(はじめに)
この章は、第9部「関東、中部地方の火山」の最後の章になります。
この章では、文字通り日本一の山である「富士山」と、その周辺の火山性の山々である箱根山、愛鷹山について、その形成史を中心に説明します。
富士山は、標高が日本一ということだけでなく、位置的にも特別な位置にできた火山です。
9−1章でも多少触れましたが、この一帯は、「南部フォッサマグナ地域」とも呼ばれ、伊豆―小笠原弧が本州へと衝突している地帯でもあり、また、大陸性プレートであるユーラシアプレート(西南日本)、北米プレート(東北日本)、海洋プレートであるフィリピン海プレート、という3つのプレートが会合している、3重会合点になっています。その会合点はおおよそ富士山の位置であると推定されています(文献1―a)、(文献1―b)。
更に、伊豆―小笠原弧の火山フロントの延長部に位置しているともいえる地点です(文献1ーb)
つまり富士山は、日本一高い山というだけでなく、プレートテクトニクス上の特異点の上に噴出した火山ということになります。
富士山の周辺には、箱根山、愛鷹山という火山もあります。これらは伊豆―小笠原弧(のうち、火山フロント)に対応した火山とも考えられますが、プレートテクトニクス上、複雑な地域なので、その形成メカニズムについては、まだ未解明な点が多いようです。
この章では、文字通り日本一の山である「富士山」と、その周辺の火山性の山々である箱根山、愛鷹山について、その形成史を中心に説明します。
富士山は、標高が日本一ということだけでなく、位置的にも特別な位置にできた火山です。
9−1章でも多少触れましたが、この一帯は、「南部フォッサマグナ地域」とも呼ばれ、伊豆―小笠原弧が本州へと衝突している地帯でもあり、また、大陸性プレートであるユーラシアプレート(西南日本)、北米プレート(東北日本)、海洋プレートであるフィリピン海プレート、という3つのプレートが会合している、3重会合点になっています。その会合点はおおよそ富士山の位置であると推定されています(文献1―a)、(文献1―b)。
更に、伊豆―小笠原弧の火山フロントの延長部に位置しているともいえる地点です(文献1ーb)
つまり富士山は、日本一高い山というだけでなく、プレートテクトニクス上の特異点の上に噴出した火山ということになります。
富士山の周辺には、箱根山、愛鷹山という火山もあります。これらは伊豆―小笠原弧(のうち、火山フロント)に対応した火山とも考えられますが、プレートテクトニクス上、複雑な地域なので、その形成メカニズムについては、まだ未解明な点が多いようです。
1)富士山
(はじめに)の項でも触れましたが、富士山は日本の火山の中でも、いくつか特徴的な面を持っている火山です。それらの特徴について、以下に多少細かく説明します。
1−1)標高、サイズ的な特徴
富士山(3776m)は、日本第二位の標高の南アルプス 北岳(3193m)などとも比べても、際立って標高の高い山です。また火山としても、御嶽、乗鞍岳がかろうじて3000mを超えているのと比べても、高さは際立っています。実際、日本列島には3500mを超える山は富士山以外にはなく、標高的にも、やや特異的な火山とも言えます。(文献1−b)
また、乗鞍岳、御嶽は、9−7章で述べたように、基盤地質が高まった位置で噴出した火山で、実際の火山体としての標高差は2000m以下ですが、富士山の場合、南側の駿河湾からすっくとそびえており、その標高=(ほぼ)山体の大きさ、と言え、噴出した火山岩の量も他の火山とはけた違いに多く、約400km^3に上り、火山体の底面のサイズも、直径 約50kmに及びます。(文献3−a)
富士山の位置の地下から、これだけ多量のマグマが継続して供給されてきたのには、上記のプレートテクトニクス的な理由(プレート3重会合点に位置する)も関わっているという指摘もありますが、詳細は不明です(文献1−b)。
1−2)火山岩の性質について
日本の多くの火山は、安山岩質の火山岩(マグマ)で形成されています。安山岩質とは、火山岩の分類でいうと、中間的性質をもつもので、日本列島のような成熟した島弧(や陸弧)でよく見られる火山岩です(文献2−a)。
一方、富士山は日本列島の火山としては例外的に、玄武岩質の火山岩で形成されています (文献2−a、ほか)。
玄武岩は海洋地殻の表層を形成する岩石でもあり、またハワイ列島など海洋上の火山島でよく見られる火山岩です(文献2−a)。
