高校生の時、大峰山脈の悪沢(小笹谷)で、行方不明10日間・・・の場合
高校生の時は運動靴にロープは20m一本だけの無茶(>_<)
高校生の時に山岳同好会を立ち上げ、イザ大峰の谷へ!
神童子谷入り口でテン泊し、ガマ滝を経て小笹谷へ向かい、小笹の宿で二泊目して下山する予定だった。
当時のエアリアマップ「山と高原地図」では、小笹谷に破線登山道が記され、タイムも2時間30分とありました。
当然、「道」があると思ったのが間違いの元。
小笹谷になんとか入ったら、解説本に載っていない一の滝(クソ滝)30mに阻まれ、なんとか高巻をするも、二の滝50m以上に飛び出し、巻いて巻いて、日暮れてしまい崖の上でロープに繋がりビバーク。
翌朝なんとかフリーでルンゼを下降中、巨大な落石が起こり間一髪セーフ。
本流みたいな別の沢に出て、もう引き返そう!と降りていましたら、これまた巨大な滝に詰まってしまい、どうしても降りられません。
仕方がないから、遡上することになりましたが、どうしても巻き上がれない滝に遭遇・・・滝と滝との間に閉じ込められてしまった訳です。
連日の大雨に雷雨・・・もう動かずに救助を待つことにしました(ってもう動けない状態)
ココで力尽いて、発見されるまでの10日間・・・捜索打ち切りの最終日に偶然に大滝にロープで垂らせておいたポンチョを捜索隊が発見して、私達4人は奇跡的に発見されました。
マスコミの執拗な質問と責任追及が待っていました。
先ず、発見時に捜索に加わっていた教師に「リーダー立て!」と言われ、フラフラに立ち上がっ途端に思いっきり殴られて倒され、他の救助隊が慌てて止めにはいりました。機動隊の方も参加されていて、「大学に入って学生運動したらタダですまんぞ!」と頭をこつかれました。
マタギさんが鉈で道を作り、やっと谷から脱出し、その日の夕方に下山。村ではパトカーに消防車、そして救急車が止まっており、村人さんが沿道に集まる中、先ずは派遣されていた検死医(もう、命はないと判断されていた)から、健康状態を調べられたら、旅館に設けられた共同記者会見場に連れていかれ、フラッシュやテレビカメラが回る中、徹底した「責任追及」が始まりました。(夕方のニュース番組に間に合う為に、とにかく急がされました)
記者会見が終わったら、警察の取り調べが始まり、それから、リーダーの私だけ各社のマスコミの取材が個別に始まります。読売・毎日・サンケー・朝日・地元奈良新聞と神戸新聞…ほぼ10日間も水しか口にしていないのに、コレは拷問でした。
学校の取り調べ(コレが一番キツかった)
深夜前、それから今度は学校の教師達による尋問がはじまりました。もう、4人はフラフラです。私は、マスコミ取材後に気を失って診療所で点滴を受けて来て寝ていましたが、たたき起こされました。
「学校に未届けで、こんな世間を騒がせて、どんな反省してるんや!」と胸ぐらまで掴んで来る体育教師。
それを見て、仲間の祖父が「暴力はいかん。この子達も山岳部を作ろうと熱心に署名活動を続け、新部発足のの条件を満たしたのに先生は、だれも顧問になってくれはしませんでした。登山が趣味の先生も多数いると聞きました。よければアドバイスなどもしてほかったものです。」
と仲間のおじいちゃんが、言った途端に
教師から「黙れ!じじい!俺らに責任を転嫁するんかっ!」
それに、怒った私の父が、「お年寄りに向かってなんという口の利き方や!」と、険悪なムードになり、旅館のおかみさんがが、「もう、こんな深夜です。子供たちを休ませてあげてくださいっ」っと、・・・
「おぅ、旅館代は勿論酒代も交通費も前部払えよ!お前らのおかげで夏休みなくなってんからな!」の教師。
もう、コレが教師の酒に酔った本当の姿で、旅館の人に押さえつけられ、やっと事なきを得たのが事実です。
当然、無期停学懲戒処分を受け、自宅を一歩も出られない状態が続きました。
捜索にかかった費用 400万円超
長期に渡った捜索費は、400万円を超えました。警察・消防の方は基本無料ですが、民間ボランティアさんの謝礼金が述べ200人以上に払いますと、数百万は軽く飛んでしまいます。そして旅館代や食事代。交通費などの支給。学校のセンセーへの滞在費用(勿論、お酒や高い料理代も)
それか遭難から少し治まって日を置いてから、お世話になった方々への菓子折りをもってのお礼参り・・・。(コレは、私達は学校から無期停学処分を受けましたので、外出許可が下りずに、母親たちがが現地に行った記憶があります)
世間を騒がしたとのことで、高校は、全ての部活を対象に夏の対外試合を全て自粛させ、それまで必死で練習に取り組んできた部員の皆様に、謝っても謝り切れない状態に追い込まれました・・・
無期停学の懲戒処分を喰らいましたので、友達への謝罪電話さえ禁止されていました・・・
本当に辛かったです。
また、無期停学を喰らいますと、なかなか進路も難しくなります。
これが、遭難して生還したあとの、実態です。
大人になってから、厳冬期富士を登頂後・・・滑落・・・ケガ・・・ガスで彷徨い、救助要請した後・・・
冬富士をなめていました。
20××年末、意外と簡単に冬富士の山頂まで行けてしまいました。この年は、雪が少なく風も大したことがなかったからです。
下山後の7合目で、お尻をつけて座って休憩した途端に、アイスバーンですから見る見るうちに滑り始めました。
ピッケルで止めようとしたら弾き飛ばされ、加速がどんどんつきます。加速がつく前に岩が飛び出していましたので、お尻から激突停止を狙いました。しかし、右足太ももから激突して、停止には成功しましたが、余りの痛さに息もできずにうずくまりました。
