(はじめに)
この章では、佐賀県及び、長崎県のうち本土部分にある主な山々の地質について説明します。
なお、佐賀/福岡県にまたがる背振山地のうち、県境稜線部の山々に関しては12−5章(「福岡県の山々の地質」)で説明したので割愛します。
一方、多良岳(長崎/佐賀県境)と雲仙岳(長崎県)は、12−3章で独自に設定した地質区分上は、「北部九州地質区」ではなく、第四紀火山(岩)が中心である「中部九州地質区」に含むとしましたが、説明の都合上、この2つの火山も、この章で説明します。
この章で説明する領域は12−3章で独自に設定した地質区分でいうと、「北部九州地質区・東部ゾーン」の一部、「(同)・有田ゾーン」、「(同)・長崎ゾーン」、及び「中部九州地質区・中部火山性ゾーン」の一部と、地質学的には、かなり多様な地質が分布している地域です。
地質区の区分については、12−3章、12−4章をご覧ください。
なお、「北部九州地質区・長崎ゾーン」は、地質学的には非常に興味深いゾーンですが、
登山対象となるような目立った山が少ないので、この章では割愛します。ご了承ください。
なお、佐賀/福岡県にまたがる背振山地のうち、県境稜線部の山々に関しては12−5章(「福岡県の山々の地質」)で説明したので割愛します。
一方、多良岳(長崎/佐賀県境)と雲仙岳(長崎県)は、12−3章で独自に設定した地質区分上は、「北部九州地質区」ではなく、第四紀火山(岩)が中心である「中部九州地質区」に含むとしましたが、説明の都合上、この2つの火山も、この章で説明します。
この章で説明する領域は12−3章で独自に設定した地質区分でいうと、「北部九州地質区・東部ゾーン」の一部、「(同)・有田ゾーン」、「(同)・長崎ゾーン」、及び「中部九州地質区・中部火山性ゾーン」の一部と、地質学的には、かなり多様な地質が分布している地域です。
地質区の区分については、12−3章、12−4章をご覧ください。
なお、「北部九州地質区・長崎ゾーン」は、地質学的には非常に興味深いゾーンですが、
登山対象となるような目立った山が少ないので、この章では割愛します。ご了承ください。
1)背振山地・天山とその周辺の地質、および地形的特徴
背振山地は前章でも述べたように、福岡県と佐賀県にまたがる、平行四辺形の形状をした山地です。
標高の高めな部分は、北辺の福岡/佐賀の県境部に並んでいます。それとは別にこの山地には、南西部に標高1000m前後の天山山系があります。
なお、その背振山地のうちそれ以外の部分は、標高が400―700mほどの台地状になっており、登山対象となるような山は少ないのと、地質的には白亜紀の花崗岩でできており、特筆すべき点がないので、説明は割愛します。
さて天山(てんざん;1046m)は、背振山地の南西端にある山です。標高は1000m台で、全国レベルで見るとレベルですが、麓の小城市、多久市からは急角度でそびえており、のっぺりした佐賀平野から見ると、わりと大きく見え、目立つ山です。(写真1)
(1-a)地質的特徴
天山とその東へ延びる稜線上の彦岳(ひこだけ:845m)付近の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、山体のかなりの部分は白亜紀の花崗岩でできていますが、稜線部や中腹部には、古生代の高圧型変成岩類(結晶片岩類+蛇紋岩)が分布しています(図1)。
この高圧型変成岩類は、12−4章で説明した背振山地のうち、県境稜線部の雷山(らいざん)辺りに分布している高圧型変成岩類と、変成タイプ(高圧型)、岩種(蛇紋岩+結晶片岩類)、変成年代(デボン紀−ペルム紀)が同じです。よってこの天山付近の高圧型変成岩類も、雷山や三郡山地に分布している「三郡―蓮華帯」の変成岩であると考えられます。
また、佐賀平野と背振山地との境目にも細長く、同じ高圧型変成岩が分布しており(図1)、天山付近の変成岩と同じものと推定されます。つまり元々、この一帯には広く「三郡―蓮華帯」の変成岩が分布しており(図1)、その後、背振山地が隆起した際に、山麓部と山頂稜線部との2か所に分布域が別れている、と考えられます(この段落は私見を含みます)
(文献2―a)に基づくと、この結晶片岩類は、浸食への抵抗力が周辺の花崗岩より強かったため、現在でも残存しているとともに、いわゆる「キャップドロック」として働いたため、天山付近の標高が周辺よりやや高くなっているとしています。
この天山付近の高圧型変成岩は、「三郡―蓮華帯」分布域の最西端になります。
(b)地形的特徴、及び断層について
続いて背振山地南辺部の地形について説明します。
前述のとおり背振山地は平行四辺形状の形状をした山地で、このうち東側は「福岡―二日市構造線」によって東隣りの三郡山地と隔てられています。また西側は、JR唐津線が通っているラインに沿っている「畑島(はたじま)―有明海断層」によって区切られています。
山地の南側はというと、標高500−1000mほどの高さから、標高50m以下の佐賀平野へと急激に落ち込んでいて、かつその地形的境界部は東西走向にほぼ直線的です(写真1)。
この地形的境界部は、「佐賀平野北縁断層帯」という(活)断層帯であることが、比較的最近に判明しますた(文献3)。
(文献3)によるとこの断層帯は、南落ちの正断層と推定されており、その東方延長部は、福岡県の傾動型断層山地である耳納山地の北麓(「水縄断層帯」がある)へと続いているようにも見えます。
正断層であること、東西走向であることから見て、水縄断層帯(タイプは正断層)と同様に、「別府―島原地溝帯」とも関連した、九州中部における南北方向の伸張場の影響を受けた断層帯ではないか、と思います(この段落は私見です)。
ただし、水縄断層は北落ち、背振山地南麓断層帯は南落ちと、垂直方向の活動センスが逆向きであり、同じ活動センスを持つ一つながりの断層帯、というわけではないようです。
詳しくは解りませんが、2つの断層(帯)がなにか「共役的」な組み合わせになっているのかも知れません(この段落は私見です)
標高の高めな部分は、北辺の福岡/佐賀の県境部に並んでいます。それとは別にこの山地には、南西部に標高1000m前後の天山山系があります。
なお、その背振山地のうちそれ以外の部分は、標高が400―700mほどの台地状になっており、登山対象となるような山は少ないのと、地質的には白亜紀の花崗岩でできており、特筆すべき点がないので、説明は割愛します。
さて天山(てんざん;1046m)は、背振山地の南西端にある山です。標高は1000m台で、全国レベルで見るとレベルですが、麓の小城市、多久市からは急角度でそびえており、のっぺりした佐賀平野から見ると、わりと大きく見え、目立つ山です。(写真1)
(1-a)地質的特徴