産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、富士山の周辺の火山はほぼ全て安山岩質の火山なのに対し、富士山だけが、玄武岩質を示す別の色で塗られていて、その点でも富士山は、日本列島の火山として、やや特異的な火山と言えます。
しかし、なぜ富士山だけが玄武岩質の巨大火山なのか? また流動性が高い玄武岩質のマグマ由来なのに、なぜあのような急峻な山容をしているのか? 細かい点は謎に包まれています。(文献1−b)、(文献2−b)。
1−3)富士山の形成史
富士山の形成史は、比較的良く研究されており、大まかな形成史は解明されています。以下、主に(文献1−b)をベースに、一部、(文献3−a)を参照して説明します。
現在の富士山の内部には、より古い時代の火山体が埋もれていることが解っています。最も古い火山体は、「先小御嶽(せんこみたけ)」と呼ばれるものです。ボーリング調査によると、現在の富士山の噴出物とは性質が異なる、珪長質(流紋岩〜デイサイト質)の火山噴出物が確認されています。時代的にはかなり古いと考えられますが、明確な活動年代は不明です。またプリニー式噴火をしていた火山と考えられています(文献1−b)
続いて、「小御嶽(こみたけ)」とよばれる火山が活動しました。「小御嶽」火山は、富士山北側中腹(標高2300m付近)にわずかに山頂部が顔をだしているとのことです。噴火年代は不明ですが、この火山はすでに玄武岩質安山岩の火山岩であり、現在の富士山とほぼ同様です。また上記のとおり、この火山体の標高は、約2300mと推定されています(文献1−b)。
その後、「古富士火山」と呼ばれる火山が活動を始めました。この活動を「古期活動」とも呼びます。後述の「新富士火山」(「新期活動」)との関係はかなり連続的な活動だった、と推定されています。この活動は10万年以前に遡る、という推定もなされていますが、明確ではないようです。(文献1−b)。
「古富士火山」は現在の富士山と同様に、溶岩とスコリア(注1)などとの成層構造をもった成層火山だったと推定されています。また「古富士火山」の標高は明確ではありませんが、既に3000mを超えていたと考えられています(文献1−b)
注1)「スコリア」について;スコリアとは、軽石とほぼ同じもので、多孔質の火山性噴出物(礫状のもの)です。火山学では、色が白〜灰色っぽいものを「軽石」(Pumice :パミス)、色が黒〜暗褐色っぽいものを「スコリア」(Scoria)と呼びます(文献4)
現在の富士山の山体を形成した活動を「新期活動」、現在の富士山の火山体を「新富士火山」とも呼びますが、上記の「古期活動」との間に明瞭な休止期はなかったと、現在では考えられています。
最終氷期(約9万年前〜約1万年前の期間)には、活発な火山活動が起こり、積雪(あるいは山岳氷河?)を噴火の熱や噴出物が融解して火山性泥流が何度も繰り返し発生したことが解っています。特に約2万年前 前後(最終氷期のうち、「最盛期」と呼ばれる最も寒冷な時代)には火山活動が非常に活発で、山梨県の都留市(つるし)や大月市付近にも火山性泥流の跡が残っており、「相模川泥流」という名前がついています(文献1−b)。
(文献3−a)では、約2万年前に一度、大規模な山体崩壊が起こったとしています。
最終氷期がほぼ終わった、約17000前から約8000前の間も火山活動は相変わらず活発で、この時期の富士山は、溶岩を多量に流下させています。富士山麓一帯や、桂川の流域に広がる溶岩性の地質は、この時期の溶岩流で形成されました(文献1−b)、(文献3−a)。
この時期の富士山の山容は既に、現在とほぼ同じく、頂上部に向かって傾斜が強くなる急峻な山容になっていた、と推定されています。(文献1−b)。
その後(縄文―弥生時代)の活動としては、いったん活動が穏やかになったのち、約5500前からやや活動が活発化し、周辺へスコリアを噴出しています。
この時期の、特筆すべき活動は、約2900年前(縄文末期から弥生早期)に起こった、大規模な岩屑なだれです。「御殿場泥流」という名称がついています。岩屑なだれの流下物の総堆積は、約2〜3km^3にものぼるとされ、富士山東方の御殿場地区へまず流れ落ちたのち、東進するなだれは小田原から相模湾へ、南進する流れは三島、沼津から駿河湾へと達したと推定されています(文献1−b)。
