富士・御坂
歴代上人供養塔

最終更新:MATSU
基本情報
場所 | 北緯35度15分31秒, 東経138度39分59秒 |
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役行者(えんのぎょうじゃ)大士、末代(まつだい)上人、頼尊(よりたか)上人、尊義(たかよし)上人の供養塔
役行者(役小角(えん の おづの)701年))は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者であり、実在の人物だが、伝えられる人物像は後の伝説によるところが大きい。修験道の開祖とされている。
末代上人は、平安時代である1149年、富士山頂に大日堂を建て、自らは富士山の守護神となるべく大棟梁と号して即身仏となったといわれる。
頼尊上人は、末代上人の流れを汲み、村山に興法寺(こうぼうじ)を開くとともに、村山三坊の1つ大鏡坊を開山した。
尊義上人は、やはり村山三坊の1つ池西坊を開山した。
この供養塔は東見附跡の手前の階段を右に上がり、富士家(修験の家系)の墓地の一角に設置されている。
役行者(役小角(えん の おづの)701年))は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者であり、実在の人物だが、伝えられる人物像は後の伝説によるところが大きい。修験道の開祖とされている。
末代上人は、平安時代である1149年、富士山頂に大日堂を建て、自らは富士山の守護神となるべく大棟梁と号して即身仏となったといわれる。
頼尊上人は、末代上人の流れを汲み、村山に興法寺(こうぼうじ)を開くとともに、村山三坊の1つ大鏡坊を開山した。
尊義上人は、やはり村山三坊の1つ池西坊を開山した。
この供養塔は東見附跡の手前の階段を右に上がり、富士家(修験の家系)の墓地の一角に設置されている。