芦別・夕張
1415m峰 / ニレシ岳、天狗岩(三角点名)、夕張マッターホルン、シューパロ天狗岳
北海道
最終更新:kenn
基本情報
標高 | 1415m |
---|---|
場所 | 北緯43度10分10秒, 東経142度15分14秒 |
晴れた日には札幌からもよく見える、芦別と夕張の中間にある鋭峰。夕張マッターホルンとも呼ばれる。
--以下、あまいものこ『甘藷岳山荘』から引用--
https://amaimonoko.at-ninja.jp/h-mtdata/yubari/1415.htm
明治24年発行予定だったと思われる参謀本部陸地測量部による輯製20万図の内の「夕張嶽」の図幅にはアシベツ岳と夕張嶽の中間に「ニレシ岳」という山名が記されている。
富良野盆地から見ると 1415m峰は鉢盛山に遮られて目立たないが、日高山脈北部や石狩平野中南部から夕張山地を見ると、扁平な鉢盛山はほとんど目立たず、一見、夕張山地というのが芦別岳と1415m峰と夕張岳の三山だけでなりたっているように見えることから、「ニレシ岳」の名は夕張マッターホルンに付された山名と考えて間違いないと思う。
「ニレシ」がカタカナであることからアイヌ語由来かと思われるが、「ニレシ」そのままでは辞典類に項が無く意味がわからない。萱野茂のアイヌ語辞典に「ニルシ(シは小文字)」で「牙・犬歯・歯茎」と言う意味があった。アイヌ語千歳方言辞典にも「ニルシ・・・歯茎」と言う項がある。ニレシが「牙」・「犬歯」の意味なら夕張マッターホルンの形状に合致している。
アイヌ語沙流方言辞典には、nirusに「しかめ面・恐い顔」と言う訳があった。「牙」から「恐い顔」が派生したか、逆に「牙」の意味から「恐い顔」が派生したか、方向はわからないが同根の言葉だと思われる。
しかし地図に書かれているのはニルシではなくニレシである。ニルシ岳と聞き取られたのに地図に清書される際に、ルの字の左半分がメモから見落とされたことは無かったかなどと考えてみる。輯製20万図と明治23年頃の「北海道実測切図」(以下通称、道庁20万図)を見比べると、「チ」と「ケ」、「ラ」と「ヲ」が入れ替わっていたりするような記載ミスと思われる事例には事欠かない。
道庁20万図にはニレシ岳の山名記載は無いが、1415m峰の存在自体は輯製20万図より明確に認識されていたようで、河川の水源がかなり誤っているものの、アシベツ岳と夕張嶽の間の現在の地図とほぼ同じ位置、両岳のほぼ中間、主稜線からほんの少し西に飛び出た位置に尖峰を成している等高線の同心円が描かれている。
輯製20万図の中の「ニレシ岳」の字とて、今日まで北海道の地名を調査・解釈し、出版してきた多くの先人の目にも留まっているはずなのに、自分にとって、この復刻版の地図を自分の目で見るまで全く聞いたことも見たこともなかったというのは腑に落ちなかった。
柏書房の輯製20万図の復刻版の付録である清水靖夫による「輯製20万分1図-わが国地図作成史上からみた-」によると、この地図の北海道エリアは作られたものの発行されたとする形跡がなく、一般には販売されなかったと見られるとのことで、それゆえにこの地図にある山名「ニレシ岳」が今まで他の文献に現れず、北海道登山勃興期の人々に検討されていなかった理由かもしれないと考えてみたりする。1983年復刻と言うことでアイヌ語地名研究者の間では既に「ニレシ岳」の名前自体は知られている様であるが、1415m峰と関連づけられてはいないようだ。
ただし
★専門家(浜田隆史氏「オタルナイ・レコード」)に御意見を伺ってみた
ニレシ=nirus がなまった、、説に専門家のご意見を伺ってみた。いただいたご意見を自分なりにまとめると、
ニレシであった場合、そういう言葉自体がない。音韻法則、和人の聞き取り傾向でも nirus をはじめとして、日本語の音として「ニレシ」という音になりそうなアイヌ語の例は、「ニ」で始まるアイヌ語を一通り当たってみたが、あまり考えられない。
仮に nirus =ニルシだったのに写し損じられてニレシになったとしても、アイヌの地名命名感覚からして山に「牙」そのものの言葉を呼び名として付けるのは考えにくい。何かが前後で省略されていると言う仮定はあるかもしれないが。
前項のニルシが書き損じられてニレシになったと言う考え方は、気持ちとしてはわかるが「ニレシ岳」と、そう言う字で書かれている事実を尊重すべきで、浜田氏としてもニレシが何を意味しているのはわからないが、拙速にニルシという音に似ているという点に飛びつかず、ニレシという音から考察すべきである。書き間違いなどに頼るのは最後の最後の手段である。
