(はじめに)
四国地方の地質を、地質学関係の書物や、例えば産総研「シームレス地質図v2」などの地質図で見てみると、東西方向に帯状に伸びた「地帯」が、何本か整然と並んでいることが解ります。(添付している図1〜図5もご参照ください)
日本列島は、プレートテクトニクス的にはいわゆる「変動帯」に位置付けられ、おおよそ古生代から始まる日本列島の地質学的歴史の中では、様々な地質学的変動(例えば、火山活動、断層活動、隆起/浸食活動など)によって、過去にいったん形成された地質体も、分断されたり、部分的に消失していることが多いものです。
そういう点で見ると、四国地方は例外的に、各地質体が見かけ上は整然と並んでいて、一見、地質学的には解りやすいように見える地域、といえます。
その為もあってか、四国地方の地質は、古くから様々な観点から研究されています。古くは、ドイツの地質学者であるエドムント・ナウマン(Edmund・Naumann)も1880年代に四国の地質を調べています(文献3)。また近年では、プレートテクトニクスの観点から、「付加体」の概念が確立されたのも、四国地方の「四万十帯」の研究からです(文献9)。
また、地質学の研究手法として、1980年代頃から、目視や偏光顕微鏡での観察だけでなく、化学的な分析技術や、サブミクロンレベルでの鉱物分析技術が活用されるようになり、過去の研究成果を覆すよう研究結果(論文類)が、近年でも多数、報告されています。
さて、この1−2章では、各論としての四国の山々の地質を説明する前置きとして、四国地方全域の地質(「地帯」)の概要を説明します。
なお本章は、主に(文献1)を参照し、部分的には(文献2)、〜(文献9)、及び産総研「シームレス地質図v2」の記載内容も参照して記載しました。
日本列島は、プレートテクトニクス的にはいわゆる「変動帯」に位置付けられ、おおよそ古生代から始まる日本列島の地質学的歴史の中では、様々な地質学的変動(例えば、火山活動、断層活動、隆起/浸食活動など)によって、過去にいったん形成された地質体も、分断されたり、部分的に消失していることが多いものです。
そういう点で見ると、四国地方は例外的に、各地質体が見かけ上は整然と並んでいて、一見、地質学的には解りやすいように見える地域、といえます。
その為もあってか、四国地方の地質は、古くから様々な観点から研究されています。古くは、ドイツの地質学者であるエドムント・ナウマン(Edmund・Naumann)も1880年代に四国の地質を調べています(文献3)。また近年では、プレートテクトニクスの観点から、「付加体」の概念が確立されたのも、四国地方の「四万十帯」の研究からです(文献9)。
また、地質学の研究手法として、1980年代頃から、目視や偏光顕微鏡での観察だけでなく、化学的な分析技術や、サブミクロンレベルでの鉱物分析技術が活用されるようになり、過去の研究成果を覆すよう研究結果(論文類)が、近年でも多数、報告されています。
さて、この1−2章では、各論としての四国の山々の地質を説明する前置きとして、四国地方全域の地質(「地帯」)の概要を説明します。
なお本章は、主に(文献1)を参照し、部分的には(文献2)、〜(文献9)、及び産総研「シームレス地質図v2」の記載内容も参照して記載しました。
1) 四国地方の、「地帯構造区分」概要
四国地方の地質は、一般的には、4〜6つの「地帯」注1)に区分されています(文献1−a)。
(更に細分化するケースなど、文献、成書によって違いはあります)
それぞれの「地帯」は、四国地方では、ほぼ東西方向に伸びる地理的分布域を持ち、比較的規則正しく、南北方向に整列しています。
(添付している、図1〜5も、ご参照ください)
この連載では、あくまで説明の為ですが、5つの「地帯」に分けることとします。具体的には、北側から順に、以下5つの「地帯」が挙げられます。
(1)「領家帯(りょうけたい)」;高温型変成岩と、それに関連した白亜紀の花崗岩が分布する領域。
(2)「三波川帯(さんばがわたい)」;結晶片岩類を主体とした、中生代に変成作用を受けた高圧型変成岩が分布する領域。
(3)「秩父帯(ちちぶたい)」;ジュラ紀の付加体が分布する領域。
(この連載では、説明の為、こう定義する)。
(4)「黒瀬川帯(くろせがわたい)」;地理的には上記の「秩父帯」の範囲に内包される形で、モザイク状に分布する、ジュラ紀付加体以外の各種地質体(堆積岩、火成岩、変成岩)をまとめた、地質グループ。
(この連載では、説明の為、こう定義する、
なお(文献1)では、「秩父帯」の項で説明されている)
(5)「四万十帯(しまんとたい)」;白亜紀から古第三紀の付加体が分布する領域。
それ以外に、一般的には「地帯」としては扱われませんが、四国の山々の地質を説明するためには重要な、「地帯」に準じる「地質グループ」が、2つ挙げられます。
(6)「領家帯」と「三波川帯」との間に分布する、「和泉層群(いずみそうぐん)」;
白亜紀の堆積岩、(文献1)では、「領家帯」の一部と位置付けている。
(7)香川県の平野部や石鎚山地の一部などに分布する、新第三紀 中新世の火成岩類。
以下、各項で、各「地帯」と、「地帯」に準じる「地質グループ」の詳細を、順に説明します。
注1) 日本の地質学では、「地帯」(読みは、“ちたい”)という用語以外に、
「地体(読みは、これも “ちたい”)という用語も、使われています。
専門書、一般教養書、論文ごと、さらに言えば研究者ごとに、
「地帯」、「地体」という用語の意味合いや使い分け方はまちまちです。
この第1部では、「地帯」という用語に統一します。
(更に細分化するケースなど、文献、成書によって違いはあります)
それぞれの「地帯」は、四国地方では、ほぼ東西方向に伸びる地理的分布域を持ち、比較的規則正しく、南北方向に整列しています。
(添付している、図1〜5も、ご参照ください)
この連載では、あくまで説明の為ですが、5つの「地帯」に分けることとします。具体的には、北側から順に、以下5つの「地帯」が挙げられます。
(1)「領家帯(りょうけたい)」;高温型変成岩と、それに関連した白亜紀の花崗岩が分布する領域。
(2)「三波川帯(さんばがわたい)」;結晶片岩類を主体とした、中生代に変成作用を受けた高圧型変成岩が分布する領域。
(3)「秩父帯(ちちぶたい)」;ジュラ紀の付加体が分布する領域。
(この連載では、説明の為、こう定義する)。
(4)「黒瀬川帯(くろせがわたい)」;地理的には上記の「秩父帯」の範囲に内包される形で、モザイク状に分布する、ジュラ紀付加体以外の各種地質体(堆積岩、火成岩、変成岩)をまとめた、地質グループ。
(この連載では、説明の為、こう定義する、
なお(文献1)では、「秩父帯」の項で説明されている)