天山とその東へ延びる稜線上の彦岳(ひこだけ:845m)付近の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、山体のかなりの部分は白亜紀の花崗岩でできていますが、稜線部や中腹部には、古生代の高圧型変成岩類(結晶片岩類+蛇紋岩)が分布しています(図1)。
この高圧型変成岩類は、12−4章で説明した背振山地のうち、県境稜線部の雷山(らいざん)辺りに分布している高圧型変成岩類と、変成タイプ(高圧型)、岩種(蛇紋岩+結晶片岩類)、変成年代(デボン紀−ペルム紀)が同じです。よってこの天山付近の高圧型変成岩類も、雷山や三郡山地に分布している「三郡―蓮華帯」の変成岩であると考えられます。
また、佐賀平野と背振山地との境目にも細長く、同じ高圧型変成岩が分布しており(図1)、天山付近の変成岩と同じものと推定されます。つまり元々、この一帯には広く「三郡―蓮華帯」の変成岩が分布しており(図1)、その後、背振山地が隆起した際に、山麓部と山頂稜線部との2か所に分布域が別れている、と考えられます(この段落は私見を含みます)
(文献2―a)に基づくと、この結晶片岩類は、浸食への抵抗力が周辺の花崗岩より強かったため、現在でも残存しているとともに、いわゆる「キャップドロック」として働いたため、天山付近の標高が周辺よりやや高くなっているとしています。
この天山付近の高圧型変成岩は、「三郡―蓮華帯」分布域の最西端になります。
(b)地形的特徴、及び断層について
続いて背振山地南辺部の地形について説明します。
前述のとおり背振山地は平行四辺形状の形状をした山地で、このうち東側は「福岡―二日市構造線」によって東隣りの三郡山地と隔てられています。また西側は、JR唐津線が通っているラインに沿っている「畑島(はたじま)―有明海断層」によって区切られています。
山地の南側はというと、標高500−1000mほどの高さから、標高50m以下の佐賀平野へと急激に落ち込んでいて、かつその地形的境界部は東西走向にほぼ直線的です(写真1)。
この地形的境界部は、「佐賀平野北縁断層帯」という(活)断層帯であることが、比較的最近に判明しますた(文献3)。
(文献3)によるとこの断層帯は、南落ちの正断層と推定されており、その東方延長部は、福岡県の傾動型断層山地である耳納山地の北麓(「水縄断層帯」がある)へと続いているようにも見えます。
正断層であること、東西走向であることから見て、水縄断層帯(タイプは正断層)と同様に、「別府―島原地溝帯」とも関連した、九州中部における南北方向の伸張場の影響を受けた断層帯ではないか、と思います(この段落は私見です)。
ただし、水縄断層は北落ち、背振山地南麓断層帯は南落ちと、垂直方向の活動センスが逆向きであり、同じ活動センスを持つ一つながりの断層帯、というわけではないようです。
詳しくは解りませんが、2つの断層(帯)がなにか「共役的」な組み合わせになっているのかも知れません(この段落は私見です)
2)「九州北部地質区・有田ゾーン」にある山々と、溶岩台地の地質
12−3章でも説明した通り、「北部九州地質区・東部ゾーン」と名付けた福岡県のほぼ全域と佐賀県の東部は、地質学的には中国地方の地質と類似しています。が、佐賀県の中央部を走る断層で、地質境界線でもある「畑島−有明海断層」によって、その西端はいきなり終わりとなります。
「畑島―有明海断層」より西側の地域、具体的には佐賀県の西部、および長崎県の北部・佐世保市付近は、「有田(地溝)帯」とも呼ばれる(文献1−a)、地溝帯とされています。(ただしボーリング調査などでの基盤岩の調査結果はないようです)。
この「北部九州地質区・有田ゾーン」(以下「有田ゾーン」と略す)は、古第三紀 始新世(56−34Ma)の非付加体型の堆積岩(主に砂岩)が広く分布し、その上位に、新第三紀 中新世末から鮮新世にかけての古い火山岩(主に玄武岩質の火山岩)が分布し、さらに最上部にはところどころ、第四紀の火山岩が分布している地質区です(文献1−b)、(文献2−a)、(図2,3)
この地質区では、せいぜい500−700mの火山岩性の山があるだけですが、そのうち登山対象となっているいくつかの山について、以下、その地質、地形的特徴を説明します。
(2−1)黒髪山系
佐賀県の西部には、「有田焼」(ありやたき)で名を知られる有田町(ありたちょう)があります。その有田町の北部には、黒髪山を始めとしたいくつかの低山があります。これらの山々は「黒髪山地」とも呼ばれますが、この章ではこれらの山々を「黒髪(くろかみ)山系」と呼ぶことにします(文献4)。
黒髪山系の主な山としては、黒髪山(くろかみざん;516m;注1))、青螺山(せいらさん:618m)、牧ノ山(まきのやま:552m)、腰岳(こしだけ:488m)などがあります(文献4)。
黒髪山系は、標高が低い割には岩っぽい山々が多く、小さいながら岩峰、岩壁もあって、登山対象として楽しめる山々です(写真2)。
この黒髪山地の地質を産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、この山系は、第四紀の最も初期であるジェラシアン期(約180−260万年前)の火山岩で形成されています。岩質はデイサイト/流紋岩質の部分と安山岩質の部分とがあります(図2)。
それらの火山岩が徐々に浸食を受けて、現在のような岩っぽい山々ができたと思われます。
この黒髪山系を含む「北部九州地質区・有田ゾーン」には、第四紀火山岩だけでなく、新第三紀 鮮新世(約5.3−2.6Ma)や中新世(約23−5Ma)の後期の火山岩が広範囲に広がっており、かなり長期間、火山活動が続いた場所です(図2)。
この「有田ゾーン」の火山活動は、日本列島の他の火山群とは違う、やや特殊な点があるのですが、少し専門的になるので、本章の後ろに「補足説明1」として解説します。ご興味のある方はご覧ください。
また黒髪山系のうち「腰岳」(こしだけ)は、火山岩の一種の「黒曜石(こくようせき)」が一部に分布しています。この黒曜石は、縄文時代から弥生時代にかけ、石器や矢じりなどの道具用として重宝され、九州だけでなく、西日本や朝鮮半島南部でも、この腰岳産・黒曜石の石器が見つかっています。そういう意味では、古代において、この山は非常に有名な山だったことになります(文献7)。
なお黒曜石の考古学的な説明として、本章の後ろに「補足説明2」として解説しました。ご興味のある方はご覧ください。
注1)黒髪山の呼び方;登山ガイドブック(文献4)や「ヤマレコ」では、「黒髪山」の読み方を「くろかみざん」としていますが、地元では、「くろかみさん」とか「くろかみやま」とも呼びます。
(2−2)国見山
国見山(くにみやま;776m)は伊万里市(佐賀県)と佐世保市(長崎県)と間にある山です。