歴史時代における富士山の活動は各種古文書にも残っていて割と正確に解っています。
最も古い記録では8世紀の記録で、11世紀まで噴火活動が活発だったことが解っています。万葉集にも富士山の山頂が噴煙を上げていることが詠まれています。
特にこの活動期での最大のイベントは、西暦864年(貞観;じょうがん 6年)の噴火です。この噴火は山頂噴火ではなく、北西部山腹での(玄武岩質)溶岩流出型の噴火で、現在の「青木ヶ原」を溶岩で埋め尽くし、さらに富士山の麓にあった「せのうみ」と呼ばれていた湖まで溶岩流が到達して「せのうみ」を分断し、現在の精進湖、西湖の2つができました。
この際の溶岩流は、「青木ヶ原」樹海や、その付近にある「風穴」と呼ばれる溶岩流性の洞窟でよく見ることができます(溶岩性洞窟の一部は、観光地化されている)。
この溶岩流は、比較的多孔質で、また玄武岩質特有の黒々とした色合いとした、独特の溶岩流(溶岩台地)を見ることができます。この一帯での溶岩流の厚さは、約130mもあります。(文献1−b)。
江戸時代には、有名な「宝永の大噴火」が起こりました。これは1707年に起こり、南東部山腹からの噴火で、現在は「宝永火口」と呼ばれる大きな火口を形成しています。この時の噴火は玄武岩質ではなく、安山岩―デイサイト質であることが、従来の噴火活動とは異なっています。そのため、溶岩流の流下は比較的少なく、代わりに大量の火山灰やスコリアを噴出し、その火山灰は当時の江戸の町にも降り積もったことはよく知られています(文献1―b)、(文献3−a)。
富士山の上記2つの最新の活動は山頂噴火ではなく、北西側、南東側の山腹噴火です。これは、富士山の山体にかかっている応力場が、フィリピン海プレートの進行方向と同じく、主圧縮軸が北西―南東方向となっている関係で、北西―南東方向に弱線があり、この弱線に沿って噴火が起こったもの、と推定されています。(文献1−b)。
また富士山直下のマグマだまりは、地震波測定法により、山頂の直下、海抜 約20kmの地下にあると推定されており、現在でもマグマが溜まっていることが示唆されています(文献1−b)、(文献3−a)
このように、富士山はいつ噴火してもおかしくない活火山であり、「常時観測火山」に認定されています(文献3−a)。
1−1)標高、サイズ的な特徴
富士山(3776m)は、日本第二位の標高の南アルプス 北岳(3193m)などとも比べても、際立って標高の高い山です。また火山としても、御嶽、乗鞍岳がかろうじて3000mを超えているのと比べても、高さは際立っています。実際、日本列島には3500mを超える山は富士山以外にはなく、標高的にも、やや特異的な火山とも言えます。(文献1−b)
また、乗鞍岳、御嶽は、9−7章で述べたように、基盤地質が高まった位置で噴出した火山で、実際の火山体としての標高差は2000m以下ですが、富士山の場合、南側の駿河湾からすっくとそびえており、その標高=(ほぼ)山体の大きさ、と言え、噴出した火山岩の量も他の火山とはけた違いに多く、約400km^3に上り、火山体の底面のサイズも、直径 約50kmに及びます。(文献3−a)
富士山の位置の地下から、これだけ多量のマグマが継続して供給されてきたのには、上記のプレートテクトニクス的な理由(プレート3重会合点に位置する)も関わっているという指摘もありますが、詳細は不明です(文献1−b)。
1−2)火山岩の性質について
日本の多くの火山は、安山岩質の火山岩(マグマ)で形成されています。安山岩質とは、火山岩の分類でいうと、中間的性質をもつもので、日本列島のような成熟した島弧(や陸弧)でよく見られる火山岩です(文献2−a)。
一方、富士山は日本列島の火山としては例外的に、玄武岩質の火山岩で形成されています (文献2−a、ほか)。
玄武岩は海洋地殻の表層を形成する岩石でもあり、またハワイ列島など海洋上の火山島でよく見られる火山岩です(文献2−a)。
産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、富士山の周辺の火山はほぼ全て安山岩質の火山なのに対し、富士山だけが、玄武岩質を示す別の色で塗られていて、その点でも富士山は、日本列島の火山として、やや特異的な火山と言えます。
