大迫港の岸壁に車を置きます。
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12/27 10:21
大迫港の岸壁に車を置きます。
亀ヶ首へは舗装された道路が続いています。
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12/27 10:25
亀ヶ首へは舗装された道路が続いています。
亀ヶ首の高台より大迫港。
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12/27 10:30
亀ヶ首の高台より大迫港。
電柱のある舗装路が続きます。
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12/27 10:38
電柱のある舗装路が続きます。
書籍に従って西試射場のほうに降りたあたり、旧軍の貯水槽があります。
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12/27 10:57
書籍に従って西試射場のほうに降りたあたり、旧軍の貯水槽があります。
西試射場は現在民家と畑が広がり、ゲートが施されて入ることはできません。
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12/27 10:57
西試射場は現在民家と畑が広がり、ゲートが施されて入ることはできません。
googleマップに示された迂回路の入り口です。
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12/27 11:18
googleマップに示された迂回路の入り口です。
迂回路は極めて状態が悪いですが写真はまだ序の口です、この先、木々や笹竹で道が埋まり、写真を撮っている余裕がありませんでした。
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12/27 11:24
迂回路は極めて状態が悪いですが写真はまだ序の口です、この先、木々や笹竹で道が埋まり、写真を撮っている余裕がありませんでした。
東試射場へと至るトンネル中央部の水位は結構深いです。踏み外すと長靴でも浸水しそうです。
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12/27 12:12
東試射場へと至るトンネル中央部の水位は結構深いです。踏み外すと長靴でも浸水しそうです。
トンネルを出たあたりにある東試射場の貯水槽。海から船で水を運んできたそうです。
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12/27 12:16
トンネルを出たあたりにある東試射場の貯水槽。海から船で水を運んできたそうです。
慰霊碑は現在もお参りする人がいるらしく、きれいに保たれています。
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12/27 12:19
慰霊碑は現在もお参りする人がいるらしく、きれいに保たれています。
大和や陸奥の主砲を陸揚げした桟橋。2つの桟橋を跨いでガントリークレーンが設置され、船から直接陸揚げした。
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12/27 12:24
大和や陸奥の主砲を陸揚げした桟橋。2つの桟橋を跨いでガントリークレーンが設置され、船から直接陸揚げした。
2600トンの大和型主砲を陸揚げした桟橋は頑丈にできており、今でも安心して歩くことができる。
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12/27 12:28
2600トンの大和型主砲を陸揚げした桟橋は頑丈にできており、今でも安心して歩くことができる。
桟橋の先から、やってきた方向を振り返ると海軍時代に整備された岸壁が続く。
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12/27 12:32
桟橋の先から、やってきた方向を振り返ると海軍時代に整備された岸壁が続く。
その先にポッカリと口を開けるのは通ってきたトンネル。
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12/27 12:32
その先にポッカリと口を開けるのは通ってきたトンネル。
南側桟橋。当時のガントリーのレールに沿ってくぼみがあるのがわかる。
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12/27 12:32
南側桟橋。当時のガントリーのレールに沿ってくぼみがあるのがわかる。
桟橋中央部は大発動艇の揚陸にも対応した石段が下がっている。
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12/27 12:34
桟橋中央部は大発動艇の揚陸にも対応した石段が下がっている。
岸壁上に残されている鎖。ただの鎖だが戦前のものだと思うと感慨深い。
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12/27 12:34
岸壁上に残されている鎖。ただの鎖だが戦前のものだと思うと感慨深い。
北側桟橋も同様にガントリーのレールの跡がくぼみとなって残っている。
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12/27 12:36
北側桟橋も同様にガントリーのレールの跡がくぼみとなって残っている。
桟橋の北側は砂浜になっていてのどかな風景が広がっている。
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12/27 12:45
桟橋の北側は砂浜になっていてのどかな風景が広がっている。
同行者がドローンによる空撮にトライする。
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12/27 12:55
同行者がドローンによる空撮にトライする。
46cm砲などの大口径砲の試射はこの茂みの奥にあるポイントから、愛媛県の喜多灘に向けて発射された。その間、約53km。射線上の島々には観測所が設けられて着弾状況を観測した。その中にはDASH島で有名な由利島も含まれている。
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12/27 13:37
46cm砲などの大口径砲の試射はこの茂みの奥にあるポイントから、愛媛県の喜多灘に向けて発射された。その間、約53km。射線上の島々には観測所が設けられて着弾状況を観測した。その中にはDASH島で有名な由利島も含まれている。
岸壁から陸揚げ桟橋を望む。
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12/27 13:27
岸壁から陸揚げ桟橋を望む。
岸壁をアップにて。なかなか面白い写真になった。
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12/27 13:47
岸壁をアップにて。なかなか面白い写真になった。
