東海
旧東又集落跡(きゅうひがしまたしゅうらくあと)
愛知県
最終更新:イグルスキー米山
基本情報
標高 | 850m |
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場所 | 北緯35度12分09秒, 東経137度47分27秒 |
東又峠から下り大谷への途上にあった集落跡。国土地理院地形図の破線ではなく、道はその西のゆるい尾根を通る。東又集落はこの尾根の地すべり地形の上。
信濃側坂部から三河側大谷への国境。このルートは中世から戦国期まで使われた、諏訪〜秋葉街道〜遠山から平岡付近で天竜川を右岸へ渡渉しこの峠を超え、霧石峠を越えて坂宇場経由で三河の平野部へ抜けた。武田信玄の三河侵攻ルートと思われる。
江戸期にはいり、飯田が栄えたため、遠山からは小川路峠から飯田に抜けるようになり、飯田から飯田街道、伊那街道が栄、こちらは廃れた。
信濃側坂部から三河側大谷への国境。このルートは中世から戦国期まで使われた、諏訪〜秋葉街道〜遠山から平岡付近で天竜川を右岸へ渡渉しこの峠を超え、霧石峠を越えて坂宇場経由で三河の平野部へ抜けた。武田信玄の三河侵攻ルートと思われる。
江戸期にはいり、飯田が栄えたため、遠山からは小川路峠から飯田に抜けるようになり、飯田から飯田街道、伊那街道が栄、こちらは廃れた。
展望ポイント |
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