(はじめに)
この(新)「7−8章」は、元々、(旧)「7−7章」だけにまとめていた「奥羽山脈の地質」を拡充、分割したものの一つです。
新しい構成での (新)「7−7章」では、奥羽山脈北半部の火山(八甲田山から栗駒山)について説明しました。
この(新)「7−8章」では、それに引き続く形で、奥羽山脈南半分の火山(船形山から磐梯山)について、その形成史を中心に説明します。
新しい構成での (新)「7−7章」では、奥羽山脈北半部の火山(八甲田山から栗駒山)について説明しました。
この(新)「7−8章」では、それに引き続く形で、奥羽山脈南半分の火山(船形山から磐梯山)について、その形成史を中心に説明します。
1) 船形連峰と泉ヶ岳
船形山(ふながたやま;1500m)は、奥羽山脈のうち、宮城県北西部と、山形県北東部との県境に位置している山です。前章(7−7章)で説明した、「栗駒山」の南、約60kmに位置しています。全国的な知名度はさほどではないと思いますが、日本二百名山の一つです。なお山名は、宮城県側からみた山容に基づく、とされています(文献1)。
また、泉ヶ岳(いずみがだけ;1175m)は、船形山の南東 約10kmに位置する山で、仙台市近郊という位置でもあるので、比較的良く登られている山のようです。
船形山は、(文献1)によると、第四紀火山です。但し気象庁の「活火山」には認定されていません(文献3)。(文献1)によると船形山、主峰の船形山のほか、蛇ヶ岳(じゃがたけ;1400m)、三峰山(1417m)、後白髪岳(1422m)などからなる火山群を形成しています。以下、それらをまとめて「船形山火山群」と呼ぶことにします。
また(文献1)では、泉ヶ岳も、この船形山火山群の一部としての古い火山(第四紀火山)、としています。
「船形山火山群」の形成史については、文献、専門書でも、詳しい説明がほとんど見当たりませんでした。以下、解る範囲で説明します。
(文献1)によると、「船形山火山群」の活動は、約80〜60万年前の活動と推定されています。また泉ヶ岳とその周辺は、さらに古く、約120万年前頃の活動でできた火山とされています。なお(文献2)には、「船形山火山群」の説明はなく、これ以上の詳しい形成史は解りません。
(文献1)や、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、「船形山火山群」の火山岩は、新第三紀中新世の火山岩類が、標高1000m辺りまで隆起した場所の上に分布しており、いわば、「上げ底型」の火山です。
また、比較的古い火山であるため、山体は浸食が進んでいます。(文献1)によると、「船形山火山群」の山腹、山麓のあちこちで、地滑り状の地形が認められています。特徴的なその山容も、浸食作用によって形成されたのではないかと思われます(私見を含みます)
なお(文献3)は、「船形山火山群」に関する数少ない論文の一つですが、地滑り地形に関する地形学的な研究です。
「船形山火山群」の地質としては、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩、安山岩質玄武岩からなります。
また、泉ヶ岳(いずみがだけ;1175m)は、船形山の南東 約10kmに位置する山で、仙台市近郊という位置でもあるので、比較的良く登られている山のようです。
船形山は、(文献1)によると、第四紀火山です。但し気象庁の「活火山」には認定されていません(文献3)。(文献1)によると船形山、主峰の船形山のほか、蛇ヶ岳(じゃがたけ;1400m)、三峰山(1417m)、後白髪岳(1422m)などからなる火山群を形成しています。以下、それらをまとめて「船形山火山群」と呼ぶことにします。
また(文献1)では、泉ヶ岳も、この船形山火山群の一部としての古い火山(第四紀火山)、としています。
「船形山火山群」の形成史については、文献、専門書でも、詳しい説明がほとんど見当たりませんでした。以下、解る範囲で説明します。
(文献1)によると、「船形山火山群」の活動は、約80〜60万年前の活動と推定されています。また泉ヶ岳とその周辺は、さらに古く、約120万年前頃の活動でできた火山とされています。なお(文献2)には、「船形山火山群」の説明はなく、これ以上の詳しい形成史は解りません。
(文献1)や、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、「船形山火山群」の火山岩は、新第三紀中新世の火山岩類が、標高1000m辺りまで隆起した場所の上に分布しており、いわば、「上げ底型」の火山です。
また、比較的古い火山であるため、山体は浸食が進んでいます。(文献1)によると、「船形山火山群」の山腹、山麓のあちこちで、地滑り状の地形が認められています。特徴的なその山容も、浸食作用によって形成されたのではないかと思われます(私見を含みます)
なお(文献3)は、「船形山火山群」に関する数少ない論文の一つですが、地滑り地形に関する地形学的な研究です。
「船形山火山群」の地質としては、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩、安山岩質玄武岩からなります。
2) 蔵王山(蔵王連峰)
蔵王山(ざおうさん)は、奥羽山脈のうち、宮城県と山形県との県境を形成している大きな山群です。「蔵王山」という名称のピークはなく、多数のピークで形成されており、「蔵王連峰」、「蔵王火山群」とも呼ばれます。以下では山群全体を「蔵王連峰」と称することにします。
「蔵王連峰」は、山腹から山頂稜線部近くまでスキー場があり、スキーのメッカとしても良く知られています。また宮城側からはドライブウエー、山形側からはロープウエーがあり、気軽にアクセスできる観光地、ハイキングの場所としても親しまれています。冬場は「モンスター」と呼ばれる巨大な樹氷が付いた樹々が林立することでも有名です。
「蔵王山」は、日本百名山の一つでもあります。また、気象庁により「蔵王山」として活火山に認定されています(文献3)。
「蔵王連峰」は、奥羽山脈の主脈に沿って南北に長く伸びています。「蔵王連峰」の範囲は、文献によって定義がまちまちですが、(文献1)では、この「蔵王連峰」を、「刈田峠」(かったとうげ)を境にして、大きく、「中央蔵王」(地域)と、「南部蔵王」(地域)の2つの地域に分けています。この説明では、「南蔵王」地域、「中央蔵王」地域に加え、雁戸山も「蔵王連峰」の一部として説明します。
まず、「中央蔵王」地域ですが、主要なピークとしては、最高峰の熊野岳(1841m)、刈田岳(かっただけ;1758m)、地蔵山(1736m)などがあります。また、熊野岳の近くにある火口湖;「御釜」は、「蔵王連峰」のシンボル的な存在です。「御釜」を含む一帯は、五色岳と呼ばれています。
次に「南蔵王」地域ですが、主要なピークとしては、屏風山(1825m)、不忘山(ふぼうだけ;1705m)などがあります。
また「中央蔵王」地域から北に7−8km離れた場所には、雁戸山(がんどやま;1484m)があります。この山も火山性の山で、広く見れば「蔵王火山群」に属する山です。(文献1)では、雁戸山一帯「北蔵王」地域と呼んでいます。
