
沢登りでも、クライミングでも、相応の危険を伴う遊びをしている以上、僕は同行者各人が能動的に活動をすべきだと考える。逆に言えば受動的であってはいけないのではないか。受動的に沢に「連れて行ってもらう」だけで、事前にその沢の情報も、沢登りの準備も、沢登りに必要な様々なことがらについて「誰かがやってくれる、困ったら助けてもらえる、教えてもらえる」と思う人がいるとしたら、僕はその人と一緒に沢に入ることは躊躇してしまう。
また家族や職場、親しい人たちの事を考えることも、宙さんの指摘の通り「自己の責任」のうちだろう。「人は一人で生まれ、独りで死ぬ」という考え方も一面の真理だが、もしもの時に周囲にかかる物質的・精神的負担を思いやれば、果たすべき責任があることは間違いない。
最近、過剰な「自己責任」という言葉が横行している。
これは2004年のイラク人質事件(治安悪化のイランへ危険を承知で入国したことなどが強く批判された)が契機だったと思うけど、最近使われる「自己責任」は「自業自得」と置き換えた方がいいような論調だ。
なので僕は「自己の責任」と表現したい。
責務という言葉があるように、僕は「責任には義務が伴う」と考えている。では沢や岩で遊ぶ僕らに伴う義務とはなんだろう?それは当たり前のことだが、怪我なく安全に生きて帰るということだ。そして、そのためには自発的・能動的に知識や技術を磨くこと。これらやるべきこと、なすべきこと(当為)を行うのが「自己の責任」だと思う。
沢登りでも、クライミングでも、相応の危険を伴う遊びをしている以上、僕は同行者各人が能動的に活動をすべきだと考える。逆に言えば受動的であってはいけないのではないか。受動的に沢に「連れて行ってもらう」だけで、事前にその沢の情報も、沢登りの準備も、沢登りに必要な様々なことがらについて「誰かがやってくれる、困ったら助けてもらえる、教えてもらえる」と思う人がいるとしたら、僕はその人と一緒に沢に入ることは躊躇してしまう。
また家族や職場、親しい人たちの事を考えることも、宙さんの指摘の通り「自己の責任」のうちだろう。「人は一人で生まれ、独りで死ぬ」という考え方も一面の真理だが、もしもの時に周囲にかかる物質的・精神的負担を思いやれば、果たすべき責任があることは間違いない。
■自助・互助・公助を考える
自分のことは自分でやる。そうできる為の準備をする。情報収集や知識の蓄積や技術の向上を事前に積み上げる。自分で出来る事はやっておく。これが「自助」。
でも、人にはそれぞれの身体的特性や得手不得手がある。年齢も違えば体力も違う。経験にも差があるし、メンタル耐性も違う。なので当然、出来る事が違う。だから、メンバーが困っていたら助ける。互いの足りない所を補い合う。これが「互助」。
自分の力でも、仲間の助けがあっても、それでもどうしようもないときに、公の力を借りなければならない場合がある。沢で大けがをしたら消防警察などの力を頼らなければならない時もある。それが「公助」。
沢登りやマルチピッチクライミングは、パーティメンバーの協力が不可欠だし、みんなで力を合わせて核心部を攻略したり突破するのは楽しく、そこに沢登りの魅力のひとつがある。自助・互助・公助をわきまえれば、事前準備もなしに沢に入ることは出来ないはずだし、最初から互助や公助をあてにするとしたら、それは沢の楽しみを自ら放棄しているようなものなのだ。
でも、人にはそれぞれの身体的特性や得手不得手がある。年齢も違えば体力も違う。経験にも差があるし、メンタル耐性も違う。なので当然、出来る事が違う。だから、メンバーが困っていたら助ける。互いの足りない所を補い合う。これが「互助」。
自分の力でも、仲間の助けがあっても、それでもどうしようもないときに、公の力を借りなければならない場合がある。沢で大けがをしたら消防警察などの力を頼らなければならない時もある。それが「公助」。
沢登りやマルチピッチクライミングは、パーティメンバーの協力が不可欠だし、みんなで力を合わせて核心部を攻略したり突破するのは楽しく、そこに沢登りの魅力のひとつがある。自助・互助・公助をわきまえれば、事前準備もなしに沢に入ることは出来ないはずだし、最初から互助や公助をあてにするとしたら、それは沢の楽しみを自ら放棄しているようなものなのだ。
■冒険心って素敵だ
アウトドア・アクテビティを楽しむ人々のうち、クライミングや沢登りを志向する人は冒険心が強い人なんだろうと思う。
冒険とは、危険を冒すと書く。