(5)「四万十帯(しまんとたい)」;白亜紀から古第三紀の付加体が分布する領域。
それ以外に、一般的には「地帯」としては扱われませんが、四国の山々の地質を説明するためには重要な、「地帯」に準じる「地質グループ」が、2つ挙げられます。
(6)「領家帯」と「三波川帯」との間に分布する、「和泉層群(いずみそうぐん)」;
白亜紀の堆積岩、(文献1)では、「領家帯」の一部と位置付けている。
(7)香川県の平野部や石鎚山地の一部などに分布する、新第三紀 中新世の火成岩類。
以下、各項で、各「地帯」と、「地帯」に準じる「地質グループ」の詳細を、順に説明します。
注1) 日本の地質学では、「地帯」(読みは、“ちたい”)という用語以外に、
「地体(読みは、これも “ちたい”)という用語も、使われています。
専門書、一般教養書、論文ごと、さらに言えば研究者ごとに、
「地帯」、「地体」という用語の意味合いや使い分け方はまちまちです。
この第1部では、「地帯」という用語に統一します。
2) 四国の「領家帯」
「領家帯(りょうけたい)」とは、「西南日本内帯」の一部であり、「西南日本内帯」のうち、最も南側にある「地帯」です。後述の「三波川帯」とは、地質境界線としての「中央構造線」が境目となっています(正確には、後述の「和泉層群」を間に挟んでいる)。
(四国における「領家帯」の分布域は、添付している図1、図2,図3もご参照ください)
四国地方における「領家帯」の形式的な領域としては、瀬戸内海の島々(および、おそらく瀬戸内海の基盤岩)、讃岐平野、高縄山地を含む領域です(文献1−a)、(文献1−b)。
地質学的には、白亜紀に高温型の変成作用を受けた、高温型変成岩(「領家変成岩類」)が分布する領域が、「領家帯」とされています(文献1−b)。
但し四国地方では実際には、「領家変成岩類」の分布域は極めて限定的で、同じく白亜紀に形成された花崗岩類(「領家花崗岩」と一般的には呼ばれる)のほうが分布域は広くなっています(産総研「シームレス地質図v2」)。
また、「地帯構造区分」上は「領家帯」に含まれる、讃岐平野や小豆島などを含む香川県には、「領家変成岩類」も、「領家花崗岩」も分布はわずかで、実際は、後述の新第三紀 中新世に活動した火山噴出物が分布しています。(文献1−h)、(産総研「シームレス地質図v2」)。
「領家帯」に分布する「領家変成岩類」の原岩は、その大部分が、中国地方から近畿、中部地方にかけて分布する、「美濃−丹波帯」と呼ばれるジュラ紀付加体と同じものだろう、と推定されています。(文献1−b)。
「領家帯」を特徴づける岩石類のうち「領家変成岩類」は、四国の山地部としては、高縄山地の南側山麓部に多少まとまって分布しています(文献1−b)。
「領家花崗岩」は、主に高縄山地に分布しています(文献1―b)。
(四国における「領家帯」の分布域は、添付している図1、図2,図3もご参照ください)
四国地方における「領家帯」の形式的な領域としては、瀬戸内海の島々(および、おそらく瀬戸内海の基盤岩)、讃岐平野、高縄山地を含む領域です(文献1−a)、(文献1−b)。
地質学的には、白亜紀に高温型の変成作用を受けた、高温型変成岩(「領家変成岩類」)が分布する領域が、「領家帯」とされています(文献1−b)。
但し四国地方では実際には、「領家変成岩類」の分布域は極めて限定的で、同じく白亜紀に形成された花崗岩類(「領家花崗岩」と一般的には呼ばれる)のほうが分布域は広くなっています(産総研「シームレス地質図v2」)。
また、「地帯構造区分」上は「領家帯」に含まれる、讃岐平野や小豆島などを含む香川県には、「領家変成岩類」も、「領家花崗岩」も分布はわずかで、実際は、後述の新第三紀 中新世に活動した火山噴出物が分布しています。(文献1−h)、(産総研「シームレス地質図v2」)。
「領家帯」に分布する「領家変成岩類」の原岩は、その大部分が、中国地方から近畿、中部地方にかけて分布する、「美濃−丹波帯」と呼ばれるジュラ紀付加体と同じものだろう、と推定されています。(文献1−b)。
「領家帯」を特徴づける岩石類のうち「領家変成岩類」は、四国の山地部としては、高縄山地の南側山麓部に多少まとまって分布しています(文献1−b)。
「領家花崗岩」は、主に高縄山地に分布しています(文献1―b)。
3) 四国の「三波川帯」
「三波川帯(さんばがわたい)」とは、「西南日本外帯」において、最も北側に分布する「地帯」です。
上記の「領家帯」とは、地質境界線としての「中央構造線」が境目となっています(正確には、両者の間に「和泉層群」が分布しています)。
(四国における「三波川帯」の分布域は、
添付している 図1、図3,図4,図5もご参照ください)
四国地方における「三波川帯」の地理的な分布域は、「中央構造線」のすぐ南側に、東西方向に長く伸びています。幅は最大で30kmあり、日本列島における「三波川帯」において、この四国地方で最大幅となっています(文献1−c)。
「三波川帯」は、「西南日本外帯」における代表的な高圧型変成岩の分布域として位置づけられており、それらの変成岩類はまとめて、「三波川変成岩類」とも呼ばれます(文献1−c)。
この「三波川帯」に分布している主な岩石としては、高圧型変成岩の一種である結晶片岩類(苦鉄質片岩、泥質片岩など)が大部分を占めます(文献1−c)、(文献2)、(文献3)、(産総研「シームレス地質図v2」)。
なお、結晶片岩類以外の高度変成岩類(「変成斑レイ岩」や「角閃岩類」などと呼ばれる)や、マントル由来のカンラン岩も一部に分布しています(文献1−c)、(文献2)、(文献3)、(産総研「シームレス地質図v2」)。
また、それらの変成岩類を突き破るような形で、「石鎚山地」の一部には、新第三紀の火成岩類(火山岩と花崗岩)が分布しています(文献1−h)。
「三波川帯」とは、海洋プレートの沈み込みに伴い、付加体の一部が地下深くまで押し込められ、主に高い圧力の影響で岩石組成(鉱物組み合わせ)が変化(変成)し、その後に地表まで上がってきた「地帯」、だと考えられています(文献1−c)。
その高圧型変成作用を受けた時代は、後期白亜紀と推定されています(文献―c)、(文献2)、(文献3)。
一方、「三波川帯」を構成している高圧型変成岩の原岩は、海洋プレート沈み込み帯で形成された「付加体」であることには、異論はないようですが、その原岩の形成時代(=どの時代にできた付加体か?)については、複数の仮説が提案されており、今のところ明確ではありません。
「三波川帯」に分布する岩石類については、地質学的に非常に興味深いのですが、ここでは概要説明に留め、「三波川帯」に分布する、高圧型変成岩類、カンラン岩、中新世火山岩類については、後の「石鎚山地」の項で改めて詳細説明をする予定です。
