【過去レコ】立山(雷鳥沢・剣沢・水平歩道):真砂岳大量遭難事故の翌日は穏やかに晴れ渡る山日和だった
- GPS
- 56:00
- 距離
- 32.5km
- 登り
- 2,370m
- 下り
- 4,198m
コースタイム
- 山行
- 7:00
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 7:30
- 山行
- 8:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 8:00
- 山行
- 7:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:30
天候 | 晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
【復路】欅平駅宇奈月駅宇奈月温泉駅電鉄富山駅富山駅池袋駅 (注)往復とも池袋〜富山間の夜行バスを利用 |
コース状況/ 危険箇所等 |
コース状況【emj:158]】 いずれもよく歩かれる一般コース。 現在もいずれも実線ルート。 |
その他周辺情報 | ★宿泊施設 初日:内蔵助山荘 二日目:剣沢小屋 |
予約できる山小屋 |
剱澤小屋
|
写真
感想
【登録日:2020年3月8日】
古の証拠写真が見つかったので、登った山リスト+歩跡(赤線)の追加登録のためだけのレコです。
当時の10月10日は祝日(東京五輪開会式を記念した体育の日)で、1989年は火曜日。
拙者は9日(月)に有給休暇を取得し4連休とし、金曜夜の夜行バスで立山に入る計画であった。
しかし週末の天気予報が悪く、行くか行かぬか大いに迷いに迷う。
結局出発日をずらし、土曜は富山の天気予報をチェックし続けた。
しかし今と違ってテレビ・ラジオ放送以外では簡単には最新予報を知ることはできない。
そこでNTTで流していた「177天気予報電話サービス」の活用だ。
https://www.jma-net.go.jp/common/177jmh/telephon.html
これを一日中しつこく聞いて、土曜夜に出発し、日曜から立山に入ることにした。
「夜行バス⇒地鉄⇒ケーブルカー⇒バス」と乗り継いで室堂に着いたら、そこは一面の銀世界。
拙者の想定以上の積雪があったが、天気は快晴で穏やかに晴れ渡っていた。
当時は(⇒今もだが…)大した雪山装具を持っておらず、せいぜい4本爪簡易アイゼンとスキー用のジャンパーのみ。
もちろんピッケルなし・ストックなし・防寒グローブなし…で雷鳥沢を登り始めた。
そのうちに上空をパタパタ・パタパタとヘリコプターが往来する音が聞こえてきた。
当初は山小屋物資の輸送か?それとも避難訓練か?
それより天気が好過ぎて暑い💦…なんて呑気に考えていた。
しかし下山する登山者とすれ違う際に、遭難事故が発生したことを聞くことになる。
へぇ、そうか…だからヘリが飛んでいたのか?
でもその事故が今でも語り継がれる大量遭難事故だったとは、その時は知る由もなかった。
写真のキャプションはアルバム帳に綴られている内容を転記したが、割と内容が具体的なので、下山してまもなく書いたようだ。
初日に泊った内蔵助山荘の主が遭難事故を最初に発見したので、引っ切り無しに新聞社から電話が入ってきたとか…。
この主には、「拙者の装備で剱沢を下り、水平(関電)歩道を経て扇沢まで行けるか?」と相談した。
二泊目だった剣沢ロッジでは小屋閉めの直前だったのか…豪華な夕食で、カレーライス食べ放題でイカ墨料理も供された。
40万円をかけて設置した檜風呂に入ったのも今となっては懐かしい…はずだが、写真を見て、あ〜そうだったかと思い出すだけだ。
阿曽原小屋は夏季営業を終えて解体済みで、途中の露天風呂にササっと入った記憶があるが仙人湯だったか?阿曽原だったか?
水平歩道は長かった。
途中で欅平駅からの音が聞こえてきたからもうすぐか…と思ってからが長かった。
そして欅平から宇奈月まで、秋風を切って走るトロッコ電車は寒かった。
その後の記憶は一切ない。
帰りも夜行バスで戻って、翌朝から即、出勤。
今はもう無理だな。
お疲れさんどした<m(__)m>
隊長
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する