太源太山〜仙ノ倉山〜谷川岳〜太源太山

山キチどん
その他1人 - GPS
- --:--
- 距離
- 55.5km
- 登り
- 4,613m
- 下り
- 5,574m
コースタイム
- 山行
- 6:01
- 休憩
- 1:14
- 合計
- 7:15
- 山行
- 9:04
- 休憩
- 1:03
- 合計
- 10:07
| 天候 | 1日目(9/22):晴れ 2日目(9/23):曇り後雨 3日目(9/24):ガス後晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2007年09月の天気図 |
| アクセス |
登山口:JR上越線後閑駅から関越交通バスで猿ヶ京温泉 下山口:旭原BSから南越後交通バスでJR上越線越後湯沢駅 |
| その他周辺情報 | 越後湯沢駅温泉ぽんしゅ館\800 |
写真
感想
1日目(9/22)
猿ヶ京温泉に一番早く入るには、高崎から上越線下り始発に乗るのがいい。そのためには金沢からの急行“能登号”が最適だ。直江津から高崎までは停車しないので、後閑まで折り返すことになる。後閑から乗ったバスは稲包岳に登ると言う男性と乗客は2人だけ。終点の一つ手前の猿ヶ京温泉(標高587m)で降り、温泉街への階段を登って登山口に到った。
昭文社地図では猿ヶ京スキー場跡地を経由しているが、地形図にある道で直接上ノ山を目指した。墓地の横から怪しげな踏み跡があるが、人が歩いている形跡はない。杉の植林帯で枝打ちされた小枝が散らばる中に以前は歩かれていたらしい洗掘が続いていた。辿って行くが軈てそれもなくなり、コンパス頼りに尾根を登った。標高850m付近でスキー場からの登山道と思われる踏み跡が合流し上ノ山(1,048m)へと続いていた。最も高い所に到ると、三角点のような標石が埋まっていた。国土地理院には登録がないので図根三角点か何かだったのだろうか。
展望もない樹林帯が続き大きくジグザグに斜面を登ると左手にピークが近づいてきた。鞍部の枝にテープがありどうやら唐沢山(1,243m)への分岐を示しているようだ。明瞭な踏み跡が続き5分足らずで山頂に到った。3等三角点「唐沢」があるが特に標識はなく展望もないので少し休憩して縦走路に戻った。道が西に向きを変え少し下ると大般若塚に到った。永井宿から上がってきた旧三国街道と法師温泉からの道と合流し歴史の古道となった。
その昔妖怪が旅人を脅かしたという。しかしこれは風雪のためこの地で命を落とした人々の霊がなせる業と分かり、冥福を祈り大般若と刻まれた石碑が建てられたと云う。またこの地は戊辰戦争の激戦地の跡でもあり、官軍と会津藩の別働隊が激突した所でもある。
旧三国街道は上州と越後を結ぶ要衝であっただけに道幅も広く、山肌を巻くように付けられ三国峠へと続いている。今では国道17号線が三国峠の直下を三国トンネルで抜け旅人は難儀から解放された。峠の直下になると流石に平坦道ではあり得ず、普通の山道になり傾斜が増した。群馬側の最奥の人里は新治村の法師温泉。法師ノ沢の谷間を登ってくる道が合流し峠に達した。
峠には御阪三社神社(三国権現)の一寸した社殿があり背後に三国山が鎮座している。峠の向うは新潟県湯沢町、2国の境でしかないのに“三国”というのも割り切れないが、標高は1,300mもあり、しかも豪雪地帯、昔の旅はさぞ難儀だったことだろう。記録によるとその昔囚人護送中の長岡藩士7人が雪崩にやられ全員犠牲になったと云う。
昼食を取っていると新潟側から峠に登ってくる軽装の人が2組、三国トンネルの入口付近に車を置いて登って来たと云う。手軽なハイキングで結構登られているようだ。西の稜線は長倉山、キワノ平ノ頭を通り稲包山に到る尾根への登山道がある。峠で待つこと30分、聞き覚えのある鈴の音が近づいてきた、F澤さんだ。私のバスには間に合わず東京から普通列車を乗り継ぎ法師温泉から登ってきた。無事合流することができて何よりだ。
