思わぬところに昭和8(1933)年の山小屋の宿料などが掲載されていた
「思わぬところに、昔の山小屋の宿泊料が掲載されていた」というお話です。祖母が90年前に入手した物を見ていて気付きました。
すまし録
思わぬところに昭和8年の山小屋の宿料が掲載されていた。それは当時の市販の日記帳だ。商品名は「昭和9年版 半圓 當用日記帳 千葉県版」(昭和8年10月発行)。この一般向けの日記帳の巻末付録に、わずかだ登山情報が書いてあった。
この日記帳は、母方祖母(当時14才)が、昭和9年4月、愛知県豊田市(実家)を離れ、千葉県蘇我の「千葉縣農會立家政女學校」に寄宿していた時のものだ。日記帳の発行は博文館。私の今の手帳も博文館。こんな息の長い会社だとは知らなかった。
初めに断っておくが、山小屋の宿料に関して言えば、当時の書籍に掲載されている場合もある。例えば、当時の山岳会の本がそれで、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できるものもある。
むしろ、私が日記帳を見て思ったことは、「昭和初期の一般向け日記帳に、なんで山小屋の宿泊料が載っているの?」ということだ。
本で「昭和初期に登山の大衆化・登山ブームがあった」と読んだことがある。今回の件は、昭和初期の登山ブームと関係あるのか? これを確かめるため、国立国会図書館デジタルコレクションで博文館の日記帳を調べた。すると登山情報の掲載は、「昭和3年(発行は昭和2年)から始まったらしい」ことがわかった。そうなると、当時の登山ブームを反映した企画の可能性もある。もちろん、博文館に登山狂の社員が入社したという可能性もあるけれど・・。
この日記帳は、母方祖母(当時14才)が、昭和9年4月、愛知県豊田市(実家)を離れ、千葉県蘇我の「千葉縣農會立家政女學校」に寄宿していた時のものだ。日記帳の発行は博文館。私の今の手帳も博文館。こんな息の長い会社だとは知らなかった。
初めに断っておくが、山小屋の宿料に関して言えば、当時の書籍に掲載されている場合もある。例えば、当時の山岳会の本がそれで、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できるものもある。
むしろ、私が日記帳を見て思ったことは、「昭和初期の一般向け日記帳に、なんで山小屋の宿泊料が載っているの?」ということだ。
本で「昭和初期に登山の大衆化・登山ブームがあった」と読んだことがある。今回の件は、昭和初期の登山ブームと関係あるのか? これを確かめるため、国立国会図書館デジタルコレクションで博文館の日記帳を調べた。すると登山情報の掲載は、「昭和3年(発行は昭和2年)から始まったらしい」ことがわかった。そうなると、当時の登山ブームを反映した企画の可能性もある。もちろん、博文館に登山狂の社員が入社したという可能性もあるけれど・・。
昭和8年発行の日記帳の登山情報
旧字体がわからなければ、以下の書き下しを参考にして下さい。なお、カッコ内の(注)は私の注釈だ。
------<正確を期す場合は、原本(上写真)を自分で確認下さい>-----------
<<<富士とアルプス>>>
富士山登山者数
昭和5年 57,687人 (うち女 7,568人)
昭和6年 78,006人 (うち女 10,111人)
【吉田口登山経路】
大月駅(中央線)
−富士山麓鉄道 70銭/23km50分ー
富士吉田口駅 (注:現在は富士山駅に改名)
−乗合自動車 10銭/1km5分ー
浅間神社
−乗合自動車 登り1円20銭・下り80銭/9km20分ー
馬返
−登り6時間・下り3時間/10kmー (注:上り・下りの矢印が逆。誤植だと思う。)
頂上泊
宿泊料その他
宿泊料:上吉田町 1円80銭〜2円70銭(注:麓の上吉田町の宿代と推測)
山小屋 1円40銭〜2円50銭
金剛杖: 並 7銭 上 14銭 特製 23銭
著茣蓙:並 23銭 (注:きござ=登山者が身につけるゴザ by 「コトバンク」)
笠 18銭
餅 7個 22銭
売店晝食 並50銭 上90銭 (注:晝食とは、昼食の旧字体)
【日本アルプス物価(昭和8年5月)】
上高地乗鞍方面
徳本小屋 宿料 1円80銭 弁当30銭
上高地 宿料 2円 弁当30銭
冷泉小屋 宿料 1円60銭 弁当20銭 (注:乗鞍の小屋)
肩の小屋 宿料 1円80銭 弁当30銭 (注:乗鞍の小屋)
白骨温泉 宿料 1円40銭 弁当30銭
槍、常念方面
中房温泉 宿料 1円50銭 弁当25銭
常念小屋 宿料 2円 弁当25銭
殺生小屋 宿料 2円30銭 弁当20銭 (注:槍の殺生ヒュッテ)
立山、剣方面
