近畿
虚空蔵堂(こくぞうどう)
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最終更新:bykin
基本情報
標高 | 370m |
---|---|
場所 | 北緯34度58分46秒, 東経135度08分30秒 |
虚空蔵寺(堂)
寺伝によれば聖徳太子が鏑射寺を建てられた後、夢のお告げにより西北の聖峰岩辻山の山麓にもう一宇建立され、そこへ虚空蔵菩薩尊像を安置されたことに始まるとされる。
創建当時は七堂伽藍があったとされ、天正三年(1573)には摂丹播三国の城主らが寺側の再建勧進に応じ荒廃した諸堂を旧態に復したが、堂七年丹波の波多野氏攻略に兵を進めた明智光秀の軍勢により焼亡した。ついで慶長八年(1603)、村人の協力により本堂、鐘楼、仁王門などが再び建立されたが、近世以降に寺領の没収や廃仏毀釈などで次第に衰微、虚空蔵堂(本堂)を残すのみとなった。
<現地の解説板より抜粋>
寺伝によれば聖徳太子が鏑射寺を建てられた後、夢のお告げにより西北の聖峰岩辻山の山麓にもう一宇建立され、そこへ虚空蔵菩薩尊像を安置されたことに始まるとされる。
創建当時は七堂伽藍があったとされ、天正三年(1573)には摂丹播三国の城主らが寺側の再建勧進に応じ荒廃した諸堂を旧態に復したが、堂七年丹波の波多野氏攻略に兵を進めた明智光秀の軍勢により焼亡した。ついで慶長八年(1603)、村人の協力により本堂、鐘楼、仁王門などが再び建立されたが、近世以降に寺領の没収や廃仏毀釈などで次第に衰微、虚空蔵堂(本堂)を残すのみとなった。
<現地の解説板より抜粋>
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