四国の山々では、「石鎚山地」の大部分、及び、「剣山地」北部の山々が、この「三波川帯」に属しています。
上記の「領家帯」とは、地質境界線としての「中央構造線」が境目となっています(正確には、両者の間に「和泉層群」が分布しています)。
(四国における「三波川帯」の分布域は、
添付している 図1、図3,図4,図5もご参照ください)
四国地方における「三波川帯」の地理的な分布域は、「中央構造線」のすぐ南側に、東西方向に長く伸びています。幅は最大で30kmあり、日本列島における「三波川帯」において、この四国地方で最大幅となっています(文献1−c)。
「三波川帯」は、「西南日本外帯」における代表的な高圧型変成岩の分布域として位置づけられており、それらの変成岩類はまとめて、「三波川変成岩類」とも呼ばれます(文献1−c)。
この「三波川帯」に分布している主な岩石としては、高圧型変成岩の一種である結晶片岩類(苦鉄質片岩、泥質片岩など)が大部分を占めます(文献1−c)、(文献2)、(文献3)、(産総研「シームレス地質図v2」)。
なお、結晶片岩類以外の高度変成岩類(「変成斑レイ岩」や「角閃岩類」などと呼ばれる)や、マントル由来のカンラン岩も一部に分布しています(文献1−c)、(文献2)、(文献3)、(産総研「シームレス地質図v2」)。
また、それらの変成岩類を突き破るような形で、「石鎚山地」の一部には、新第三紀の火成岩類(火山岩と花崗岩)が分布しています(文献1−h)。
「三波川帯」とは、海洋プレートの沈み込みに伴い、付加体の一部が地下深くまで押し込められ、主に高い圧力の影響で岩石組成(鉱物組み合わせ)が変化(変成)し、その後に地表まで上がってきた「地帯」、だと考えられています(文献1−c)。
その高圧型変成作用を受けた時代は、後期白亜紀と推定されています(文献―c)、(文献2)、(文献3)。
一方、「三波川帯」を構成している高圧型変成岩の原岩は、海洋プレート沈み込み帯で形成された「付加体」であることには、異論はないようですが、その原岩の形成時代(=どの時代にできた付加体か?)については、複数の仮説が提案されており、今のところ明確ではありません。
「三波川帯」に分布する岩石類については、地質学的に非常に興味深いのですが、ここでは概要説明に留め、「三波川帯」に分布する、高圧型変成岩類、カンラン岩、中新世火山岩類については、後の「石鎚山地」の項で改めて詳細説明をする予定です。
四国の山々では、「石鎚山地」の大部分、及び、「剣山地」北部の山々が、この「三波川帯」に属しています。
4) 四国の「秩父帯」
「秩父帯(ちちぶたい)」とは、「西南日本外帯」において、「三波川帯」の南側に沿って、東西方向に延びている「地帯」です。
四国地方における「秩父帯」の地理的な分布域は、四国地方の中央に東西方向に伸びており、幅10〜20kmで、東は徳島県から、西は愛媛県南部まで、細長く分布しています(文献1−d)。
(四国における「秩父帯」の分布域は、添付している 図1,図4,図5も
ご参照ください)
この「秩父帯」と呼ばれる「地帯」は、後述する「黒瀬川帯(くろせがわたい)」との関係がややこしく、「秩父帯」の定義、地理的な範囲、「黒瀬川帯」との関係、更には「地帯」の名称からして、諸説あります (例えば、(文献1−a)、(文献1−d)、(文献2)、(文献3))。
そこでこの連載では、説明を明確化する為に、一般的に「秩父帯」とされる地理的な領域のうち、「ジュラ紀付加体」型地質体(及びその分布域)のみを、「狭義の秩父帯」※ と呼ぶこととします。
一方、「狭義の秩父帯」に加え、「黒瀬川帯」に属するとみなされる地質体も含む、各種地質体の地理的な分布域を意味する用語としては、「広義の秩父帯」※ と呼ぶことにします。
(※ いずれも、説明の為だけに、この連載で独自に定義して使用する用語であり、
オーソライズされた用語ではありません)
「狭義の秩父帯」(ジュラ紀付加体)を構成する岩石としては、陸源性の泥岩、砂岩と、海洋源性の、玄武岩、チャート、石灰岩が挙げられます。なお、場所によってはそれらの構成要素が混在岩化した「メランジュ相」と呼ばれる領域もあります(文献1−d)、(文献2)、(文献3)。
なお「三波川帯」に近い地域の一部では、「三波川帯」と同様の高圧型変成作用を受けています(文献1−d)、(文献2)、(文献3)。
ところで、「三波川帯」と「広義の秩父帯」との境目付近には、「御荷鉾(みかぶ)緑色岩類(みかぶりょくしょくがんるい)」と呼ばれる、玄武岩質の火成岩(変成作用を受けている)が分布しています(文献−i)。
「御荷鉾緑色岩類」は、(文献1−i)によると、海洋プレート上で発生した玄武岩質の火成活動の産物ではないか、と推定されています。
「御荷鉾緑色岩類」は、独立した「地帯」とする説や、「三波川帯」に入れる説、「広義の秩父帯」に入れる説などがあり、色々と位置づけがややこしい地質体です。
説明もややこしいので、これ以上の説明は省略させてもらいます。
(なお添付している図では、とりあえず「三波川帯」に属するように、線を引いています)
さて、「広義の秩父帯」は、「北帯」、「中帯」、「南帯」の、3つの「亜帯」に細分化する場合があります(文献1−d)。
このように分けた場合、「南帯」のことを、「三宝山帯(さんぽうざんたい)」と呼ぶことがあります。また「中帯」は、元々は後述する「黒瀬川帯」とほぼ同義の「地帯」を表す用語として使われていたようですが、最近では「黒瀬川帯」と呼ぶことが多く、「中帯」とはあまり呼ばないようです(文献1−d)、(文献2)。
この「広義の秩父帯」については、特にその分布域に内包される「広義の黒瀬川帯」(後述)との関係がはっきりしていないため、成書、文献等によっては、地質学的な位置付けがまちまちであり、なかなか解釈が難しい「地帯」です。
四国の山々としては、「剣山地」の中南部や東部がこの、「広義の秩父帯」に属します。またそれ以外の四国山地の山々の一部(高知県の中部、愛媛県の南部)にも、「広義の秩父帯」に属する山々があります。
「広義の秩父帯」に含まれる各種地質体(岩石類)については、後述の各山地の章で、個別に説明します。
四国地方における「秩父帯」の地理的な分布域は、四国地方の中央に東西方向に伸びており、幅10〜20kmで、東は徳島県から、西は愛媛県南部まで、細長く分布しています(文献1−d)。
(四国における「秩父帯」の分布域は、添付している 図1,図4,図5も
ご参照ください)
この「秩父帯」と呼ばれる「地帯」は、後述する「黒瀬川帯(くろせがわたい)」との関係がややこしく、「秩父帯」の定義、地理的な範囲、「黒瀬川帯」との関係、更には「地帯」の名称からして、諸説あります (例えば、(文献1−a)、(文献1−d)、(文献2)、(文献3))。
