記録ID: 21398
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積雪期ピークハント/縦走
道北・利尻
ピッシリ山・蕗ノ台から往復
1986年11月22日(土) ~
1986年11月25日(火)
- GPS
- 80:00
- 距離
- 18.1km
- 登り
- 671m
- 下り
- 653m
コースタイム
11月22日蕗ノ台→C1
11月23日停滞C1=C2
11月24日停滞C2=C3ピッシリアタック引き返し
11月25日C3→蕗ノ台
11月23日停滞C1=C2
11月24日停滞C2=C3ピッシリアタック引き返し
11月25日C3→蕗ノ台
アクセス | |
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コース状況/ 危険箇所等 |
11月のおわり、道北冬メインパーティーの3度目の準備山行で、ピッシリをめざす。何より名前がいい。いかにも寒そうな名前。そして、天塩山地の最高峰だ。深川から名寄への国鉄深名線「朱鞠内」の駅で寝る。居酒屋も何もない小さな集落。夕暮れの人影少ない往来を軽トラックの移動商店「さざえさん」が通りを流していた。 翌朝、一番列車で「蕗ノ台」駅へ。この駅は凄い。駅の施設らしき物はなにもない。プラットフォームが雪に埋まっているので、大雪原のまんなかに汽車が停まるように見える。当然ながら、降りるのは僕たちだけだ。汽車の中でオーバーシューズをつけて完全武装する。停車して、汽車の戸が開いたら地吹雪、プラットフォームからラッセルだ。なんだか貨車の扉が開いたら、いきなり戦場という戦争映画をいつか見たなあ。 滝ノ沢川にそった緩やかな尾根を目指して西へ向かう。野を越え沢を越え続く林道のはて、大きなニレの木があるところから尾根に取り付き、もともと薄いタンネが無くなるところでテントを張る。低気圧の機嫌が悪い。 地吹雪と降雪の中、まる2日停滞して、翌日、あまり天気は良くないが最後のチャンスで出発。すぐに樹林帯を越えて意外に細い稜線をスキーでえっちら登る。雪と風が激しいのか、奇妙な雪稜が発達している。とうとう視界が無くなり風も我慢がならなくなったころ、主稜線にでた。この1025mのポコは熊が岳と呼ばれているそうだ。主稜線の先にはガスの切れ間に重量感のあるピッシリが見えた。まだ1時間はかかりそうだ。帰りの時間を考えると、これ以上の深追いはできない。ここを最高点として引き返す事に決めた。帰りの林道のほとんどはプー太郎が率先して1人でラッセルした。ふだん無口なプーさんの秘められた根性を見た。 蕗ノ台の駅はやはり雪に埋まっていたが、主尾良く見つけることができた。汽車が来るまで数時間、雪のプラットフォームではすることもない。やっと雪原のかなたに汽車が見えてきたときには、思わず一同手を振り上げた。この駅に汽車が停車するのも11月いっぱい。雪が解ける春までは乗り降りする者もいなくなる。朱鞠内湖は戦前、雨竜川をせき止めて造った人造湖。一帯の大森林は一見美しく、太古の時代そのままに見えるが、戦前の茶色い時代には強制労働についた大勢の国内外の犠牲者たちが埋められている不幸な土地なのである。そんな無理をして作った深名線も、今は僕たちのような客しか乗らないほどの赤字路線となっている。歴史の皮肉だ。 |
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秘境駅の日記書いたら、この記録を以前拝見したな〜と
思いだしてまたやってきました。
1990年より前だったと思いますが、
ドロドロの未舗装路でしたが、
バイクで朱鞠内湖の周りを一周してこの駅に行きました。
休止駅になっていたと思います。(1988年頃?)
蕗ノ台駅の木のプラットフォームに上がってみたのを
覚えています。駅舎は崩れていたか傾き始めていたか
覚えていないです。寂しい景色でした。
今はどうなっているかしらね・・・
このあと、蕗ノ台では冬季もヒッチで汽車が止まってくれるといううわさになり、後輩nezzrowが実際にやったら、運転手にものすごく怒られたそうです。
うわさというか、僕たちがヒッチで止めたということになっていたような。
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