しかし、なぜ富士山だけが玄武岩質の巨大火山なのか? また流動性が高い玄武岩質のマグマ由来なのに、なぜあのような急峻な山容をしているのか? 細かい点は謎に包まれています。(文献1−b)、(文献2−b)。
1−3)富士山の形成史
富士山の形成史は、比較的良く研究されており、大まかな形成史は解明されています。以下、主に(文献1−b)をベースに、一部、(文献3−a)を参照して説明します。
現在の富士山の内部には、より古い時代の火山体が埋もれていることが解っています。最も古い火山体は、「先小御嶽(せんこみたけ)」と呼ばれるものです。ボーリング調査によると、現在の富士山の噴出物とは性質が異なる、珪長質(流紋岩〜デイサイト質)の火山噴出物が確認されています。時代的にはかなり古いと考えられますが、明確な活動年代は不明です。またプリニー式噴火をしていた火山と考えられています(文献1−b)
続いて、「小御嶽(こみたけ)」とよばれる火山が活動しました。「小御嶽」火山は、富士山北側中腹(標高2300m付近)にわずかに山頂部が顔をだしているとのことです。噴火年代は不明ですが、この火山はすでに玄武岩質安山岩の火山岩であり、現在の富士山とほぼ同様です。また上記のとおり、この火山体の標高は、約2300mと推定されています(文献1−b)。
その後、「古富士火山」と呼ばれる火山が活動を始めました。この活動を「古期活動」とも呼びます。後述の「新富士火山」(「新期活動」)との関係はかなり連続的な活動だった、と推定されています。この活動は10万年以前に遡る、という推定もなされていますが、明確ではないようです。(文献1−b)。
「古富士火山」は現在の富士山と同様に、溶岩とスコリア(注1)などとの成層構造をもった成層火山だったと推定されています。また「古富士火山」の標高は明確ではありませんが、既に3000mを超えていたと考えられています(文献1−b)
注1)「スコリア」について;スコリアとは、軽石とほぼ同じもので、多孔質の火山性噴出物(礫状のもの)です。火山学では、色が白〜灰色っぽいものを「軽石」(Pumice :パミス)、色が黒〜暗褐色っぽいものを「スコリア」(Scoria)と呼びます(文献4)
現在の富士山の山体を形成した活動を「新期活動」、現在の富士山の火山体を「新富士火山」とも呼びますが、上記の「古期活動」との間に明瞭な休止期はなかったと、現在では考えられています。
最終氷期(約9万年前〜約1万年前の期間)には、活発な火山活動が起こり、積雪(あるいは山岳氷河?)を噴火の熱や噴出物が融解して火山性泥流が何度も繰り返し発生したことが解っています。特に約2万年前 前後(最終氷期のうち、「最盛期」と呼ばれる最も寒冷な時代)には火山活動が非常に活発で、山梨県の都留市(つるし)や大月市付近にも火山性泥流の跡が残っており、「相模川泥流」という名前がついています(文献1−b)。
(文献3−a)では、約2万年前に一度、大規模な山体崩壊が起こったとしています。
最終氷期がほぼ終わった、約17000前から約8000前の間も火山活動は相変わらず活発で、この時期の富士山は、溶岩を多量に流下させています。富士山麓一帯や、桂川の流域に広がる溶岩性の地質は、この時期の溶岩流で形成されました(文献1−b)、(文献3−a)。
この時期の富士山の山容は既に、現在とほぼ同じく、頂上部に向かって傾斜が強くなる急峻な山容になっていた、と推定されています。(文献1−b)。
その後(縄文―弥生時代)の活動としては、いったん活動が穏やかになったのち、約5500前からやや活動が活発化し、周辺へスコリアを噴出しています。
この時期の、特筆すべき活動は、約2900年前(縄文末期から弥生早期)に起こった、大規模な岩屑なだれです。「御殿場泥流」という名称がついています。岩屑なだれの流下物の総堆積は、約2〜3km^3にものぼるとされ、富士山東方の御殿場地区へまず流れ落ちたのち、東進するなだれは小田原から相模湾へ、南進する流れは三島、沼津から駿河湾へと達したと推定されています(文献1−b)。
歴史時代における富士山の活動は各種古文書にも残っていて割と正確に解っています。
最も古い記録では8世紀の記録で、11世紀まで噴火活動が活発だったことが解っています。万葉集にも富士山の山頂が噴煙を上げていることが詠まれています。