地質的には、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、中後期中新世の(約16−7Ma)(ランギアン〜トートニアン期)の玄武岩でできています。北松浦半島の玄武岩質台地では最も標高が高い部分になります。
地形的には南北に長い稜線部を持ち、その東側は急斜面となっている特徴的な山容です。
東側の急斜面部分は断層で形成された地形のようにも思えます。 が、(文献9)では、明確には記載されていませんが、「地すべり」で形成された地形を示唆しています。
(2−3)虚空蔵山
虚空蔵山(こくぞうやま;609m)も佐賀/長崎の県境部にある山で、標高はさほどでもありませんが、岩峰状の山頂部が目立つ山で、頂上からの展望も良く、登山対象として登られています。
地質的には産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、前述の国見山より新しく、黒髪山系と同じ、第四紀ジェラシアン期(約2.6−1.8Ma)の安山岩類でできています。
一方、(文献1−c)では、虚空蔵山は「新第三紀 鮮新世に形成された成層火山」と書かれています。ただし火山岩の年代は、約2.2Maと記載があり、現区分でいうと第四紀ジェラシアン期に相当するので矛盾はありません。(文献1−c)によると、山体下部は水中で噴火した火山岩(安山岩質の凝灰角礫岩)でtきており、山体の上部は陸上で噴火した火山岩(安山岩質の溶岩流)でできています。現在は浸食によって、この山の上部は岩峰状の険しい山容となっています。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
「畑島―有明海断層」より西側の地域、具体的には佐賀県の西部、および長崎県の北部・佐世保市付近は、「有田(地溝)帯」とも呼ばれる(文献1−a)、地溝帯とされています。(ただしボーリング調査などでの基盤岩の調査結果はないようです)。
この「北部九州地質区・有田ゾーン」(以下「有田ゾーン」と略す)は、古第三紀 始新世(56−34Ma)の非付加体型の堆積岩(主に砂岩)が広く分布し、その上位に、新第三紀 中新世末から鮮新世にかけての古い火山岩(主に玄武岩質の火山岩)が分布し、さらに最上部にはところどころ、第四紀の火山岩が分布している地質区です(文献1−b)、(文献2−a)、(図2,3)
この地質区では、せいぜい500−700mの火山岩性の山があるだけですが、そのうち登山対象となっているいくつかの山について、以下、その地質、地形的特徴を説明します。
(2−1)黒髪山系
佐賀県の西部には、「有田焼」(ありやたき)で名を知られる有田町(ありたちょう)があります。その有田町の北部には、黒髪山を始めとしたいくつかの低山があります。これらの山々は「黒髪山地」とも呼ばれますが、この章ではこれらの山々を「黒髪(くろかみ)山系」と呼ぶことにします(文献4)。
黒髪山系の主な山としては、黒髪山(くろかみざん;516m;注1))、青螺山(せいらさん:618m)、牧ノ山(まきのやま:552m)、腰岳(こしだけ:488m)などがあります(文献4)。
黒髪山系は、標高が低い割には岩っぽい山々が多く、小さいながら岩峰、岩壁もあって、登山対象として楽しめる山々です(写真2)。
この黒髪山地の地質を産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、この山系は、第四紀の最も初期であるジェラシアン期(約180−260万年前)の火山岩で形成されています。岩質はデイサイト/流紋岩質の部分と安山岩質の部分とがあります(図2)。
それらの火山岩が徐々に浸食を受けて、現在のような岩っぽい山々ができたと思われます。
この黒髪山系を含む「北部九州地質区・有田ゾーン」には、第四紀火山岩だけでなく、新第三紀 鮮新世(約5.3−2.6Ma)や中新世(約23−5Ma)の後期の火山岩が広範囲に広がっており、かなり長期間、火山活動が続いた場所です(図2)。
この「有田ゾーン」の火山活動は、日本列島の他の火山群とは違う、やや特殊な点があるのですが、少し専門的になるので、本章の後ろに「補足説明1」として解説します。ご興味のある方はご覧ください。
また黒髪山系のうち「腰岳」(こしだけ)は、火山岩の一種の「黒曜石(こくようせき)」が一部に分布しています。この黒曜石は、縄文時代から弥生時代にかけ、石器や矢じりなどの道具用として重宝され、九州だけでなく、西日本や朝鮮半島南部でも、この腰岳産・黒曜石の石器が見つかっています。そういう意味では、古代において、この山は非常に有名な山だったことになります(文献7)。
なお黒曜石の考古学的な説明として、本章の後ろに「補足説明2」として解説しました。ご興味のある方はご覧ください。
注1)黒髪山の呼び方;登山ガイドブック(文献4)や「ヤマレコ」では、「黒髪山」の読み方を「くろかみざん」としていますが、地元では、「くろかみさん」とか「くろかみやま」とも呼びます。
(2−2)国見山
国見山(くにみやま;776m)は伊万里市(佐賀県)と佐世保市(長崎県)と間にある山です。
地質的には、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、中後期中新世の(約16−7Ma)(ランギアン〜トートニアン期)の玄武岩でできています。北松浦半島の玄武岩質台地では最も標高が高い部分になります。
地形的には南北に長い稜線部を持ち、その東側は急斜面となっている特徴的な山容です。
東側の急斜面部分は断層で形成された地形のようにも思えます。 が、(文献9)では、明確には記載されていませんが、「地すべり」で形成された地形を示唆しています。
(2−3)虚空蔵山
虚空蔵山(こくぞうやま;609m)も佐賀/長崎の県境部にある山で、標高はさほどでもありませんが、岩峰状の山頂部が目立つ山で、頂上からの展望も良く、登山対象として登られています。
地質的には産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、前述の国見山より新しく、黒髪山系と同じ、第四紀ジェラシアン期(約2.6−1.8Ma)の安山岩類でできています。
一方、(文献1−c)では、虚空蔵山は「新第三紀 鮮新世に形成された成層火山」と書かれています。ただし火山岩の年代は、約2.2Maと記載があり、現区分でいうと第四紀ジェラシアン期に相当するので矛盾はありません。(文献1−c)によると、山体下部は水中で噴火した火山岩(安山岩質の凝灰角礫岩)でtきており、山体の上部は陸上で噴火した火山岩(安山岩質の溶岩流)でできています。現在は浸食によって、この山の上部は岩峰状の険しい山容となっています。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