そこでこの連載では、説明を明確化する為に、一般的に「秩父帯」とされる地理的な領域のうち、「ジュラ紀付加体」型地質体(及びその分布域)のみを、「狭義の秩父帯」※ と呼ぶこととします。
一方、「狭義の秩父帯」に加え、「黒瀬川帯」に属するとみなされる地質体も含む、各種地質体の地理的な分布域を意味する用語としては、「広義の秩父帯」※ と呼ぶことにします。
(※ いずれも、説明の為だけに、この連載で独自に定義して使用する用語であり、
オーソライズされた用語ではありません)
「狭義の秩父帯」(ジュラ紀付加体)を構成する岩石としては、陸源性の泥岩、砂岩と、海洋源性の、玄武岩、チャート、石灰岩が挙げられます。なお、場所によってはそれらの構成要素が混在岩化した「メランジュ相」と呼ばれる領域もあります(文献1−d)、(文献2)、(文献3)。
なお「三波川帯」に近い地域の一部では、「三波川帯」と同様の高圧型変成作用を受けています(文献1−d)、(文献2)、(文献3)。
ところで、「三波川帯」と「広義の秩父帯」との境目付近には、「御荷鉾(みかぶ)緑色岩類(みかぶりょくしょくがんるい)」と呼ばれる、玄武岩質の火成岩(変成作用を受けている)が分布しています(文献−i)。
「御荷鉾緑色岩類」は、(文献1−i)によると、海洋プレート上で発生した玄武岩質の火成活動の産物ではないか、と推定されています。
「御荷鉾緑色岩類」は、独立した「地帯」とする説や、「三波川帯」に入れる説、「広義の秩父帯」に入れる説などがあり、色々と位置づけがややこしい地質体です。
説明もややこしいので、これ以上の説明は省略させてもらいます。
(なお添付している図では、とりあえず「三波川帯」に属するように、線を引いています)
さて、「広義の秩父帯」は、「北帯」、「中帯」、「南帯」の、3つの「亜帯」に細分化する場合があります(文献1−d)。
このように分けた場合、「南帯」のことを、「三宝山帯(さんぽうざんたい)」と呼ぶことがあります。また「中帯」は、元々は後述する「黒瀬川帯」とほぼ同義の「地帯」を表す用語として使われていたようですが、最近では「黒瀬川帯」と呼ぶことが多く、「中帯」とはあまり呼ばないようです(文献1−d)、(文献2)。
この「広義の秩父帯」については、特にその分布域に内包される「広義の黒瀬川帯」(後述)との関係がはっきりしていないため、成書、文献等によっては、地質学的な位置付けがまちまちであり、なかなか解釈が難しい「地帯」です。
四国の山々としては、「剣山地」の中南部や東部がこの、「広義の秩父帯」に属します。またそれ以外の四国山地の山々の一部(高知県の中部、愛媛県の南部)にも、「広義の秩父帯」に属する山々があります。
「広義の秩父帯」に含まれる各種地質体(岩石類)については、後述の各山地の章で、個別に説明します。
5) 四国の「四万十帯」
「四万十帯(しまんとたい)」とは、「西南日本外帯」において、「秩父帯」の更に南側に沿って、東西方向に伸びている「地帯」で、「西南日本外帯」の最も南部に位置する「地帯」でもあります。
四国地方における「四万十帯」の地理的な分布域としては、高知県の南西部、高知県の南東部、および徳島県の南部に分布しています。「広義の秩父帯」との間は「仏像(ぶつぞう)構造線」という地質境界(兼 断層)で、割と明確に区切られています(文献1−e)。
(添付している図1,4,5 もご参照ください)
「四万十帯」とは、白亜紀から古第三紀にかけて形成された付加体です。
「四万十帯」は付加体型の地質体であり、その構成要素は、陸源性の砂岩、泥岩、(及び砂泥互層)が多くを占めます。海洋源性のチャート、玄武岩、石灰岩の占める割合は少ない傾向にあり、海洋源性のチャート、玄武岩、石灰岩も多い「秩父帯」とは岩相がかなり異なります。なお「秩父帯」と同様に「メランジュ相」の領域もかなりあります。
「四万十帯」は、その中間部分にあって東西に伸びる「安芸(あき)構造線」と呼ばれる古い断層を境とし、それより北側の、白亜紀に形成された付加体を「四万十北帯」、それより南側の、古第三紀に形成された付加体を、「四万十南帯」と細分化して呼ぶことがあります。
「四万十帯」の地質体の延長部は、高知県の沖合の海底にも延びており、付加体の生成が現世でも続いている、と考えられています(文献1−e)。
四国の山々としては、高知県内の四国山地の山々のうち、四国南東部の、室戸岬へと続く1000m内外の山々や、四国南西部の、足摺岬へと続く、1000m内外の山々が、この「四万十帯」に属します。
四国地方における「四万十帯」の地理的な分布域としては、高知県の南西部、高知県の南東部、および徳島県の南部に分布しています。「広義の秩父帯」との間は「仏像(ぶつぞう)構造線」という地質境界(兼 断層)で、割と明確に区切られています(文献1−e)。
(添付している図1,4,5 もご参照ください)
「四万十帯」とは、白亜紀から古第三紀にかけて形成された付加体です。
「四万十帯」は付加体型の地質体であり、その構成要素は、陸源性の砂岩、泥岩、(及び砂泥互層)が多くを占めます。海洋源性のチャート、玄武岩、石灰岩の占める割合は少ない傾向にあり、海洋源性のチャート、玄武岩、石灰岩も多い「秩父帯」とは岩相がかなり異なります。なお「秩父帯」と同様に「メランジュ相」の領域もかなりあります。
「四万十帯」は、その中間部分にあって東西に伸びる「安芸(あき)構造線」と呼ばれる古い断層を境とし、それより北側の、白亜紀に形成された付加体を「四万十北帯」、それより南側の、古第三紀に形成された付加体を、「四万十南帯」と細分化して呼ぶことがあります。
「四万十帯」の地質体の延長部は、高知県の沖合の海底にも延びており、付加体の生成が現世でも続いている、と考えられています(文献1−e)。
四国の山々としては、高知県内の四国山地の山々のうち、四国南東部の、室戸岬へと続く1000m内外の山々や、四国南西部の、足摺岬へと続く、1000m内外の山々が、この「四万十帯」に属します。
6) 四国の「黒瀬川帯」
四国地方において、地理的には、前述の「広義の秩父帯」の領域に内包されるように、ジュラ紀付加体(=この章の1−(3)項で定義した「狭義の秩父帯」)以外の様々な地質体が、大小さまざまに、モザイク状に分布しています。
(四国における「黒瀬川帯」の分布域は、非常にややこしいのですが、
添付している 図1,図4,図5もご参照ください)
これらの地質体は、古くから、「黒瀬川帯(くろせがわたい)」、あるいは「黒瀬川構造帯(くろせがわこうぞうたい)」と呼ばれています(文献1−f)、(文献5)、(文献6)、(文献7)。 注2)