特にこの活動期での最大のイベントは、西暦864年(貞観;じょうがん 6年)の噴火です。この噴火は山頂噴火ではなく、北西部山腹での(玄武岩質)溶岩流出型の噴火で、現在の「青木ヶ原」を溶岩で埋め尽くし、さらに富士山の麓にあった「せのうみ」と呼ばれていた湖まで溶岩流が到達して「せのうみ」を分断し、現在の精進湖、西湖の2つができました。
この際の溶岩流は、「青木ヶ原」樹海や、その付近にある「風穴」と呼ばれる溶岩流性の洞窟でよく見ることができます(溶岩性洞窟の一部は、観光地化されている)。
この溶岩流は、比較的多孔質で、また玄武岩質特有の黒々とした色合いとした、独特の溶岩流(溶岩台地)を見ることができます。この一帯での溶岩流の厚さは、約130mもあります。(文献1−b)。
江戸時代には、有名な「宝永の大噴火」が起こりました。これは1707年に起こり、南東部山腹からの噴火で、現在は「宝永火口」と呼ばれる大きな火口を形成しています。この時の噴火は玄武岩質ではなく、安山岩―デイサイト質であることが、従来の噴火活動とは異なっています。そのため、溶岩流の流下は比較的少なく、代わりに大量の火山灰やスコリアを噴出し、その火山灰は当時の江戸の町にも降り積もったことはよく知られています(文献1―b)、(文献3−a)。
富士山の上記2つの最新の活動は山頂噴火ではなく、北西側、南東側の山腹噴火です。これは、富士山の山体にかかっている応力場が、フィリピン海プレートの進行方向と同じく、主圧縮軸が北西―南東方向となっている関係で、北西―南東方向に弱線があり、この弱線に沿って噴火が起こったもの、と推定されています。(文献1−b)。
また富士山直下のマグマだまりは、地震波測定法により、山頂の直下、海抜 約20kmの地下にあると推定されており、現在でもマグマが溜まっていることが示唆されています(文献1−b)、(文献3−a)
このように、富士山はいつ噴火してもおかしくない活火山であり、「常時観測火山」に認定されています(文献3−a)。
2)箱根山
箱根は言う間もなく、火山というより観光地、温泉地として非常に有名で、実際、山中にはケーブルカーや、ドライブウエー、多くの旅館、さらにはゴルフ場などもあります。火山湖である芦ノ湖には遊覧船も浮かんでいます。
一方、火山としての箱根山を見ると、かなり複雑な構造、経歴をもつ活火山です。
以下、主に(文献5)をベースに、一部は(文献3−b)を元に説明します。
箱根山も、富士山の南東 約30kmの位置にあることから、ユーラシアプレート、北米プレート、フィリピン海プレートの3重会合点の付近にできた火山といえます。但し、現在の推定されているプレート境界から考えると、箱根山は伊豆半島と同じく、フィリピン海プレート上に位置する火山です。
一方で、火山岩(マグマ)としての性質は、富士山が玄武岩であるのとは異なり、主に安山岩質の火山です。マグマ供給源が富士山とは別であることを示唆していると思われます。
さて、箱根山の火山としての形成史は、古くから研究されており、かなり解明されています。
まず、箱根火山の立地との関係ですが、(文献3−b)では、フィリピン海プレートと陸側プレートとの衝突域付近に形成された横ずれ断層(丹那断層など)によって形成された、構造的凹地(プルアパート型構造)の下部にマグマ溜りが形成されて、長期にわたる火山活動が起こっていることが、仮説として提示されています。
さて、箱根火山の活動開始時期は、約65―50万年に遡る、と推定されています。その時期の火山活動の痕跡は、現在の「外輪山」(注2)と呼ばれる山々の一角に残っています。具体的には、湯河原地区に近い「湯河原火山」と呼ばれる火山体は、その活動初期に形成された成層火山と推定されています。この時期には、現在の「外輪山」と呼ばれる山々の一部も形成された、と推定されています。
注2)箱根火山の「外輪山」について;現在の箱根のカルデラ状地形の「外輪山」と呼ばれる山並みは、単純にカルデラ形成によってできた外輪山状地形ではなく、独立した火山体も含まれます。よって、「 」付きで表記します。
この頃の箱根火山の形態ははっきりしていませんが、その後、約25万年前に大規模な噴火が起こり、「古期カルデラ」とも呼ばれるカルデラ地形が形成されたと推定されています。現在は、この「古期カルデラ」の形跡はほとんど残っていませんが、一部の「外輪山」は、この古期カルデラ形成時の「古期外輪山」(略称:OS)と考えられています。
