甲信越
しらば避難小屋(しらばひなんごや)

最終更新:へろぞー
基本情報
標高 | 800m |
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場所 | 北緯37度17分02秒, 東経138度28分45秒 |
江戸初期から中期にわたり、この場所は「四方尸羅場(しほうしらば)」と言われ女人堂が建てられていた。この先は薬師如来の聖域であり、女性は之を以て頂きへ登る事が禁じられており、此処で薬師様を参拝し、山頂に向かって「黒護符(くろごふ)」と「当帰(とうき)」を授かって来る男衆を待って居た。
庶民は「おんなしらば」(女性は是より上は結界の地)と呼び、祠は間口二間奥行き一間位、薬師に由来ある仏が祀られていたが、明治5年「太政官布令」により女性のタブーが解かれる。
「しらば避難小屋」は登山者の安全確保を目的として一九六八年(昭和43年)秋に建設。その後、柿崎山岳会・上越市などにより補修が行われ、現在に至る。
庶民は「おんなしらば」(女性は是より上は結界の地)と呼び、祠は間口二間奥行き一間位、薬師に由来ある仏が祀られていたが、明治5年「太政官布令」により女性のタブーが解かれる。
「しらば避難小屋」は登山者の安全確保を目的として一九六八年(昭和43年)秋に建設。その後、柿崎山岳会・上越市などにより補修が行われ、現在に至る。
山小屋 | 避難小屋。広さは2畳ほど。 |
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