これらの地質体は、四国地方だけではなく、九州の中部や紀伊半島にも断続的に分布しています。
「黒瀬川帯」という名称と、「黒瀬川構造帯」という名称は、成書、論文によって位置づけが様々です。本連載では、説明の都合のため、「黒瀬川帯」という名称に統一します。
(文献1−f)、(文献2)、(文献4)、(文献5)、(文献6)、(文献7)などや、産総研「シームレス地質図v2」を元に整理すると、「広義の秩父帯」の範囲において、ジュラ紀付加体(=「狭義の秩父帯」)ではない地質体としては、少なくとも以下8種類の地質体が、確認、区分されています(但し、各地質体の区分については、成書、論文などによって、まちまち)。
(1) 古生代中期の火成岩類(一般的に「三滝(みたき)火成岩類」と呼ばれる地質体)
(2) 古生代中期の変成岩類(一般的に「寺野(てらの)変成岩類」と呼ばれる地質体)
(3) 古生代中期(シルル紀〜デボン紀)の、浅海性海成堆積岩層
(場所により、「横倉層群」などの個別名称がつけられている)
(4) 蛇紋岩(上記(1)〜(3)の地質体に隣接して分布していることが多い)
(5) 大規模な石灰岩体を含む、ペルム紀付加体
(6) ペルム紀〜トリアス紀〜ジュラ紀にかけての、非付加体型の堆積岩層
(7) 「伊野(いの)変成コンプレックス」とも呼ばれる領域を含む、
石炭紀からジュラ紀にかけて高圧型変成作用を受けた、高圧型変成岩を含む領域。
((文献4)では、変成時代に基づき「新期伊野・・」と「古期伊野・・」の、
2つの地質ユニットに区分している)
(8) 白亜紀の、非付加体型の堆積岩層
(主に徳島県南部から高知県中部に分布し、動植物の化石を産する。
地域ごとに「物部層群」など固有の地層名が付けられている)
これらの各種地質体のうち、(1)〜(4)までは、いわゆる「蛇紋岩メランジュ」として、長径 約10−20km、短径 約5−10kmのレンズ状の岩体として分布していることが多く、まとめて「(黒瀬川帯)古期岩類」と呼ばれています(文献1−f)。
元々は、この「古期岩類」が狭義の「黒瀬川帯」とされていたもので、「黒瀬川構造帯」という用語も、この「古期岩類」の分布域を指す用語だったようです(文献1−f)、(文献6)。
この章では、説明の都合の為、上記の、(1)〜(4)の地質体グループをまとめて、「狭義の黒瀬川帯」※ と称することにします。
一方、上記の(5)〜(8)の地質体は、「狭義の黒瀬川帯」構成要素との関係も、それぞれの関係も不明確であり、どこまでを「黒瀬川帯」の構成要素とするのか、意見の統一は見られていません。そもそも「黒瀬川帯」という「地帯」の定義も定まっていません。
この章では、説明の都合の為、上記の、(1)〜(8)までの地質体グループをまとめて、「広義の黒瀬川帯」※ と称することにします。
(※ いずれも、説明の為だけに、この連載で独自に定義して使用する用語であり、
オーソライズされた用語ではありません)
「狭義の黒瀬川帯」あるいは「広義の黒瀬川帯」と、「狭義の秩父帯」との関係は明確になっておらず、諸説あります。
例えば、両者は高角の断層(帯)で区切られているという仮説や、低角断層(衝上断層)により、「狭義の秩父帯」の構造的上位に、「狭義の黒瀬川帯」あるいは「広義の黒瀬川帯」が、ナップ状に乗っかっている、という仮説があります(文献1−f)。
また、「狭義の黒瀬川帯」、及び「広義の黒瀬川帯」の各構成要素の元々の成り立ちや、現世において、それぞれの構成要素が、地理的に近接した位置関係にある理由については、色々な仮説が提案されてはいますが、いまだ明解な答えはなく、興味深く、かつ謎の多い「地帯」です。
「黒瀬川帯」(狭義)、(広義)に関する研究、文献、学説は多数ありますが、ここではその一例を、紹介します。
(文献5)、(文献7)では、「狭義の黒瀬川帯」は、元々、原生代末〜古生代初期に形成されていた(超大陸)ゴンドワナ大陸から、分離してやってきた微小地塊(文献5では、「黒瀬川古陸」と称している)、と説明されています。
四国の山々としては、高知県中部にある横倉山(よこくらやま)という山が、「狭義の黒瀬川帯」に属する代表的な山です。横倉山は低山ではありますが、古くから化石産地として知られているとともに、植生も豊かで、登山対象となっています(文献8)。
「狭義の黒瀬川帯」(上記の (1)〜(4))の地質については、横倉山を扱う後の章で、説明します。
また、四国の南西部、高知県と愛媛県との境にある「四国カルスト」台地は、石灰岩でできており、上記の、(5)「大規模な石灰岩体を含む、ペルム紀付加体」に相当します。本章の定義では「広義の黒瀬川帯」に属します。「四国カルスト」は登山、ハイキングの対象として知られています。
この(5)という地質体については、「四国カルスト」を扱う後の章で、説明します。
注2);「黒瀬川帯」、「黒瀬川構造帯」という名前は、(現)愛媛県 西予市城川町の山中にある、黒瀬川という小さな川の名前、および、その川の流域に存在した、「黒瀬川村」という、現在は市町村合併により消滅している自治体名に由来するようです(文献6)、(文献7)。
(四国における「黒瀬川帯」の分布域は、非常にややこしいのですが、
添付している 図1,図4,図5もご参照ください)
これらの地質体は、古くから、「黒瀬川帯(くろせがわたい)」、あるいは「黒瀬川構造帯(くろせがわこうぞうたい)」と呼ばれています(文献1−f)、(文献5)、(文献6)、(文献7)。 注2)
これらの地質体は、四国地方だけではなく、九州の中部や紀伊半島にも断続的に分布しています。
「黒瀬川帯」という名称と、「黒瀬川構造帯」という名称は、成書、論文によって位置づけが様々です。本連載では、説明の都合のため、「黒瀬川帯」という名称に統一します。
(文献1−f)、(文献2)、(文献4)、(文献5)、(文献6)、(文献7)などや、産総研「シームレス地質図v2」を元に整理すると、「広義の秩父帯」の範囲において、ジュラ紀付加体(=「狭義の秩父帯」)ではない地質体としては、少なくとも以下8種類の地質体が、確認、区分されています(但し、各地質体の区分については、成書、論文などによって、まちまち)。
(1) 古生代中期の火成岩類(一般的に「三滝(みたき)火成岩類」と呼ばれる地質体)
(2) 古生代中期の変成岩類(一般的に「寺野(てらの)変成岩類」と呼ばれる地質体)
(3) 古生代中期(シルル紀〜デボン紀)の、浅海性海成堆積岩層
(場所により、「横倉層群」などの個別名称がつけられている)
(4) 蛇紋岩(上記(1)〜(3)の地質体に隣接して分布していることが多い)
(5) 大規模な石灰岩体を含む、ペルム紀付加体
(6) ペルム紀〜トリアス紀〜ジュラ紀にかけての、非付加体型の堆積岩層
