今年8月に奈良県天川村弥山で女性2名が遭難10日後に救出された事は、9/30の中日新聞※1、三面記事で一番大きく取り上げられ、羽根田治さんのコメントもあった事から印象に残ってます。(羽根田さんの遭難シリーズ本や記事は全て読んでます)
おそらく9月に県内で3件(池木屋山2件、釈迦ヶ岳1件)の死亡事故が続いた警鐘だろうと思いました。
その後、YAMAP MAGAZINE※2と岳人11月号で取り上げられた事で詳しく知ることができ、自分も参考にすべく纏めてみました。
※1 千代丸さんのモーメント
https://yamap.com/moments/565295
※2 YAMAP MAGAZINE(10/18)
https://yamap.com/magazine/40239
記事を私なりに解釈すると、無事生還した要因は、
◎道迷い後、雨が降っていたものの8月上旬で気温が高く、初日岩の下でのビバークでも凌げた。
◎作業小屋を見つけ屋根を補修、ライターを持参していて、薪集めを日課とし、焚火で暖をとった。
◎作業小屋は沢の近くで水を確保しやすく、食料を計画的に食べた。
◎ムダに動き回らず体力を温存した。
◎通話圏外でもGPSが有効な事を知り、GoogleMapでおおまかな現在位置を把握できた。
◎救助の見込みがないと判断後は、速やかに一人で目印を置きながら12時間登った。
その際2台の携帯電話を持ち、幸運にも極狭い通話圏内に入った事に気付き通報した。
→この時、LINEに大量のメッセージが入ってきて一気にバッテリーを消費してしまった。
遭難時はLINEを無効にし、機内モードで緊急通報のみにする必要があります。
同時にもし山友さんが遭難したとしてもLINEすることは控えないとです。
◎モバイルバッテリーを持っていた。
◎毎日川の水で顔を洗い、下着や服を洗って干して着替えをした。
◎天川村役場に登山届けを出していた。
◎下山予定日に予約していた民宿から警察に通報があった。
等々に加え、お二人が常に前向きで悲壮感を持ち過ぎなかった事が大きいように思います。
もしもの時には大いに参考にさせてもらいます。
でもツッコミどころは満載で、
◎ヤマップをスマホに入れていたのに使い方を知らなかった。
→実際、通話圏外でもGPSが使える事を知らない人が多いと感じます。
◎持参の地図はヤマップのスクリーンショットと印刷したもの、天川村役場でもらったリーフレットで、初日昼食時に敷物にして使い、そこに置き忘れた。
→私も置き忘れ、落とし物はあるので、リュックを降ろした時は念入りに確認しています。
◎天川村役場スタートが正午、スキルからすると6時間のルートを歩くには遅く、初心者を連れて行くのは無茶すぎる。
旧暦の七夕に天の川を見る計画だったらしいけど、夜間・雨中に初見のルートは危険すぎ。
実際9時間かかって弥山小屋21時着は大迷惑というか、遭難扱いでは?
→ナイトハイクに慣れてた訳でもないのに、「到着が夜になっても構わなかったし、焦りもなかった」とは私には理解不能。もしこれが農鳥小屋なら遭難より怖いことに…
◎弥山小屋スタッフの勧めで下山は初見のレンゲ道にし、略図をもらおうとしたが断られた。
→スマホで撮るか、スケッチしなかったのはナゼ、記憶だけで大丈夫と思ったのかなぁ?
◎購入から10年経った靴のソールが剥がれた。
→接着剤は3年間大丈夫らしいけど10年はダメでしょ。
等々、今回の道迷い遭難に至った要因はいくつもあるけど、
決定的なのはレンゲ道上の道標のようです。
◎道標は五條市が設置したもので、五條市側の「トップリ尾登山口4.2km」と、下ってきた「明星ヶ岳2.1Km」の2方向のみ。
→弥山小屋スタッフの方が、この道標で間違えやすいとの認識がなかったのかなぁ?