なお、その間にある「名号峰」(みょうごうほう;1491m)という山は、非火山性のピークで、産総研「シームレス地質図v2」によると、白亜紀の花崗岩類で形成されています。このピークは、基盤岩が隆起して形成されているものです。
「蔵王連峰」の火山群としての形成史についてですが、(文献1)、(文献2)、(文献3)、(文献5)、それぞれの記載内容に、かなり違いがあります。
ここでは最も詳しい(文献5)をベースに説明し、それ以外の文献の記載内容は簡単に説明します。なお(文献5)では「中央蔵王」地域のみの解説となっています。
(文献5)によると、「蔵王連峰」のうち、「中央蔵王」地域での火山活動を、以下、6つのステージ(活動期)にわけています。
・「ステージ1」活動期;約100万年前 前後(正確な時代は不明)の火山活動です。水中噴火型の玄武岩質火山岩の噴火活動です。水中とは言っても海ではなく、当時のこの場所に湖があって、その湖底での噴火活動だと推定されています。なお、放射年代値は、約180〜70万年前の値を示していてバラツキが大きく、正確な年代は不明なので、(文献5)では暫定的に、「約100万年前後」と記載されています。
・「ステージ2」活動期;約50万年前の火山活動です。「中央蔵王」地域北部にある、鳥兜山,三方荒神山、横倉山などでの火山活動で、安山岩質の溶岩噴出型の火山活動により、上記の山々の山体が形成されました。
・「ステージ3」活動期;約35〜25万年前の火山活動です。熊野岳付近などでの安山岩質〜デイサイト質の噴火活動により、現在の熊野岳の基盤となっている「古・熊野岳」山体が形成されました。
・「ステージ4」活動期;約25〜20万年前の火山活動です。刈田岳付近で、安山岩質の溶岩が大量に噴出し、成層火山としての、刈田岳の山体が形成された時期です。
・「ステージ5」活動期;約13〜4万年前の火山活動です。現在の熊野岳付近から、溶岩、火砕岩が大量に噴出し、現在の熊野岳、地蔵山の山体が形成されました。
・「ステージ6」活動期;約3.5万年前から現在まで継続している火山活動のステージです。このステージでは、「御釜」、五色岳あたりでの玄武岩質安山岩の噴火活動が生じ、火砕岩が多いという特徴があります。
以下では、(文献6)以外の文献による、「蔵王連峰」の火山形成史の解説を簡単にまとめます。
(文献1)では、まずは北端の雁戸山付近で110万年前頃から火山活動が始まり、次いで、「南蔵王」地域で、約28万年前頃から火山活動が起き、その後、「中央蔵王」地域での火山活動が始まり現在に至る、としています。
(文献2)では、「中央蔵王」地域の火山活動は、約100万年前から現在の活動であり、細かくは、((文献5)と同様に)6つのステージに分けられるとしています。一方、「南蔵王」地域は、約120万年前〜約7万年前の活動で形成された火山群、北にある雁戸山は、約40〜30万年前の活動で形成された、としています。
(文献3)は、「中央蔵王」地域に限っての、火山活動の説明があります。それによると、まず約100〜70万年前に、水中噴火型の玄武岩質マグマによる火山活動が起き、休止期を挟んで、約40万年前から安山岩質マグマによる火山活動が起きて熊野岳などが形成されたとしています。その後、約3万年前には「中央蔵王」の中央部に、直径 約2kmのカルデラが形成され、更にその後、「五色岳」、「御釜」の活動が継続している、としています。
「中央蔵王」地域の火山活動は現在でも活発です。気象庁が「活火山」と認定しているのも、この「中央蔵王」地域です(文献3)。(文献3)によると、「御釜」を含む「五色岳」付近では、約1万年前以降に限っても、20回以上の噴火活動が起きています。
一方、雁戸山付近や、「南蔵王」地域では、火山活動は休止しており、地形的な特徴から見て、浸食段階にあるようです(私見を含みます)。
「南蔵王」地域の地形を詳しく見ると、?風山付近では、南北に延びる稜線の西側は、緩やかな溶岩台地状の地形ですが、稜線の東側は、急な崖状地形となっています。(文献1)では、この崖状地形の成因は、爆裂型噴火によるもの、あるいは正断層による地形としています。
また雁戸山は、(文献1)によると、開析が進んだ険しい山容をしており、活動時期が古いことを示唆している、と説明されています。
「蔵王連峰」の地質としては、玄武岩質火山岩、安山岩質火山岩など、噴火した時代、場所によって複雑になっているようです。産総研「シームレス地質図v2」によると、「中央蔵王」地域、「南蔵王」地域、雁戸山付近は、噴出時代は違いますが、安山岩、玄武岩質安山岩の分布域と表示されています。なお「中央蔵王」地域のうち、山形県の山麓部(「滝山」付近)だけは、玄武岩の分布域と表示されています。
(文献5)には、「中央蔵王」地域での火山噴出物と、その元となったマグマの性質について、かなり専門的な説明があります。上記の火山形成史でいうと、ステージ1は、ソレアイト系列の玄武岩が主に噴出し、ステージ2以降は、カルクアルカリ系列の安山岩、玄武岩質安山岩が噴出した、と説明されています。詳細は(文献5)をご覧ください。
ところで、「蔵王連峰」の火山群は、標高1400〜1800mと、奥羽山脈の中でも標高が高い方ですが、その山体の全てが火山活動によってできたものではなく、白亜紀や、新第三紀中新世頃の基盤地質(火山岩、花崗岩類)が、標高 約1000〜1400m付近まで隆起していて、その上に小型の火山体が多数乗っている、という構成となっており、前項の「船形山」と同様、いわば「上げ底」的な火山群と言えます(文献1)、(文献5)。
産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、「中央蔵王」地域と、北の「雁戸山」との間には、白亜紀の花崗岩類が、標高 約1500mまで分布しており、その領域にある「名号峰」(みょうごうほう;1491m)は、その花崗岩類で形成されたピークです。それ以外にも、新第三紀中新世の火山岩類が、蔵王火山群の山腹部に広く分布しています。
「蔵王連峰」は、山腹から山頂稜線部近くまでスキー場があり、スキーのメッカとしても良く知られています。また宮城側からはドライブウエー、山形側からはロープウエーがあり、気軽にアクセスできる観光地、ハイキングの場所としても親しまれています。冬場は「モンスター」と呼ばれる巨大な樹氷が付いた樹々が林立することでも有名です。
「蔵王山」は、日本百名山の一つでもあります。また、気象庁により「蔵王山」として活火山に認定されています(文献3)。
「蔵王連峰」は、奥羽山脈の主脈に沿って南北に長く伸びています。「蔵王連峰」の範囲は、文献によって定義がまちまちですが、(文献1)では、この「蔵王連峰」を、「刈田峠」(かったとうげ)を境にして、大きく、「中央蔵王」(地域)と、「南部蔵王」(地域)の2つの地域に分けています。この説明では、「南蔵王」地域、「中央蔵王」地域に加え、雁戸山も「蔵王連峰」の一部として説明します。
まず、「中央蔵王」地域ですが、主要なピークとしては、最高峰の熊野岳(1841m)、刈田岳(かっただけ;1758m)、地蔵山(1736m)などがあります。また、熊野岳の近くにある火口湖;「御釜」は、「蔵王連峰」のシンボル的な存在です。「御釜」を含む一帯は、五色岳と呼ばれています。
