碑の由来を別府図書館に問い合わせて、以下の回答をもらいました。
〈貼り付け開始〉
お世話になっております。別府市立図書館です。
「由布岳正面登山口の顕彰碑」についてお答えします。
佐藤松治郎(元治元年11月4日生 大正15年8月20日没)
明治40年、43歳で政友会から立候補し県議会議員に当選した当時、
由布院〜別府間の道路は、山すそを縫う小道で牛馬の背でしか物資
を輸送することができず、由布院の産業・観光の発展は交通の整備が
最重要課題であった。
こうした交通不便に対し、当時すでに別府港道路開削期成会
(会長小野金三郎、それまでの県議会議員)が結成され、県の認可も
得て、後は着工を待つのみであった。
その後を受けて県議会議員になった佐藤松治郎は、旅館紫明館を
経営しながら私財を投げうって別府港道完成のため日夜奔放し、
血のにじむような努力を重ねた。道路工事は明治43年着工し難工事で
あったが、大正2年に完成した(工事費7万5千円)。
北由布村の村人は当時、この道を「松治郎道」と呼んで尽力を称えた。
また、大正4〜5年、7〜10年、村民の衆望を担って北由布村長も勤めた。
大正13年、村人は佐藤松治郎の功績を称え、由布登山口に「佐藤松治郎君頌徳碑」を建立した。
※町史の載っている石碑の写真は「佐藤松治郎君功徳碑となっています。
出典:『町史 湯布院(別巻)』平成元年1月 より
由布市の事になるので、町史でしか確認できませんでした。
更に詳しく知りたい場合は、由布市の図書館の方にお尋ねいただく
とよいかと思います。
〈貼り付け開始〉
お世話になっております。別府市立図書館です。
「由布岳正面登山口の顕彰碑」についてお答えします。
佐藤松治郎(元治元年11月4日生 大正15年8月20日没)
明治40年、43歳で政友会から立候補し県議会議員に当選した当時、
由布院〜別府間の道路は、山すそを縫う小道で牛馬の背でしか物資
を輸送することができず、由布院の産業・観光の発展は交通の整備が
最重要課題であった。
こうした交通不便に対し、当時すでに別府港道路開削期成会
(会長小野金三郎、それまでの県議会議員)が結成され、県の認可も
得て、後は着工を待つのみであった。
その後を受けて県議会議員になった佐藤松治郎は、旅館紫明館を
経営しながら私財を投げうって別府港道完成のため日夜奔放し、
血のにじむような努力を重ねた。道路工事は明治43年着工し難工事で
あったが、大正2年に完成した(工事費7万5千円)。
北由布村の村人は当時、この道を「松治郎道」と呼んで尽力を称えた。
また、大正4〜5年、7〜10年、村民の衆望を担って北由布村長も勤めた。
大正13年、村人は佐藤松治郎の功績を称え、由布登山口に「佐藤松治郎君頌徳碑」を建立した。
※町史の載っている石碑の写真は「佐藤松治郎君功徳碑となっています。
出典:『町史 湯布院(別巻)』平成元年1月 より
由布市の事になるので、町史でしか確認できませんでした。
更に詳しく知りたい場合は、由布市の図書館の方にお尋ねいただく
とよいかと思います。
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