◎川合村役場は直進だけどその案内がなく、先に川合道があると思い込み道標通り曲がった。
→この場所で「このまま真っ直ぐじゃなくて左を回るのか」という違和感を感じたそうです。
私も道間違いをする時は、小さな違和感を感じながらも逃す事が多く、戻ってきてナゼ気付けなかったのかガッカリします。
◎道間違いに気付いた時点でも、だいぶ下ったからと登り返さなかった。
→私も経験があります。トラバースで徐々に登りながら道に戻ろうとしましたが、深く難易度の高い谷に1時間を要し、徐々に高度を下げていることに気付き、トラバースをあきらめ登り返しました。結果、これが一番早かったです。
◎五條市よると世界遺産奥駈道に至るトップリ尾の問い合わせが増えたため、「あくまで明星ヶ岳に登るためのもの」として設置し、隣接する川合村役場とのすり合わせもなかった。事故後、どなたかにより、「天川川合へ→」と手書きがラベルが加えられた。
→今更だけど、この案内さえあれば間違えなかっただろう。
私の経験上、道標は登り・下り・縦走中、いずれの目線で見ても意味が明瞭で理解しやすいものは少ないと思う。
地名やルートの呼び方がいくつもあるのは、あるあるだけど、登りの人だけに案内されたものに、下りまたは縦走から出くわすと惑わされる。
私は何度も痛い目にあったので、分岐があったら、自信があってもGPSで現在位置を確認、そして少し進んで進行方向があってるかも確認します。
百名山八経ヶ岳への最短ルートは行者還トンネル西口ですが、この時は斜面崩落による通行止めもあり、今回のように川合村役場から登るケースが通常より多かったと思われます。
弥山、八経ヶ岳、明星ヶ岳を周回したくなるのは必然で、6時間の登りを選ぶ人達は中級者以上、皆さんルートミスはされなかったと思われます。
ちなみに私は初ルートの場合、3点を確認するようにしています。
◎ヤマップでルートがあるか?
◎ヤマレコで皆さんの軌跡と点の密度
◎いずれもレポがあがってるか?
以前これをせずに何度も痛い目にあってます。
今回3つの記事で詳しく知る事が出来たのは、きちんとした報告書が出されたためと思います。
これは救出を求めて一人で登った方がインターハイ出場のしっかりした高校山岳部で、そのOBに三重県山岳連盟元理事長で山岳遭難対策委員長をされた方がおられ、報告書も作成されたという、大先輩との思わぬ縁があったようです。
山岳会や登山部では、事故があった場合、再発防止のため徹底的に調査し報告書を作成するようです。
私が読んだものは出版された泉康子著「いまだ下山せず!」で、表銀座が舞台で私も地理感を持って読めました。
厳冬期に山岳会のエース3人が忽然と消息を絶ち、残ったメンバーが同じ時期に入山した全国の山岳会を聞き取り調査し、下るはずのない谷に遭難地点を絞り込む執念には驚かされました。
未読の方には是非お勧めです。
最後に貴重な体験をお話されたお二人に深く感謝します。
救出から一か月後に小屋の荷物を片付けに再訪された事、素晴らしいと思います。
私のこれからの山行きの教訓とさせていただきます。
なお私の認識間違い、記事に掲載されてない事で思い違い等がありましたら大変申し訳ありません。
おそらく9月に県内で3件(池木屋山2件、釈迦ヶ岳1件)の死亡事故が続いた警鐘だろうと思いました。
その後、YAMAP MAGAZINE※2と岳人11月号で取り上げられた事で詳しく知ることができ、自分も参考にすべく纏めてみました。
※1 千代丸さんのモーメント
https://yamap.com/moments/565295
※2 YAMAP MAGAZINE(10/18)
https://yamap.com/magazine/40239
記事を私なりに解釈すると、無事生還した要因は、
◎道迷い後、雨が降っていたものの8月上旬で気温が高く、初日岩の下でのビバークでも凌げた。
◎作業小屋を見つけ屋根を補修、ライターを持参していて、薪集めを日課とし、焚火で暖をとった。
◎作業小屋は沢の近くで水を確保しやすく、食料を計画的に食べた。
◎ムダに動き回らず体力を温存した。
◎通話圏外でもGPSが有効な事を知り、GoogleMapでおおまかな現在位置を把握できた。
◎救助の見込みがないと判断後は、速やかに一人で目印を置きながら12時間登った。
その際2台の携帯電話を持ち、幸運にも極狭い通話圏内に入った事に気付き通報した。
→この時、LINEに大量のメッセージが入ってきて一気にバッテリーを消費してしまった。
遭難時はLINEを無効にし、機内モードで緊急通報のみにする必要があります。
同時にもし山友さんが遭難したとしてもLINEすることは控えないとです。
◎モバイルバッテリーを持っていた。
◎毎日川の水で顔を洗い、下着や服を洗って干して着替えをした。
◎天川村役場に登山届けを出していた。
◎下山予定日に予約していた民宿から警察に通報があった。
等々に加え、お二人が常に前向きで悲壮感を持ち過ぎなかった事が大きいように思います。
もしもの時には大いに参考にさせてもらいます。
でもツッコミどころは満載で、
◎ヤマップをスマホに入れていたのに使い方を知らなかった。
→実際、通話圏外でもGPSが使える事を知らない人が多いと感じます。
◎持参の地図はヤマップのスクリーンショットと印刷したもの、天川村役場でもらったリーフレットで、初日昼食時に敷物にして使い、そこに置き忘れた。
→私も置き忘れ、落とし物はあるので、リュックを降ろした時は念入りに確認しています。
◎天川村役場スタートが正午、スキルからすると6時間のルートを歩くには遅く、初心者を連れて行くのは無茶すぎる。
旧暦の七夕に天の川を見る計画だったらしいけど、夜間・雨中に初見のルートは危険すぎ。
実際9時間かかって弥山小屋21時着は大迷惑というか、遭難扱いでは?