次に「南蔵王」地域ですが、主要なピークとしては、屏風山(1825m)、不忘山(ふぼうだけ;1705m)などがあります。
また「中央蔵王」地域から北に7−8km離れた場所には、雁戸山(がんどやま;1484m)があります。この山も火山性の山で、広く見れば「蔵王火山群」に属する山です。(文献1)では、雁戸山一帯「北蔵王」地域と呼んでいます。
なお、その間にある「名号峰」(みょうごうほう;1491m)という山は、非火山性のピークで、産総研「シームレス地質図v2」によると、白亜紀の花崗岩類で形成されています。このピークは、基盤岩が隆起して形成されているものです。
「蔵王連峰」の火山群としての形成史についてですが、(文献1)、(文献2)、(文献3)、(文献5)、それぞれの記載内容に、かなり違いがあります。
ここでは最も詳しい(文献5)をベースに説明し、それ以外の文献の記載内容は簡単に説明します。なお(文献5)では「中央蔵王」地域のみの解説となっています。
(文献5)によると、「蔵王連峰」のうち、「中央蔵王」地域での火山活動を、以下、6つのステージ(活動期)にわけています。
・「ステージ1」活動期;約100万年前 前後(正確な時代は不明)の火山活動です。水中噴火型の玄武岩質火山岩の噴火活動です。水中とは言っても海ではなく、当時のこの場所に湖があって、その湖底での噴火活動だと推定されています。なお、放射年代値は、約180〜70万年前の値を示していてバラツキが大きく、正確な年代は不明なので、(文献5)では暫定的に、「約100万年前後」と記載されています。
・「ステージ2」活動期;約50万年前の火山活動です。「中央蔵王」地域北部にある、鳥兜山,三方荒神山、横倉山などでの火山活動で、安山岩質の溶岩噴出型の火山活動により、上記の山々の山体が形成されました。
・「ステージ3」活動期;約35〜25万年前の火山活動です。熊野岳付近などでの安山岩質〜デイサイト質の噴火活動により、現在の熊野岳の基盤となっている「古・熊野岳」山体が形成されました。
・「ステージ4」活動期;約25〜20万年前の火山活動です。刈田岳付近で、安山岩質の溶岩が大量に噴出し、成層火山としての、刈田岳の山体が形成された時期です。
・「ステージ5」活動期;約13〜4万年前の火山活動です。現在の熊野岳付近から、溶岩、火砕岩が大量に噴出し、現在の熊野岳、地蔵山の山体が形成されました。
・「ステージ6」活動期;約3.5万年前から現在まで継続している火山活動のステージです。このステージでは、「御釜」、五色岳あたりでの玄武岩質安山岩の噴火活動が生じ、火砕岩が多いという特徴があります。
以下では、(文献6)以外の文献による、「蔵王連峰」の火山形成史の解説を簡単にまとめます。
(文献1)では、まずは北端の雁戸山付近で110万年前頃から火山活動が始まり、次いで、「南蔵王」地域で、約28万年前頃から火山活動が起き、その後、「中央蔵王」地域での火山活動が始まり現在に至る、としています。
(文献2)では、「中央蔵王」地域の火山活動は、約100万年前から現在の活動であり、細かくは、((文献5)と同様に)6つのステージに分けられるとしています。一方、「南蔵王」地域は、約120万年前〜約7万年前の活動で形成された火山群、北にある雁戸山は、約40〜30万年前の活動で形成された、としています。
(文献3)は、「中央蔵王」地域に限っての、火山活動の説明があります。それによると、まず約100〜70万年前に、水中噴火型の玄武岩質マグマによる火山活動が起き、休止期を挟んで、約40万年前から安山岩質マグマによる火山活動が起きて熊野岳などが形成されたとしています。その後、約3万年前には「中央蔵王」の中央部に、直径 約2kmのカルデラが形成され、更にその後、「五色岳」、「御釜」の活動が継続している、としています。
「中央蔵王」地域の火山活動は現在でも活発です。気象庁が「活火山」と認定しているのも、この「中央蔵王」地域です(文献3)。(文献3)によると、「御釜」を含む「五色岳」付近では、約1万年前以降に限っても、20回以上の噴火活動が起きています。
一方、雁戸山付近や、「南蔵王」地域では、火山活動は休止しており、地形的な特徴から見て、浸食段階にあるようです(私見を含みます)。
「南蔵王」地域の地形を詳しく見ると、?風山付近では、南北に延びる稜線の西側は、緩やかな溶岩台地状の地形ですが、稜線の東側は、急な崖状地形となっています。(文献1)では、この崖状地形の成因は、爆裂型噴火によるもの、あるいは正断層による地形としています。
また雁戸山は、(文献1)によると、開析が進んだ険しい山容をしており、活動時期が古いことを示唆している、と説明されています。
「蔵王連峰」の地質としては、玄武岩質火山岩、安山岩質火山岩など、噴火した時代、場所によって複雑になっているようです。産総研「シームレス地質図v2」によると、「中央蔵王」地域、「南蔵王」地域、雁戸山付近は、噴出時代は違いますが、安山岩、玄武岩質安山岩の分布域と表示されています。なお「中央蔵王」地域のうち、山形県の山麓部(「滝山」付近)だけは、玄武岩の分布域と表示されています。
(文献5)には、「中央蔵王」地域での火山噴出物と、その元となったマグマの性質について、かなり専門的な説明があります。上記の火山形成史でいうと、ステージ1は、ソレアイト系列の玄武岩が主に噴出し、ステージ2以降は、カルクアルカリ系列の安山岩、玄武岩質安山岩が噴出した、と説明されています。詳細は(文献5)をご覧ください。
ところで、「蔵王連峰」の火山群は、標高1400〜1800mと、奥羽山脈の中でも標高が高い方ですが、その山体の全てが火山活動によってできたものではなく、白亜紀や、新第三紀中新世頃の基盤地質(火山岩、花崗岩類)が、標高 約1000〜1400m付近まで隆起していて、その上に小型の火山体が多数乗っている、という構成となっており、前項の「船形山」と同様、いわば「上げ底」的な火山群と言えます(文献1)、(文献5)。
産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、「中央蔵王」地域と、北の「雁戸山」との間には、白亜紀の花崗岩類が、標高 約1500mまで分布しており、その領域にある「名号峰」(みょうごうほう;1491m)は、その花崗岩類で形成されたピークです。それ以外にも、新第三紀中新世の火山岩類が、蔵王火山群の山腹部に広く分布しています。
3) 吾妻連峰(吾妻山)
「吾妻連峰」(あずまれんぽう)は、奥羽山脈のうち、福島県と山形県の県境部にある山群(火山群)です。この山群は多数のピークを持ち、東西方向に約20km、南北方向に約15kmと、広い範囲をもちます。標高は1700〜2000m級で、奥羽山脈のなかではかなり標高の高い山群になりますが、東側からはドライブウエーが吾妻小富士付近(浄土平)まで通じ、また西側では山形側からロープウエーが西吾妻山の8合目付近まで通じていることから、標高が高い割には登りやすい山とも言えます。
一般にはこの山域を「吾妻山」とも呼びますが、ここでは山域全体を「吾妻連峰」と呼ぶことにします。