3)多良岳火山
多良岳(火山)は、佐賀/長崎県境にあり、約40kmもの大きな裾野を持つ、やや古い第四紀火山です (以下、(文献2−b)に基づき、「多良岳火山」と呼ぶことにします;図3)。
山頂部はいくつかのピークに分かれていて、主峰の多良岳(996m)や、この火山の最高峰である経ヶ岳(1076m)、五家原岳(ごかはらだけ:1057m)などのピークがあります。
古くは修験道の山として知られ、中心部には「金泉寺(こんせんじ)」という古刹があります。また手軽な登山対象として佐賀県、長崎県の人々から親しまれており、いくつも登山道があります。
さて、多良岳火山の火山としての形成史は(文献2−b)によると、第四紀のうち、約100―40万年前に活動した火山です。
元々は大型の成層火山だったと推定されており、裾野の広さも含めて考えると、現在の標高よりも更に高く、1500m程度はあったのではないかと思われます(この段落は私見を含みます)。
この多良岳火山の活動は(文献2−b)では「古期活動」と「新期活動」の2期に分けられています。また(文献1−d)でも大きくは「古期活動」と「新期活動」に分けてますが、更に細かくは、4−5つの活動期に分けています。
(文献2−b)と(文献1−d)では、「多良岳火山」の活動史に、やや整合性がありません。
まず(文献2−b)に基づき説明します。まず約100万年前から始まった「古期活動」では、周辺の玄武岩台地を作っているものと同様に、大量の玄武岩質の溶岩噴出で始まったと推定されています。
その後、約80―40万年前にかけ「新期活動」が起こりました。この時期には主に安山岩質の活動で、この時期に大型の成層火山を形成したと推定されています。
「新期活動」の最後には、溶岩流で形成された小型の火山として、現在の「経ヶ岳」ピークや「多良岳」ピークが形成された、とされています。
一方、(文献1−d)によると、「古期活動」の時代にすでに大型成層火山を形成していた、としています。また「古期活動」、「新期活動」の両時期にわたって、玄武岩質の溶岩噴出と、安山岩質の溶岩噴出を繰り返した、と説明されています。
いずれにしろ、約100万年前から活動を開始した火山で、約40万年前には火山活動は停止して浸食、開析が進みつつある火山といえます。
なお、あくまで私見ですが、見た目や歩いた感じでいうと、「経ヶ岳」ピーク、「多良岳」ピークは、共に溶岩ドームのようにも思えます(写真3)。
山頂部はいくつかのピークに分かれていて、主峰の多良岳(996m)や、この火山の最高峰である経ヶ岳(1076m)、五家原岳(ごかはらだけ:1057m)などのピークがあります。
古くは修験道の山として知られ、中心部には「金泉寺(こんせんじ)」という古刹があります。また手軽な登山対象として佐賀県、長崎県の人々から親しまれており、いくつも登山道があります。
さて、多良岳火山の火山としての形成史は(文献2−b)によると、第四紀のうち、約100―40万年前に活動した火山です。
元々は大型の成層火山だったと推定されており、裾野の広さも含めて考えると、現在の標高よりも更に高く、1500m程度はあったのではないかと思われます(この段落は私見を含みます)。
この多良岳火山の活動は(文献2−b)では「古期活動」と「新期活動」の2期に分けられています。また(文献1−d)でも大きくは「古期活動」と「新期活動」に分けてますが、更に細かくは、4−5つの活動期に分けています。
(文献2−b)と(文献1−d)では、「多良岳火山」の活動史に、やや整合性がありません。
まず(文献2−b)に基づき説明します。まず約100万年前から始まった「古期活動」では、周辺の玄武岩台地を作っているものと同様に、大量の玄武岩質の溶岩噴出で始まったと推定されています。
その後、約80―40万年前にかけ「新期活動」が起こりました。この時期には主に安山岩質の活動で、この時期に大型の成層火山を形成したと推定されています。
「新期活動」の最後には、溶岩流で形成された小型の火山として、現在の「経ヶ岳」ピークや「多良岳」ピークが形成された、とされています。
一方、(文献1−d)によると、「古期活動」の時代にすでに大型成層火山を形成していた、としています。また「古期活動」、「新期活動」の両時期にわたって、玄武岩質の溶岩噴出と、安山岩質の溶岩噴出を繰り返した、と説明されています。
いずれにしろ、約100万年前から活動を開始した火山で、約40万年前には火山活動は停止して浸食、開析が進みつつある火山といえます。
なお、あくまで私見ですが、見た目や歩いた感じでいうと、「経ヶ岳」ピーク、「多良岳」ピークは、共に溶岩ドームのようにも思えます(写真3)。
4)雲仙岳
雲仙岳は、有明海の南部に突き出ている島原半島の大部分を作っている火山であり、東西が約20km、南北が約25kmの大型の火山です。中心部には普賢岳(ふげんだけ:1359m)、妙見岳(みょうけんだけ:1333m)、平成新山(へいせいしんざん:1483m)などのピークがあり、それらをまとめた総称が雲仙岳です(図3)、(写真4)。
雲仙岳は12−1章、12−3章でも触れたように、九州中部を東西に走る「別府―島原地溝帯」のなかにあります。雲仙岳を含む島原半島は、その地溝にある東西方向の正断層が多数走っており、基盤はその断層群によってどんどんと沈降しています。そこに地下からマグマが上昇してきて雲仙岳が形成され、地溝を埋めるような働きをしています。一方で形成された火山体も新たな正断層でずたずたに切られています(文献2−c)、(文献1−e)、(図4)。
雲仙岳の、火山としての形成史としては(文献2−c)及び(文献1−e)によると、北隣の多良岳火山よりやや遅く、約50万年前に火山活動が始まったと推定されています。その後の火山活動として、(文献1−e)では、「古期活動」、「中期活動」、「新期活動」の3区分としています。
(文献2−c)、(文献1−e)によると、現在の山頂部のうち、妙見岳、普賢岳は、「新期活動」時代の約10万年前以降に形成された溶岩ドームですが、細かく見るとまずは(古)妙見岳ができたのち、(古)妙見岳の山体崩壊により東側に向かって馬蹄形の小型カルデラが形成され(約2−3万年前)、そこにできた小型カルデラ内にその後、溶岩ドームとしての普賢岳ができた、と推定されています。
さらに1991年〜1995年にかけての火山活動では、普賢岳のさらに東側で活発な火山活動が生じ、数回の小規模な火砕流を伴いながら、溶岩ドームとしての平成新山が形成されました。
特に1991年6月3日には、溶岩ドームの崩落により火砕流(火砕サージ)が発生して、43名の犠牲者が出ました。その後も溶岩ドームの崩壊によって数度の小規模な火砕流が発生しました。