その後、「古期カルデラ」のカルデラ壁に沿って、「新期外輪山」(略称:YS)と呼ばれる小型の火山が多数形成されたと推定されています。YSの活動は、厚さ 約300mに及ぶ大規模な溶岩流(+溶結凝灰岩)に特徴づけられます。YSの活動により、「古期カルデラ」は溶岩などで埋め立てられたと考えられています。YSの活動時期はやや不明確ですが、約13−12万年前と推定されています。
その後、再び、大規模噴火によって、現在にも残っているカルデラ地形(東西 約8km、南北 約12km)が形成されました。これを「新期カルデラ」と呼びます。「新期カルデラ」の形成時期は明確ではありませんが、6.5万年前の大噴火など、いくつかの大噴火によって、段階的に形成されたと推定されています。
これらの大噴火期には、大量の軽石、火山灰が放出され、関東平野(武蔵野台地)に、広域テフラとして確認されています。(例えば、約6.5万年前の大噴火は、「箱根−東京テフラ(Hk―TP)」と呼ばれる)。
「新期カルデラ」の形成後、カルデラの中央部で火山活動が活発となり、中央火口丘(群)が形成されました。現在の神山、駒ヶ岳などです。
なお、神山は、小型成層火山、駒ヶ岳は小型成層火山の上に溶岩ドームを乗せた形式の火山です。これら現在の中央火口丘(火山群)の形成時期は明確ではありませんが、少なくとも、3万年以降の比較的新しい時代と推定されています。
なお、カルデラ内の湖である芦ノ湖(あしのこ)は、少なくとも2万年前には形成されていたと推定されています。
過去1万年間の活動としては、約8000年前の、神山付近でのマグマ噴火、約5700年前の二子山溶岩ドーム形成、約3200年前の神山付近でのマグマ噴火と、それに伴う山体崩壊による、冠ヶ岳の形成が主なものです。それ以外にも水蒸気噴火は数回起こっています(文献3−b)。
現在、箱根火山では、カルデラ内の大涌谷(おおわくだに)で噴気活動が活発で、また火山性と思われる地震も活発であり、「常時監視火山」としての活火山に認定されています(文献3−b)
一方、火山としての箱根山を見ると、かなり複雑な構造、経歴をもつ活火山です。
以下、主に(文献5)をベースに、一部は(文献3−b)を元に説明します。
箱根山も、富士山の南東 約30kmの位置にあることから、ユーラシアプレート、北米プレート、フィリピン海プレートの3重会合点の付近にできた火山といえます。但し、現在の推定されているプレート境界から考えると、箱根山は伊豆半島と同じく、フィリピン海プレート上に位置する火山です。
一方で、火山岩(マグマ)としての性質は、富士山が玄武岩であるのとは異なり、主に安山岩質の火山です。マグマ供給源が富士山とは別であることを示唆していると思われます。
さて、箱根山の火山としての形成史は、古くから研究されており、かなり解明されています。
まず、箱根火山の立地との関係ですが、(文献3−b)では、フィリピン海プレートと陸側プレートとの衝突域付近に形成された横ずれ断層(丹那断層など)によって形成された、構造的凹地(プルアパート型構造)の下部にマグマ溜りが形成されて、長期にわたる火山活動が起こっていることが、仮説として提示されています。
さて、箱根火山の活動開始時期は、約65―50万年に遡る、と推定されています。その時期の火山活動の痕跡は、現在の「外輪山」(注2)と呼ばれる山々の一角に残っています。具体的には、湯河原地区に近い「湯河原火山」と呼ばれる火山体は、その活動初期に形成された成層火山と推定されています。この時期には、現在の「外輪山」と呼ばれる山々の一部も形成された、と推定されています。
注2)箱根火山の「外輪山」について;現在の箱根のカルデラ状地形の「外輪山」と呼ばれる山並みは、単純にカルデラ形成によってできた外輪山状地形ではなく、独立した火山体も含まれます。よって、「 」付きで表記します。
この頃の箱根火山の形態ははっきりしていませんが、その後、約25万年前に大規模な噴火が起こり、「古期カルデラ」とも呼ばれるカルデラ地形が形成されたと推定されています。現在は、この「古期カルデラ」の形跡はほとんど残っていませんが、一部の「外輪山」は、この古期カルデラ形成時の「古期外輪山」(略称:OS)と考えられています。