針の木小屋 宿料 1円70銭 弁当30銭(注:針の木小屋の完成は昭和5年)
弘法茶屋 宿料 1円25銭 (注:立山と室堂の間にあった小屋)
室堂 宿料 2円30銭 弁当30銭
日本アルプス登山者数
昭和5年 201,889人
昭和6年 195,638人
-----------------------------------------------------------------------
<以下、所感>
●宿泊料に食事代が含まれるのか、わからないのが残念。
●「日本アルプス物価(昭8年5月)」と日付が書いてある。博文館が調査した月だろう。丁寧な仕事だ。
●どのような基準で、これら山小屋が選ばれたのだろう。さっぱりわからない。
------<正確を期す場合は、原本(上写真)を自分で確認下さい>-----------
<<<富士とアルプス>>>
富士山登山者数
昭和5年 57,687人 (うち女 7,568人)
昭和6年 78,006人 (うち女 10,111人)
【吉田口登山経路】
大月駅(中央線)
−富士山麓鉄道 70銭/23km50分ー
富士吉田口駅 (注:現在は富士山駅に改名)
−乗合自動車 10銭/1km5分ー
浅間神社
−乗合自動車 登り1円20銭・下り80銭/9km20分ー
馬返
−登り6時間・下り3時間/10kmー (注:上り・下りの矢印が逆。誤植だと思う。)
頂上泊
宿泊料その他
宿泊料:上吉田町 1円80銭〜2円70銭(注:麓の上吉田町の宿代と推測)
山小屋 1円40銭〜2円50銭
金剛杖: 並 7銭 上 14銭 特製 23銭
著茣蓙:並 23銭 (注:きござ=登山者が身につけるゴザ by 「コトバンク」)
笠 18銭
餅 7個 22銭
売店晝食 並50銭 上90銭 (注:晝食とは、昼食の旧字体)
【日本アルプス物価(昭和8年5月)】
上高地乗鞍方面
徳本小屋 宿料 1円80銭 弁当30銭
上高地 宿料 2円 弁当30銭
冷泉小屋 宿料 1円60銭 弁当20銭 (注:乗鞍の小屋)
肩の小屋 宿料 1円80銭 弁当30銭 (注:乗鞍の小屋)
白骨温泉 宿料 1円40銭 弁当30銭
槍、常念方面
中房温泉 宿料 1円50銭 弁当25銭
常念小屋 宿料 2円 弁当25銭
殺生小屋 宿料 2円30銭 弁当20銭 (注:槍の殺生ヒュッテ)
立山、剣方面
針の木小屋 宿料 1円70銭 弁当30銭(注:針の木小屋の完成は昭和5年)
弘法茶屋 宿料 1円25銭 (注:立山と室堂の間にあった小屋)
室堂 宿料 2円30銭 弁当30銭
日本アルプス登山者数
昭和5年 201,889人
昭和6年 195,638人
-----------------------------------------------------------------------
<以下、所感>
●宿泊料に食事代が含まれるのか、わからないのが残念。
●「日本アルプス物価(昭8年5月)」と日付が書いてある。博文館が調査した月だろう。丁寧な仕事だ。
●どのような基準で、これら山小屋が選ばれたのだろう。さっぱりわからない。
(コメント1)現在の価格に換算してみると・・・
これらの料金は、今の価値でいくらになるのだろう。私は経済の素人なので、批判されそうだが、この日記の巻末付録に記された物の値段等から類推した。具体的には、鉄道運賃(富士山麓鉄道や国鉄)の今昔の値段を基準にしてみた。
【換算方法1】・・・富士山麓鉄道の運賃を基準
この日記帳には、上述の通り、大月駅から富士吉田駅の鉄道運賃が70銭とある。今も富士山麓鉄道は存在し、同区間の運賃は1040円なので、比例換算すると、当時の1円は現在の1486円に相当することになる。
これに基づけば、例えば、以下のように換算できる。
昭和8年 令和8年
徳本小屋 宿料 1円80銭 → 2675円
弁当 30銭 → 446円
【換算方法2】・・・国鉄運賃(JR)を基準
次は国鉄を基準とした比較だ。この日記帳には、当時の国鉄運賃が掲載されており(下写真)、64.1kmの運賃が1円だ。一方、現在のJRの64.1kmの運賃は1230円(注:幹線・切符)だ。この場合、
昭和8年 令和8年
徳本小屋 宿料 1円80銭 → 2214円
弁当 30銭 → 369円 となる。
【換算方法3】・・・ネットの”円タイムマシン(明治・大正・昭和・平成・令和の円を換算)”
上記サイトで調べると、昭和8年の1円は今の1090円と出てきた。これを基にすると、
昭和8年 令和7年
徳本小屋 宿料 1円80銭 → 1962円
弁当 30銭 → 327円 となる。