平成新山は現在(2020年時点)でも、頂上部から多少、噴気を立ち昇らせており、マグマや高温岩体が頂上部の下にあることがうかがえます(写真5)。
ところで、雲仙岳を形成している火山岩について、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、噴出時代によらずほぼ全て「デイサイト/流紋岩質」の火山岩です(図4)。
北側に隣接していて、より古い時代に活動した「多良岳火山」が玄武岩/安山岩質の火山岩であったのとは異なっており、火山を形成したマグマ自体も供給源、形成過程が異なることを示唆しています。
また、流動性が低目である「デイサイト/流紋岩質」マグマは、爆発的噴火を起こしたり、溶岩ドームを形成したりすることが多いようです。
雲仙岳は遠くから見ると、裾野に比べてかなり急峻な斜面を持っており、また頂上部に多数の溶岩ドームや小型カルデラを持っていますが、これらもマグマ(火山岩)の性質によるのではないかと思います(この段落は私見を含みます)
さて、雲仙岳中心部より東側、島原市街のすぐ裏手には、眉山(まゆやま;819m)という急峻な山がありますが、これも溶岩ドームの一つです(写真4)。
この眉山は、江戸時代の1792年に、地震が引き金となって山体崩壊が生じ、その山体崩壊によって生じた巨大土石流は、東側の島原市とその海上へと雪崩れ込むとともに、大きな津波を引き起こしました。その津波は対岸の熊本平野も襲い、その結果、地震と津波による犠牲者(死者)は、両岸あわせて約1.5万人にも及びました。
この大災害を通称「島原大変 肥後迷惑(しまばらたいへん ひごめいわく)」と呼びます。有史以降の日本の火山性災害のうち最大のものです(文献1−d)。
島原市街地の前の海には小島が多数ありますが、これらは全て、この時の巨大土石流によって形成された島々です。
雲仙岳では前述のとおり、「別府―島原地溝帯」の中にあるため、南北に引っ張られるような伸張場にあり、その力によって生じた多数の正断層の活動により、山体が各所で崩落状態になっています(図4)。
(文献2−c)によると、過去1万年の平均的な変位速度(南北方向へ開く方向)は、約2−3mm/年と推定されています。また(文献1−d)によると、過去100年間の地殻変動として、南北方向には約14mm/年の速度で開いており、鉛直方向へは約2mm/年の速度で沈降している、という測定結果が得られています。
すなはち「別府―島原地溝帯」は現在でも非常に活動的な地溝帯だと言えます。
雲仙岳は12−1章、12−3章でも触れたように、九州中部を東西に走る「別府―島原地溝帯」のなかにあります。雲仙岳を含む島原半島は、その地溝にある東西方向の正断層が多数走っており、基盤はその断層群によってどんどんと沈降しています。そこに地下からマグマが上昇してきて雲仙岳が形成され、地溝を埋めるような働きをしています。一方で形成された火山体も新たな正断層でずたずたに切られています(文献2−c)、(文献1−e)、(図4)。
雲仙岳の、火山としての形成史としては(文献2−c)及び(文献1−e)によると、北隣の多良岳火山よりやや遅く、約50万年前に火山活動が始まったと推定されています。その後の火山活動として、(文献1−e)では、「古期活動」、「中期活動」、「新期活動」の3区分としています。
(文献2−c)、(文献1−e)によると、現在の山頂部のうち、妙見岳、普賢岳は、「新期活動」時代の約10万年前以降に形成された溶岩ドームですが、細かく見るとまずは(古)妙見岳ができたのち、(古)妙見岳の山体崩壊により東側に向かって馬蹄形の小型カルデラが形成され(約2−3万年前)、そこにできた小型カルデラ内にその後、溶岩ドームとしての普賢岳ができた、と推定されています。
さらに1991年〜1995年にかけての火山活動では、普賢岳のさらに東側で活発な火山活動が生じ、数回の小規模な火砕流を伴いながら、溶岩ドームとしての平成新山が形成されました。
特に1991年6月3日には、溶岩ドームの崩落により火砕流(火砕サージ)が発生して、43名の犠牲者が出ました。その後も溶岩ドームの崩壊によって数度の小規模な火砕流が発生しました。
平成新山は現在(2020年時点)でも、頂上部から多少、噴気を立ち昇らせており、マグマや高温岩体が頂上部の下にあることがうかがえます(写真5)。
ところで、雲仙岳を形成している火山岩について、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、噴出時代によらずほぼ全て「デイサイト/流紋岩質」の火山岩です(図4)。
北側に隣接していて、より古い時代に活動した「多良岳火山」が玄武岩/安山岩質の火山岩であったのとは異なっており、火山を形成したマグマ自体も供給源、形成過程が異なることを示唆しています。
また、流動性が低目である「デイサイト/流紋岩質」マグマは、爆発的噴火を起こしたり、溶岩ドームを形成したりすることが多いようです。
雲仙岳は遠くから見ると、裾野に比べてかなり急峻な斜面を持っており、また頂上部に多数の溶岩ドームや小型カルデラを持っていますが、これらもマグマ(火山岩)の性質によるのではないかと思います(この段落は私見を含みます)
さて、雲仙岳中心部より東側、島原市街のすぐ裏手には、眉山(まゆやま;819m)という急峻な山がありますが、これも溶岩ドームの一つです(写真4)。
この眉山は、江戸時代の1792年に、地震が引き金となって山体崩壊が生じ、その山体崩壊によって生じた巨大土石流は、東側の島原市とその海上へと雪崩れ込むとともに、大きな津波を引き起こしました。その津波は対岸の熊本平野も襲い、その結果、地震と津波による犠牲者(死者)は、両岸あわせて約1.5万人にも及びました。
この大災害を通称「島原大変 肥後迷惑(しまばらたいへん ひごめいわく)」と呼びます。有史以降の日本の火山性災害のうち最大のものです(文献1−d)。
島原市街地の前の海には小島が多数ありますが、これらは全て、この時の巨大土石流によって形成された島々です。
雲仙岳では前述のとおり、「別府―島原地溝帯」の中にあるため、南北に引っ張られるような伸張場にあり、その力によって生じた多数の正断層の活動により、山体が各所で崩落状態になっています(図4)。
(文献2−c)によると、過去1万年の平均的な変位速度(南北方向へ開く方向)は、約2−3mm/年と推定されています。また(文献1−d)によると、過去100年間の地殻変動として、南北方向には約14mm/年の速度で開いており、鉛直方向へは約2mm/年の速度で沈降している、という測定結果が得られています。
すなはち「別府―島原地溝帯」は現在でも非常に活動的な地溝帯だと言えます。