三国山への道は殆ど階段、F澤さんは辛そうだが、階段1段飛ばしで常に歩いている私としては何の苦もない。草原の山で夏はニッコウキスゲのお花畑となるらしい。途中で巻き道が分岐するがそのまま山頂を目指した。三国山(1,636m)山頂には2等三角点「三国嶺」があり南側の展望が良い。上州の山々が素晴らしく左から上州武尊、皇海山(すかいさん)、赤城山、吾妻耶山(あづまやさん)、大峰山、子持山、榛名山、遠く草津白根山、白砂山まで180°の展望が広がる。
北への縦走路に踏み出し三国山北のピークに到ると谷川連峰の山、平標山、仙ノ倉山、エビス大黒ノ頭、万太郎山が大源太山(だいげんたやま)の向うに聳え迫ってくるようだ。中間点のP1597を越えると大源太山の登りとなる。コブのように張り出した三角山(1,685m)に達すると大源太山は近い。大源太山は縦走路から東に少し飛び出している。そしてその先に黒金山がありそこまで足を伸ばしたい。分岐にザックが一つ置かれていた。F澤さんはそんな先には興味がなく大源太山頂で待っているということになった。分岐でザックをデポして空身、急ぎ足で先行した。大源太の山頂直下で男性とすれ違った。分岐点に一つあったザックの主のようだ。長岡の住人で、後ほど小屋で再会することになった。
大源太山(1,764m)は3等三角点「耕地」があり山頂を確認しただけで通過し黒金山に急いだ。大源太東尾根上の山で800m先にある。防火帯のように広く刈払われ急ぎ足には持って来いだ。山頂から振り返ると大源太山が大きい。写真を撮って急ぎ引き返すとF澤さんは登頂し待っていた。今度は大源太からの眺めをゆっくり楽しんだ。平標・仙ノ倉の山頂を雲が取り巻いてきた。明日の天気を暗示するかのようだ。
大源太山の北西尾根を下ると平標の小屋泊まりで大源太をピストンすると云う男性2人が登ってきた。この先小さなピークを幾つか越えて進むと、平標山と仙ノ倉山の鞍部から発する谷、笹穴沢に何本もの滝が落ちるのが眺められた。流石に谷川連峰の谷は深い。平標山の家は苗場スキー場近くの元橋から登ってくる平元新道が合流する鞍部にある。丁度管理人がボッカして戻ったところだった。今年建て替わったばかりの新しい小屋で、ご夫婦で営業されている。南側には自炊用の避難小屋が併設されているが今日の宿泊者は7名ですべて本館泊まりだ。大源太ですれ違った長岡の小父さん、新発田の2人組、東京と京都の単独行、それに我々だ。夕食のとき新潟の人たちが持ってきた地酒(吉乃川、菊水)をご相伴に与り楽しいひと時を過ごすことができた。片付けが終わると管理人も加わり、歓談は消灯まで続いた。1泊夕食付き5,500円也。
2日目(9/23)
4時に起きた時は星が出ていたのに避難小屋で朝食を食べ出発する頃一挙にガスが出て稜線を包んでしまった。今日は長丁場なので仄々と明るくなり出した5:02、小屋を出発した。すぐに平標への登りが始まりよく整備され木製の階段が山頂まで続いている。高山植物が素晴らしく、花の百名山にも選定され初夏にはニッコウキスゲが斜面を埋めることだろう。このためか国道17号の元橋から日帰りで登る人も多い。ガスの中で視界は50m程度、平標山(1,984m)に到るが展望が利かず残念だ。
三国山から北上してきたが、此処からは進路を東に変え谷川岳に続く尾根を行く。仙ノ倉山(2,026m)はこの山域で唯一2,000mを超える。2等三角点「千倉山」があり“仙の倉山”と記された山頂標識がある。ガスの中を歩くのは詰らないものだ。エビス大黒ノ頭との鞍部にはエビス避難小屋がある。登山地図にはキャパ1〜2人と書かれている。シェルター状のささやかな小屋で本当に2人入ると窮屈そうだった。