なお「吾妻連峰」は、「吾妻山」として日本百名山にも選ばれています。また気象庁では、吾妻連峰を、「吾妻山」という名称で、活火山に認定しています(文献3)。
「吾妻連峰」の主なピークとしては、西吾妻山(2035m)、東大てん(1975m)、東吾妻山(1975m)、一切経山(1949m)、吾妻小富士(1707m)などがあります。
「吾妻連峰」は山域が広いので、一切経山、吾妻小富士付近を「東吾妻」(山域)、西吾妻山付近を「西吾妻」(山域)、その間の部分を「中吾妻」(山域)と呼ぶことがあります(文献1)、(文献3)。
「吾妻連峰」は、小型の火砕丘である吾妻小富士や、一切経山の北側にある火口湖である「五色沼」などから、火山性の山群であることが一目瞭然です。前述のとおり「吾妻連峰」は活火山とされていますが、(文献3)によると、直近数千年における火山活動は、「東吾妻」山域に限定されます。特に一切経山付近と吾妻小富士付近は火山活動が活発です。
なお「吾妻連峰」の近くには安達太良山、磐梯山もあり、それらの火山とともに広域的な火山クラスターを形成しています。
さて、「吾妻連峰」の火山群としての形成史について、(文献1)、(文献2)、(文献3)を元に説明します(注)。
(注;産総研 地質調査総合センターの「活火山」のサイトには、「吾妻山」の項は無い)
(文献1)によると、「東吾妻」地域のうち、東吾妻山は、約50〜40万円前の火山活動によって形成されたもの。一切経山は、30万年前から活動が始まり、その周辺を含め現在まで活動中。また吾妻小富士は、約6〜5千年前に形成された、と説明されています。また、吾妻小富士と一切経山との間の「浄土平」と呼ばれる場所を中心に、約15万年前に爆裂型の噴火活動が起きて、東側に流下する大規模な岩屑なだれを引き起こしつつ、馬蹄形のカルデラ状地形が形成され、その後、一切経山、吾妻小富士などの活動が起きた、と説明されています。
なお(文献1)では「中吾妻」、「西吾妻」地域の火山活動については説明がありません。
(文献2)は、個々の火山体の形成史について、詳しい説明がありませんが、「吾妻連峰」全体として、約120万年前から火山活動が開始し、その後、120〜80万年前の第一活動期、約80〜60万年前の第二活動期、約60〜40万年前の第三活動期、50〜30万年前の第四活動期、約30万年前から現世までの第五活動期の、計 5つの活動ステージに分けられると説明されています。なお(文献2)には、各ピークが形成された火山活動のステージが図示されていますが、ここでは説明を略します。
(文献3)は、比較的最近の形成史の記載しかありませんが、五色沼は、約7千年前の噴火活動によって形成された火口湖、吾妻小富士は、約6〜5千年前の噴火活動によって形成された火砕丘で、この火砕丘の東側付近から、火砕流、溶岩流を東側に流下した。また約28〜10万年前には、一切経山の火山活動に伴って、山体崩壊が生じ、浄土平を火口とする馬蹄形のカルデラ状地形が形成された、と説明されています。
(文献1)によると、この「吾妻連峰」も、前述の「蔵王連峰」、「船形山火山群」などと同様に、基盤岩が隆起してできた高みの上に、薄く火山岩が乗っている、いわば「上げ底型」の地形構造となっている、とのことです。
実際、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、山域の南側では、標高 約1300m付近まで、山域の北側では、標高 約1500m付近まで、新第三紀中新世の火山岩類、白亜紀の花崗岩類が分布しており、これから見ると、吾妻連峰の火山体は、それらの基盤岩の上に薄く広がっているようです。(文献1)では、火山岩の厚みはせいぜい、400m程度と説明されています。
「吾妻連峰」の火山岩の種類としては、産総研「シームレス地質図v2」によると、全域で、安山岩、玄武岩質安山岩からなっています。
一般にはこの山域を「吾妻山」とも呼びますが、ここでは山域全体を「吾妻連峰」と呼ぶことにします。
なお「吾妻連峰」は、「吾妻山」として日本百名山にも選ばれています。また気象庁では、吾妻連峰を、「吾妻山」という名称で、活火山に認定しています(文献3)。
「吾妻連峰」の主なピークとしては、西吾妻山(2035m)、東大てん(1975m)、東吾妻山(1975m)、一切経山(1949m)、吾妻小富士(1707m)などがあります。
「吾妻連峰」は山域が広いので、一切経山、吾妻小富士付近を「東吾妻」(山域)、西吾妻山付近を「西吾妻」(山域)、その間の部分を「中吾妻」(山域)と呼ぶことがあります(文献1)、(文献3)。
「吾妻連峰」は、小型の火砕丘である吾妻小富士や、一切経山の北側にある火口湖である「五色沼」などから、火山性の山群であることが一目瞭然です。前述のとおり「吾妻連峰」は活火山とされていますが、(文献3)によると、直近数千年における火山活動は、「東吾妻」山域に限定されます。特に一切経山付近と吾妻小富士付近は火山活動が活発です。
なお「吾妻連峰」の近くには安達太良山、磐梯山もあり、それらの火山とともに広域的な火山クラスターを形成しています。
さて、「吾妻連峰」の火山群としての形成史について、(文献1)、(文献2)、(文献3)を元に説明します(注)。
(注;産総研 地質調査総合センターの「活火山」のサイトには、「吾妻山」の項は無い)
(文献1)によると、「東吾妻」地域のうち、東吾妻山は、約50〜40万円前の火山活動によって形成されたもの。一切経山は、30万年前から活動が始まり、その周辺を含め現在まで活動中。また吾妻小富士は、約6〜5千年前に形成された、と説明されています。また、吾妻小富士と一切経山との間の「浄土平」と呼ばれる場所を中心に、約15万年前に爆裂型の噴火活動が起きて、東側に流下する大規模な岩屑なだれを引き起こしつつ、馬蹄形のカルデラ状地形が形成され、その後、一切経山、吾妻小富士などの活動が起きた、と説明されています。
なお(文献1)では「中吾妻」、「西吾妻」地域の火山活動については説明がありません。
(文献2)は、個々の火山体の形成史について、詳しい説明がありませんが、「吾妻連峰」全体として、約120万年前から火山活動が開始し、その後、120〜80万年前の第一活動期、約80〜60万年前の第二活動期、約60〜40万年前の第三活動期、50〜30万年前の第四活動期、約30万年前から現世までの第五活動期の、計 5つの活動ステージに分けられると説明されています。なお(文献2)には、各ピークが形成された火山活動のステージが図示されていますが、ここでは説明を略します。
(文献3)は、比較的最近の形成史の記載しかありませんが、五色沼は、約7千年前の噴火活動によって形成された火口湖、吾妻小富士は、約6〜5千年前の噴火活動によって形成された火砕丘で、この火砕丘の東側付近から、火砕流、溶岩流を東側に流下した。また約28〜10万年前には、一切経山の火山活動に伴って、山体崩壊が生じ、浄土平を火口とする馬蹄形のカルデラ状地形が形成された、と説明されています。
(文献1)によると、この「吾妻連峰」も、前述の「蔵王連峰」、「船形山火山群」などと同様に、基盤岩が隆起してできた高みの上に、薄く火山岩が乗っている、いわば「上げ底型」の地形構造となっている、とのことです。