→ナイトハイクに慣れてた訳でもないのに、「到着が夜になっても構わなかったし、焦りもなかった」とは私には理解不能。もしこれが農鳥小屋なら遭難より怖いことに…
◎弥山小屋スタッフの勧めで下山は初見のレンゲ道にし、略図をもらおうとしたが断られた。
→スマホで撮るか、スケッチしなかったのはナゼ、記憶だけで大丈夫と思ったのかなぁ?
◎購入から10年経った靴のソールが剥がれた。
→接着剤は3年間大丈夫らしいけど10年はダメでしょ。
等々、今回の道迷い遭難に至った要因はいくつもあるけど、
決定的なのはレンゲ道上の道標のようです。
◎道標は五條市が設置したもので、五條市側の「トップリ尾登山口4.2km」と、下ってきた「明星ヶ岳2.1Km」の2方向のみ。
→弥山小屋スタッフの方が、この道標で間違えやすいとの認識がなかったのかなぁ?
◎川合村役場は直進だけどその案内がなく、先に川合道があると思い込み道標通り曲がった。
→この場所で「このまま真っ直ぐじゃなくて左を回るのか」という違和感を感じたそうです。
私も道間違いをする時は、小さな違和感を感じながらも逃す事が多く、戻ってきてナゼ気付けなかったのかガッカリします。
◎道間違いに気付いた時点でも、だいぶ下ったからと登り返さなかった。
→私も経験があります。トラバースで徐々に登りながら道に戻ろうとしましたが、深く難易度の高い谷に1時間を要し、徐々に高度を下げていることに気付き、トラバースをあきらめ登り返しました。結果、これが一番早かったです。
◎五條市よると世界遺産奥駈道に至るトップリ尾の問い合わせが増えたため、「あくまで明星ヶ岳に登るためのもの」として設置し、隣接する川合村役場とのすり合わせもなかった。事故後、どなたかにより、「天川川合へ→」と手書きがラベルが加えられた。
→今更だけど、この案内さえあれば間違えなかっただろう。
私の経験上、道標は登り・下り・縦走中、いずれの目線で見ても意味が明瞭で理解しやすいものは少ないと思う。
地名やルートの呼び方がいくつもあるのは、あるあるだけど、登りの人だけに案内されたものに、下りまたは縦走から出くわすと惑わされる。
私は何度も痛い目にあったので、分岐があったら、自信があってもGPSで現在位置を確認、そして少し進んで進行方向があってるかも確認します。
百名山八経ヶ岳への最短ルートは行者還トンネル西口ですが、この時は斜面崩落による通行止めもあり、今回のように川合村役場から登るケースが通常より多かったと思われます。
弥山、八経ヶ岳、明星ヶ岳を周回したくなるのは必然で、6時間の登りを選ぶ人達は中級者以上、皆さんルートミスはされなかったと思われます。
ちなみに私は初ルートの場合、3点を確認するようにしています。
◎ヤマップでルートがあるか?
◎ヤマレコで皆さんの軌跡と点の密度
◎いずれもレポがあがってるか?
以前これをせずに何度も痛い目にあってます。
今回3つの記事で詳しく知る事が出来たのは、きちんとした報告書が出されたためと思います。
これは救出を求めて一人で登った方がインターハイ出場のしっかりした高校山岳部で、そのOBに三重県山岳連盟元理事長で山岳遭難対策委員長をされた方がおられ、報告書も作成されたという、大先輩との思わぬ縁があったようです。
山岳会や登山部では、事故があった場合、再発防止のため徹底的に調査し報告書を作成するようです。
私が読んだものは出版された泉康子著「いまだ下山せず!」で、表銀座が舞台で私も地理感を持って読めました。
厳冬期に山岳会のエース3人が忽然と消息を絶ち、残ったメンバーが同じ時期に入山した全国の山岳会を聞き取り調査し、下るはずのない谷に遭難地点を絞り込む執念には驚かされました。
未読の方には是非お勧めです。
最後に貴重な体験をお話されたお二人に深く感謝します。
救出から一か月後に小屋の荷物を片付けに再訪された事、素晴らしいと思います。
私のこれからの山行きの教訓とさせていただきます。
なお私の認識間違い、記事に掲載されてない事で思い違い等がありましたら大変申し訳ありません。
ある道迷い遭難から学ぶこと
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newayさんの記事一覧
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- ある道迷い遭難から学ぶこと 145 更新日:2022年12月17日
- 二度目の滑落でいろいろ考えてみた 98 更新日:2020年04月06日
※この記事はヤマレコの「ヤマノート」機能を利用して作られています。
どなたでも、山に関する知識や技術などのノウハウを簡単に残して共有できます。
ぜひご協力ください!
