(はじめに)
日高山脈はいわずとしれた、北海道を代表する大きい山脈です。北は十勝火山列との境でもある、JR根室本線、石勝線が十勝側へと通り抜けている、刈勝峠(かりかつとうげ)あたりから始まり、南北に長い一直線状の主稜線を形成し、南は襟裳岬へと続いている、長さ、約140kmの山脈です(文献1,文献2)。
日高山脈は標高こそ2000m弱の山脈ですが、北アルプスなどの山とは異なり、登山道がはっきりしない山が多く、また山中の山小屋も、幌尻岳付近に幌尻山荘(無人小屋)があるだけ、かつ全体的にヒグマの生息域でもあり、登るのは、北アルプスの山々よりかなり難しい、難峰ぞろいです。
また、地質学的にも地形学的にも、古くから注目を集めて研究が行われている山脈で、プレートテクトニクス理論が日本の地質学界に受け入れられる前には、地向斜(ちこうしゃ)仮説を元にした「日高造山運動」によって形成された山脈、と考えられていました。
現在は、日高山地はプレートテクトニクス理論により、新しい解釈がなされていますが、特に日高山脈の特徴として、その大部分は地殻深部の岩石が地表に現れている、世界全体を見渡しても非常に珍しい地域として、研究が進められています(文献2、ほか)。
さて、日高山脈の地質、地形については、説明したいことが多いので、2つの章に分けます。
まずこの章では、日高山脈の形成に関わる、プレートテクトニクス理論をベースとした、現時点で判明していることを説明したのち、主峰 幌尻岳とその周辺の地質と地形について、説明します。
日高山脈は標高こそ2000m弱の山脈ですが、北アルプスなどの山とは異なり、登山道がはっきりしない山が多く、また山中の山小屋も、幌尻岳付近に幌尻山荘(無人小屋)があるだけ、かつ全体的にヒグマの生息域でもあり、登るのは、北アルプスの山々よりかなり難しい、難峰ぞろいです。
また、地質学的にも地形学的にも、古くから注目を集めて研究が行われている山脈で、プレートテクトニクス理論が日本の地質学界に受け入れられる前には、地向斜(ちこうしゃ)仮説を元にした「日高造山運動」によって形成された山脈、と考えられていました。
現在は、日高山地はプレートテクトニクス理論により、新しい解釈がなされていますが、特に日高山脈の特徴として、その大部分は地殻深部の岩石が地表に現れている、世界全体を見渡しても非常に珍しい地域として、研究が進められています(文献2、ほか)。
さて、日高山脈の地質、地形については、説明したいことが多いので、2つの章に分けます。
まずこの章では、日高山脈の形成に関わる、プレートテクトニクス理論をベースとした、現時点で判明していることを説明したのち、主峰 幌尻岳とその周辺の地質と地形について、説明します。
1)日高山脈の形成について
日高山脈は、日本の他の山脈よりも単純な、南北に長く伸びた主稜線で構成され、枝尾根などがあまりありません。特に東の十勝側から望むと、壁のようにそそり立った稜線が非常に特徴的です。地形学的には、壮年期山脈の典型的な形状を示しています。
日高山脈の形成史については、古くは地向斜(ちこうしゃ)仮説によって説明されていましたが、現在ではその仮説は否定され、新たにプレートテクトニクス理論に基づき説明されています。
以下、(文献2)、(文献3)などをベースに日高山脈の形成過程について説明します。
まず、北海道の東方からカムチャッカ半島まで続く、千島列島(千島弧)から説明します。ここは、太平洋側に、千島弧に並行して千島海溝があり、太平洋プレートが、北米(もしくはオホーツクプレート)の下に沈み込んでいる、海洋プレート沈み込み帯にできた、島弧です。なお北海道の南東部は、千島弧の一部とされています。
太平洋プレートは現在、千島弧に対して直角に沈み込んでいるのではなく、(太平洋プレート側から見て)、左斜め方向(西北西方向)に沈み込みが起こっています。
そのために、千島弧のうち、海溝に近い側の部分(「前弧(ぜんこ)」あるいは「外弧(がいこ)」と呼ぶ)が、太平洋プレートの斜め沈み込みの影響で左側(=北海道へ向かう方向)へと引きずられて動いている、と考えられています。
