《筑摩山地》自宅から美鈴湖、戸谷峰、四賀村へ
- GPS
- 08:40
- 距離
- 21.6km
- 登り
- 1,353m
- 下り
- 1,253m
コースタイム
- 山行
- 8:17
- 休憩
- 0:23
- 合計
- 8:40
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年11月の天気図 |
アクセス |
行き 徒歩 帰り 路線バス510圓 |
写真
装備
個人装備 |
地下足袋+脚絆
焚き火セット
ノコギリ
弁当
水筒
軍手
ラテルネ
地図磁石
防寒具
雨具
|
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共同装備 |
ツエルト
6mm×10m
|
感想
戸谷峰は運命の山、最も美しい体験をした山だった。高校三年の時ひとりで登って藪を漕いで、青い花で覆われた草原状だった山頂に一泊して、松本を、北アルプスを眺めて一晩過ごした。登山道は当時途中までしか無く、僕だけの山だ、という思いを強く持った。35年が過ぎて帰郷した。いつも町から見える山だ。90年代に道もできたと聞いた。山越え山行で、家から歩いて戸谷峰から旧四賀村へ、旧本城村から四阿山登って冠着山から坂城町にという長い計画を考えた。
朝、早く起きて、支度も済んでいるのにどうしても出発する気が起きない。一人の山行ではよくあること。出発は8時になってしまった。今日中に本城まで行くのは厳しくなってしまった。でも戸谷峰、四賀村ノッコしでも十分だ。
美ヶ原温泉への湯川沿いの道は朝ランするのにいいだろうな、これからの季節、常念も丸見えだ。美ヶ原温泉の裏の沢に忍び込む。山の神のすぐ裏に大きな溜池あり。舗装のグネグネ路を串刺しにして藪漕ぎ直登したが、あんまり楽しくない。やはり次回は一本東の藤の沢の道を使おうと思う。
美鈴湖、小学生以来の再訪。昔はバスで来て、下りは浅間温泉までカラマツの中の下り道を下った。今はもう湖は凍らず、バスも来ない。岬の弁天さまと、三角屋根のウテナ荘は残っていた。赤い屋根がこげ茶色になっていた。
湖畔の白い多層階の宿は国民宿舎レイクサイド美鈴といったが、経営不振なのか閉店していた。国際スケートセンターもこの宿も2011年にやめたそうだ。この宿の先代の古い建物の時、家族四人で泊まりに来たことがある。1970年ころ。
一ノ瀬集落の佇まいはとても良い。よそ者はなかなか通らないところ。何人か、野良仕事の人と顔を合わせ、あいさつを交わす。庭先の干し柿と紅葉が鮮やか、借景の山肌がまっ黄色だ。焚き火の煙も心地よい。
戸谷峰の登山口は、一の瀬からもあるようだ。店を締めていたドライブインの向いあたり。でも、昔登った道を確かめたいので野間沢橋登山口まで国道を歩く。高速道路みたいな道で、車が怖い。風圧で帽子を飛ばされたりしながら懐かしの橋の袂へ。
送電線管理用と思われ、今も踏み跡もしっかりしている。が、案内もなく地形図に道印もない。高3のときも、原付バイクで一ノ瀬集落に来て、山仕事のおじさんに「野間沢橋からはいるんだよ」と教わったのだ。
中腹は紅葉の盛り。腰を下ろして飯を食えば、カラマツの落ち葉が雪のように降りかかる。送電塔を三つ数えると稜線だ。この先は以前、道がなく藪だったが、スッキリした雑木林で、立派な踏み跡がある。山頂までもほどなく、憶えとは違う。山頂は、記憶と違って狭く、雑木もかなり伸びていた。うちの庭の栗の木だってこの30年で大木になったもの、無理はない。
本当に同じ場所だろうか?あのときはたまたま皆伐されて草原状だったのだろうか。それにしてもこの狭さはどうだ。あのときは山頂では無いところに居たのだろうか。北側のほうまでさがしてみた。わからない。
結局あの山頂は記憶の中だけの場所になってしまった。僕が望んだ通り、僕だけの秘密の場所だ。あの時の山行は戸谷峰が、僕だけと結んだ特別な関係だった。
後ろには浅間山、遠くに北岳、木曽駒ヶ岳。槍も穂高も。先週歩いた鉢伏山脈。
旧四賀村の金山へ下る道と一ノ瀬ルートには、控えめな道標が整備されていた。とはいえ落ち葉に埋もれた踏み跡は、沢山人が来ているようでもない。金山への下降路を下る。このまま稜線を伝って豊科田沢までも行けそうなくらい藪のない稜線だ。
