長岡での縄文研究:水道公園~千秋が原ふるさとの森~長岡花火ミュージアム~馬高遺跡~馬高縄文館~新潟県立歴史博物館

なほりん
その他1人 - GPS
- 09:01
- 距離
- 15.4km
- 登り
- 81m
- 下り
- 8m
コースタイム
| 天候 | 晴れ ほぼ無風 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年11月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
新幹線:東京6:08-7:47長岡 帰り バス:博物館前16:52-17:33 新幹線:長岡17:48-19:11大宮 |
写真
ウルシは、
①水漏れを防ぐ
②丈夫になる
③赤と黒の紋様をつけられる
④接着剤になる
という利点がある。
ただし、ウルシを利用するには高度な技術を要する。
感想
全国各地の縄文遺跡や博物館を巡っていますが、今回は友達を誘って新潟県長岡市の馬高遺跡に行き、「火焔土器」について学んできました。
馬高遺跡は、火焔土器を出土した県内最大級の縄文中期の集落趾です。
岡本太郎は、この土器を見て『なんだ、コレは‼️』と叫んだのは有名な話。
▶︎馬高遺跡の地理的特徴
馬高遺跡は、広大な信濃川から少し離れた河岸段丘上にあります。
これは、川の恩恵を受けつつも、洪水を避けられるという、縄文人にとって理想的な不動産条件だったのです。
▶︎火焔土器は祭祀のための象徴だった
だから、魚も取れる、ナッツも取れる、水も安全、洪水は来ない、敵も来にくいという好立地。
そのため、縄文人は次々とここに移り住み、信濃川流域で最大級の集落を形成しました。
爆発的な人口増加とともに祭祀が必要となり、そのため、祭祀用の土器として火焔土器が生まれたと考えられています。
▶︎縄文土器には強い地域性がある
「火焔土器」は、縄文中期における新潟県特有のものですが、その他の地域では、例えば、信州(長野)の「顔面把手土器」のように、祭祀に使われる土器は、場所によって形や表現方法が全く異なります。
縄文中期におけるド派手な祭祀用土器は、日本列島の至る所で見つかっていますが、その表現方法は地域によって完全に別物であるというところが大変面白い点です。
▶︎祈りの対象によって土器の造形も変わる
火焔土器は、火や水や植物といった自然エネルギーの動きを“炎、渦巻、突起"で表現したものであるのに対し、
顔面把手土器は、祖霊・守護霊・精霊という霊的存在への祈りを"顔”で表現しています。
このように同じ祭祀であっても「何に対して祈るのか」で土器の造形も大きく異なるのです。
▶︎統一宗教を持たないから形の多様性が生まれた
縄文時代は、現代のように、神社や経典のある統一宗教は存在しなかったため、集落ごとに異なる精神世界や儀礼体系を持ち、大切にしていました。
そのため、統一された祭器の形は存在せず、各地で独自の祭祀具が作られた結果、形の多様性が生まれたのでしょう。
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