(はじめに)
この章では、九州南部(鹿児島県、宮崎県)にある活火山群について、その形成史を中心に説明します。具体的には、霧島連山、桜島、開聞岳について説明します。
12−2章、12−4章でも述べたように、九州南部では、ほぼ南北走向に、霧島連山、桜島、開聞岳といった火山群が並んでいます。これらはいずれも「活火山」です(文献3)。また鹿児島湾自体も、複数のカルデラ式火山が海没して形成された地溝です。
12−2章でも述べたように、この九州南部の火山列は、九州南東沖合にある、南海トラフから琉球海溝にかけての海洋プレート沈み込み帯と平行に並んでおり、そこから沈み込んでいる「フィリピン海プレート」が九州の地下深部でマグマを発生させて、火山列を作っているものです。島弧―海溝系における「火山フロント」に相当します。
この火山列の特徴は、非常に活動が活発なことです。
・霧島連山は、一部でしばしば噴火活動が起きています。
・桜島は言うまでもなく、20世紀以降、ほとんど休む間もなく噴煙をあげ、小噴火を起こしている、おそらく現在の日本列島では最も活動が活発な火山です。そのため、山麓部以外は立ち入り禁止ゾーンとなっており、登ることができない名山です。
・開聞岳は、現在では噴火活動は起きていませんが、後述のとおり、約4千年前から形成された、非常に新しい火山です。
12−2章、12−4章でも述べたように、九州南部では、ほぼ南北走向に、霧島連山、桜島、開聞岳といった火山群が並んでいます。これらはいずれも「活火山」です(文献3)。また鹿児島湾自体も、複数のカルデラ式火山が海没して形成された地溝です。
12−2章でも述べたように、この九州南部の火山列は、九州南東沖合にある、南海トラフから琉球海溝にかけての海洋プレート沈み込み帯と平行に並んでおり、そこから沈み込んでいる「フィリピン海プレート」が九州の地下深部でマグマを発生させて、火山列を作っているものです。島弧―海溝系における「火山フロント」に相当します。
この火山列の特徴は、非常に活動が活発なことです。
・霧島連山は、一部でしばしば噴火活動が起きています。
・桜島は言うまでもなく、20世紀以降、ほとんど休む間もなく噴煙をあげ、小噴火を起こしている、おそらく現在の日本列島では最も活動が活発な火山です。そのため、山麓部以外は立ち入り禁止ゾーンとなっており、登ることができない名山です。
・開聞岳は、現在では噴火活動は起きていませんが、後述のとおり、約4千年前から形成された、非常に新しい火山です。
1) 霧島連山
霧島連山は、「霧島山」とも呼ばれますが、実際は一つの山ではなく、最高峰の韓国岳(からくにだけ;1700m)や、特徴的な姿の高千穂峰(たかちほのみね:1573m)を始めとし、大小 約20個の火山を有する火山群です(文献1−a)。
霧島連山の地形的な特徴としては、非常に大きな火口を持つ火山が多い点です。
最高峰の韓国岳も山頂部に大きく深い火口がありますし、最近活動が活発な新燃岳(しんもえだけ:1421m)は大した比高がないのに、中央部は大きな火口となっています。また韓国岳の南側にある大浪池(おおなみいけ;池の縁の最高点の標高は、1388m)は、山という感じはしませんが、火山の一種であり、巨大な火口に水が溜まった火口湖です。
霧島連山を上空から写した写真を見ると、まるでクレータに覆われた月面のようにも見えます。
それ以外に、霧島連山は、初夏に咲く「キリシマツツジ」が有名です。現在はくじゅう連山がキリシマツツジの名所として良く知られていますし、他にも阿蘇山や雲仙岳など、九州の火山にはキリシマツツジが多いのですが、その名の通り、この霧島連山がその名前の由来です(文献4)。
さて、霧島連山の、火山群としての特徴や、火山としての形成史を、(文献1―a)、(文献2−a)、(文献3−a)を元に述べます。
まず火山群としての特徴の一つは、約20個もの多数の火山からなる点です。
この要因としては、霧島連山を含む地域が、広域的な伸張場(張力軸は北西―南東方向)にあり、地下からのマグマが、あちこちの地質学的な弱線(正断層、横ずれ断層など)にそって噴出することで、多数の火山を形成しているものと、推定されています(文献1−a)。
またもう一つの地形的な特徴は、前述のとおり、山体の標高がさほどでもないわりに、大きな火口を持つ点です。
