日高山脈
ホイナシリチャシ跡
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最終更新:翔亀
基本情報
場所 | 北緯42度19分41秒, 東経142度22分14秒 |
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史跡シベチャリ川流域チャシ跡群のひとつ。
史跡シベチャリ川流域チャシ跡群及びアッペツチャシ跡は、シャクシャインの戦いに関連するもの、あるいは関連すると思われるもので、北海道における中・近世の歴史、アイヌ社会を知る上で重要であることから、平成9(1997)年12月2日に、国の史跡に指定されました。
史跡は、新ひだか町の区域に属するシベチャリ川流域チャシ跡群(具体的には、シベチャリチャシ跡、ホイナシリチャシ跡、メナチャシ跡、オチリシチャシ跡、ルイオピラチャシ跡)と、日高町の区域に属するアッペツチャシ跡からなります。
これらは、シャクシャインの戦いを伝える幕府や松前藩、弘前藩などの記録から、戦いの中心人物であるカモクタインやシャクシャイン、オニビシらの「館」・「居所」・「城」・「ちやうし」・「要害」と、戦いの局面に登場する和人の金掘(かなほり)(この場合は砂金)の「小屋」・「やしき」と考えられています。
なお、シベチャリチャシ跡とホイナシリチャシ跡がシャクシャイン方のもの、メナチャシ跡、オチリシチャシ跡、アッペツチャシ跡がオニビシ方のもの、とされています。また、ルイオピラチャシ跡については、戦いとの関連を伝える記録がありませんが、同時代のものと推測されています。
新ひだか町HP
https://www.shinhidaka-hokkaido.jp/hotnews/detail/00005090.html
史跡シベチャリ川流域チャシ跡群及びアッペツチャシ跡は、シャクシャインの戦いに関連するもの、あるいは関連すると思われるもので、北海道における中・近世の歴史、アイヌ社会を知る上で重要であることから、平成9(1997)年12月2日に、国の史跡に指定されました。
史跡は、新ひだか町の区域に属するシベチャリ川流域チャシ跡群(具体的には、シベチャリチャシ跡、ホイナシリチャシ跡、メナチャシ跡、オチリシチャシ跡、ルイオピラチャシ跡)と、日高町の区域に属するアッペツチャシ跡からなります。
これらは、シャクシャインの戦いを伝える幕府や松前藩、弘前藩などの記録から、戦いの中心人物であるカモクタインやシャクシャイン、オニビシらの「館」・「居所」・「城」・「ちやうし」・「要害」と、戦いの局面に登場する和人の金掘(かなほり)(この場合は砂金)の「小屋」・「やしき」と考えられています。
なお、シベチャリチャシ跡とホイナシリチャシ跡がシャクシャイン方のもの、メナチャシ跡、オチリシチャシ跡、アッペツチャシ跡がオニビシ方のもの、とされています。また、ルイオピラチャシ跡については、戦いとの関連を伝える記録がありませんが、同時代のものと推測されています。
新ひだか町HP
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展望ポイント |
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