(7) 「伊野(いの)変成コンプレックス」とも呼ばれる領域を含む、
石炭紀からジュラ紀にかけて高圧型変成作用を受けた、高圧型変成岩を含む領域。
((文献4)では、変成時代に基づき「新期伊野・・」と「古期伊野・・」の、
2つの地質ユニットに区分している)
(8) 白亜紀の、非付加体型の堆積岩層
(主に徳島県南部から高知県中部に分布し、動植物の化石を産する。
地域ごとに「物部層群」など固有の地層名が付けられている)
これらの各種地質体のうち、(1)〜(4)までは、いわゆる「蛇紋岩メランジュ」として、長径 約10−20km、短径 約5−10kmのレンズ状の岩体として分布していることが多く、まとめて「(黒瀬川帯)古期岩類」と呼ばれています(文献1−f)。
元々は、この「古期岩類」が狭義の「黒瀬川帯」とされていたもので、「黒瀬川構造帯」という用語も、この「古期岩類」の分布域を指す用語だったようです(文献1−f)、(文献6)。
この章では、説明の都合の為、上記の、(1)〜(4)の地質体グループをまとめて、「狭義の黒瀬川帯」※ と称することにします。
一方、上記の(5)〜(8)の地質体は、「狭義の黒瀬川帯」構成要素との関係も、それぞれの関係も不明確であり、どこまでを「黒瀬川帯」の構成要素とするのか、意見の統一は見られていません。そもそも「黒瀬川帯」という「地帯」の定義も定まっていません。
この章では、説明の都合の為、上記の、(1)〜(8)までの地質体グループをまとめて、「広義の黒瀬川帯」※ と称することにします。
(※ いずれも、説明の為だけに、この連載で独自に定義して使用する用語であり、
オーソライズされた用語ではありません)
「狭義の黒瀬川帯」あるいは「広義の黒瀬川帯」と、「狭義の秩父帯」との関係は明確になっておらず、諸説あります。
例えば、両者は高角の断層(帯)で区切られているという仮説や、低角断層(衝上断層)により、「狭義の秩父帯」の構造的上位に、「狭義の黒瀬川帯」あるいは「広義の黒瀬川帯」が、ナップ状に乗っかっている、という仮説があります(文献1−f)。
また、「狭義の黒瀬川帯」、及び「広義の黒瀬川帯」の各構成要素の元々の成り立ちや、現世において、それぞれの構成要素が、地理的に近接した位置関係にある理由については、色々な仮説が提案されてはいますが、いまだ明解な答えはなく、興味深く、かつ謎の多い「地帯」です。
「黒瀬川帯」(狭義)、(広義)に関する研究、文献、学説は多数ありますが、ここではその一例を、紹介します。
(文献5)、(文献7)では、「狭義の黒瀬川帯」は、元々、原生代末〜古生代初期に形成されていた(超大陸)ゴンドワナ大陸から、分離してやってきた微小地塊(文献5では、「黒瀬川古陸」と称している)、と説明されています。
四国の山々としては、高知県中部にある横倉山(よこくらやま)という山が、「狭義の黒瀬川帯」に属する代表的な山です。横倉山は低山ではありますが、古くから化石産地として知られているとともに、植生も豊かで、登山対象となっています(文献8)。
「狭義の黒瀬川帯」(上記の (1)〜(4))の地質については、横倉山を扱う後の章で、説明します。
また、四国の南西部、高知県と愛媛県との境にある「四国カルスト」台地は、石灰岩でできており、上記の、(5)「大規模な石灰岩体を含む、ペルム紀付加体」に相当します。本章の定義では「広義の黒瀬川帯」に属します。「四国カルスト」は登山、ハイキングの対象として知られています。
この(5)という地質体については、「四国カルスト」を扱う後の章で、説明します。
注2);「黒瀬川帯」、「黒瀬川構造帯」という名前は、(現)愛媛県 西予市城川町の山中にある、黒瀬川という小さな川の名前、および、その川の流域に存在した、「黒瀬川村」という、現在は市町村合併により消滅している自治体名に由来するようです(文献6)、(文献7)。
7) 四国の「和泉層群」
「和泉層群(いずみそうぐん)」とは、「西南日本」において、「中央構造線」に沿う形で、「領家帯」(内帯側)と「三波川帯」(外帯側)のと間に、東西方向に細長く分布している地質グループ名です。
(四国における「和泉層群」の分布域は、添付している図1,2,3もご参照ください)
「中央構造線」より北側にあるので、「西南日本内帯」に所属することになります。
「和泉層群」は、四国地方では重要な地質体ではありますが、「地帯構造区分」上は、独立した「地帯」として扱われることは少なく、一般的には「領家帯」の一部(「亜層」相当あるいは、いわゆる「被覆層」)として扱われています(文献1−g)。
四国地方における「和泉層群」の地理的な分布域としては、まず東部では香川県/徳島県の境界部ともなっている「讃岐山地」があり、その西方延長部は断続的に、松山平野の南部に達しています。
「和泉層群」は、白亜紀末に形成された非付加体型の堆積岩層であり、大部分が砂岩で構成されていますが、多少 礫岩、泥岩も含みます。
「和泉層群」の形成メカニズムとしては、白亜紀末に、中央構造線の左横ずれ断層活動が生じ、その断層活動に伴って形成された、帯状に沈降してできた海域(「プルアパート型盆地」地形)に、「西南日本内帯」側から供給された砂や泥が堆積したもの、と考えられています(文献1−g)、(文献3)。
四国の山々としては、香川県/徳島県境界にある「讃岐山地」が、この和泉層群で形成されています。「和泉層群」の詳細は「讃岐山地」を説明する、後の章で説明します。
(四国における「和泉層群」の分布域は、添付している図1,2,3もご参照ください)
「中央構造線」より北側にあるので、「西南日本内帯」に所属することになります。
「和泉層群」は、四国地方では重要な地質体ではありますが、「地帯構造区分」上は、独立した「地帯」として扱われることは少なく、一般的には「領家帯」の一部(「亜層」相当あるいは、いわゆる「被覆層」)として扱われています(文献1−g)。
四国地方における「和泉層群」の地理的な分布域としては、まず東部では香川県/徳島県の境界部ともなっている「讃岐山地」があり、その西方延長部は断続的に、松山平野の南部に達しています。
「和泉層群」は、白亜紀末に形成された非付加体型の堆積岩層であり、大部分が砂岩で構成されていますが、多少 礫岩、泥岩も含みます。
「和泉層群」の形成メカニズムとしては、白亜紀末に、中央構造線の左横ずれ断層活動が生じ、その断層活動に伴って形成された、帯状に沈降してできた海域(「プルアパート型盆地」地形)に、「西南日本内帯」側から供給された砂や泥が堆積したもの、と考えられています(文献1−g)、(文献3)。
四国の山々としては、香川県/徳島県境界にある「讃岐山地」が、この和泉層群で形成されています。「和泉層群」の詳細は「讃岐山地」を説明する、後の章で説明します。