この、千島弧のうち、北海道側へと引きずられている部分を、プレートテクトニクス上は、「千島前弧(ちしまぜんこ)スリバー」と呼び、北海道方向に動いている現象を「千島前弧スリバーの西進(せいしん)運動」と呼びます。
この、「千島前弧スリバーの西進運動」は、約10Maの、新第三紀 中新世から始まったと推定されていますが、その辺りはまだ不明な点が多いようです。
現世でも、この「千島前弧スリバーの西進」運動は続いており、この動きによって、ちょうどその前面にあたる日高山脈辺りに圧縮応力が集中して、日高山脈の隆起が起こっている、と推定されています。
(文献3)によると、日高山脈の第四紀の平均隆起量は、約1mm/年とみなされており、隆起量と浸食量とが釣り合っている「平衡山地」となっていると考えられています。
合わせて日高山脈には、圧縮応力に対応し、日高主衝上(ひだか・しゅ・しょうじょう)断層と、日高西縁衝上(ひだか・せいえん・しょうじょう)断層、という2つの大きな断層があり、東側の地質体が西側の地質体に乗り上げるような形になっています。
さらにこの「千島前弧スリバーの西進」運動に伴う北海道南部の圧縮は、日高山脈の西側の広い範囲に及んで、地質の変形、褶曲活動が起きており、その前端は現在、石狩平野の東側にある、馬追丘陵(うまおいきゅうりょう)まで及んでいる、と考えられています。
馬追丘陵と石狩平野との間にも断層があり、「石狩低地東縁(いしかりていちとうえん)断層群、と呼ばれます。これも圧縮応力に対応した「逆断層」で、馬追丘陵側が隆起するような活動センスを持っています。
日高山脈の形成史については、古くは地向斜(ちこうしゃ)仮説によって説明されていましたが、現在ではその仮説は否定され、新たにプレートテクトニクス理論に基づき説明されています。
以下、(文献2)、(文献3)などをベースに日高山脈の形成過程について説明します。
まず、北海道の東方からカムチャッカ半島まで続く、千島列島(千島弧)から説明します。ここは、太平洋側に、千島弧に並行して千島海溝があり、太平洋プレートが、北米(もしくはオホーツクプレート)の下に沈み込んでいる、海洋プレート沈み込み帯にできた、島弧です。なお北海道の南東部は、千島弧の一部とされています。
太平洋プレートは現在、千島弧に対して直角に沈み込んでいるのではなく、(太平洋プレート側から見て)、左斜め方向(西北西方向)に沈み込みが起こっています。
そのために、千島弧のうち、海溝に近い側の部分(「前弧(ぜんこ)」あるいは「外弧(がいこ)」と呼ぶ)が、太平洋プレートの斜め沈み込みの影響で左側(=北海道へ向かう方向)へと引きずられて動いている、と考えられています。
この、千島弧のうち、北海道側へと引きずられている部分を、プレートテクトニクス上は、「千島前弧(ちしまぜんこ)スリバー」と呼び、北海道方向に動いている現象を「千島前弧スリバーの西進(せいしん)運動」と呼びます。
この、「千島前弧スリバーの西進運動」は、約10Maの、新第三紀 中新世から始まったと推定されていますが、その辺りはまだ不明な点が多いようです。
現世でも、この「千島前弧スリバーの西進」運動は続いており、この動きによって、ちょうどその前面にあたる日高山脈辺りに圧縮応力が集中して、日高山脈の隆起が起こっている、と推定されています。
(文献3)によると、日高山脈の第四紀の平均隆起量は、約1mm/年とみなされており、隆起量と浸食量とが釣り合っている「平衡山地」となっていると考えられています。
合わせて日高山脈には、圧縮応力に対応し、日高主衝上(ひだか・しゅ・しょうじょう)断層と、日高西縁衝上(ひだか・せいえん・しょうじょう)断層、という2つの大きな断層があり、東側の地質体が西側の地質体に乗り上げるような形になっています。
さらにこの「千島前弧スリバーの西進」運動に伴う北海道南部の圧縮は、日高山脈の西側の広い範囲に及んで、地質の変形、褶曲活動が起きており、その前端は現在、石狩平野の東側にある、馬追丘陵(うまおいきゅうりょう)まで及んでいる、と考えられています。