実際、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、山域の南側では、標高 約1300m付近まで、山域の北側では、標高 約1500m付近まで、新第三紀中新世の火山岩類、白亜紀の花崗岩類が分布しており、これから見ると、吾妻連峰の火山体は、それらの基盤岩の上に薄く広がっているようです。(文献1)では、火山岩の厚みはせいぜい、400m程度と説明されています。
「吾妻連峰」の火山岩の種類としては、産総研「シームレス地質図v2」によると、全域で、安山岩、玄武岩質安山岩からなっています。
4) 安達太良山
安達太良山(あだたらやま)は、奥羽山脈のうち、前項の「吾妻連峰」から、約10km南にある、火山性の山群です。
安達太良山は、日本百名山の一つとなっています。また気象庁では活火山に認定しています(文献3)。
一般には、安達太良山と呼びますが、実際には、安達太良山本峰(1700m)の他、鉄山(てつざん;1710m)、箕輪山(みのわやま;1728m)、和尚山(おしょうやま;1602m)などを含む、ひとかたまりの火山群を形成しています。
以下、説明のため、これらのピークを含む一帯を「安達太良山群」と呼ぶことにします。また、一般に「安達太良山」と呼ばれる、標高;1700mのピークは、山群全体と区別するため、「安達太良山本峰」と呼ぶことにします。
この「安達太良山群」は、全体的には山容は穏やかで、安達太良山本峰の山頂部だけがちょっとした岩塊になっており、乳首状に出っ張った目立つ山頂となっています。また、安達太良山本峰と、鉄山(てつざん;1710m)とをつなぐ、「馬の背」と呼ばれる稜線部の西側には、荒涼とした火山性の凹地(直径 約1km)があり、「沼の平」火口と呼ばれています。
反対の「馬の背」稜線の東側は、「勢至平」(せいしだいら)、や「五葉松平」(ごようまつだいら)と呼ばれる、緩やかな地形となっています。これらは主稜線付近から流れ出た溶岩流によって形成された溶岩台地です(文献1)。
「安達太良山群」は、標高は比較的高いものの、5合目付近までドライブウエーが通じており、さらにその上の7合目付近(五葉松平)までゴンドラ、リフトが通じていることから、標高の割に登りやすい山だと言えます。但し、稜線部は風が強いときが多いことや、前述の「沼の平」では火山性の有毒ガスが噴出していて、1997年には有毒ガスによる登山者の死亡事故も起きていることから(文献2)、(文献3)、(文献6)、油断は禁物です。
さて、「安達太良山群」の火山としての形成史ですが、いくつかの文献で説明されています。これらの文献のうち、(文献6)が良くまとまっており、かつ安達太良山群の概要など、詳しくて最も参考になりましたので、主に(文献6)をベースにまとめます。(文献1)、(文献2)、(文献3)の説明は、参考程度に記載します。
(文献6)によると、「安達太良山群」の、火山としての形成史は、3つの時期(ステージ)に分けられるとされています。
まず第1期の火山活動では,カルクアルカリ系列の安山岩質マグマの噴出により,北端の溶岩ドーム(約55万年前)や,南東部の前ヶ岳の山体(約44万年前)が形成されました。
続いて、第2期の火山活動は,約35万年前の活動で、和尚山付近の山体が、数万年以内の期間で形成された時期です。この第2期は,ソレアイト系列の安山岩質マグマによる溶岩流中心の活動でしたが、カルクアルカリ系列の安山岩質マグマの噴出も認められました。
その後、約10万年間の静穏期をはさんで,約25万年前から第3期の活動となります。第3期の火山活動は,現在の安達太良火山を特徴づける火山列が形成された時期であり,細かくは 2つの「サブステージ」(前半期と後半期)に細分できます。
約20万年前頃の火山活動である「第3期前半期」には,溶岩流出とプリニー式噴火を主体として、東部では薬師岳や勢至平の溶岩台地を形成し,北部では箕輪山を形成し,安達太良山群の現在の火山列の土台ができた時代です。
約12万年前からは、「第3期後半期」の火山活動ステージです。約3万年前まで、1〜2万年間隔で小規模なマグマ噴出、山体形成活動が繰り返され,鉄山、胎内岩、船明神山など,沼ノ平火口周縁に分布するピークが形成されました。
「第3期後半期」の活動がいったん休止したのち、約1万年前からは,マグマ水蒸気爆発や、水蒸気爆発が繰り返し起きる時代となりました。最新のマグマ噴出活動は 約2400年前です。
また,約12万年以降、つまり「第3期後半期」には、爆発的な噴火も繰り返し起こり、主として東麓側に降下テフラ(火砕物)層を堆積させました。
(以上、(文献6)に基づく)
一方(文献1)によると、「安達太良山群」での火山活動は、時代は明確ではありませんが、第四紀(正確な時代は不明)の大規模火砕流噴出から始まったと推定されています。「安達太良山群」の中核部である、安達太良山本峰、鉄山、箕輪山付近での火山活動は、約40〜10万年前の火山活動により形成されたと推定されています。また現在でも活発な火山活動が起きている「沼の平」は、約12万年前の大規模噴火で原型が形成された、と推定されています。
(文献2)は、基本的には(文献6)と同様に、「安達太良山群」の火山活動は、3つの活動期に分けられる、として説明されています。基本的には(文献6)と同様な内容なので、詳細は略します。
(文献3)は、直近1万年の「安達太良山群」の火山活動について、説明があります。これによると、直近1万年間の「安達太良山群」での火山活動は、「沼の平」火口での中規模なマグマ噴火が、500〜1000年間隔で繰り返しており、直近の大きなマグマ噴火は、約2400年前、と推定しています。
このほか、安達太良山の形成史に関する文献として、(文献7)があります。この文献は、岩石化学的な、かなり専門的な内容なので詳細は略します。
「安達太良山群」の地質構成についてですが、(文献1)、(文献2)、(文献3)には、「安山岩質の火山岩」という程度の説明で、詳しい説明はありません。
一方、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、大部分が、安山岩、玄武岩質安山岩で、和尚山の南側のみ、玄武岩が分布しています。また、山群のあちこちに、最も古い時代の火山活動の証拠といえる、流紋岩/デイサイト質の大規模火砕流噴出物が残存して分布しています。安達太良山本峰の「乳首状」の岩峰も、この大規模火砕流噴出物で形成されているようです。
(文献6)では、大きく「カルクアルカリ系列」と、「ソレアイト系列」の、2つの系統の、安山岩質の火山岩の噴出が認められるとして、かなり専門的で詳しい説明があります(詳細は略します)。
ところで、前述の「吾妻連峰」、「蔵王連峰」などと似て、この「安達太良山群」も、新第三紀中新世の火山岩類や白亜紀の花崗岩類が隆起した場所に火山活動が起きた、やや「上げ底型」の火山群です。