その後、「古期カルデラ」のカルデラ壁に沿って、「新期外輪山」(略称:YS)と呼ばれる小型の火山が多数形成されたと推定されています。YSの活動は、厚さ 約300mに及ぶ大規模な溶岩流(+溶結凝灰岩)に特徴づけられます。YSの活動により、「古期カルデラ」は溶岩などで埋め立てられたと考えられています。YSの活動時期はやや不明確ですが、約13−12万年前と推定されています。
その後、再び、大規模噴火によって、現在にも残っているカルデラ地形(東西 約8km、南北 約12km)が形成されました。これを「新期カルデラ」と呼びます。「新期カルデラ」の形成時期は明確ではありませんが、6.5万年前の大噴火など、いくつかの大噴火によって、段階的に形成されたと推定されています。
これらの大噴火期には、大量の軽石、火山灰が放出され、関東平野(武蔵野台地)に、広域テフラとして確認されています。(例えば、約6.5万年前の大噴火は、「箱根−東京テフラ(Hk―TP)」と呼ばれる)。
「新期カルデラ」の形成後、カルデラの中央部で火山活動が活発となり、中央火口丘(群)が形成されました。現在の神山、駒ヶ岳などです。
なお、神山は、小型成層火山、駒ヶ岳は小型成層火山の上に溶岩ドームを乗せた形式の火山です。これら現在の中央火口丘(火山群)の形成時期は明確ではありませんが、少なくとも、3万年以降の比較的新しい時代と推定されています。
なお、カルデラ内の湖である芦ノ湖(あしのこ)は、少なくとも2万年前には形成されていたと推定されています。
過去1万年間の活動としては、約8000年前の、神山付近でのマグマ噴火、約5700年前の二子山溶岩ドーム形成、約3200年前の神山付近でのマグマ噴火と、それに伴う山体崩壊による、冠ヶ岳の形成が主なものです。それ以外にも水蒸気噴火は数回起こっています(文献3−b)。
現在、箱根火山では、カルデラ内の大涌谷(おおわくだに)で噴気活動が活発で、また火山性と思われる地震も活発であり、「常時監視火山」としての活火山に認定されています(文献3−b)
3)愛鷹山
愛鷹山(あしたかやま:1504m)は、富士山の南方、約20kmにあるやや古い火山です。
古い火山のため、浸食、開析がかなり進み、頂上部は複数の峰に分かれています。最高点は北部にある御前峰(ごぜんみね:1504m)です。一方、「愛鷹山」(狭義)と呼ばれるビークは南部にあり、標高は1188mです。その間は切り立った脆い岩質の稜線で形成され、元々の火口がどこにあったかは不明確になっています。
愛鷹山の火山活動の歴史は、富士山、箱根火山ほど詳しくは解っていませんが、ここでは(文献1−c)に基づいて説明します。
愛鷹山の活動開始時期はやや不明確ですが、約40万年前、あるいは約30万年前ころと推定されています。その後、約10万年前まで火山活動は続きましたが、現在は火山活動は認められず、上記のように浸食、開析が進んでいます。
また富士山にほど近く、富士山の活動に先行して活動した火山ではありますが、富士山が玄武岩質マグマの活動によるのに対し、愛鷹山は、玄武岩、安山岩、デイサイト質火山岩と多彩な火山岩の活動だと推定されており、富士山とは活動形式やマグマの性質も異なっています。
なお、現在のように開析、浸食が進む前は、富士山を一回り小さくしたような中型の成層火山だったと推定されています。箱根火山のようなカルデラ形成はなかったと推定されています。
私が愛鷹山(御前峰)に登山した際、途中の崩落地で観察したところ、薄い溶岩流と、厚めの火砕岩層(火山弾、軽石、火山灰など)が繰り返し積み重なった典型的な成層火山であることを確認しました。開析、浸食がかなり進んでいるのは、比較的強度のある溶岩シート層が薄く、脆い火砕岩層が分厚いために、全体的に強度的に脆いためではないか?という感じを受けました(この段落は、私の経験を交えた私見です)。
古い火山のため、浸食、開析がかなり進み、頂上部は複数の峰に分かれています。最高点は北部にある御前峰(ごぜんみね:1504m)です。一方、「愛鷹山」(狭義)と呼ばれるビークは南部にあり、標高は1188mです。その間は切り立った脆い岩質の稜線で形成され、元々の火口がどこにあったかは不明確になっています。
愛鷹山の火山活動の歴史は、富士山、箱根火山ほど詳しくは解っていませんが、ここでは(文献1−c)に基づいて説明します。
愛鷹山の活動開始時期はやや不明確ですが、約40万年前、あるいは約30万年前ころと推定されています。その後、約10万年前まで火山活動は続きましたが、現在は火山活動は認められず、上記のように浸食、開析が進んでいます。