馬追丘陵と石狩平野との間にも断層があり、「石狩低地東縁(いしかりていちとうえん)断層群、と呼ばれます。これも圧縮応力に対応した「逆断層」で、馬追丘陵側が隆起するような活動センスを持っています。
2)幌尻岳とその周辺の地質と地形
幌尻岳(ぽろしりだけ:2053m)は、日高山脈の最高峰であるとともに、百名山の一つでもあり、日高山脈の中では良く登られている山だと思います。この節では幌尻岳とその周辺の地質と地形的特徴について、産総研「シームレス地質図v2」および、(文献2)、(文献3)、(文献4)を元に、説明します。
説明を解りやすくするため、登山道沿いに説明します。
幌尻岳までのアプローチは、日高の海岸沿いから沙流(さる)川沿いに入り、さらにその支流の糠平(ぬかびら)川沿いの林道を延々と進みます。この林道が走る丘陵~低山部分の地質は、「空知―エゾ」帯の一部で、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、その林道は、「蝦夷層群」の砂岩、泥岩の地質地域、「空知層群」の玄武岩質の地質地域、「イドンナップ帯」に属すると思われるメランジュ相の堆積岩地域などを通っています。道路わきの露頭では、「蝦夷層群」のきれいな地層を見ることがあります。
途中から荒れた林道を進み(以前は奥幌尻橋までが車で行けました。現在はシャトルバスで先へ行けるようです)、源流部に近いところから、糠平沢(ぬかびらざわ)沿いの登山道に入ります。糠平川源流部の地質は、イドンナップ帯に属し、メランジュ相の堆積岩からできています。
糠平沢の源流部に建つ幌尻山荘からは一転して尾根道となりますが、幌尻山荘付近に地質境界があり、尾根道の最初は、苦鉄質片岩や角閃岩といった変成岩地帯です。これは「地帯」区分でいうと「ポロシリオフィオライト帯」注1)と呼ばれる「地帯」(正確に言うと「日高帯」のうちの「亜帯」という位置づけ)で、海洋地殻の下部を構成していた地質が高温高圧化で変成岩に変わった地質です。
ここの地質境界は断層でもあり、「日高西縁衝上断層(ひだか・せいえん・しょうじょう・だんそう):略号=HWT」と呼ばれています。ただし、活断層ではなく、断層としての活動は現在は停止しているようです。
1497m峰を過ぎると、また地質境界があり、この先は変成したハンレイ岩の地質となります。ハンレイ岩は海洋地殻の下部を構成している岩石であり、ここも「ポロシリオフィオライト帯」に属します。幌尻岳の山頂部も同じく変成したハンレイ岩でできています。
この一帯は、幌尻岳山頂部と1497mを結ぶ、北側に開いた半円形の稜線になっており、その内側は、「北カール」と呼ばれる明瞭なカール地形です。氷河期には日高山脈の一部には氷河が形成され、その名残りの地形です。
また幌尻岳の山頂に至ると、稜線の東側(十勝側)にも「七つ沼カール」というカール地形が眼下に望めます。ここはヒグマの天国とも呼ばれている場所です。
産総研「シームレス地質図v2」を見ると、幌尻岳の周辺には、「氷河堆積物」と示される地質があちこちに分布しており、氷河期には、かなり氷河が発達していたことが推定されます。
(文献3)によると、日高山脈の氷河地形は、より古い「ポロシリ期」(あるいは「古期」)と「トッタベツ期」(あるいは「新期」)の2回に分けられ、それぞれ、前の氷河期(約10~約1万年前)のうち、前半と後半の寒冷期に相当する、と推定されています。
しかし、日高山脈は非常に険しくて現地での研究が難しいため、日高山脈における氷河の形成史について、北アルプスのような詳細な研究は進んでいないようです。
さて、幌尻岳の北側には戸蔦別岳(とったべつだけ:1960m)という山がありますが、この山の一部は、変成したカンラン岩でできており、薄茶色の岩塊斜面を形成しています。カンラン岩とは、地殻の下のマントルを構成している岩石であり、「ポロシリオフィオライト帯」が海洋地殻だけではなく、その下のマントル部分も含む「地帯」であることを示しています。