基準の選択で結果は大きく変わると思うが、上記の3つの換算方法で、同じような結果(宿泊料2000〜3000円)を得た。しかし、現在の北アルプスは、素泊まりでも1万円近い。この食い違いをどう考えればよいのか。経済にうとい私には解釈できない。
下図は、参考にした昔の国鉄運賃。
【換算方法1】・・・富士山麓鉄道の運賃を基準
この日記帳には、上述の通り、大月駅から富士吉田駅の鉄道運賃が70銭とある。今も富士山麓鉄道は存在し、同区間の運賃は1040円なので、比例換算すると、当時の1円は現在の1486円に相当することになる。
これに基づけば、例えば、以下のように換算できる。
昭和8年 令和8年
徳本小屋 宿料 1円80銭 → 2675円
弁当 30銭 → 446円
【換算方法2】・・・国鉄運賃(JR)を基準
次は国鉄を基準とした比較だ。この日記帳には、当時の国鉄運賃が掲載されており(下写真)、64.1kmの運賃が1円だ。一方、現在のJRの64.1kmの運賃は1230円(注:幹線・切符)だ。この場合、
昭和8年 令和8年
徳本小屋 宿料 1円80銭 → 2214円
弁当 30銭 → 369円 となる。
【換算方法3】・・・ネットの”円タイムマシン(明治・大正・昭和・平成・令和の円を換算)”
上記サイトで調べると、昭和8年の1円は今の1090円と出てきた。これを基にすると、
昭和8年 令和7年
徳本小屋 宿料 1円80銭 → 1962円
弁当 30銭 → 327円 となる。
基準の選択で結果は大きく変わると思うが、上記の3つの換算方法で、同じような結果(宿泊料2000〜3000円)を得た。しかし、現在の北アルプスは、素泊まりでも1万円近い。この食い違いをどう考えればよいのか。経済にうとい私には解釈できない。
下図は、参考にした昔の国鉄運賃。
(おまけ)鉄道運賃以外、日記帳に、物価比較の参考になりそうな情報は少ない。ピンとこないが、武官俸給などを引用しておく。
(コメント2)登山者数について
前述のとおり、この日記には富士山とアルプスの登山者数が書いてある。信頼性が疑問だが、より信頼が置けそうな富士山について考えてみる。
日記帳では、
昭和5(1930)年 57,687人 (うち女 7,568人)
昭和6(1931)年 78,006人 (うち女 10,111人)
と書いてある。
一方、現在、環境省によれば、開山日〜閉山日の富士山の登山者数は以下の通りだ。
令和7(2024)年 204,136人
令和8(2025)年 205,100人
確かに今より登山者数は少ない。だが、私は「予想より多い」という印象を抱いた。
貧弱な登山道具・交通環境。しかも、当時は、昭和4年の世界恐慌に端を発した昭和恐慌の最中。昭和6年に満州事変、昭和7年には5・11事件。何より、昭和6年の日本の人口は、たった6千5百万人(注:内地のみ)しかいないのだから・・・。
まぁ、そもそも、この登山者数が信用おけるかという問題もあるけれど・・・。
-------------------------------------------------------------------
信頼性は低いと思うが、日本アルプス登山者数についても現在と比較する。
日記帳には、日本アルプスとして、
昭和5(1930)年 201,889人
昭和6(1931)年 195,638人 と書かれている。
一方、現在は、長野県・岐阜県の統計(登山届に基づく)から、北アについて以下のとおり(富山県はネットで見当たらないので合算せず)。
令和4(2025)年 191,634人 (長野県151,932 岐阜県39,702人)
令和5(2025)年 198,187人 (長野県150,411 岐阜県47,776人)
日本アと北アの違いとは言え、さすがに昭和初期の登山者数は過剰見積りではないか。
日記帳では、
昭和5(1930)年 57,687人 (うち女 7,568人)
昭和6(1931)年 78,006人 (うち女 10,111人)
と書いてある。
一方、現在、環境省によれば、開山日〜閉山日の富士山の登山者数は以下の通りだ。
令和7(2024)年 204,136人
令和8(2025)年 205,100人
確かに今より登山者数は少ない。だが、私は「予想より多い」という印象を抱いた。
貧弱な登山道具・交通環境。しかも、当時は、昭和4年の世界恐慌に端を発した昭和恐慌の最中。昭和6年に満州事変、昭和7年には5・11事件。何より、昭和6年の日本の人口は、たった6千5百万人(注:内地のみ)しかいないのだから・・・。
まぁ、そもそも、この登山者数が信用おけるかという問題もあるけれど・・・。
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信頼性は低いと思うが、日本アルプス登山者数についても現在と比較する。