産総研「シームレス地質図v2」を見ると、「安達太良山群」の西側では、標高 約1000m付近まで、新第三紀中新世の火山岩類が分布しています。一方、この山群の東側、南側では、山体崩壊による岩屑なだれ堆積物や、直近の地滑り堆積物が広範囲に分布していて、基盤岩の露出は少なく、基盤岩(白亜紀の花崗岩類)が地表に現れているのは、せいぜい標高 約500mの位置までです。
安達太良山は、日本百名山の一つとなっています。また気象庁では活火山に認定しています(文献3)。
一般には、安達太良山と呼びますが、実際には、安達太良山本峰(1700m)の他、鉄山(てつざん;1710m)、箕輪山(みのわやま;1728m)、和尚山(おしょうやま;1602m)などを含む、ひとかたまりの火山群を形成しています。
以下、説明のため、これらのピークを含む一帯を「安達太良山群」と呼ぶことにします。また、一般に「安達太良山」と呼ばれる、標高;1700mのピークは、山群全体と区別するため、「安達太良山本峰」と呼ぶことにします。
この「安達太良山群」は、全体的には山容は穏やかで、安達太良山本峰の山頂部だけがちょっとした岩塊になっており、乳首状に出っ張った目立つ山頂となっています。また、安達太良山本峰と、鉄山(てつざん;1710m)とをつなぐ、「馬の背」と呼ばれる稜線部の西側には、荒涼とした火山性の凹地(直径 約1km)があり、「沼の平」火口と呼ばれています。
反対の「馬の背」稜線の東側は、「勢至平」(せいしだいら)、や「五葉松平」(ごようまつだいら)と呼ばれる、緩やかな地形となっています。これらは主稜線付近から流れ出た溶岩流によって形成された溶岩台地です(文献1)。
「安達太良山群」は、標高は比較的高いものの、5合目付近までドライブウエーが通じており、さらにその上の7合目付近(五葉松平)までゴンドラ、リフトが通じていることから、標高の割に登りやすい山だと言えます。但し、稜線部は風が強いときが多いことや、前述の「沼の平」では火山性の有毒ガスが噴出していて、1997年には有毒ガスによる登山者の死亡事故も起きていることから(文献2)、(文献3)、(文献6)、油断は禁物です。
さて、「安達太良山群」の火山としての形成史ですが、いくつかの文献で説明されています。これらの文献のうち、(文献6)が良くまとまっており、かつ安達太良山群の概要など、詳しくて最も参考になりましたので、主に(文献6)をベースにまとめます。(文献1)、(文献2)、(文献3)の説明は、参考程度に記載します。
(文献6)によると、「安達太良山群」の、火山としての形成史は、3つの時期(ステージ)に分けられるとされています。
まず第1期の火山活動では,カルクアルカリ系列の安山岩質マグマの噴出により,北端の溶岩ドーム(約55万年前)や,南東部の前ヶ岳の山体(約44万年前)が形成されました。
続いて、第2期の火山活動は,約35万年前の活動で、和尚山付近の山体が、数万年以内の期間で形成された時期です。この第2期は,ソレアイト系列の安山岩質マグマによる溶岩流中心の活動でしたが、カルクアルカリ系列の安山岩質マグマの噴出も認められました。
その後、約10万年間の静穏期をはさんで,約25万年前から第3期の活動となります。第3期の火山活動は,現在の安達太良火山を特徴づける火山列が形成された時期であり,細かくは 2つの「サブステージ」(前半期と後半期)に細分できます。
約20万年前頃の火山活動である「第3期前半期」には,溶岩流出とプリニー式噴火を主体として、東部では薬師岳や勢至平の溶岩台地を形成し,北部では箕輪山を形成し,安達太良山群の現在の火山列の土台ができた時代です。
約12万年前からは、「第3期後半期」の火山活動ステージです。約3万年前まで、1〜2万年間隔で小規模なマグマ噴出、山体形成活動が繰り返され,鉄山、胎内岩、船明神山など,沼ノ平火口周縁に分布するピークが形成されました。
「第3期後半期」の活動がいったん休止したのち、約1万年前からは,マグマ水蒸気爆発や、水蒸気爆発が繰り返し起きる時代となりました。最新のマグマ噴出活動は 約2400年前です。
また,約12万年以降、つまり「第3期後半期」には、爆発的な噴火も繰り返し起こり、主として東麓側に降下テフラ(火砕物)層を堆積させました。
(以上、(文献6)に基づく)
一方(文献1)によると、「安達太良山群」での火山活動は、時代は明確ではありませんが、第四紀(正確な時代は不明)の大規模火砕流噴出から始まったと推定されています。「安達太良山群」の中核部である、安達太良山本峰、鉄山、箕輪山付近での火山活動は、約40〜10万年前の火山活動により形成されたと推定されています。また現在でも活発な火山活動が起きている「沼の平」は、約12万年前の大規模噴火で原型が形成された、と推定されています。
(文献2)は、基本的には(文献6)と同様に、「安達太良山群」の火山活動は、3つの活動期に分けられる、として説明されています。基本的には(文献6)と同様な内容なので、詳細は略します。
(文献3)は、直近1万年の「安達太良山群」の火山活動について、説明があります。これによると、直近1万年間の「安達太良山群」での火山活動は、「沼の平」火口での中規模なマグマ噴火が、500〜1000年間隔で繰り返しており、直近の大きなマグマ噴火は、約2400年前、と推定しています。
このほか、安達太良山の形成史に関する文献として、(文献7)があります。この文献は、岩石化学的な、かなり専門的な内容なので詳細は略します。
「安達太良山群」の地質構成についてですが、(文献1)、(文献2)、(文献3)には、「安山岩質の火山岩」という程度の説明で、詳しい説明はありません。
一方、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、大部分が、安山岩、玄武岩質安山岩で、和尚山の南側のみ、玄武岩が分布しています。また、山群のあちこちに、最も古い時代の火山活動の証拠といえる、流紋岩/デイサイト質の大規模火砕流噴出物が残存して分布しています。安達太良山本峰の「乳首状」の岩峰も、この大規模火砕流噴出物で形成されているようです。
(文献6)では、大きく「カルクアルカリ系列」と、「ソレアイト系列」の、2つの系統の、安山岩質の火山岩の噴出が認められるとして、かなり専門的で詳しい説明があります(詳細は略します)。
ところで、前述の「吾妻連峰」、「蔵王連峰」などと似て、この「安達太良山群」も、新第三紀中新世の火山岩類や白亜紀の花崗岩類が隆起した場所に火山活動が起きた、やや「上げ底型」の火山群です。
産総研「シームレス地質図v2」を見ると、「安達太良山群」の西側では、標高 約1000m付近まで、新第三紀中新世の火山岩類が分布しています。一方、この山群の東側、南側では、山体崩壊による岩屑なだれ堆積物や、直近の地滑り堆積物が広範囲に分布していて、基盤岩の露出は少なく、基盤岩(白亜紀の花崗岩類)が地表に現れているのは、せいぜい標高 約500mの位置までです。
6) 磐梯山
磐梯山(ばんだいさん;1819m)は、会津磐梯山とも呼ばれ、安達太良山とともに、奥羽山脈の火山群のうち最南端に位置する火山です。
磐梯山は、日本百名山でもあり、また気象庁により活火山に認定されています(文献3)。
位置的には、福島県の中央部、前述の「安達太良山群」の西 約20kmにあり、その南側には、猪苗代湖(いなわしろこ)と、会津盆地があります。