注1)オフィオライト(Ophiolite)とは、海洋プレートの断片が、
陸上に現れているものを呼ぶ、地質学の専門用語です。
ただし、マントル由来成分を含まないものも、オフィオライトと呼ぶことが
あります。
まず「海洋地殻」は、上部が玄武岩、下部がハンレイ岩でできています。
「海洋プレート」とは海洋地殻に加えて、上部マントルの一部を含み、
岩石的にはカンラン岩を含みます。
「ポロシリオフィオライト帯」は、海洋地殻を構成している玄武岩、ハンレイ岩
に加え、上部マントル由来のカンラン岩を含み、
(文献5)では「完全なオフィオライト」とされています。
オフィオライトについて、より詳しくは、(文献5)を参照してください。
説明を解りやすくするため、登山道沿いに説明します。
幌尻岳までのアプローチは、日高の海岸沿いから沙流(さる)川沿いに入り、さらにその支流の糠平(ぬかびら)川沿いの林道を延々と進みます。この林道が走る丘陵~低山部分の地質は、「空知―エゾ」帯の一部で、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、その林道は、「蝦夷層群」の砂岩、泥岩の地質地域、「空知層群」の玄武岩質の地質地域、「イドンナップ帯」に属すると思われるメランジュ相の堆積岩地域などを通っています。道路わきの露頭では、「蝦夷層群」のきれいな地層を見ることがあります。
途中から荒れた林道を進み(以前は奥幌尻橋までが車で行けました。現在はシャトルバスで先へ行けるようです)、源流部に近いところから、糠平沢(ぬかびらざわ)沿いの登山道に入ります。糠平川源流部の地質は、イドンナップ帯に属し、メランジュ相の堆積岩からできています。
糠平沢の源流部に建つ幌尻山荘からは一転して尾根道となりますが、幌尻山荘付近に地質境界があり、尾根道の最初は、苦鉄質片岩や角閃岩といった変成岩地帯です。これは「地帯」区分でいうと「ポロシリオフィオライト帯」注1)と呼ばれる「地帯」(正確に言うと「日高帯」のうちの「亜帯」という位置づけ)で、海洋地殻の下部を構成していた地質が高温高圧化で変成岩に変わった地質です。
ここの地質境界は断層でもあり、「日高西縁衝上断層(ひだか・せいえん・しょうじょう・だんそう):略号=HWT」と呼ばれています。ただし、活断層ではなく、断層としての活動は現在は停止しているようです。
1497m峰を過ぎると、また地質境界があり、この先は変成したハンレイ岩の地質となります。ハンレイ岩は海洋地殻の下部を構成している岩石であり、ここも「ポロシリオフィオライト帯」に属します。幌尻岳の山頂部も同じく変成したハンレイ岩でできています。
この一帯は、幌尻岳山頂部と1497mを結ぶ、北側に開いた半円形の稜線になっており、その内側は、「北カール」と呼ばれる明瞭なカール地形です。氷河期には日高山脈の一部には氷河が形成され、その名残りの地形です。
また幌尻岳の山頂に至ると、稜線の東側(十勝側)にも「七つ沼カール」というカール地形が眼下に望めます。ここはヒグマの天国とも呼ばれている場所です。
産総研「シームレス地質図v2」を見ると、幌尻岳の周辺には、「氷河堆積物」と示される地質があちこちに分布しており、氷河期には、かなり氷河が発達していたことが推定されます。
(文献3)によると、日高山脈の氷河地形は、より古い「ポロシリ期」(あるいは「古期」)と「トッタベツ期」(あるいは「新期」)の2回に分けられ、それぞれ、前の氷河期(約10~約1万年前)のうち、前半と後半の寒冷期に相当する、と推定されています。
しかし、日高山脈は非常に険しくて現地での研究が難しいため、日高山脈における氷河の形成史について、北アルプスのような詳細な研究は進んでいないようです。
さて、幌尻岳の北側には戸蔦別岳(とったべつだけ:1960m)という山がありますが、この山の一部は、変成したカンラン岩でできており、薄茶色の岩塊斜面を形成しています。カンラン岩とは、地殻の下のマントルを構成している岩石であり、「ポロシリオフィオライト帯」が海洋地殻だけではなく、その下のマントル部分も含む「地帯」であることを示しています。