エビス大黒ノ頭(1,888m)には鉄製の立派な山頂標識が建っている。ここからは谷川・平標尾根の最低鞍部である毛渡乗越(1,568m)まで下降する。鞍部では尾根南側の赤谷川を下る登山道を右側に分岐した。鞍部から標高差100m余り登り返すとこれも小さな越路避難小屋があった。キャパは7人とされているのでエビスよりはマシな程度。どんどん登って東俣ノ頭(1,870m)の北の肩を掠って万太郎山へと続く。ピークを取りたかったが天候が悪くしかも踏み跡もない笹藪なので断念した。
万太郎山は1,954m、3等三角点「万太郎」のあるどっしりした山、休憩していると小屋を50分後に出発した長岡の小父さんがもう追いついて来た。万太郎の北尾根吾策新道を下り土樽から上越線で帰るそうだ。幾分ガスが薄れ越後側はかなり遠くまで見通せるようになった。西の方を見ると仙ノ倉山は頭だけが雲の上に浮かんでいた。そして少し標高が下がると前方に大障子ノ頭への稜線が見えるようになってきた。大障子ノ頭を前にしてこれまでの行程を点検してみると、ほとんどコースタイムどおりの歩きしかできていない。全行程で1時間半の短縮を目指していたが、F澤さんはすでに一杯一杯歩いているのでこのままだと15時までに蓬峠に達するのは困難な情勢だ。20劼鯆兇┐觜堋はF澤さんにはキツイのは分かっていたが、そろそろ引導を渡すときが来たようだ。そして10:20大障子ノ頭(1,800m)に達したとき、非情にもパーティー解散を通告、F澤さんも半分そのつもりだったので独り肩ノ小屋で泊まることになった。
一人になり大障子ノ頭から下りだすと、纏わり付いていたガスが取れ、見通しが利くようになってきた。大障子避難小屋には2人の男性が休憩中で昨夜は7人泊まったとすれ違った人が言っていた。雨具を脱いでいるとF澤さんが追い付つき休憩せず「お先に」と追い越していった。小障子ノ頭(1,730m)を前に追いついて再び追い抜くと、それを最後に二人の間はどんどん離れオジカ沢ノ頭(1,890m)で全く見えなくなってしまった。またガスが出だした。最低鞍部の1,764mを過ぎると谷川温泉に至る中ゴー尾根が右に分岐した。傾斜が増してくると谷川岳核心部が近い。
肩ノ小屋は一時避難小屋になっていたが再び整備し最近営業小屋になった。そこには居るは居るは、百名山登山者がわんさと居る。この悪天候にも係わらずだ! F澤さんもこの一員になることだろう。谷川岳は双耳峰でトマノ耳(1,963m)とオキノ耳(1,977m)のピークがある。トマノ耳に3等三角点「薬師ヶ岳」があったが今は亡失してしまったようだ。縦走してきた身にとって山頂にいる彼らは別の人種みたいで挨拶の言葉もかからなかった。展望も無いのでこういう所は早く通過してしまいたい! そうは言っても流石は谷川岳。岩場が連続しそう早くは進めない。そして再び濃くなってきたガスはついに耐え切れず雨となってしまった。
再び雨具を着て一ノ倉岳(1,974m)に登った。この山の東は切れ立ち山屋なら一度は聞いたことがある一ノ倉沢、稜線上もそれなりに切れ立ち歩き甲斐がある。山頂には1等三角点「谷川富士」があり傍らには避難小屋があった。エビスと同様の小ささで緊急時の利用に留めたい。中では茂倉避難小屋で泊まるという男女3名が休憩中、どうぞと招じ入れられたが入れるような余地は無かった。
大したアップダウンも無く茂倉岳(1,978m)に達した。ここにも嘗て3等三角点「茂倉」が置かれていたが亡失している。山頂から真直ぐ西に下る茂倉新道と分かれて北上した。標高1,594mまで只管下降して笹平に到ると武能岳(ぶのうだけ1,760m)への登り返しとなった。最後の山だけに緊張が取れてきて辛い。この山域は崩壊の為か亡失した三角点が多い。ここ武能岳も3等三角点「日又」が失われていた。雨の中山頂で一息入れ蓬峠へと下って行った。土合から湯檜曽川の谷間を登ってきた道が右から合流すると蓬峠に到着した。黄色いドーム型の小屋、蓬ヒュッテが今夜の宿だ。チェックインすると予約をしていなかったことを叱られてしまった。一寸落ち込みながらも下着まで着替えてやっと落ち着くことができた。
