山陽電車「西代駅」の駅名の由来が気になり、GWにいろいろ調べていたら、神戸市立博物館所蔵の「板宿村禅昌寺,西代村妙法寺村山論裁許絵図」を見つけました(以下山論裁許絵図)。江戸時代には西代駅周辺は「西代村」と呼ばれており、近隣の板宿村・妙法寺村・禅昌寺と高取山の所有権を巡って争っていたようです。「山論」とは、江戸時代にあちこちで起こっていた山の所有権を巡る争いのことです。
【板宿村禅昌寺,西代村妙法寺村山論裁許絵図(神戸市立博物館HPより抜粋)】
https://www.kobecitymuseum.jp/collection/detail?heritage=508674
山論裁許絵図には高取山の東側に二つのピークが描かれ尾根筋に境界線が引かれていて、幕府の役人により土地境界の検分が行われたようです。現在この尾根には高取神社の参道が通っています。
GW暇だったので、山論裁許絵図に記録されている文字を解読してみることにしました。
毛筆のくずし字を読解するのは初めてだったので何が書かれているのか読み解くのに苦労しましたが、「みを」という無料アプリを見つけてかなり楽になりました。
【AIくずし字認識アプリ みを】
http://codh.rois.ac.jp/miwo/
【「みを」を使って山論裁許絵図を読み解いた情報】
・検分を行ったのは、3人の幕府役人(板倉内膳、若狭守、両宮對馬守)。寛文9年(1669年)に実施。依頼したのは西代村の百姓
・検分結果:
・禅昌寺西尾根から西は妙法寺村の領地(検分担当:両宮對馬守)
・禅昌寺東尾根から東は西代村の領地(検分担当:両宮對馬守)
・禅昌寺西尾根と東尾根の間は禅昌寺の領地(検分担当:板倉内膳)
・妙法寺川より南は板宿村の領地
・その他考察:
・神戸市営地下鉄「妙法寺駅」の由来は駅近くに存在するお寺の名前というよりも妙法寺村に由来しているように思います。(未確認)
・最初「池」とあるのは行基が造成した「蓮の池」と思いましたが、明治時代の地図を確認すると、禅昌寺周辺にたくさんのため池があったことがわかりました。おそらく江戸時代にも。この池はそんなため池の一つと判断しました。
・同じく、北から流れてきて禅昌寺の領地を貫いている川を苅藻川(現在の新湊川)と思いましたが、平家物語に平重衡が西へ敗走するとき湊川・苅藻川を渡ったのち蓮の池を通り過ぎる下りがあるため、これは妙法寺川の支流と考えた方がいいでしょう。この川の上流には今でも滝行ができる高神の滝があります。
・禅昌寺西尾根以西に刻まれた谷には現在は失われた「打石谷」「中尾谷」「十五谷」という地名が記録されています。打石とは火打ち石を表していると思われ、六甲山系でも火打ち石に利用される泥岩が観察されることから、高取山周辺でも泥岩が採れるのかもしれません。(未確認) 地質図に記載はありませんが、機会があれば探してみたいと思います。
【2023.5.20追記】
高取山周辺に神戸層群の礫岩を見つけた記録。火打石に利用可能な石です。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5511113.html
【関連ヤマレコ】
両宮對馬守が検分した尾根道を実際に歩いてみた記録。よかったらお楽しみください。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5494983.html
【板宿村禅昌寺,西代村妙法寺村山論裁許絵図(神戸市立博物館HPより抜粋)】
https://www.kobecitymuseum.jp/collection/detail?heritage=508674
山論裁許絵図には高取山の東側に二つのピークが描かれ尾根筋に境界線が引かれていて、幕府の役人により土地境界の検分が行われたようです。現在この尾根には高取神社の参道が通っています。
GW暇だったので、山論裁許絵図に記録されている文字を解読してみることにしました。
毛筆のくずし字を読解するのは初めてだったので何が書かれているのか読み解くのに苦労しましたが、「みを」という無料アプリを見つけてかなり楽になりました。
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【「みを」を使って山論裁許絵図を読み解いた情報】
・検分を行ったのは、3人の幕府役人(板倉内膳、若狭守、両宮對馬守)。寛文9年(1669年)に実施。依頼したのは西代村の百姓
・検分結果:
・禅昌寺西尾根から西は妙法寺村の領地(検分担当:両宮對馬守)
・禅昌寺東尾根から東は西代村の領地(検分担当:両宮對馬守)
・禅昌寺西尾根と東尾根の間は禅昌寺の領地(検分担当:板倉内膳)
・妙法寺川より南は板宿村の領地
・その他考察:
・神戸市営地下鉄「妙法寺駅」の由来は駅近くに存在するお寺の名前というよりも妙法寺村に由来しているように思います。(未確認)
・最初「池」とあるのは行基が造成した「蓮の池」と思いましたが、明治時代の地図を確認すると、禅昌寺周辺にたくさんのため池があったことがわかりました。おそらく江戸時代にも。この池はそんなため池の一つと判断しました。
・同じく、北から流れてきて禅昌寺の領地を貫いている川を苅藻川(現在の新湊川)と思いましたが、平家物語に平重衡が西へ敗走するとき湊川・苅藻川を渡ったのち蓮の池を通り過ぎる下りがあるため、これは妙法寺川の支流と考えた方がいいでしょう。この川の上流には今でも滝行ができる高神の滝があります。
・禅昌寺西尾根以西に刻まれた谷には現在は失われた「打石谷」「中尾谷」「十五谷」という地名が記録されています。打石とは火打ち石を表していると思われ、六甲山系でも火打ち石に利用される泥岩が観察されることから、高取山周辺でも泥岩が採れるのかもしれません。(未確認) 地質図に記載はありませんが、機会があれば探してみたいと思います。
【2023.5.20追記】
高取山周辺に神戸層群の礫岩を見つけた記録。火打石に利用可能な石です。
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【関連ヤマレコ】
両宮對馬守が検分した尾根道を実際に歩いてみた記録。よかったらお楽しみください。
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