【三陸作戦・山田町】霞露ヶ岳【戊15.6】
- GPS
- 02:17
- 距離
- 8.0km
- 登り
- 580m
- 下り
- 571m
コースタイム
- 山行
- 2:10
- 休憩
- 0:08
- 合計
- 2:18
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
標高ゼロメートルから岩の断崖をジグザグに登っていく。山頂標高が500余mということを考えたら結構急。 帰路は山頂から西側周りで下山。新・分県ガイド[改訂版]のルートではない黒破線を下ったが、そこは廃作業道で、下に行くほど荒れている。軽々に取るべきルートではなかった。 |
写真
感想
三陸作戦最後の一峰は霞露ヶ岳。
道の駅やまだで昼食を摂ろうかとも思ったが、それほど空腹でもなかったので、トドヶ崎から直接漉磯海岸に向かう。
リアス式海岸に沿ったジグザグ道は紅葉見頃で、ゆっくり走りたい気持ちと早く登山口に着きたい気持ちの相克の中、1時間半程で現地に到着した。
この入り江も例に漏れず大津波に呑まれたわけだが、数台程度車をとめられるスペースが残っている。
そこから岩の岸壁へと登っていくのだが、短い距離にしては標高差が大きく、その傾斜をジグザグに上っていく。昼飯前で済ますにはちとハードだったか。
それでも晴れた空の下、青い海とカラフルな紅葉に包まれて、気持ちは穏やか。
そして、山頂から山田湾を眺める。沖合いに見えるのは十二神山。名前に惹かれるが、自衛隊の施設があるので自由には立ち入れない。
山頂までは無事着けた。しかし、その後、いろいろと紆余曲折があろうとは。
下山していくと鳥居の先に分岐がある。時間も押してきたし、ショートカットできた方が良いだろうと左へ。道は広く、轍もある。安心して歩いていたが、次の分岐で左に進むと森の中で行き止まり。
これはまずったなと分岐に戻り、右側へ進むが、だんだんと倒木や藪が増えてきた。今までも旧作業道的な道を下ったことはあるが、いずれも下り始めは道がちゃんとしていて歩いていけそうな感じ。それがある程度下ると、藪に埋もれたり崩れたりと酷い有様になる。黒破線になっている道は本当に要注意だ。
霞露ヶ岳の場合は、荒れているといっても道の名残はあり、歩こうと思えば歩ける状態だったので、何とか無事下山できた。しかし、それでも冷や汗をかく。低山だからこその慎重さというのは、やはり必要だなと改めて認識して岩手の山行を終えた。
【総括】
かくして二日にわたる岩手・三陸山行は無事終わったわけだが、福島双草地区での山行と比べてみると、まず、山そのものについてはルート定数、距離、標高差とざっと見て、一山一山のハードさが上回っていたように思う。そして、釜石から南へ陸前高田まで、北へ宮古までの並びは、いずれの街も山々で分離され、距離もあって移動にも一苦労だ。
ということを考えると、三陸沿岸部の山行は、はしごをするにしても、もっと地域を絞り込んで狭く深くじっくりと取り掛かるべきものだったと言える。
この反省は、次回がある時に活かしたいと思う。
今回、三陸沿岸部の状況を具に観察し、また、以前の街並みを写真や模型で顧みた。防潮堤の整備、土地の嵩上げは進み、かつての街の姿は年月を経るごとに変わっていくことだろう。
その変わり行く街並みを定点観測している地元の方も既にいらっしゃることと思うが、我々ビジターもラッキーな定点観測者になることができる。すなわち、かつて被災地と呼ばれた土地に来るたびに、ああ家が建った、人が戻ってきた、花が咲いた等と変化を感じることができる。その変化は昔の落ち着いた街並みを知る人からすれば物寂しくもあるだろうが、ゼロあるいはマイナスからプラスへの変化であるならば、それだけでも訪れるのが楽しくなるはずだ。
それはまた、時代と共に歩む壮大な営みであり、我々は時代の証人となる。
どこかから持ってきた土が落ち着いたら、人はそこに花の種を撒くだろう。花は次々と咲いて、いつしか花の名所があちこちにできる。その花々に彩られた街を夢見つつ、今後も折々に訪れて歩いて巡りたいと思う。
〜おしまい〜
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