また富士山にほど近く、富士山の活動に先行して活動した火山ではありますが、富士山が玄武岩質マグマの活動によるのに対し、愛鷹山は、玄武岩、安山岩、デイサイト質火山岩と多彩な火山岩の活動だと推定されており、富士山とは活動形式やマグマの性質も異なっています。
なお、現在のように開析、浸食が進む前は、富士山を一回り小さくしたような中型の成層火山だったと推定されています。箱根火山のようなカルデラ形成はなかったと推定されています。
私が愛鷹山(御前峰)に登山した際、途中の崩落地で観察したところ、薄い溶岩流と、厚めの火砕岩層(火山弾、軽石、火山灰など)が繰り返し積み重なった典型的な成層火山であることを確認しました。開析、浸食がかなり進んでいるのは、比較的強度のある溶岩シート層が薄く、脆い火砕岩層が分厚いために、全体的に強度的に脆いためではないか?という感じを受けました(この段落は、私の経験を交えた私見です)。
(参考文献)
(文献1)町田、松田、海津、小泉 編
「日本の地形 第5巻 中部」 東京大学出版会 刊 (2006)
(文献1−a) 文献1)のうち、
第2部「南部フォッサマグナ地域」の、
「概説」の項
(文献1−b) 文献1)のうち、
第2部「南部フォッサマグナ地域」の、
2−1−(1)節 「富士火山」の項
(文献1−c) 文献1)のうち、
第2部「南部フォッサマグナ地域」の、
2−2−(2)節 「愛鷹火山」の項
(文献2)西本 著
「観察を楽しむ、特徴がわかる 岩石図鑑」 ナツメ社 刊 (2020)
(文献2−a) 文献2)のうち、
「安山岩」、「玄武岩」の項。
(文献2−b) 文献2)のうち、
p103 「富士山に関するコラム」の項
(文献3)気象庁;日本活火山総覧(第4版) Web掲載版
(文献3―a) (文献3)のうち、
「No.55 富士山」の項
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/55_Fujisan.pdf
(文献3−b) (文献3)のうち、
「No.56 箱根山」の項
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/56_Hakoneyama.pdf
(文献4)吉田、西村、中村 共著
「現代地球科学入門シリーズ 第7巻 火山学」
のうち、3−5−1節 「火山砕屑物と火山砕屑岩」の項
(文献5)貝塚、小池、遠藤、山崎、鈴木 編
「日本の地形 第4巻 関東・伊豆小笠原」 東京大学出版会 刊 (2000)
のうち、3−4−(2) 「箱根火山」の項
「日本の地形 第5巻 中部」 東京大学出版会 刊 (2006)
(文献1−a) 文献1)のうち、
第2部「南部フォッサマグナ地域」の、
「概説」の項
(文献1−b) 文献1)のうち、
第2部「南部フォッサマグナ地域」の、
2−1−(1)節 「富士火山」の項
(文献1−c) 文献1)のうち、
第2部「南部フォッサマグナ地域」の、
2−2−(2)節 「愛鷹火山」の項
(文献2)西本 著
「観察を楽しむ、特徴がわかる 岩石図鑑」 ナツメ社 刊 (2020)
(文献2−a) 文献2)のうち、
「安山岩」、「玄武岩」の項。
(文献2−b) 文献2)のうち、
p103 「富士山に関するコラム」の項
(文献3)気象庁;日本活火山総覧(第4版) Web掲載版
(文献3―a) (文献3)のうち、
「No.55 富士山」の項
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/55_Fujisan.pdf
(文献3−b) (文献3)のうち、
「No.56 箱根山」の項
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/56_Hakoneyama.pdf
(文献4)吉田、西村、中村 共著
「現代地球科学入門シリーズ 第7巻 火山学」
のうち、3−5−1節 「火山砕屑物と火山砕屑岩」の項
(文献5)貝塚、小池、遠藤、山崎、鈴木 編
「日本の地形 第4巻 関東・伊豆小笠原」 東京大学出版会 刊 (2000)
のうち、3−4−(2) 「箱根火山」の項
この第9−1章には、第9部「関東、中部地方の火山、その形成史」
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