とのこと。更に考えたい。
--以下、あまいものこ『甘藷岳山荘』から引用--
https://amaimonoko.at-ninja.jp/h-mtdata/yubari/1415.htm
明治24年発行予定だったと思われる参謀本部陸地測量部による輯製20万図の内の「夕張嶽」の図幅にはアシベツ岳と夕張嶽の中間に「ニレシ岳」という山名が記されている。
富良野盆地から見ると 1415m峰は鉢盛山に遮られて目立たないが、日高山脈北部や石狩平野中南部から夕張山地を見ると、扁平な鉢盛山はほとんど目立たず、一見、夕張山地というのが芦別岳と1415m峰と夕張岳の三山だけでなりたっているように見えることから、「ニレシ岳」の名は夕張マッターホルンに付された山名と考えて間違いないと思う。
「ニレシ」がカタカナであることからアイヌ語由来かと思われるが、「ニレシ」そのままでは辞典類に項が無く意味がわからない。萱野茂のアイヌ語辞典に「ニルシ(シは小文字)」で「牙・犬歯・歯茎」と言う意味があった。アイヌ語千歳方言辞典にも「ニルシ・・・歯茎」と言う項がある。ニレシが「牙」・「犬歯」の意味なら夕張マッターホルンの形状に合致している。
アイヌ語沙流方言辞典には、nirusに「しかめ面・恐い顔」と言う訳があった。「牙」から「恐い顔」が派生したか、逆に「牙」の意味から「恐い顔」が派生したか、方向はわからないが同根の言葉だと思われる。
しかし地図に書かれているのはニルシではなくニレシである。ニルシ岳と聞き取られたのに地図に清書される際に、ルの字の左半分がメモから見落とされたことは無かったかなどと考えてみる。輯製20万図と明治23年頃の「北海道実測切図」(以下通称、道庁20万図)を見比べると、「チ」と「ケ」、「ラ」と「ヲ」が入れ替わっていたりするような記載ミスと思われる事例には事欠かない。
道庁20万図にはニレシ岳の山名記載は無いが、1415m峰の存在自体は輯製20万図より明確に認識されていたようで、河川の水源がかなり誤っているものの、アシベツ岳と夕張嶽の間の現在の地図とほぼ同じ位置、両岳のほぼ中間、主稜線からほんの少し西に飛び出た位置に尖峰を成している等高線の同心円が描かれている。
輯製20万図の中の「ニレシ岳」の字とて、今日まで北海道の地名を調査・解釈し、出版してきた多くの先人の目にも留まっているはずなのに、自分にとって、この復刻版の地図を自分の目で見るまで全く聞いたことも見たこともなかったというのは腑に落ちなかった。
柏書房の輯製20万図の復刻版の付録である清水靖夫による「輯製20万分1図-わが国地図作成史上からみた-」によると、この地図の北海道エリアは作られたものの発行されたとする形跡がなく、一般には販売されなかったと見られるとのことで、それゆえにこの地図にある山名「ニレシ岳」が今まで他の文献に現れず、北海道登山勃興期の人々に検討されていなかった理由かもしれないと考えてみたりする。1983年復刻と言うことでアイヌ語地名研究者の間では既に「ニレシ岳」の名前自体は知られている様であるが、1415m峰と関連づけられてはいないようだ。
ただし
★専門家(浜田隆史氏「オタルナイ・レコード」)に御意見を伺ってみた
ニレシ=nirus がなまった、、説に専門家のご意見を伺ってみた。いただいたご意見を自分なりにまとめると、
ニレシであった場合、そういう言葉自体がない。音韻法則、和人の聞き取り傾向でも nirus をはじめとして、日本語の音として「ニレシ」という音になりそうなアイヌ語の例は、「ニ」で始まるアイヌ語を一通り当たってみたが、あまり考えられない。
仮に nirus =ニルシだったのに写し損じられてニレシになったとしても、アイヌの地名命名感覚からして山に「牙」そのものの言葉を呼び名として付けるのは考えにくい。何かが前後で省略されていると言う仮定はあるかもしれないが。
前項のニルシが書き損じられてニレシになったと言う考え方は、気持ちとしてはわかるが「ニレシ岳」と、そう言う字で書かれている事実を尊重すべきで、浜田氏としてもニレシが何を意味しているのはわからないが、拙速にニルシという音に似ているという点に飛びつかず、ニレシという音から考察すべきである。書き間違いなどに頼るのは最後の最後の手段である。
とのこと。更に考えたい。
山頂 | |
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