金山への下降路は随分上の方まで廃林道が登って来ていた。つづれおりの落ち葉の道を、寮歌放吟しながら下る。北面に入ってイッキに暗くなった。金山の最終人家でナッパを持ったおばちゃんと会ってあいさつ、「まあまあ松本から山越えで!まあまあ強いお体で!若い人はいいですねえ!でもクマにはかなわないよ!」と大変褒めてもらって嬉しい限り。若くはないけど。急斜面の素敵な住宅だ。話し込みたいけどバスの時間が微妙なので5分位で失礼して下ると、すぐ下は噂に聞いた信州ゴールデンキャッスルだった。バブルの頃にこのムラ出身の実業家が集めた極端な趣味の美術品などを集めた施設のようだが、詳細は知らない。夕映えに暮れなずむ、塔を乗せたコロニアル風建築は、ホテルカリフォルニアの退廃的なジャケット写真を思い起こした。なので寮歌をイーグルスに切り替えてまだ日の当たっている保福寺川右岸を目指す。
右岸の赤怒田は、トキダ先輩の実家があると聞いたが、無論どの家かはわからない。道祖神や土蔵ひしめく古来の生活道路を闊歩して、ときどき犬に吠えられネコに見送られてバス停に急ぐ。ここでは日は戸谷峰から西に伸びる稜線に沈んでしまう。
バス停には7分前に到着。徒歩2分ほどの距離にセブンイレブンが見えて、缶ビールでもと思ったが、ここで乗り遅れると3時間待つので、こらえた。
バスは定時に来た。かろうじて存続の路線、本当にありがたい。意味なく大声の自我形成中の男子中学生と、し=んと静かな女子中学生が矢室の次の停車場で全員下車。みんな村北部の中学校からこのバス逃すと徒歩1時間なんだね。
バスに揺られて30分、自宅近くで下車して、近所の中華飯店に入って小ビールと四川香辛料特殊ラーメンというので乾杯する。お店のおかみさんも「よくまあ歩きましたねえ」と褒めてくれた。褒められて育つタイプなんです。
コメント
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私もたぬきに化かされたのかと今でも思う経験があります。
場所は倉敷の美観地区ど真ん中なんですが、何回行ってもない店で不思議な体験。
寮時代にルームメイトの実家参りがてら倉敷に行き、アンティークショップで別の友人が5枚組の高い皿を落として割り、弁償しますと女主人に言うと表情のない淡々と「これは5枚組だから全て弁償してもらわないと売れない」とゆうのです。当然ですが、アンティークなので貧乏学生で一枚の値段すらギリギリでしたし、一枚づつ値段が書いてあったから、その事を伝えたら、では結構ですと言われ全く支払いせずに出てきました。その時は興奮していたし、何より主人の佇まいがホラー映画みたいにこの世のものでない雰囲気で怖くて、その場を離れ一旦お茶をして、また元に戻ったらその店は無くなってました。その後も何回か倉敷に行きますがあの店は無いのです。でも当時の四人は見て経験していたし、強烈な想い出として四半世紀たつのに忘れられず。今でも同窓会での伝説ネタになってます。
お茶のんだだけで戻ったらなくなっていたんでしょ、それはきっとたぬきですよ。知らない町、古い街、狹い店、ただならぬものを感じた雰囲気。戸谷峰にもたぬきがいたのかもしれません。
筑摩山地は近くて遠い。なかなか歩く機会が無いですが、
旧四賀村に知り合いがCafeを始めてから
何度か行く様になり、ちょっと馴染みができました。
(11/6は定休日でした)
保福寺峠、三才山峠、青木峠、四十八峠等、山深くて険しい峠道が続いていますが、昔の人が人馬で越えて行った山道でしょうね。
里が全く見えなくて方角がわからなくて不安になったりしますが、木の間から不意にアルプスが見えたりすると嬉しいです。
次回はぜひ冠着山〜戸倉まで
都合が合えば山頂にて
四賀村のカフェといっても1,2軒しかないもんね。火水木やすみのクドかな。こういう里歩き+里山縦走は、途中に古民家ゲストハウスや辺境カフェに寄り道できれば寄り道して計画を作りたいものです。バス路線と鉄道駅と名峰がうまくつながると、会心の計画となります。今回も旧本城村に、引力の強いゲストハウスがあったのですが、あと3時間は必要でした。日も短くなったし、朝五時から家を出るのも億劫になってしまいました。
冠着山でお会いできればいいね。
追記・やや、ペレファ・カフェですね。前通ったワ〜。
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