謎の穴…一体何に使われたものか…
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12/27 13:47
謎の穴…一体何に使われたものか…
射場の爆風を止めるために作られた土塁。現在では草木が生い茂り、ハッキリとした形がわからない。土塁の手前にある弾庫や火薬庫から射場へ弾薬を運搬するためのトロッコ用トンネルがあるらしいが、草木が埋もれて存在がわからない。
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12/27 13:47
射場の爆風を止めるために作られた土塁。現在では草木が生い茂り、ハッキリとした形がわからない。土塁の手前にある弾庫や火薬庫から射場へ弾薬を運搬するためのトロッコ用トンネルがあるらしいが、草木が埋もれて存在がわからない。
沖合は牡蠣いかだが並び、のどかな風景。ここは陸路ではなく船で訪れるべき土地だなぁと実感する。
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12/27 13:48
沖合は牡蠣いかだが並び、のどかな風景。ここは陸路ではなく船で訪れるべき土地だなぁと実感する。
慰霊碑から山側に進むと烹炊所跡がある。立派なコンクリート製建造物。
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12/27 13:50
慰霊碑から山側に進むと烹炊所跡がある。立派なコンクリート製建造物。
内部は結構広い印象を受けるが、ここにテーブルや調理場などがあったことを考えると、当時はこじんまりとしたカフェテリアみたいなスペースだったのかもしれない。
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12/27 13:51
内部は結構広い印象を受けるが、ここにテーブルや調理場などがあったことを考えると、当時はこじんまりとしたカフェテリアみたいなスペースだったのかもしれない。
入って一番奥が、かまどと思われる炊事場スペース。その手前には仕切りの跡があり、今現在の食堂みたく奥の厨房からカウンター越しに料理を出していたのではないかと推察する。
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12/27 13:52
入って一番奥が、かまどと思われる炊事場スペース。その手前には仕切りの跡があり、今現在の食堂みたく奥の厨房からカウンター越しに料理を出していたのではないかと推察する。
年代物の一升瓶と廃墟の風景は妙に似合う。
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12/27 13:53
年代物の一升瓶と廃墟の風景は妙に似合う。
烹炊所の建具。とても豪華な窓であったことが想像できる。
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12/27 13:53
烹炊所の建具。とても豪華な窓であったことが想像できる。
昔は遠足などで気軽に訪れることもできたのだろうか…戦後に記された落書きが多くの人がこの場所を訪れたことを物語っている。
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12/27 13:54
昔は遠足などで気軽に訪れることもできたのだろうか…戦後に記された落書きが多くの人がこの場所を訪れたことを物語っている。
烹炊所裏にある貯水槽。炊事用に使ったものだろうか?
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12/27 13:55
烹炊所裏にある貯水槽。炊事用に使ったものだろうか?
烹炊所を出て奥に進むと当時の井戸がある。海から水を運んだという話もあるが、最低限の飲み水は井戸から確保できたものと思われる。
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12/27 13:57
烹炊所を出て奥に進むと当時の井戸がある。海から水を運んだという話もあるが、最低限の飲み水は井戸から確保できたものと思われる。
井戸すぐ近くにあるレンガ作りの事務室。
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12/27 13:57
井戸すぐ近くにあるレンガ作りの事務室。
事務室の内部。レンガ壁の内側は漆喰?で塗られている。
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12/27 13:58
事務室の内部。レンガ壁の内側は漆喰?で塗られている。
事務所の奥には別なレンガ造りの建物が建っている。測定室と呼ばれているが、最奥にある音響測定室の観測機材を保管した倉庫のように使われていたの記録がある。
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12/27 14:02
事務所の奥には別なレンガ造りの建物が建っている。測定室と呼ばれているが、最奥にある音響測定室の観測機材を保管した倉庫のように使われていたの記録がある。
レンガ造測定室の外から内側を望む。木々か生い茂りどちらが内か外かわからない。
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12/27 14:00
レンガ造測定室の外から内側を望む。木々か生い茂りどちらが内か外かわからない。
レンガ造測定室。どういう構造になっていたのか、よくわからないが、2部屋に仕切られていたようだ。
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12/27 14:01
レンガ造測定室。どういう構造になっていたのか、よくわからないが、2部屋に仕切られていたようだ。
レンガ造測定室の換気口と思しき穴に当時の木製建具が残っている。
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12/27 14:06
レンガ造測定室の換気口と思しき穴に当時の木製建具が残っている。
内側からも換気口の建具が確認できる。
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12/27 13:22
内側からも換気口の建具が確認できる。
音響測定室。山に洞窟状に掘られたトンネルに二重構造を施された頑丈な建造物。
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12/27 14:05
音響測定室。山に洞窟状に掘られたトンネルに二重構造を施された頑丈な建造物。
鉄筋コンクリート製の支柱に内壁が支えられている。人が通れるほどの隙間が空いているが頑丈そのもの。連合軍に爆破されて前方は吹き飛んだものの、トンネル内部は生き残ったようだ。
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12/27 13:20
鉄筋コンクリート製の支柱に内壁が支えられている。人が通れるほどの隙間が空いているが頑丈そのもの。連合軍に爆破されて前方は吹き飛んだものの、トンネル内部は生き残ったようだ。
内部はよくわからないブロック状の石が何個も転がっている。何かの土台だったのかしら?