そこまで言い切らずとも、非日常体験への好奇心が人一倍強ければ「冒険心を持っている」と言えるだろう。そんな冒険心は沢や岩をどんどん楽しくしてくれる。
例えばメンバー間で冗談交じりに「トップクライマー」という言葉を使うよね。リードは怖くて行けないからトップロープ専門で登ってます!っていうアレだ(笑)。そして、「いつもトップロープばかりなんで、なかなか上達しないのかなぁ」という悩みもあるみたいだよね。
ソコ、大事です。
自虐ネタにするくらいなんで、自覚があるんだよね。そんなトップクライマーには、自分の中にある冒険心を見つめたらいいんじゃないかと思ってる。自分の中にある臆病さに、ちょっとだけ戦いを挑んでみる。その結果、やっぱり痛い目に遭うかもしれないし、うまくいくかもしれない。その狭間に、ドキドキしたりワクワクしたりする冒険心ってある。
無謀な挑戦をすすめているのではない。
ただ先行者が歩いた通りの沢を辿っても面白くないだろ?だって、沢はどこを歩いても自由なんだから。「ここ、ちょっとトライしたいんでサポートして」と言えば、同行者は喜んで手助けするよ。だから自分の中の冒険心そのものを楽しんで沢に行こう。
冒険とは、危険を冒すと書く。
そこまで言い切らずとも、非日常体験への好奇心が人一倍強ければ「冒険心を持っている」と言えるだろう。そんな冒険心は沢や岩をどんどん楽しくしてくれる。
例えばメンバー間で冗談交じりに「トップクライマー」という言葉を使うよね。リードは怖くて行けないからトップロープ専門で登ってます!っていうアレだ(笑)。そして、「いつもトップロープばかりなんで、なかなか上達しないのかなぁ」という悩みもあるみたいだよね。
ソコ、大事です。
自虐ネタにするくらいなんで、自覚があるんだよね。そんなトップクライマーには、自分の中にある冒険心を見つめたらいいんじゃないかと思ってる。自分の中にある臆病さに、ちょっとだけ戦いを挑んでみる。その結果、やっぱり痛い目に遭うかもしれないし、うまくいくかもしれない。その狭間に、ドキドキしたりワクワクしたりする冒険心ってある。
無謀な挑戦をすすめているのではない。
ただ先行者が歩いた通りの沢を辿っても面白くないだろ?だって、沢はどこを歩いても自由なんだから。「ここ、ちょっとトライしたいんでサポートして」と言えば、同行者は喜んで手助けするよ。だから自分の中の冒険心そのものを楽しんで沢に行こう。
■正しく恐れる
沢は危ない。整備された登山道を歩く事と比較すると、その危険度ははるかに高い。水は怖い。日常生活で溺れることはあまりないし、溺れた経験を持つ人も少ない。でも沢ではその危険が高い。高所は恐い。大滝や高巻きで滑落するのは事故につながるし、そもそも高い場所はそれだけで本能的に恐い。だから、これらの危険性、リスクを認識しマネジメントできなければ沢登りには行かない方がいい。
「怖い」という感情感覚は人間が持つ通常の本能なので、怖がることを恥じる必要はない。高巻きのトラバースやゴルジュのヘツリに恐怖心があってへっぴり腰になる場合がある。僕らもその場所でスタンスや重心移動の声掛けをするし、頑張れと励ましもする。だけど、当の本人からすれば「恐いもんはコワイ」のだ。
なので恐がりの自分を恥じたり否定する必要はない。
それは危険回避の大切な本能だから。恐怖心を否定すると、それはやがて自己否定につながり、モチベーションの低下につながる。否定せずに受け入れることが大切なのだと思う。受け入れた上で、それでもこの沢を遡行したいのか、この岩を登りたいのか、を自分に問いかけてみよう。
「遡行したい」と思うのであれば、おのずとより深い情報収集をしたり、技術の習得に意欲がでるはず。すると自分の各種スキルの現状と照らし合わせて挑戦するか、見合わせるかの判断精度が高まる。この判断精度こそが、リスクコントロールにとても重要な能力となる。
恐怖心を無理やりねじ伏せて登る人が最も危ない。
同調圧力で行かざるを得ない雰囲気になったとか、意図的に鈍感になってみたりとか、単に自己過信したりとか、自分の恐怖心ときちんと向き合わずに(またはコントロールできずに)突っ込む時に事故は起きる。
恐怖心を克服するには、スキルアップして自信をつけたり、経験を積んで慣れたりとその方法は人それぞれ。正しく恐れ、自分と向き合い、目的と目標を明確にすることで行動が変わり、やがてチャレンジできる沢や岩が増えてくる。慎重であることを恥じず、冒険心に酔いすぎず、楽しさとリスクをクールに見極めつつ受け入れる。僕はそんな沢が出来るようになりたいと思っている。