【補足説明1】 「北西九州地域」(「有田ゾーン」)における「アルカリ玄武岩」の活動
本文でも多少触れましたが、この第12部で独自に定義した「北部九州地質区・有田ゾーン※」では、新第三紀 中新世末から第四紀にかけ(具体的年代でいうと約10Ma〜約1Ma)、火山活動が活発だった地域であり、特に玄武岩質の溶岩が多量に噴出して溶岩台地を形成していることが特徴となっています。
特に「東松浦半島」(佐賀県の唐津市付近)や、「北松浦半島」(長崎県の佐世保市付近から佐賀県の伊万里市付近)は、その玄武岩でできた典型的な溶岩台地が広がっています(文献1−f)、(文献2−d)。
※ 日本の地質学上は、この玄武岩質火山台地が広がっている地域を「北西九州地域」と呼ぶことが多いのですが、この章では「有田ゾーン」という独自名称で統一します。
この「有田ゾーン」にある玄武岩は、日本列島で一般的な玄武岩ではなく、「アルカリ玄武岩」(文献10―a)、(文献1−f)と呼ばれる玄武岩です。ここでの“アルカリ”とは、化学でいう“塩基性”という意味ではなく、アルカリ金属元素(具体的にはNa;ナトリウム、K;カリウム)の含有量が比較的多い、という意味です(文献10―a)、(文献11−a)、(文献11−b)。
玄武岩は成因や含有元素の種類によって、いろいろな種類に細かく分けられますが(文献10―b)、そのうち日本列島のような、海洋プレート沈み込み帯に隣接した島弧で噴出する玄武岩は、Na,Kの含有量が比較的少ない「非アルカリ玄武岩」(文献10−bでは、さらに細かく「低アルカリ・ソレアイト玄武岩」と「高アルミナ玄武岩」の2種が日本列島に分布していると図示しています)というグループに属しているのが一般的とされます。
一方でNa,Kが多めの「アルカリ玄武岩」は通常、大陸やホットスポットで噴出するタイプの玄武岩とされています(文献10―b),(文献11−b)、(文献1−f)。
この「有田ゾーン」の玄武岩は「アルカリ玄武岩」なので、海洋プレート沈み込みとは直接関係なく、大陸的なマグマ由来と考えられています(文献1−f)、(文献2−d)、(文献12−a)。
このマグマは、ここでいう「有田ゾーン」だけでなく、長崎県の五島列島や壱岐、(日本の)中国地方の日本海側、隠岐諸島、更に韓国の済州島(中央部にハルラ山(1950m)があり、全島が火山島)でも噴出して溶岩台地や火山を形成しており、かなり広い領域で活動していたことが解っています(文献1−f)、(文献10−b)、(文献12−a)。
この北部九州(「有田ゾーン」)や中国地方、さらに韓国の一部まで含む「アルカリ玄武岩」が活動した領域は、地殻が伸張場となって薄くなるとともに、それに呼応するかのようにマントル深部で形成された玄武岩質マグマが上昇して(高温マントルの上昇;「マントル上昇流」や「(マントル)アップウエルディング」とも呼ぶ)、上記のような火山活動が生じたと考えられています(文献1−f)、(文献2−d)、(文献12−a)。
また(文献1−f)では、この領域全体の火成活動様式を、「ホットリージョン」(“Hot Region“)型(※)の火山活動と呼んでいます。
なお、このゾーンでのアルカリ玄武岩質マグマが形成された深さについては、(文献10―b)にて岩石学的見地から検討されていますが、明確な結論は記載されていません。少なくとも下部マントルではなく、上部マントル起源のようです。
(文献12)の各論文では、そのメカニズムなどについての研究状況が記載されていますが、かなり専門的な内容で、筆者も十分理解できない部分があるので、詳細は割愛します。
いずれにしろ、島弧的でない火山活動が起きたゾーンとして、地質学的には注目されている場所と言えます。
※ プレート沈み込み帯や衝突帯のような場所ではない場所に、孤立的に生じる火山活動(有名な例はハワイ火山群))は、「ホットスポット(Hot Spot)」と呼ばれ、下部マントルで生じたマグマが上昇して、長期的な火山活動が起きていると考えられています。
ここで述べた領域の火山活動は「スポット」(点状)よりも範囲が広いので、(文献1−f)では「リージョン(region)」(領域)という用語が使用されています。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
特に「東松浦半島」(佐賀県の唐津市付近)や、「北松浦半島」(長崎県の佐世保市付近から佐賀県の伊万里市付近)は、その玄武岩でできた典型的な溶岩台地が広がっています(文献1−f)、(文献2−d)。
※ 日本の地質学上は、この玄武岩質火山台地が広がっている地域を「北西九州地域」と呼ぶことが多いのですが、この章では「有田ゾーン」という独自名称で統一します。
この「有田ゾーン」にある玄武岩は、日本列島で一般的な玄武岩ではなく、「アルカリ玄武岩」(文献10―a)、(文献1−f)と呼ばれる玄武岩です。ここでの“アルカリ”とは、化学でいう“塩基性”という意味ではなく、アルカリ金属元素(具体的にはNa;ナトリウム、K;カリウム)の含有量が比較的多い、という意味です(文献10―a)、(文献11−a)、(文献11−b)。
玄武岩は成因や含有元素の種類によって、いろいろな種類に細かく分けられますが(文献10―b)、そのうち日本列島のような、海洋プレート沈み込み帯に隣接した島弧で噴出する玄武岩は、Na,Kの含有量が比較的少ない「非アルカリ玄武岩」(文献10−bでは、さらに細かく「低アルカリ・ソレアイト玄武岩」と「高アルミナ玄武岩」の2種が日本列島に分布していると図示しています)というグループに属しているのが一般的とされます。
一方でNa,Kが多めの「アルカリ玄武岩」は通常、大陸やホットスポットで噴出するタイプの玄武岩とされています(文献10―b),(文献11−b)、(文献1−f)。
この「有田ゾーン」の玄武岩は「アルカリ玄武岩」なので、海洋プレート沈み込みとは直接関係なく、大陸的なマグマ由来と考えられています(文献1−f)、(文献2−d)、(文献12−a)。
このマグマは、ここでいう「有田ゾーン」だけでなく、長崎県の五島列島や壱岐、(日本の)中国地方の日本海側、隠岐諸島、更に韓国の済州島(中央部にハルラ山(1950m)があり、全島が火山島)でも噴出して溶岩台地や火山を形成しており、かなり広い領域で活動していたことが解っています(文献1−f)、(文献10−b)、(文献12−a)。
この北部九州(「有田ゾーン」)や中国地方、さらに韓国の一部まで含む「アルカリ玄武岩」が活動した領域は、地殻が伸張場となって薄くなるとともに、それに呼応するかのようにマントル深部で形成された玄武岩質マグマが上昇して(高温マントルの上昇;「マントル上昇流」や「(マントル)アップウエルディング」とも呼ぶ)、上記のような火山活動が生じたと考えられています(文献1−f)、(文献2−d)、(文献12−a)。