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12/27 13:20
内部はよくわからないブロック状の石が何個も転がっている。何かの土台だったのかしら?
烹炊所近くで昔の瀬戸物を見つけたので物色。TOKYOと書かれた双発機…いつの時代のものだろう。
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12/27 14:10
烹炊所近くで昔の瀬戸物を見つけたので物色。TOKYOと書かれた双発機…いつの時代のものだろう。
おみき茶屋と書かれたおちょこ。
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12/27 14:11
おみき茶屋と書かれたおちょこ。
最初プラスチックボトルかと思ったが、陶器のボトル。ねじが切ってあり、ものすごく手がこんでいる。
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12/27 14:11
最初プラスチックボトルかと思ったが、陶器のボトル。ねじが切ってあり、ものすごく手がこんでいる。
MADE IN JAPANと書かれたコーヒーカップ。字体がとても古そう。
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12/27 14:12
MADE IN JAPANと書かれたコーヒーカップ。字体がとても古そう。
ウサギの模様や金箔をあしらった昭和っぽいデザインの器の蓋。
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12/27 14:14
ウサギの模様や金箔をあしらった昭和っぽいデザインの器の蓋。
一通り探索を終え、トンネルを通って帰ります。
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12/27 14:19
一通り探索を終え、トンネルを通って帰ります。
トンネルを出たあたりの海岸線にも何等かのコンクリートの残骸が転がっている。
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12/27 14:22
トンネルを出たあたりの海岸線にも何等かのコンクリートの残骸が転がっている。
帰りは開削された迂回路の様子を写真に撮りながらすすみます。写真は海岸近くの番屋のような建物。屋号が入ったコンテナが多数並んでいます。
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12/27 14:26
帰りは開削された迂回路の様子を写真に撮りながらすすみます。写真は海岸近くの番屋のような建物。屋号が入ったコンテナが多数並んでいます。
廃屋のそばには冷蔵庫やイノシシ捕獲の仕掛けなど戦後の遺構が残っています。
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12/27 14:26
廃屋のそばには冷蔵庫やイノシシ捕獲の仕掛けなど戦後の遺構が残っています。
だいぶ戻ってきました。
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12/27 14:41
だいぶ戻ってきました。
迂回路の分岐点にある電柱。トライされる方は、これを頼りに迂回路に入ってください。
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12/27 14:45
迂回路の分岐点にある電柱。トライされる方は、これを頼りに迂回路に入ってください。
西試射場へのルートは私有地入るなとの文字が…ここを降りると先ほどの民家と、西試射場の貯水槽の場所に出ます。地主さんが御立腹で閉鎖的になっておられるようですので、ここを進むのはお勧めしません。
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12/27 14:54
西試射場へのルートは私有地入るなとの文字が…ここを降りると先ほどの民家と、西試射場の貯水槽の場所に出ます。地主さんが御立腹で閉鎖的になっておられるようですので、ここを進むのはお勧めしません。
無事に帰ってきて大迫港を見下ろします。
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12/27 15:00
無事に帰ってきて大迫港を見下ろします。
昔のブログなどを見ると、ここに海軍基地の案内板が建っていたようですが、今でははがされて何も残っていません。
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12/27 15:06
昔のブログなどを見ると、ここに海軍基地の案内板が建っていたようですが、今でははがされて何も残っていません。
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