この理由としては、霧島連山の地下の比較的浅い部分に、帯水層(熱水層)が広く分布しており、その下から上がってくるマグマがその熱水層と接触して、水が沸騰して水蒸気となり、一気に水蒸気爆発、あるいはマグマ水蒸気爆発を起こすために、巨大な火口が形成される、というメカニズムが想定されています(文献1―a)。
続いて、霧島連山の火山群としての形成史ですが、活動は大きく「古期活動期」と、「新期活動期」の2つに分けられています(文献1−a),(文献2−a)。
が、(文献1―a)と(文献2−b)とでは、「古期活動期」と「新期活動期」の時代区分(絶対年代としての)について、整合性がありません。「古期/新期」の区分の定義の問題だと思われますが、以下、とりあえず(文献1−a)に従い、活動史を説明します。
「古期活動期」は、約30−15万年前の活動ですが、すでに浸食などによって、その時期の火山群は、火山体が明確ではありません。活動様式もあまり明確ではありませんが、主に溶岩流出型の活動様式だと推定されています(文献1−a)。
この時期の火山噴出物は、産総研「シームレス地質図v2」において、形成時代が「第四紀 チバニアン期(=約78−13万年前)」と表示されている部分に対応すると思われますが、霧島連山のうち主に、西側、南西側、南側の山麓部に分布しています。ピークとしては、韓国岳と新燃岳との間にある獅子戸岳(ししどだけ;1429m)は、この時期の火山体の一部のようです。
「新期活動期」は、現在見られる火山群や火口湖を形成した活動期であり、約10万年前から現在まで続く活動期です。特に5〜6万年前からは活動度が上がり、韓国岳、高千穂峰、新燃岳、御池(火口湖)は、この頃から形成された火山体です(文献1−a)。
完新世(約1.2万年前〜現在)における火山活動は、新燃岳、高千穂峰が中心です。
このうち高千穂峰は、植生に乏しく、いかにも新鮮な火山っぽい山容です。またその山頂部のほか、西の山腹部に御鉢(おはち)火口、東の山麓には御池(みいけ)火口があります。これらの火口から、スコリア(軽石の一種)を噴出する噴火が頻繁に起きています。特に、山麓部にある御池火口でおきた、約4200年前の噴火は、霧島連山の完新世の噴火では最大級だったと推定されています(文献1−a)、(文献3−a)。
一方、新燃岳は、約9千年前から頻繁に活動しており、21世紀になっても爆発的噴火を起こしています。特に2011年の爆発的噴火は、周辺地域に多量の火山弾や火山灰を降らせる噴火でした(文献5)。
最近は新燃岳の活動が活発なため、20世紀後半頃には可能だった、韓国岳から新燃岳を通り高千穂峰への縦走も不可能になってしまいました。
なお、霧島連山の地質としては、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩〜玄武岩質安山岩です。また(文献2−a)では、大部分が「安山岩」である、とされており、日本列島における火山岩としては、ごく一般的なものです。
霧島連山の地形的な特徴としては、非常に大きな火口を持つ火山が多い点です。
最高峰の韓国岳も山頂部に大きく深い火口がありますし、最近活動が活発な新燃岳(しんもえだけ:1421m)は大した比高がないのに、中央部は大きな火口となっています。また韓国岳の南側にある大浪池(おおなみいけ;池の縁の最高点の標高は、1388m)は、山という感じはしませんが、火山の一種であり、巨大な火口に水が溜まった火口湖です。
霧島連山を上空から写した写真を見ると、まるでクレータに覆われた月面のようにも見えます。
それ以外に、霧島連山は、初夏に咲く「キリシマツツジ」が有名です。現在はくじゅう連山がキリシマツツジの名所として良く知られていますし、他にも阿蘇山や雲仙岳など、九州の火山にはキリシマツツジが多いのですが、その名の通り、この霧島連山がその名前の由来です(文献4)。
さて、霧島連山の、火山群としての特徴や、火山としての形成史を、(文献1―a)、(文献2−a)、(文献3−a)を元に述べます。
まず火山群としての特徴の一つは、約20個もの多数の火山からなる点です。
この要因としては、霧島連山を含む地域が、広域的な伸張場(張力軸は北西―南東方向)にあり、地下からのマグマが、あちこちの地質学的な弱線(正断層、横ずれ断層など)にそって噴出することで、多数の火山を形成しているものと、推定されています(文献1−a)。