注1)オフィオライト(Ophiolite)とは、海洋プレートの断片が、
陸上に現れているものを呼ぶ、地質学の専門用語です。
ただし、マントル由来成分を含まないものも、オフィオライトと呼ぶことが
あります。
まず「海洋地殻」は、上部が玄武岩、下部がハンレイ岩でできています。
「海洋プレート」とは海洋地殻に加えて、上部マントルの一部を含み、
岩石的にはカンラン岩を含みます。
「ポロシリオフィオライト帯」は、海洋地殻を構成している玄武岩、ハンレイ岩
に加え、上部マントル由来のカンラン岩を含み、
(文献5)では「完全なオフィオライト」とされています。
オフィオライトについて、より詳しくは、(文献5)を参照してください。
(参考文献)
文献1)「ヤマケイ アルペンガイド 北海道の山」 山と渓谷社 刊 (2000版)
のうち、「日高山脈」の項
文献2)木村、宮坂、亀田 共著
「揺れ動く大地 、プレートと北海道」北海道新聞社 刊 (2018)
のうち、第1章、第10章など
文献3)小畔(※)、野上、小野、平川 編
「日本の地形 第2巻 北海道」 東京大学出版会 刊 (2003)
のうち、3-5章「日高山脈」の項
および、3-6章「日高山脈の氷河作用、周氷河作用」の項
※ 「畦」(あぜ)は、本来は旧字体
文献4)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第1巻 北海道」朝倉書店 刊 (2010)、
第4部「日高衝突帯(日高山脈)の地質と岩石」のうち
文献4-a) 4-1章「概説」の項
文献4-b) 4-2章「ポロシリオフィオライト帯」の項
文献5)ネット上の情報
金沢大学 石渡先生のホームページのうち、
「オフィオライトのページ」
http://earth.s.kanazawa-u.ac.jp/ishiwata/ophiol_J.htm
2021年8月 閲覧
のうち、「日高山脈」の項
文献2)木村、宮坂、亀田 共著
「揺れ動く大地 、プレートと北海道」北海道新聞社 刊 (2018)
のうち、第1章、第10章など
文献3)小畔(※)、野上、小野、平川 編
「日本の地形 第2巻 北海道」 東京大学出版会 刊 (2003)
のうち、3-5章「日高山脈」の項
および、3-6章「日高山脈の氷河作用、周氷河作用」の項
※ 「畦」(あぜ)は、本来は旧字体
文献4)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第1巻 北海道」朝倉書店 刊 (2010)、
第4部「日高衝突帯(日高山脈)の地質と岩石」のうち
文献4-a) 4-1章「概説」の項
文献4-b) 4-2章「ポロシリオフィオライト帯」の項
文献5)ネット上の情報
金沢大学 石渡先生のホームページのうち、
「オフィオライトのページ」
http://earth.s.kanazawa-u.ac.jp/ishiwata/ophiol_J.htm
2021年8月 閲覧
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第8部の他の章をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
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【書記事項】
初版リリース;2021年8月5日
△改訂1;文章見直し、リンク先修正、書記事項追記(2021年12月26日)
△最新改訂年月日;2021年12月26日
△改訂1;文章見直し、リンク先修正、書記事項追記(2021年12月26日)
△最新改訂年月日;2021年12月26日
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