記録ID: 7449072
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無雪期ピークハント/縦走
妙高・戸隠・雨飾
飯縄権現の飯縄山トレッキング
2024年11月04日(月) [日帰り]
hirasan
その他1人
体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 06:12
- 距離
- 9.1km
- 登り
- 856m
- 下り
- 856m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 4:26
- 休憩
- 1:45
- 合計
- 6:11
9:08
9:12
20分
第一石仏
9:32
14分
第五石仏
9:46
20分
第七石仏
10:54
10:57
33分
天狗の硯岩
13:17
5分
第13石仏
13:54
10分
第九石仏
14:04
12分
第五石仏
14:16
13分
第一石仏
14:44
■飯縄神社とはその1
当神社は西暦270年頃第15代応神天皇の御代飯縄山山頂に天神大戸道尊を祀り飯縄大明神と称したのがそもそもの起こりで本地を大日如来とし 848年学問行者が飯縄山に入山してこの如来の尊容を拝したと言われる。
西暦1233年に信濃国荻野(信州新町)の地頭 伊藤兵部太夫豊前守忠綱が
飯縄大明神のお告げにより入山し山頂に飯縄大権現を勧請した。
忠綱の子、盛綱も父に従い入山し荼枳尼天の法を修得 父より飯縄の法(管狐を使う独特の法術)を受継ぎ飯縄原始忍法を確立自ら「千日太夫」と称し飯縄信仰を全国に広げると共に忍法の祖となった。
又、武門の尊崇を受け特に足利三代将軍義満は 紫金仏の地蔵菩薩像を飯縄山本地仏として寄進し室町時代末期には武田・上杉両家の深い尊信を受け 神領を寄進され徳川三代将軍家光も朱印地百石を寄進するなど飯縄信仰は全国的に伝播万余の末 社を有し全盛を誇った。
この里宮は千日太夫の冬季居所に武田信玄が創建したものといわれる。
飯縄山は山頂より食べられる砂(飯砂)を産し参籠の行者等はこれを採って食べたことから飯砂山転じて飯縄山と言いこれは保食神(皇足穂命)の霊徳として明治六年長野県庁より皇足穂命神社の称号を与えられた。
飯縄神社ホームページより抜粋
当神社は西暦270年頃第15代応神天皇の御代飯縄山山頂に天神大戸道尊を祀り飯縄大明神と称したのがそもそもの起こりで本地を大日如来とし 848年学問行者が飯縄山に入山してこの如来の尊容を拝したと言われる。
西暦1233年に信濃国荻野(信州新町)の地頭 伊藤兵部太夫豊前守忠綱が
飯縄大明神のお告げにより入山し山頂に飯縄大権現を勧請した。
忠綱の子、盛綱も父に従い入山し荼枳尼天の法を修得 父より飯縄の法(管狐を使う独特の法術)を受継ぎ飯縄原始忍法を確立自ら「千日太夫」と称し飯縄信仰を全国に広げると共に忍法の祖となった。
又、武門の尊崇を受け特に足利三代将軍義満は 紫金仏の地蔵菩薩像を飯縄山本地仏として寄進し室町時代末期には武田・上杉両家の深い尊信を受け 神領を寄進され徳川三代将軍家光も朱印地百石を寄進するなど飯縄信仰は全国的に伝播万余の末 社を有し全盛を誇った。
この里宮は千日太夫の冬季居所に武田信玄が創建したものといわれる。
飯縄山は山頂より食べられる砂(飯砂)を産し参籠の行者等はこれを採って食べたことから飯砂山転じて飯縄山と言いこれは保食神(皇足穂命)の霊徳として明治六年長野県庁より皇足穂命神社の称号を与えられた。
飯縄神社ホームページより抜粋
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
五合目、駒つなぎの場〜飯縄山南峰区間はガレ場岩場クサリ場などがあるので上り下りとも慎重に歩く必要あり |
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