五條市が自分の市域のことしか考えずに、あの場所に天川川合方面の指示標のない標識を設置したのは、天川川合方面に下山する人が多い中では紛らわしく、今回の道迷いのトリガーになりましたが、あの場所で道に迷わずに多くの人達が天川川合に下山していることも確かです。
このため、今回道に迷った人には遭難の防護作用が働かず、他の人達には防護作用が働いたのは何故かなと考えています。
コメント有難うございます。
モーメントにもあげましたように、あのルートを歩かれる方は中級者以上の方が多いと思われます。
そのため道標に惑わされることがなかったのかなぁと思ってます。
ただ記事の写真で見る限り、道もしっかりしてますので、漫然と誘われることもありそうです。
行政の方には、普段からお世話になっていて感謝ですが、せめて道標設置時に天川川合村と弥山小屋に話していればと悔やまれます。
横から失礼します。
お二人が遭難してから 生還するまでの行動は称賛できますが、遭難する前の行動は・・・ 遭対協などの関係者がいたら 遭難予備軍と呼ぶパターンかと思います。
道標については よく言う行政縦割りの弊害ですが、五條市が 天川村側の道を管理してないため 表示できなかったのか? 仮に登山道崩壊で廃道になっても 修正できなければ、それこそ責任問題になるかと。
ネットで役場間で情報交換したらと思うけど デジタル担当相がUSBも知らない国ですから・・・(古)
登山者自身がナビ等で身を守るしかないでしょうね。
遭難予備軍、道迷いではその通りですね。
今回のヤマノートにもあげましたように、高校山岳部OBに山岳遭難対策委員長をされた方がおられますしね。
尻もちをついて、たまたまその場で止まったけど、一歩場所が違うと滑落なんて事も多々あります。
その観点からは皆が遭難予備軍と紙一重とも思います。
道標設置の詳細は分かりませんが、山歩きの経験が少ない行政の方に、そこまで期待するのは難しいかと思ってます。
このルートをホームとされてる方々が、いらっしゃらなかったのでしょうかね。
自分のホームやよく歩く山に間違えそうな道標があると、批判を恐れず訂正することも大事と感じました。
中級者以上の方も、悪条件が重なると道標に惑わされると思います。
また、「遭難予備軍」というのは、遭難に至る条件を多く持っている者のことを言います。
インターネットで「スイスチーズモデル」というのを検索して調べていただければわかるかと思いますが、チーズに開いている「穴」を遭難や事故に至る1つの条件、チーズの「壁」を防護作用とみなし、「壁」に塞がれずに「穴」が連なった時に遭難や事故が起きるとしています。
今回は、遭難報告書が出ていたり、山岳雑誌、SNS等で、遭難に至った経緯について多くの情報が得られるので、何が「穴」になって遭難まで突き進んだのか、整理ができると思います。
「スイスチーズモデル」、勉強になりました。
どうも有難うございました。
確かに普段の山歩きでも穴を紙一重で避けながら歩いてるように思えます。
最初にコメントいただいた、
>このため、今回道に迷った人には遭難の防護作用が働かず、他の人達には防護作用が働いたのは何故かなと考えています。
ですが、あらかじめこのルートでプランを立てていた方と、この二人のように当日小屋で勧められだけで、自発的にプランニングしていない事が大きいと思えてきました。
自分でもルートのプランニングが甘いと間違いやすいです。
1.登山計画に無理がある。天川村役場を12時に出発して弥山小屋までコースタイム6時間のコースを歩くという計画に無理がある。更に60代の老人ならコースタイム以上に時間が掛かると予想するべきだ。実際には午後9時に小屋に着いている
2.紙の地図もGPSもないなら、八経ヶ岳以降は来た道を弥山→栃尾辻→天川川合と戻るのが1番安全なのに、初めて歩くレンゲ道に進んだのは慎重さを欠いている。
3.弥山小屋を8:15に出発したのは遅すぎる。小屋の朝食を食べても6:30に出発できたはず。山では何が起こるか分からないのだから可能な限り早出すべきだ。
出発が遅いのは、その通りですが、前日の疲れもあったでしょうし、小屋の方からアドバイスを受けていたら、そのくらいの時間になってしまうのかなぁと思います。
いずれもキチンと出来ていたなら行動に余裕ができるとは思いますが、やはり道標が決定的に感じます。
その事についての考察も本文に述べさせてもらってます。
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