東北
最終更新:翔亀
基本情報
場所 | 北緯41度15分23秒, 東経141度08分28秒 |
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北洋館は、大湊地方隊の史料館で、広く一般に公開されております。
展示室は、海軍・自衛隊室、歴史室に区分されており、明治35年の帝国海軍大湊水雷団開庁から現在までの、「北方の海上防衛」をテーマとした、貴重な史料約1000点を展示しております。
使用している建物は、大正5年に海軍大湊要港部の水交支社(海軍士官の社交場)として建てられたもので、外装は釜臥山から採石された安山岩を用いた、当時としては珍しい洋風の由緒ある建物です。この建物は、昭和54年に日本建築学会から大正・昭和期の名建築620件の一つとして、全国2万件候補建築から選ばれております。
この由緒ある建物と全国から集まった貴重な資料を将来まで保存し、日本のために日夜訓練に励んでいる海上自衛隊員が我が国の歴史を学び、先人の偉業をしのび、輝かしい伝統を継承することにより、一層立派な隊風を育成することを目的として昭和56年5月9日に開館しました。
海上自衛隊大湊地方隊のホームページより
https://www.mod.go.jp/msdf/oominato/info/kengaku/hokuyo.html
展示室は、海軍・自衛隊室、歴史室に区分されており、明治35年の帝国海軍大湊水雷団開庁から現在までの、「北方の海上防衛」をテーマとした、貴重な史料約1000点を展示しております。
使用している建物は、大正5年に海軍大湊要港部の水交支社(海軍士官の社交場)として建てられたもので、外装は釜臥山から採石された安山岩を用いた、当時としては珍しい洋風の由緒ある建物です。この建物は、昭和54年に日本建築学会から大正・昭和期の名建築620件の一つとして、全国2万件候補建築から選ばれております。
この由緒ある建物と全国から集まった貴重な資料を将来まで保存し、日本のために日夜訓練に励んでいる海上自衛隊員が我が国の歴史を学び、先人の偉業をしのび、輝かしい伝統を継承することにより、一層立派な隊風を育成することを目的として昭和56年5月9日に開館しました。
海上自衛隊大湊地方隊のホームページより
https://www.mod.go.jp/msdf/oominato/info/kengaku/hokuyo.html
トイレ |
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山の解説 - [出典:Wikipedia]
大湊地方隊(おおみなとちほうたい、英称:Ominato District)は、海上自衛隊の地方隊の一つ。主要部隊は青森県むつ市大湊町にある大湊基地に配備されている。日本の北端部における防衛警備、特に宗谷海峡と津軽海峡という、2つの重要な国際海峡の防備を担当する。2024年度、大湊地方隊を改編し、横須賀地方隊と統合することが防衛省から公表された。1952年(昭和27年)8月1日に保安庁及び警備隊が発足し、日本における海上軍事力の再整備が本格化した1953年(昭和28年)9月16日に大湊地方隊が編成された。1954年(昭和29年)7月1日、警備隊が海上自衛隊に改組。5つの地方総監部のうち唯一旧海軍の鎮守府に由来せず、また、隷下に教育隊が置かれていない。
警備区域は、日本海側・太平洋側ともに青森県以北の北方(北海道及び青森県の区域並びに青森県と秋田県の境界線が海岸線と交わる点から270度に引いた線と青森県と岩手県の境界線が海岸線と交わる点から90度に引いた線の北側にある北海道及び青森県の周辺海域及び沿岸海域)であり、日本の北端部の海域・地域にあたる。宗谷海峡と津軽海峡も担任区域内にあり、津軽海峡については、大湊地方隊隷下の松前警備所・竜飛警備所を中心に監視し、宗谷海峡については稚内基地分遣隊に加え、冬季を除いて艦船を派遣し監視にあたっており、特にロシア海軍の海峡通行について関心を持ち、監視を行なっている。
主な任務は、北海道及び青森県以北の海域(太平洋・日本海・オホーツク海)における防衛及び警備、災害派遣、艦艇及び航空機に対する後方支援、機雷等の危険物の除去、民生協力等を任務としている。
2024年度の横須賀地方隊への統合に伴い「大湊地区隊(仮称)」と名称を変更する方針
。大湊を拠点とする護衛艦を1隻増やして計8隻体制とし、大湊地区全体で約3千人規模の定員は維持される予定。大湊地方隊に所属する警備隊、弾薬整備補給所、造修補給所などは地区隊が引き継ぎ、艦艇の後方支援を担う予定。
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