また(文献1−f)では、この領域全体の火成活動様式を、「ホットリージョン」(“Hot Region“)型(※)の火山活動と呼んでいます。
なお、このゾーンでのアルカリ玄武岩質マグマが形成された深さについては、(文献10―b)にて岩石学的見地から検討されていますが、明確な結論は記載されていません。少なくとも下部マントルではなく、上部マントル起源のようです。
(文献12)の各論文では、そのメカニズムなどについての研究状況が記載されていますが、かなり専門的な内容で、筆者も十分理解できない部分があるので、詳細は割愛します。
いずれにしろ、島弧的でない火山活動が起きたゾーンとして、地質学的には注目されている場所と言えます。
※ プレート沈み込み帯や衝突帯のような場所ではない場所に、孤立的に生じる火山活動(有名な例はハワイ火山群))は、「ホットスポット(Hot Spot)」と呼ばれ、下部マントルで生じたマグマが上昇して、長期的な火山活動が起きていると考えられています。
ここで述べた領域の火山活動は「スポット」(点状)よりも範囲が広いので、(文献1−f)では「リージョン(region)」(領域)という用語が使用されています。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
【補足説明2】「黒曜石」とは
黒曜石(こくようせき)とは、岩石学的には「黒曜岩(こくようがん)」とも呼び(文献6)、(ガラス質(=アモルファス、非晶質)な岩石の一種です。
腰岳の黒曜石の岩質としては産総研「シームレス地質図v2」で見ると玄武岩質のように書かれていますが、(文献6)によると実際は流紋岩質のようです。なお(文献5)、(文献6)によると、一般的な黒曜石の岩質は流紋岩質とされています。
一般的な岩石は、ほとんどが、目で見えるような鉱物(結晶)や、顕微鏡サイズの鉱物微結晶からできています。
鉱物結晶をほとんど含まないガラス質の岩石は、以外と形成されにくく、この黒曜石も珍しい岩石の一つと言えます。
黒曜石が古代に重宝されていたのは、この岩を上手に割れば、まさにガラスのように鋭利な破断面となることから、現代の包丁、ナイフ、草刈り鎌などと同じように、刃物として使えるからです。矢じりに使えば強力な武器ともなります。黒曜石は日本だけではなく世界各地の石器時代で、同様に使われています(文献5)、(文献6)。
日本列島で、古代の黒曜石産地として有名なのは、(文献5)、(文献6)によると、九州ではこの腰岳のほか、大分県の姫島(ひめしま)が有名です。なお姫島の黒曜石産地は国の「天然記念物」に指定されています(文献8)。その他、本州では信州の和田峠(わだとうげ)付近、北海道の遠軽(えんがる)地域(旧、白滝村)、他に伊豆諸島の神津島といった場所が有名です。
それら産地の黒曜石は、古代の重要な交易品として、全国各地の遺跡から出土しています(文献5)。この腰岳の黒曜石も、九州一円のほか、南は沖縄、北は朝鮮半島南部の遺跡からも出土しています(文献7)。
腰岳の黒曜石の岩質としては産総研「シームレス地質図v2」で見ると玄武岩質のように書かれていますが、(文献6)によると実際は流紋岩質のようです。なお(文献5)、(文献6)によると、一般的な黒曜石の岩質は流紋岩質とされています。
一般的な岩石は、ほとんどが、目で見えるような鉱物(結晶)や、顕微鏡サイズの鉱物微結晶からできています。
鉱物結晶をほとんど含まないガラス質の岩石は、以外と形成されにくく、この黒曜石も珍しい岩石の一つと言えます。
黒曜石が古代に重宝されていたのは、この岩を上手に割れば、まさにガラスのように鋭利な破断面となることから、現代の包丁、ナイフ、草刈り鎌などと同じように、刃物として使えるからです。矢じりに使えば強力な武器ともなります。黒曜石は日本だけではなく世界各地の石器時代で、同様に使われています(文献5)、(文献6)。
日本列島で、古代の黒曜石産地として有名なのは、(文献5)、(文献6)によると、九州ではこの腰岳のほか、大分県の姫島(ひめしま)が有名です。なお姫島の黒曜石産地は国の「天然記念物」に指定されています(文献8)。その他、本州では信州の和田峠(わだとうげ)付近、北海道の遠軽(えんがる)地域(旧、白滝村)、他に伊豆諸島の神津島といった場所が有名です。
それら産地の黒曜石は、古代の重要な交易品として、全国各地の遺跡から出土しています(文献5)。この腰岳の黒曜石も、九州一円のほか、南は沖縄、北は朝鮮半島南部の遺跡からも出土しています(文献7)。
(参考文献)
文献1) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第7巻 九州・沖縄」 朝倉書店 刊
文献1−a) 文献1)のうち、
7−2−1節 「三郡変成帯」のうち、
7−2−1−(c)項 「「長崎変成帯」との関係」、の項
文献1−b) 文献1)のうち、
3−2章 「北部九州(の新生界))の、
3−2−1―b)「その他の地域の第三系」の項
文献1−c) 文献1)のうち、
3−6章 「(九州地方の)後期新生代の火山岩類」のうち、
3−6−1節 「北部九州地域」の項
文献1−d) 文献1)のうち、
第5―3章 「(九州地方の)背弧側の火山」の、
5−3−2節 「多良岳」の項
文献1−e) 文献1)のうち、
第5―3章 「(九州地方の)背弧側の火山」の、
5−3−4節 「雲仙火山」の項、
図5.3.5「雲仙岳東部地域の地質図」、及び
図5.3.6「雲仙普賢岳噴火」
文献1−f) 文献1)のうち、
第5−1章「(九州地方の火山)概説」の、
5−1−2節 「九州北・中部の火山活動」の項、及び
図5.1.2「北西九州玄武岩類の分布と年代」
文献2)町田、太田、河名、森脇、長岡 編
「日本の地形 第8巻 九州・南西諸島」 東京大学出版会 刊 (2001)
文献2−a) 文献2)のうち、
2−6−(3)―b)項 「(北松浦半島〜東松浦半島の)玄武岩台地」の項
文献2−b) 文献2)のうち、
2−3―(3)項 「多良岳火山」の項
文献2−c) 文献2)のうち、
2−2−(3)項 「雲仙火山」の項 及び、
図2.2.10 「雲仙火山を切る活断層」
文献2−d) 文献2)のうち、
第2部「北部および中部九州」の
「概説」(1)「北部九州」の項
文献3)インターネットサイト
(政府)「地震対策推進本部・地震本部」 編
「都道府県ごとの地震活動」>「九州・沖縄地方の地震活動の特徴」の項(マップ)
のうち、「佐賀平野北縁断層帯」の項
https://www.jishin.go.jp/regional_seismicity/rs_katsudanso/reg_kyushu_08_sagaheiya-hokuen/
