富士・御坂
東見附跡
最終更新:MATSU
基本情報
場所 | 北緯35度15分33秒, 東経138度39分57秒 |
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見附とは、敵を防ぐ軍事施設である。
戦国時代、村山修験が勢力を持っていた頃は番兵がここで村山への出入りを監視していたと思われる。
京都守護院本山派は、全国どんな神社仏閣でも土足のまま昇殿を許されるという宗教的な特権を有し、村山修験もこの特権を利用し戦国今川氏の軍事スパイを務めたともいわれる。
ここから先は、治外法権が認められた村山修験の結界の中に入る。
(参考:富士山村山古道を歩く 畠堀操八)
戦国時代、村山修験が勢力を持っていた頃は番兵がここで村山への出入りを監視していたと思われる。
京都守護院本山派は、全国どんな神社仏閣でも土足のまま昇殿を許されるという宗教的な特権を有し、村山修験もこの特権を利用し戦国今川氏の軍事スパイを務めたともいわれる。
ここから先は、治外法権が認められた村山修験の結界の中に入る。
(参考:富士山村山古道を歩く 畠堀操八)