「怖い」という感情感覚は人間が持つ通常の本能なので、怖がることを恥じる必要はない。高巻きのトラバースやゴルジュのヘツリに恐怖心があってへっぴり腰になる場合がある。僕らもその場所でスタンスや重心移動の声掛けをするし、頑張れと励ましもする。だけど、当の本人からすれば「恐いもんはコワイ」のだ。
なので恐がりの自分を恥じたり否定する必要はない。
それは危険回避の大切な本能だから。恐怖心を否定すると、それはやがて自己否定につながり、モチベーションの低下につながる。否定せずに受け入れることが大切なのだと思う。受け入れた上で、それでもこの沢を遡行したいのか、この岩を登りたいのか、を自分に問いかけてみよう。
「遡行したい」と思うのであれば、おのずとより深い情報収集をしたり、技術の習得に意欲がでるはず。すると自分の各種スキルの現状と照らし合わせて挑戦するか、見合わせるかの判断精度が高まる。この判断精度こそが、リスクコントロールにとても重要な能力となる。
恐怖心を無理やりねじ伏せて登る人が最も危ない。
同調圧力で行かざるを得ない雰囲気になったとか、意図的に鈍感になってみたりとか、単に自己過信したりとか、自分の恐怖心ときちんと向き合わずに(またはコントロールできずに)突っ込む時に事故は起きる。
恐怖心を克服するには、スキルアップして自信をつけたり、経験を積んで慣れたりとその方法は人それぞれ。正しく恐れ、自分と向き合い、目的と目標を明確にすることで行動が変わり、やがてチャレンジできる沢や岩が増えてくる。慎重であることを恥じず、冒険心に酔いすぎず、楽しさとリスクをクールに見極めつつ受け入れる。僕はそんな沢が出来るようになりたいと思っている。
■リスクコントロール
沢登り(およびクライミング全般について)のリスクコントロールについての深い示唆がある報告が、2019年8月8日に称名滝をフリーソロした中嶋徹氏から行われているので、ぜひ読んでもらいたい。
自分でコントロールできるリスクなのか、そうでないのか。それらリスクを見積もることとメンタルコントロールの重要性が分かりやすく語られている。アレックス・オノルドの映画「フリーソロ」を観た時も感じたのだけれど、周囲には無謀な事と理解されないことでも、当人はリスクを徹底的にかつ冷静に(正常性バイアスにかからず)見積もっている上でのトライなんですね。
自分でコントロールできるリスクなのか、そうでないのか。それらリスクを見積もることとメンタルコントロールの重要性が分かりやすく語られている。アレックス・オノルドの映画「フリーソロ」を観た時も感じたのだけれど、周囲には無謀な事と理解されないことでも、当人はリスクを徹底的にかつ冷静に(正常性バイアスにかからず)見積もっている上でのトライなんですね。
■沢はひとりじゃ行けない
クライミングも沢も一人じゃ行けない。
だからNACCのような連絡網があると、同行者やビレイヤーを探す役に立つ。そこで是非みんなが「企画者」になってもらいたい、と僕は思っている。
企画は、経験がある人や強い人でなければ立案できないものではない。あの壁を登りたい、あの沢を遡上したい、みんなで楽しく飲みたい。そんな気持ちがあれば、能動的に自発的に企画を立ち上げればいいんだ。たとえば先日のサマン谷は僕が企画者。でもチーフリーダーは遡上経験者を任命した(笑)。そんな感じでいいんじゃないかな。
だからNACCのような連絡網があると、同行者やビレイヤーを探す役に立つ。そこで是非みんなが「企画者」になってもらいたい、と僕は思っている。
企画は、経験がある人や強い人でなければ立案できないものではない。あの壁を登りたい、あの沢を遡上したい、みんなで楽しく飲みたい。そんな気持ちがあれば、能動的に自発的に企画を立ち上げればいいんだ。たとえば先日のサマン谷は僕が企画者。でもチーフリーダーは遡上経験者を任命した(笑)。そんな感じでいいんじゃないかな。
■最後に
読み返すとやっぱり説教臭い。ま、そこは勘弁してクダサイ…。
ここまで書いたことは僕自身のフィロソフィーみたいなものなので、異論もあるでしょう。ただここの所、沢や岩場での事故のニュースを目にする事が多く、初心者である我々自身が事故を起こさないようにしたいと思って書いたものです。