8) 四国の「中新世火成岩類」(仮称)
新第三紀 中新世中期の、約20〜15Maにかけて、「日本海拡大/日本列島移動イベント」という、日本列島にとって大変動というべき、地質学的な変動が生じました。
この影響で、「西南日本外帯」、および「西南日本内帯」の一部では、約16〜13Maにかけ、活発な火山活動が生じました(文献1−h)。
四国地方においては、香川県の平野部に点在する低山や小豆島(しょうどしま)、石鎚山地の一部、及び、四国山地南西部の鬼ヶ城山系に、その火山活動の痕跡というべき、中新世の火山岩類(一部には花崗岩類)が点在しています。
(四国におけるこれら、「中新世火成岩類」の分布域は、
添付している図1,2,3もご参照ください)
この第1部「四国の山々の地質」では、説明の為、これら地理的には散在している地質体をまとめて、「中新世火成岩類」(グループ)と呼ぶことにします。あくまで説明の為に付けた“仮称”です。
のちの章で詳しく述べますが、「石鎚山地」のうち、筆頭格の石鎚山は、この火山活動に基づく火山岩で形成されています。
これら「中新世火成岩類」の詳細は、後の章で詳しく述べます。
※ "Ma" は、百万年前を意味する単位
この影響で、「西南日本外帯」、および「西南日本内帯」の一部では、約16〜13Maにかけ、活発な火山活動が生じました(文献1−h)。
四国地方においては、香川県の平野部に点在する低山や小豆島(しょうどしま)、石鎚山地の一部、及び、四国山地南西部の鬼ヶ城山系に、その火山活動の痕跡というべき、中新世の火山岩類(一部には花崗岩類)が点在しています。
(四国におけるこれら、「中新世火成岩類」の分布域は、
添付している図1,2,3もご参照ください)
この第1部「四国の山々の地質」では、説明の為、これら地理的には散在している地質体をまとめて、「中新世火成岩類」(グループ)と呼ぶことにします。あくまで説明の為に付けた“仮称”です。
のちの章で詳しく述べますが、「石鎚山地」のうち、筆頭格の石鎚山は、この火山活動に基づく火山岩で形成されています。
これら「中新世火成岩類」の詳細は、後の章で詳しく述べます。
※ "Ma" は、百万年前を意味する単位
(参考文献)
文献1) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第7巻 四国地方」
朝倉書店 刊 (2010)
文献1−a) 文献1)のうち、
第1部「四国の地体構造・地質概要」全般、
1−3章「四国の地帯構造区分」の項、
1−4章「四国の各地帯の概要」の項
文献1−b) 文献1)のうち、
1−4−1項 「四国の各地帯の概要/領家帯」の項 及び、
第2部「領家帯」のうちの各項
文献1−c) 文献1)のうち、
1−4−2項 「四国の各地帯の概要/三波川帯」の項 及び、
第3部「三波川帯」の、各項
文献1−d) 文献1)のうち、
1−4−3項 「四国の各地帯の概要/秩父帯」の項 及び、
第5部「秩父帯」の、各項
文献1−e) 文献1)のうち、
1−4−3項 「四国の各地帯の概要/四万十帯」の項 及び、
第6部「四万十帯」の項
文献1−f) 文献1)のうち、
1−4−3項 「四国の各地帯の概要/秩父帯」の項 、
5−2章 「黒瀬川構造帯」の項 及び、
5−3章 「秩父累帯のジュラ紀〜白亜紀初期前弧海盆堆積層と
白亜紀デルタ〜浅海層」の項
文献1−g) 文献1)のうち、
1−4−1項 「四国の各地帯の概要/領家帯」の項 及び 、
2−5章「和泉層群」の項
文献1−h) 文献1)のうち、第7部「新第三紀 火成岩類」の項
文献1―i) 文献1)のうち、第4部「御荷鉾緑色岩類」の項
文献2) 原、青矢、野田、田辺、山崎、大野、駒沢 共著
「20万分の1地質図幅 「高知」(第2版)」の解説書(解説面)
産総研 地質調査総合センター 刊 (2018)
https://www.gsj.jp/data/200KGM/PDF/GSJ_MAP_G200_NI5328_2018_D.pdf
(※ このリンクは、産総研 地質調査総合センターのサイトのうち、
「20万分の1地質図幅」のページ、「高知(第2版)」の項の、
「解説面」というPDFファイルにリンクしています。
なお地質図そのものは、有料)
文献3) 青矢、野田、水野、水上、宮地、松浦、
遠藤、利光、青木 共著
「地域地質研究報告 5万分の1地質図幅
高知(13)第40号、 NI―53−27−12,28-9
「新居浜地域の地質」」
産総研 地質調査総合センター 刊 (2013)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_13040_2013_D.pdf
(※ このリンクは、産総研 地質調査総合センターのサイトのうち、
「5万分の1地質図幅」のページ、「新居浜」の項の、
「解説書」というPDFファイルにリンクしています。
なお「地質図」そのものは、有料)
文献4) 脇田、宮崎、利光、横山、中川 共著
「地域地質研究報告 5万分の1地質図幅
高知(13)62号、 NI−53−28−11
「伊野地域の地質」」
産総研 地質調査総合センター 刊 (2007)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_13062_2007_D.pdf
(※ このリンクは、産総研 地質調査総合センターのサイトのうち、
「5万分の1地質図幅」のページの「伊野」の項のうち、
「解説書」というPDFファイルにリンクしています。
なお「地質図」そのものは、有料)
文献5) 西予市城川町地質館 編
「城川町の地質と化石
― 城川町とその周辺の化石―
(黒瀬川構造帯と鳥巣石灰岩地帯を中心として) 」
西予市城川町地質館 刊 (2000)
文献6) 市川、石井、中川、須槍、山下
「黒瀬川構造帯」
地質学雑誌、第62巻、p82-103 (1956)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/62/725/62_725_82/_article/-char/ja/
(このリンク先より、本文献がダウンロードできる)
文献7)
インターネットサイト 「四国 西予ジオパーク」のうち、
「西予の地質と黒瀬川構造帯」のページ
(2022年11月 閲覧)
http://seiyo-geo.jp/geostory/04.php
文献8)太田、成瀬、田中、岡田 編
「日本の地形 第6巻 近畿・中国・四国」
東京大学出版会 刊 (2004)
のうち、第1−2章「近畿・中国・四国の地質」の項
文献9) 平(たいら) 著
「日本列島の誕生」
岩波書店 刊 (岩波新書) (1990)
「日本地方地質誌 第7巻 四国地方」