日記帳には、日本アルプスとして、
昭和5(1930)年 201,889人
昭和6(1931)年 195,638人 と書かれている。
一方、現在は、長野県・岐阜県の統計(登山届に基づく)から、北アについて以下のとおり(富山県はネットで見当たらないので合算せず)。
令和4(2025)年 191,634人 (長野県151,932 岐阜県39,702人)
令和5(2025)年 198,187人 (長野県150,411 岐阜県47,776人)
日本アと北アの違いとは言え、さすがに昭和初期の登山者数は過剰見積りではないか。
(参考1)我が家・親戚の昭和初期の登山
ここからは参考。
我が家関係では、2つの昭和初期の登山が判明している。両祖父とも他界しているので、当時の登山ブームとの関係はわからない。
【1】父方祖父の場合
昭和6-9年頃のアルバムに、高山帯の稜線を背にした父方祖父の写真が1枚残っている。丸めたムシロをリュックに取り付けている。私が十数年前に、この写真を見つけた時、昭和初期に一般人(=祖父)が北アルプスのような所を歩ける環境であったことを知り驚いた。
場所を特定しようと努力しているが、わからない。どうしてもわからなければ、写真を公開し、ヤマレコで有識者の力をお借りしたいと思っている。
【2】母方祖父の場合
次は母方の場合。母方実家のアルバムに、「昭和14年8月 富士登山、修善寺」と書かれた母方祖父の写真がある。職場同僚との旅行だ。写真は富士山頂で、5枚すべて同じ場所で撮影されたものだ。
我が家関係では、2つの昭和初期の登山が判明している。両祖父とも他界しているので、当時の登山ブームとの関係はわからない。
【1】父方祖父の場合
昭和6-9年頃のアルバムに、高山帯の稜線を背にした父方祖父の写真が1枚残っている。丸めたムシロをリュックに取り付けている。私が十数年前に、この写真を見つけた時、昭和初期に一般人(=祖父)が北アルプスのような所を歩ける環境であったことを知り驚いた。
場所を特定しようと努力しているが、わからない。どうしてもわからなければ、写真を公開し、ヤマレコで有識者の力をお借りしたいと思っている。
【2】母方祖父の場合
次は母方の場合。母方実家のアルバムに、「昭和14年8月 富士登山、修善寺」と書かれた母方祖父の写真がある。職場同僚との旅行だ。写真は富士山頂で、5枚すべて同じ場所で撮影されたものだ。
(参考2)約50年前の宿泊料 古いアルパインガイドから
我が家には、アルパインガイド「上高地・槍・穂高・常念・燕・乗鞍」(昭和52(1977)年)、「立山・剣・薬師」(昭和55(1980)年)が残されている。そこに記された宿泊料を、前述の日記帳の山小屋について書き出しておく。
前述の日記帳が約100年前なら、これは約50年前の情報になる。
上高地乗鞍方面
徳本小屋 素2100 3100
上高地 (5500-8000 ←西糸屋)
冷泉小屋 休業中
肩の小屋 素2000 2800
白骨温泉 4500-12000
槍、常念方面
中房温泉 3500-
常念小屋 素2000 3200
殺生小屋 素2200 3200 (注:槍の殺生ヒュッテ)
立山、剣方面
針の木小屋 素2700 3800
弘法茶屋 (多分、廃止)
室堂 (素2500 3900 ←室堂山荘の場合)
注:上高地と室堂は、昭8以前から営業している西糸屋と室堂山荘を記載した。
注:”円タイムマシン(明治・大正・昭和・平成・令和の円を換算)”というサイトによれば、1977年の2000円は、現在(2025年)の約 3585 〜 3887 円の価値ということらしい。
前述の日記帳が約100年前なら、これは約50年前の情報になる。
上高地乗鞍方面
徳本小屋 素2100 3100
上高地 (5500-8000 ←西糸屋)
冷泉小屋 休業中
肩の小屋 素2000 2800
白骨温泉 4500-12000
槍、常念方面
中房温泉 3500-
常念小屋 素2000 3200
殺生小屋 素2200 3200 (注:槍の殺生ヒュッテ)
立山、剣方面
針の木小屋 素2700 3800
弘法茶屋 (多分、廃止)
室堂 (素2500 3900 ←室堂山荘の場合)
注:上高地と室堂は、昭8以前から営業している西糸屋と室堂山荘を記載した。
注:”円タイムマシン(明治・大正・昭和・平成・令和の円を換算)”というサイトによれば、1977年の2000円は、現在(2025年)の約 3585 〜 3887 円の価値ということらしい。
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