また、この沢登りシリーズのヤマノートが自分が思った以上に閲覧者が多いのにも驚いてます。他でも記述していますが、沢登りはクライミングスキル・基礎体力・読図力・ギアの取扱いなど様々な要素を必要とする山行形態です。なので、誰にでも簡単にすすめられるものではありません。僕自身も経験豊かなベテランという訳でもなく、このヤマノートはメンバーと情報共有のために書き始めたものでした。
その上で、沢登りに興味がある人が読んで下さったのであれば、重ねてくどいように書きますが、ここの情報を鵜呑みにせず、準備を怠りなく、能動的な自助を念頭に、経験者と共に沢に行かれてくださいませ。
ここまで書いたことは僕自身のフィロソフィーみたいなものなので、異論もあるでしょう。ただここの所、沢や岩場での事故のニュースを目にする事が多く、初心者である我々自身が事故を起こさないようにしたいと思って書いたものです。
また、この沢登りシリーズのヤマノートが自分が思った以上に閲覧者が多いのにも驚いてます。他でも記述していますが、沢登りはクライミングスキル・基礎体力・読図力・ギアの取扱いなど様々な要素を必要とする山行形態です。なので、誰にでも簡単にすすめられるものではありません。僕自身も経験豊かなベテランという訳でもなく、このヤマノートはメンバーと情報共有のために書き始めたものでした。
その上で、沢登りに興味がある人が読んで下さったのであれば、重ねてくどいように書きますが、ここの情報を鵜呑みにせず、準備を怠りなく、能動的な自助を念頭に、経験者と共に沢に行かれてくださいませ。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
wakatakeyaさんの記事一覧
- 沢登り/情報編(道路・河川・遡行図・トポ他) 11 更新日:2020年09月05日
- 沢登り/メンバーの心構え編(NACCメンバー用) 52 更新日:2022年04月20日
- 沢登り/リスクマネジメント編(NACCメンバー用) 51 更新日:2021年06月09日
※この記事はヤマレコの「ヤマノート」機能を利用して作られています。
どなたでも、山に関する知識や技術などのノウハウを簡単に残して共有できます。
ぜひご協力ください!
メンバーのみならず家族への説明も必要でしょう。
万が一の場合、メンバーたちは最善を尽くしている。
家族はここさえ理解してくれていればと思いますね。
> フィロソフィー
ニ、ニ、ニチェーか?サルトルか?
確かに家族への説明も責任のうちですね。例え理解が得られなくても…(笑)
同意です!
ワカさんからしたらトップ(ロープ)クライマーの私がこんなこと言うなんて超違和感かもですが、よく考えてます。
色々思うところはありますが、そもそも、私としては(人の企画で連れていってもらうにしろ)自分自身が主体的じゃないとあまり楽しめないんですよね😅
マルチや沢登りの本を読んだり、ネットでよそ様の山行見たりして勉強しているのですが…行ける機会が少なく、中々経験値が上がらないのが悩ましいところです。
とりあえずODで登れるグレード(低空飛行グレードw)だけは維持しとこうという感じです💦
君らの登攀意欲には驚くばかりじゃよ
ガチャの言う通り、連れていってもらった沢でも主体的に歩く事が大切なのだと書きたかったのじゃ。
これからも一緒に色んな沢や岩を楽しもうではないか
私も書籍やネットなどの実践を伴わない知識も多くて、俺の言うことを鵜呑みにしないようにしてください。
お互い刺激しあって切磋琢磨ですね。
「正しく恐れる」を追記し、「自己の責任を考える」に家族への説明に関する内容を付記しました。
CCはClimbers Clubと予想されますが、NAは想像もできません。福岡の沢登をメインとした社会人山岳会なのでしょうか?プロファイルや山ノートの書き込みに組織の概要や活動方針や活動地域や沿革などが無く少し気になりました。
NACCは単なる友人グループの名前であって、山岳会やサークルのような組織ではありません。主にLINEを利用している友達の連絡網です。当然ながら活動方針や計画など組織だった活動は何もありません。ちょっとした遊び心で「名なしのクライミングクラブ」をもじってグループ名にしているだけのものなのです。
「名なしのクライミングクラブ」および単なる友人グループの名前とのことを了解しました。ありがとうございました。知らないのは自分だけの用語が最近は多く、少し気になりました。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する