朝倉書店 刊 (2010)
文献1−a) 文献1)のうち、
第1部「四国の地体構造・地質概要」全般、
1−3章「四国の地帯構造区分」の項、
1−4章「四国の各地帯の概要」の項
文献1−b) 文献1)のうち、
1−4−1項 「四国の各地帯の概要/領家帯」の項 及び、
第2部「領家帯」のうちの各項
文献1−c) 文献1)のうち、
1−4−2項 「四国の各地帯の概要/三波川帯」の項 及び、
第3部「三波川帯」の、各項
文献1−d) 文献1)のうち、
1−4−3項 「四国の各地帯の概要/秩父帯」の項 及び、
第5部「秩父帯」の、各項
文献1−e) 文献1)のうち、
1−4−3項 「四国の各地帯の概要/四万十帯」の項 及び、
第6部「四万十帯」の項
文献1−f) 文献1)のうち、
1−4−3項 「四国の各地帯の概要/秩父帯」の項 、
5−2章 「黒瀬川構造帯」の項 及び、
5−3章 「秩父累帯のジュラ紀〜白亜紀初期前弧海盆堆積層と
白亜紀デルタ〜浅海層」の項
文献1−g) 文献1)のうち、
1−4−1項 「四国の各地帯の概要/領家帯」の項 及び 、
2−5章「和泉層群」の項
文献1−h) 文献1)のうち、第7部「新第三紀 火成岩類」の項
文献1―i) 文献1)のうち、第4部「御荷鉾緑色岩類」の項
文献2) 原、青矢、野田、田辺、山崎、大野、駒沢 共著
「20万分の1地質図幅 「高知」(第2版)」の解説書(解説面)
産総研 地質調査総合センター 刊 (2018)
https://www.gsj.jp/data/200KGM/PDF/GSJ_MAP_G200_NI5328_2018_D.pdf
(※ このリンクは、産総研 地質調査総合センターのサイトのうち、
「20万分の1地質図幅」のページ、「高知(第2版)」の項の、
「解説面」というPDFファイルにリンクしています。
なお地質図そのものは、有料)
文献3) 青矢、野田、水野、水上、宮地、松浦、
遠藤、利光、青木 共著
「地域地質研究報告 5万分の1地質図幅
高知(13)第40号、 NI―53−27−12,28-9
「新居浜地域の地質」」
産総研 地質調査総合センター 刊 (2013)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_13040_2013_D.pdf
(※ このリンクは、産総研 地質調査総合センターのサイトのうち、
「5万分の1地質図幅」のページ、「新居浜」の項の、
「解説書」というPDFファイルにリンクしています。
なお「地質図」そのものは、有料)
文献4) 脇田、宮崎、利光、横山、中川 共著
「地域地質研究報告 5万分の1地質図幅
高知(13)62号、 NI−53−28−11
「伊野地域の地質」」
産総研 地質調査総合センター 刊 (2007)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_13062_2007_D.pdf
(※ このリンクは、産総研 地質調査総合センターのサイトのうち、
「5万分の1地質図幅」のページの「伊野」の項のうち、
「解説書」というPDFファイルにリンクしています。
なお「地質図」そのものは、有料)
文献5) 西予市城川町地質館 編
「城川町の地質と化石
― 城川町とその周辺の化石―
(黒瀬川構造帯と鳥巣石灰岩地帯を中心として) 」
西予市城川町地質館 刊 (2000)
文献6) 市川、石井、中川、須槍、山下
「黒瀬川構造帯」
地質学雑誌、第62巻、p82-103 (1956)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/62/725/62_725_82/_article/-char/ja/
(このリンク先より、本文献がダウンロードできる)
文献7)
インターネットサイト 「四国 西予ジオパーク」のうち、
「西予の地質と黒瀬川構造帯」のページ
(2022年11月 閲覧)
http://seiyo-geo.jp/geostory/04.php
文献8)太田、成瀬、田中、岡田 編
「日本の地形 第6巻 近畿・中国・四国」
東京大学出版会 刊 (2004)
のうち、第1−2章「近畿・中国・四国の地質」の項
文献9) 平(たいら) 著
「日本列島の誕生」
岩波書店 刊 (岩波新書) (1990)
このリンク先の、1−1章の文末には、第1部「四国の山々の地質」の各章へのリンク、及び、序章(本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第1部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第1部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
△初版リリース;2022年11月17日
・経緯;
初版として、2020年4月に作成した第1−1章では、
四国の山々の、「地形概要」と「地質概要」の両方を記載していた。
2022年11月より、第1部「四国の山々の地質」全般の改訂作業を行い、
「地形概要」を第1−1章に、「地質概要」をこの第1−2章に、と、
2つの章に分割した。
なので、この第1−2章は、新設の章である。
なお、元々、2020年4月に作成した際の「第1−2章 石鎚山脈の概要」は、
章の番号を「第1−3章」とし、内容も修正した。
△最新改訂年月日;2022年11月17日
・経緯;
初版として、2020年4月に作成した第1−1章では、
四国の山々の、「地形概要」と「地質概要」の両方を記載していた。
2022年11月より、第1部「四国の山々の地質」全般の改訂作業を行い、
「地形概要」を第1−1章に、「地質概要」をこの第1−2章に、と、
2つの章に分割した。
なので、この第1−2章は、新設の章である。
なお、元々、2020年4月に作成した際の「第1−2章 石鎚山脈の概要」は、
章の番号を「第1−3章」とし、内容も修正した。
△最新改訂年月日;2022年11月17日
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- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質、7−8章 奥羽山脈(2) 奥羽山脈南半分の火山群 11 更新日:2024年01月15日
- 日本の山々の地質 第1部 四国地方の山々の地質、 1−10章 香川県の山々;讃岐山地、香川県の山々の地質と地形 20 更新日:2023年03月18日
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