山容は、南側から望むと、成層火山っぽい整った山容に見えなくもないですが、北側の桧原湖側から見ると、双耳峰の形となっており、独特の形状をしています。この山容は、1888年(明治21年)に発生した、水蒸気爆発型の火山活動をきっかけとした、大規模な山体崩壊(後述)によるものです(文献1)。
磐梯山は、南にある猪苗代湖、北麓に広がる桧原湖(ひばらこ)を含め、観光地としても有名で、登山道もいくつかの方向から頂上へと延びており、火山活動にさえ気を付ければ、比較的登りやすい山といえます。
さて、磐梯山の火山としての形成史について、(文献1)、(文献2)、(文献3)を元に説明します。
(注;産総研の「活火山」の項には、磐梯火山に関する詳しい説明はない)
(文献1)では、古い時代の磐梯山の火山活動について、「諸説あり」、として詳しくは説明されておらず、前述の、1888年に山体崩壊を伴う火山活動イベントについてのみ、詳しく説明されています。
(文献1)、(文献3)によると、このイベントの前、磐梯山は整った形状の成層火山でした。1888年(明治21年)7月15日に、突然、爆発的な噴火活動(水蒸気爆発型と推定されている)が起こり、その影響で、山体は北側へ向けて大規模に崩壊しました。崩壊した結果生じた岩屑なだれは、山の北側の水系をせき止め、桧原湖や五色沼といった大小の湖、池、沼を形成しました。この山体崩壊による死者は、461名(477名と書かれている文献もある)です。
このイベントは、わずか、1日で開始、収束した、極めて短期間のイベントであったことも特徴で、その翌日以降は、目だった噴火活動は生じていません。
この山体崩壊の跡は、北に開く形の馬蹄形のカルデラ状地形を形成し、現在でもその生々しい姿を見ることができます。この場所は「沼の平」と呼ばれています。
なお、これ以前にも磐梯山は、複数回の、山体崩壊を伴う数回の火山活動を起こしていた、と推定されています(文献1)、(文献2)、(文献3)。
(文献2)では、古い時代からの火山活動、形成史について説明がありますが、(文献1)と同様、複数の研究、見解があってはっきりとはしていない、としたうえで、以下2つの研究を紹介しています。
まず、(文献8)によると、磐梯山の火山活動は大きく、「古期」と「新期」の2つの活動期に分けられるとしています。このうち「古期」火山活動は、約50〜25万年前に起きたと推定されています。その後、しばらくの休止期を挟み、「新期」火山活動は、約7万年から開始し、現在に至ります。
次に(文献9)によると、磐梯山の火山活動は、約35万年前から現在まで、合計7つの活動期に分けられる、と説明されています。(文献9)では、磐梯火山の詳細な活動史が説明されていますが、詳細は略します。
なお、地質学的には、磐梯山を形成している火山岩は、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩、玄武岩質安山岩です。
磐梯山は、山体のほぼ全てが、第四紀火山岩で形成されており、新第三紀以前の基盤岩類は、磐梯山の南西部の山麓(標高500〜600m付近)に、新第三紀中新世の火山岩類がわずかに地表に現れているだけです。なので、前述のいくつかの火山群のような、「上げ底型」の火山ではなく、山体のほとんどは、第四紀に噴出した火山岩類で形成されている、と言えます。
磐梯山は、日本百名山でもあり、また気象庁により活火山に認定されています(文献3)。
位置的には、福島県の中央部、前述の「安達太良山群」の西 約20kmにあり、その南側には、猪苗代湖(いなわしろこ)と、会津盆地があります。
山容は、南側から望むと、成層火山っぽい整った山容に見えなくもないですが、北側の桧原湖側から見ると、双耳峰の形となっており、独特の形状をしています。この山容は、1888年(明治21年)に発生した、水蒸気爆発型の火山活動をきっかけとした、大規模な山体崩壊(後述)によるものです(文献1)。
磐梯山は、南にある猪苗代湖、北麓に広がる桧原湖(ひばらこ)を含め、観光地としても有名で、登山道もいくつかの方向から頂上へと延びており、火山活動にさえ気を付ければ、比較的登りやすい山といえます。
さて、磐梯山の火山としての形成史について、(文献1)、(文献2)、(文献3)を元に説明します。
(注;産総研の「活火山」の項には、磐梯火山に関する詳しい説明はない)
(文献1)では、古い時代の磐梯山の火山活動について、「諸説あり」、として詳しくは説明されておらず、前述の、1888年に山体崩壊を伴う火山活動イベントについてのみ、詳しく説明されています。
(文献1)、(文献3)によると、このイベントの前、磐梯山は整った形状の成層火山でした。1888年(明治21年)7月15日に、突然、爆発的な噴火活動(水蒸気爆発型と推定されている)が起こり、その影響で、山体は北側へ向けて大規模に崩壊しました。崩壊した結果生じた岩屑なだれは、山の北側の水系をせき止め、桧原湖や五色沼といった大小の湖、池、沼を形成しました。この山体崩壊による死者は、461名(477名と書かれている文献もある)です。
このイベントは、わずか、1日で開始、収束した、極めて短期間のイベントであったことも特徴で、その翌日以降は、目だった噴火活動は生じていません。
この山体崩壊の跡は、北に開く形の馬蹄形のカルデラ状地形を形成し、現在でもその生々しい姿を見ることができます。この場所は「沼の平」と呼ばれています。
なお、これ以前にも磐梯山は、複数回の、山体崩壊を伴う数回の火山活動を起こしていた、と推定されています(文献1)、(文献2)、(文献3)。
(文献2)では、古い時代からの火山活動、形成史について説明がありますが、(文献1)と同様、複数の研究、見解があってはっきりとはしていない、としたうえで、以下2つの研究を紹介しています。
まず、(文献8)によると、磐梯山の火山活動は大きく、「古期」と「新期」の2つの活動期に分けられるとしています。このうち「古期」火山活動は、約50〜25万年前に起きたと推定されています。その後、しばらくの休止期を挟み、「新期」火山活動は、約7万年から開始し、現在に至ります。
次に(文献9)によると、磐梯山の火山活動は、約35万年前から現在まで、合計7つの活動期に分けられる、と説明されています。(文献9)では、磐梯火山の詳細な活動史が説明されていますが、詳細は略します。
なお、地質学的には、磐梯山を形成している火山岩は、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩、玄武岩質安山岩です。
磐梯山は、山体のほぼ全てが、第四紀火山岩で形成されており、新第三紀以前の基盤岩類は、磐梯山の南西部の山麓(標高500〜600m付近)に、新第三紀中新世の火山岩類がわずかに地表に現れているだけです。なので、前述のいくつかの火山群のような、「上げ底型」の火山ではなく、山体のほとんどは、第四紀に噴出した火山岩類で形成されている、と言えます。
(参考文献)
文献1) 小池、田村、鎮西、宮城 編
「日本の地形 第3巻 東北」 東京大学出版会 刊 (2005)
のうち、第4部「奥羽脊梁山脈と火山群」の、
4−5章「船形・蔵王火山群」の項 および、