文献4)内田、五十嵐、村田、林田、池田 共著
「分県登山ガイド 第40巻 佐賀県の山」山と渓谷社 刊 (2017)
のうち、「黒髪山地とその周辺」の項
文献5) インターネットサイト
ウイキペディア「黒曜石」の項
2022年4月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9B%9C%E7%9F%B3
文献6) 西本 著
「見て解る 観察をたのしむ 岩石図鑑」ナツメ社 刊 (2020)の、
「黒曜岩」の項
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ウイキペディア 「腰岳」の項
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2022年4月 閲覧
文献9) 松井、古川、沢村 著
地域地質研究報告
5万分の1地質図幅 福岡(14)第68号
「佐世保地域の地質」 (旧)地質調査所 刊 (1989年)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_14068_1989_D.pdf
文献10) 榎並 著、 大谷、長谷川、花輪 編集
「現代地球科学入門シリーズ 第16巻 岩石学」 共立出版 刊 (2013)
文献10―a) 文献10)のうち、
6−4章「玄武岩質マグマの多様性」の項
文献10―b) 文献10)のうち、
6−5章「玄武岩質マグマの生成深度と化学組成」の項、及び
図6.7 「日本列島およびその周辺地域における玄武岩質マグマの
組成変化とその生成モデル」
文献11)地学団体研究会 編
「新編 地学事典」 平凡社 刊 (1996)
文献11−a) 文献11)のうち、「アルカリ玄武岩」の項
文献11―b) 文献11)のうち、「アルカリ岩」の項
文献12)
論文集「月刊 地球」誌 海洋出版社 刊 第192号 (1995)
特集「西日本のホットスポット」(1995年6月号)
文献12−a) 文献12)のうち
行武 「背弧型火成活動」
文献12−b) 文献12)のうち、
柳、前田 「北西九州のマントルアップウエリングと玄武岩台地形成」
文献12−c) 文献12)のうち
中田 「マントルのアップウエリングと下部地殻・マントルのカップリング」
「日本地方地質誌 第7巻 九州・沖縄」 朝倉書店 刊
文献1−a) 文献1)のうち、
7−2−1節 「三郡変成帯」のうち、
7−2−1−(c)項 「「長崎変成帯」との関係」、の項
文献1−b) 文献1)のうち、
3−2章 「北部九州(の新生界))の、
3−2−1―b)「その他の地域の第三系」の項
文献1−c) 文献1)のうち、
3−6章 「(九州地方の)後期新生代の火山岩類」のうち、
3−6−1節 「北部九州地域」の項
文献1−d) 文献1)のうち、
第5―3章 「(九州地方の)背弧側の火山」の、
5−3−2節 「多良岳」の項
文献1−e) 文献1)のうち、
第5―3章 「(九州地方の)背弧側の火山」の、
5−3−4節 「雲仙火山」の項、
図5.3.5「雲仙岳東部地域の地質図」、及び
図5.3.6「雲仙普賢岳噴火」
文献1−f) 文献1)のうち、
第5−1章「(九州地方の火山)概説」の、
5−1−2節 「九州北・中部の火山活動」の項、及び
図5.1.2「北西九州玄武岩類の分布と年代」
文献2)町田、太田、河名、森脇、長岡 編
「日本の地形 第8巻 九州・南西諸島」 東京大学出版会 刊 (2001)
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2−6−(3)―b)項 「(北松浦半島〜東松浦半島の)玄武岩台地」の項
文献2−b) 文献2)のうち、
2−3―(3)項 「多良岳火山」の項
文献2−c) 文献2)のうち、
2−2−(3)項 「雲仙火山」の項 及び、
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のうち、「佐賀平野北縁断層帯」の項
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ウイキペディア「黒曜石」の項
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「黒曜岩」の項
文献7)インターネットサイト
ウイキペディア 「腰岳」の項
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B0%E5%B2%B3
文献8)インターネットサイト
ウイキペディア 「姫島の黒曜石産地」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%AB%E5%B3%B6%E3%81%AE%E9%BB%92%E6%9B%9C%E7%9F%B3%E7%94%A3%E5%9C%B0
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文献9) 松井、古川、沢村 著
地域地質研究報告
5万分の1地質図幅 福岡(14)第68号
「佐世保地域の地質」 (旧)地質調査所 刊 (1989年)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_14068_1989_D.pdf
文献10) 榎並 著、 大谷、長谷川、花輪 編集
「現代地球科学入門シリーズ 第16巻 岩石学」 共立出版 刊 (2013)
文献10―a) 文献10)のうち、
6−4章「玄武岩質マグマの多様性」の項
文献10―b) 文献10)のうち、
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図6.7 「日本列島およびその周辺地域における玄武岩質マグマの
組成変化とその生成モデル」
文献11)地学団体研究会 編
「新編 地学事典」 平凡社 刊 (1996)
文献11−a) 文献11)のうち、「アルカリ玄武岩」の項
文献11―b) 文献11)のうち、「アルカリ岩」の項
文献12)
論文集「月刊 地球」誌 海洋出版社 刊 第192号 (1995)
特集「西日本のホットスポット」(1995年6月号)
文献12−a) 文献12)のうち
行武 「背弧型火成活動」
文献12−b) 文献12)のうち、
柳、前田 「北西九州のマントルアップウエリングと玄武岩台地形成」
文献12−c) 文献12)のうち
中田 「マントルのアップウエリングと下部地殻・マントルのカップリング」
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