長野県
最終更新:JJ0JVL
基本情報
標高 | 1132.7m |
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場所 | 北緯35度26分58秒, 東経137度41分47秒 |
網掛の由来 阿智村教育委員会「網掛峠」案内看板より
この峠には「蛇瘤杉」という杉の大木があって峠の象徴となっていたが、昭和28年10月老衰を理由に伐り倒された。現在もその切株と「蛇瘤杉」の石碑が残っているが、この杉には次の伝説がある。
近江(おうみ)の国琵琶湖畔の村の若い男女が、村人のねたみから村を追い出され、旅を重ねてこの村に来たとき、疲れと飢えのために産んだばかりの赤児とともに絶命した。村人は哀れんで三人をここに葬り、墓じるしに杉の木を植えてところ、杉の木はたちまち生長して幹が三つに分かれ数個の瘤(こぶ)をもつ大樹となった。そのころ、琵琶湖に杉の木の影がうつり、湖が荒れて魚がとれなくなった。占ってもらうと信濃路の山深い峠で恨み死んだ三人のたたりであるといわれ、そこでこの地を尋ねて来て三人の霊を祀(まつ)ったところ、湖はもとの静けさにとりもどしたという。若者夫婦の持ってきた網が木に掛けられていたところから網掛峠といわれるようになり、ここに祀られてあった網掛三社権現社は大正4年伏谷社(ふせやしゃ)境内に移された。
この峠には「蛇瘤杉」という杉の大木があって峠の象徴となっていたが、昭和28年10月老衰を理由に伐り倒された。現在もその切株と「蛇瘤杉」の石碑が残っているが、この杉には次の伝説がある。
近江(おうみ)の国琵琶湖畔の村の若い男女が、村人のねたみから村を追い出され、旅を重ねてこの村に来たとき、疲れと飢えのために産んだばかりの赤児とともに絶命した。村人は哀れんで三人をここに葬り、墓じるしに杉の木を植えてところ、杉の木はたちまち生長して幹が三つに分かれ数個の瘤(こぶ)をもつ大樹となった。そのころ、琵琶湖に杉の木の影がうつり、湖が荒れて魚がとれなくなった。占ってもらうと信濃路の山深い峠で恨み死んだ三人のたたりであるといわれ、そこでこの地を尋ねて来て三人の霊を祀(まつ)ったところ、湖はもとの静けさにとりもどしたという。若者夫婦の持ってきた網が木に掛けられていたところから網掛峠といわれるようになり、ここに祀られてあった網掛三社権現社は大正4年伏谷社(ふせやしゃ)境内に移された。
山頂 |
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