4−6章「吾妻・安達太良・磐梯火山」の項
文献2) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」 朝倉書店 刊 (2017)
のうち、第9部「(東北地方の)第四紀の活動的な火山」の、
9―3章「脊梁火山列」の、「蔵王山」、「吾妻山」、「安達太良山」、
「磐梯山」の各項
文献3) 気象庁のインターネットサイトのうち、活火山に関するサイト
(文献3−a)
(文献3)のうち、「日本活火山総覧(第4版)」(2013年版)
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
2024年1月 閲覧
(文献3−b)
(文献3)のうち、「蔵王山」、「吾妻山」、「安達太良山」、「磐梯山」の各項
文献4) 八木
「船形山 ・泉ケ岳火山の最終氷期以降の大規模地すべ り地形」
「東北地理」誌、第42巻、p131-151、(1990)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tga1948/42/3/42_3_131/_pdf
文献5)「産総研 地質調査総合センター」のサイトの、
「日本の活火山」の項の、「蔵王」(「蔵王火山地質図;解説」)の各項のうち、
「蔵王火山の活動史」、「噴出物の岩石学的特徴」などの各項
https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/zao/text/exp-1.html
2024年1月 閲覧
文献6) 「産総研 地質調査総合センター」のサイトの、
「日本の活火山」の項のうち、「安達太良山」の項内の、
「安達太良火山のあらまし」、「安達太良火山のおいたち」などの各項
https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/adatara/index.html
2024年1月 閲覧
文献7) 藤縄、鎌田
「安達太良火山の最近25万年間における山体形成史とマグマ供給系の変遷」
「岩石鉱物科学」誌、第34巻、p35-58 (2005)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/gkk/34/2/34_2_35/_pdf/-char/ja
文献8) 山元、須藤
「テフラ層序からみた磐梯火山の噴火活動史」
「地質調査所月報」誌、第47巻、p335−359、(1996)
https://www.gsj.jp/data/bull-gsj/47-06_03.pdf
文献9) 千葉、木村
「磐梯火山の地質と火山活動史」
「岩石鉱物科学」誌、第30巻、p126- 156、(2001)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/gkk/30/3/30_3_126/_article/-char/ja/
「日本の地形 第3巻 東北」 東京大学出版会 刊 (2005)
のうち、第4部「奥羽脊梁山脈と火山群」の、
4−5章「船形・蔵王火山群」の項 および、
4−6章「吾妻・安達太良・磐梯火山」の項
文献2) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」 朝倉書店 刊 (2017)
のうち、第9部「(東北地方の)第四紀の活動的な火山」の、
9―3章「脊梁火山列」の、「蔵王山」、「吾妻山」、「安達太良山」、
「磐梯山」の各項
文献3) 気象庁のインターネットサイトのうち、活火山に関するサイト
(文献3−a)
(文献3)のうち、「日本活火山総覧(第4版)」(2013年版)
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
2024年1月 閲覧
(文献3−b)
(文献3)のうち、「蔵王山」、「吾妻山」、「安達太良山」、「磐梯山」の各項
文献4) 八木
「船形山 ・泉ケ岳火山の最終氷期以降の大規模地すべ り地形」
「東北地理」誌、第42巻、p131-151、(1990)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tga1948/42/3/42_3_131/_pdf
文献5)「産総研 地質調査総合センター」のサイトの、
「日本の活火山」の項の、「蔵王」(「蔵王火山地質図;解説」)の各項のうち、
「蔵王火山の活動史」、「噴出物の岩石学的特徴」などの各項
https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/zao/text/exp-1.html
2024年1月 閲覧
文献6) 「産総研 地質調査総合センター」のサイトの、
「日本の活火山」の項のうち、「安達太良山」の項内の、
「安達太良火山のあらまし」、「安達太良火山のおいたち」などの各項
https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/adatara/index.html
2024年1月 閲覧
文献7) 藤縄、鎌田
「安達太良火山の最近25万年間における山体形成史とマグマ供給系の変遷」
「岩石鉱物科学」誌、第34巻、p35-58 (2005)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/gkk/34/2/34_2_35/_pdf/-char/ja
文献8) 山元、須藤
「テフラ層序からみた磐梯火山の噴火活動史」
「地質調査所月報」誌、第47巻、p335−359、(1996)
https://www.gsj.jp/data/bull-gsj/47-06_03.pdf
文献9) 千葉、木村
「磐梯火山の地質と火山活動史」
「岩石鉱物科学」誌、第30巻、p126- 156、(2001)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/gkk/30/3/30_3_126/_article/-char/ja/
【書記事項】
・新規作成;2021年に作成した7−7章(奥羽山脈)では、奥羽山脈にある各火山についての説明が少なかったが、途中からこの連載における火山に関する記述方針を変更し、火山については地質よりも、その形成史を中心に説明することとした。
そこで、旧)7−7章を分割し、新)7−7章では、奥羽山脈北半分の火山についての説明とし、この新設した、新)7−8章では、奥羽山脈南半分(船形山から磐梯山)の火山について、その形成史を中心に、新たに作成した。(2024年1月15日)
△ 最新改訂年月日;2024年1月15日
そこで、旧)7−7章を分割し、新)7−7章では、奥羽山脈北半分の火山についての説明とし、この新設した、新)7−8章では、奥羽山脈南半分(船形山から磐梯山)の火山について、その形成史を中心に、新たに作成した。(2024年1月15日)
△ 最新改訂年月日;2024年1月15日
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