大たい骨・・・骨折したかっ・・・
気温−20℃・・・幸いなのは微風だったこと。
しばらくして、寒さで痛さがなくなりました。アイゼンを効かせて立ち上がってみますと、激痛は走りますが歩けそうでした。折れてはなさそうです。
岩に引っかかったピッケルも回収できて、右足をかばいながら、7合目から亀の歩みでアイスバーンをおりていきました。 やがてガスが発生しホワイトアウト。そして日没。手先の感覚はなくなってきました。何処を歩いているのかも判りません。 富士山の地形もこの頃はよくわかっていませんでした。大石小屋にテントを張っていますが、コンパスさえ見る気力も無く、ただ引力にしたがい富士の2000m辺りをガスの中で彷徨う他はなかったです。
大石小屋前に張ったテントを出発したのが真夜中の1時頃・・・17時間も歩き続けている午後8時を過ぎても人工物に出会えない・・・
遂に午後九時頃に 意識がなくなりました。少し眠ったようです。
マズいことに樹林帯に迷い込んだのです。富士の樹海は抜け出せません。最後の力を振り切って、樹林帯を再度あがりました。
ここで、遂に警察に連絡を入れました。
「今からじゃ、捜索に行けません。明日まで持ちこたえてください。」
住所と名前を告げた所で、また意識が遠ざかりました。
風が出てきたのです。
それから、どこを歩いたわからないまま、歩いては倒れ倒れては歩きました。その時に携帯を落としていました。
ふと、ガスが切れました。双子山がかなり左手に見えました。
これで、とにかく西へ西へとトラバースすると二子山の沢に出るはずです。
真夜中の12時過ぎにその沢らしい所に着きました。足の感覚はもうまるでありません。
そしてその沢を下ったら御殿場の新五合目の駐車場の看板がありました。午前1時を回っていました。24時間以上歩いています。
そこから大石小屋のテントに向かうのですが、ほぼ意識がなく、テントに入ったのかどうかも定かではありませんでした。
気が付いたらテントの中で、眠っていました。
朝でした。
しばらくするとヘリの音がけたたましく近づいています。
外に出てみると、富士の山麓をなめるようにしてヘリが何かを探しています。
誰か遭難したのかなぁ・・・
と 思うと頭上にヘリがやって来て、○○さんですかっ!とマイクで呼ばれ(@_@)・・・
ああ、携帯を無くしたし、警察に連絡をいれることができなかったから、早朝から私を探してくれていたんや・・・
私は、体を動かして大丈夫なことを知らせたら、ヘリは去っていきました。
するとすぐに4人の救助隊が来てくださいました。
「生きていてくださってありがとうございます」と言われました。
「すみません・・・ご迷惑をお掛けしました・携帯をどこかに落としたみたいでご連絡がとれなくて・・・テントにさえついた意識もなく・・・」
「とにかく、体は大丈夫ですか?滑落したとお聞きしましたが・・・」
「はい、打撲の酷いのです。骨折はありません・手の指は軽い凍傷です。しかし右足の指に感覚はないです」
捜索隊のリーダーは、私のテントや荷物を撤収しているときに、「山が好きなんですね・・・荷物を見れば判りました・・・昔からかなりやっていますね」
僕たちは、こうして生きて帰ってくれば嬉しいです。しかし。今から行く御殿場署では、かなりの覚悟をしてくださいね・・・
6時間の取り調べと拘束
御殿場署に着くと、かなりの剣幕で叱られました。山歴から装備や知識的な事も色々聞かれ、冬富士の怖さをとことん何時間も聞かされ、最後には念書を書かされました。
今から私が言うとおりに書きなさいっ!
「わたし〇〇は、どんなことがあっても一生で二度と冬の富士山に登ることはありません・・・」 左人差し指の印鑑を押して、やっと解放・・・では、ありません。
優しい女性警官に案内されて、仮眠室で6時間の拘束です。あっ、決して牢屋ではありませんよ。
一方、神戸にいた家族には、昨夜の内に御殿場署を経由して神戸西署に連絡が入り、指示があったようです。
本人の写真と歯形の写真と、髪の毛など・・・
家族には深夜に神戸西署から電話があり、明日、私の写真と歯科医に行って「歯形のレントゲン写真」と髪の毛など(DNA鑑定の為)を持ってくるように要請されたそうです。
この時は、流石に家族は覚悟を決めたようです。
「厳冬期の富士滑落後して、現在場所もとらえられていませんので、一晩は持たないかと思います・・・」との説明を受けたようです。
遭難のリスク
左の写真は、一昨年の富士山のアイスバーンです。それでも懲りずに毎年厳冬期富士にチャレンジしています。
しかし、あの遭難以来、装備も計画もしっかり準備し、それから無茶もやめています。
でも、冬の富士山は魅力的です。
夏季は単独で北アのバリエーションや大峰の沢・そして厳冬期の北アに富士山・・・
遭難したら 大変な事になりますが、上記の体験を生かして、絶対に遭難だけは多くの方に迷惑をかけますので、危ないかなぁと思ったら諦めるようになりました。また、捜索費用も山岳保険以上にかかる場合もあります。
なので危ないかな?っと思ったら、引き返すようになりました。
もし、ハードなお山を単独で行かれるのなら山岳保険はかけておいた方が良いかと思います。民間の捜索隊に依頼しますと夏場は1人につき3人万円、冬場は5万円位が相場です。10人で捜索10日間しますと、500万円はかかります。