今日の宿泊者は13人、狭い小屋は2層になっており1階は梁に頭をぶつけないように這いこまなければならない。2階は少し天井が高く居住性が良さそうだ。管理人の万年修二さんは昭和33年9月生まれの49歳、以前の偏屈管理人から引継ぎ独りで切り回している。雰囲気は格段に向上したのだろう。食材等は土樽からボッカし、水は小屋から20分ほど先の湧き水を汲んでくるという激務を続けているようだ。それでも1泊2食6,500円。東京・千葉から来た女性3人組と談笑し賑やかに楽しく過ごした。
3日目(9/24)
最終日の朝も濃いガスが立ち籠めている。雨は止んだようだが今日も雨具が必要だ。七ッ小屋山、大源太山を通り大源太キャニオン・旭原へと下山する予定だ。宿泊者の中で1番先に出発したが歩き出してすぐ清水峠の避難小屋に泊まった人達に次々とすれ違った。このルートは土合から白毛門、朝日岳、清水峠、蓬峠、茂倉岳、一ノ倉岳、谷川岳に到る「馬蹄形縦走」と称してよく歩かれている。
七ッ小屋山(1,675m)の先で清水峠への道と分かれ北の斜面を下った。今日の天気予報は関東が曇りで、新潟が晴れ、それを証明するかのように群馬県境を離れ新潟県の領域に入るとガスが切れだし、上越のマッターホルンと異名を持つ大源太山のピラミダルな山容が時折姿を現し始めた。初日に同名の山を登ったがこちらの大源太山の方が格段に美しい。その円錐形の山容を写真に収めようと暫く粘ると、一瞬サッとガスが切れた。此処ぞとばかりにシャッターを切った。
いよいよ大源太山(1,598m)の核心部の登りになった。この3日間で一番の難所であろう、鎖が連続し濡れた岩場をよじ登る。山頂に着く頃にはすっかりガスが取れ新潟側はずっと見通せるようになった。海の向うに見えるのは間違いなく佐渡ヶ島、金北山だ。弥彦山もすっきり見える。しかし南を振り返えると群馬県境の山は相変わらず厚い雲に覆われている。そしてすぐ近くにある巻機山も新潟県ながら山頂域を雲が覆っていた。
山頂でゆっくり時間を過ごし西の尾根を下り始めた。岩も乾きだし危険帯を脱し安全な稜線になると、登ってくる人と遭遇した。接近して話をすると地元の人で大源太山をピストンするそうだ。再び急坂になり樹林帯を下るが、これがズルズル滑る悪路で歩き辛い。標高850mで北沢を渡渉するがここまでに計10数人の日帰り登山者と出会った。渡渉点は結構水量があり、増水すると大変だろう。ロープが渡され今日は靴を濡らさずに渡渉することができた。暫く行くと蓬峠からシシゴヤノ頭を経由してくる短絡ルートが合流した。アルミ製の橋で大源太川を渡ると登山口の駐車場は近い。車の無い縦走者はまだ大源太林道を3.2勸宛兇泙琶發なければならない。調べてきたバスの時刻の30分前にバス停に到着することができた。
旭原からは南越後交通のバスで越後湯沢へ出て、駅の中の「ぽんしゅ館」の温泉で汗を流した。温泉を出てすぐ隣にある利酒コーナーはお勧め。新潟の地酒がずらりと並んでいる。500円出すとコイン5枚とお猪口を一つくれる。気に入った酒のマシンにコインを入れ、お猪口を置いてボタンを押すとお酒が注がれるシステムだ。昼食を済ませほくほく線の特急はくたか号で富山に出てサンダーバードはグリーン車を奮発して優雅に寛いで帰京した。その後F澤さんは肩ノ小屋で泊まり私が前日通った縦走路を蓬峠まで北上し土樽へと下り上越線の普通で東京に帰ったと云う。
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