またもう一つの地形的な特徴は、前述のとおり、山体の標高がさほどでもないわりに、大きな火口を持つ点です。
この理由としては、霧島連山の地下の比較的浅い部分に、帯水層(熱水層)が広く分布しており、その下から上がってくるマグマがその熱水層と接触して、水が沸騰して水蒸気となり、一気に水蒸気爆発、あるいはマグマ水蒸気爆発を起こすために、巨大な火口が形成される、というメカニズムが想定されています(文献1―a)。
続いて、霧島連山の火山群としての形成史ですが、活動は大きく「古期活動期」と、「新期活動期」の2つに分けられています(文献1−a),(文献2−a)。
が、(文献1―a)と(文献2−b)とでは、「古期活動期」と「新期活動期」の時代区分(絶対年代としての)について、整合性がありません。「古期/新期」の区分の定義の問題だと思われますが、以下、とりあえず(文献1−a)に従い、活動史を説明します。
「古期活動期」は、約30−15万年前の活動ですが、すでに浸食などによって、その時期の火山群は、火山体が明確ではありません。活動様式もあまり明確ではありませんが、主に溶岩流出型の活動様式だと推定されています(文献1−a)。
この時期の火山噴出物は、産総研「シームレス地質図v2」において、形成時代が「第四紀 チバニアン期(=約78−13万年前)」と表示されている部分に対応すると思われますが、霧島連山のうち主に、西側、南西側、南側の山麓部に分布しています。ピークとしては、韓国岳と新燃岳との間にある獅子戸岳(ししどだけ;1429m)は、この時期の火山体の一部のようです。
「新期活動期」は、現在見られる火山群や火口湖を形成した活動期であり、約10万年前から現在まで続く活動期です。特に5〜6万年前からは活動度が上がり、韓国岳、高千穂峰、新燃岳、御池(火口湖)は、この頃から形成された火山体です(文献1−a)。
完新世(約1.2万年前〜現在)における火山活動は、新燃岳、高千穂峰が中心です。
このうち高千穂峰は、植生に乏しく、いかにも新鮮な火山っぽい山容です。またその山頂部のほか、西の山腹部に御鉢(おはち)火口、東の山麓には御池(みいけ)火口があります。これらの火口から、スコリア(軽石の一種)を噴出する噴火が頻繁に起きています。特に、山麓部にある御池火口でおきた、約4200年前の噴火は、霧島連山の完新世の噴火では最大級だったと推定されています(文献1−a)、(文献3−a)。
一方、新燃岳は、約9千年前から頻繁に活動しており、21世紀になっても爆発的噴火を起こしています。特に2011年の爆発的噴火は、周辺地域に多量の火山弾や火山灰を降らせる噴火でした(文献5)。
最近は新燃岳の活動が活発なため、20世紀後半頃には可能だった、韓国岳から新燃岳を通り高千穂峰への縦走も不可能になってしまいました。
なお、霧島連山の地質としては、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩〜玄武岩質安山岩です。また(文献2−a)では、大部分が「安山岩」である、とされており、日本列島における火山岩としては、ごく一般的なものです。
2) 桜島
九州を代表する火山といえば、阿蘇山と、この桜島が、双璧でしょう。
鹿児島市街からは、海を隔てて真正面に、いつも噴煙を上げている桜島があり、鹿児島の象徴でもあるし、「火の国・九州」の象徴として、阿蘇山と甲乙つけがたいほどです。
桜島は、山としては標高こそ1117mで、さほど高い山ではありませんが、名山というか、全国的にも有名な山です。ただし意外にも、(深田)百名山には入っていません(「日本三百名山」には入っています)。
古くは大正時代の大噴火で多量の溶岩を流出してからというもの、現在までほとんど途切れなく噴火を起こしていて、山頂部まで登ることができない(禁止されている)、不遇の名山とも言えます。
(※ 桜島では、比較的火山活動が穏やかな時に登れる最高地点は、「湯之平(ゆのひら)展望所(標高 約370m)」付近までです。)
さて桜島の火山としての活動史を、(文献1−b)、(文献2−b)、(文献3−b)を元に、以下、説明します。
12−2章、12―4章でも触れたように、桜島の北側、鹿児島湾の最奥部は、地形学的、火山学的には「姶良(あいら)カルデラ」と呼ばれる、巨大なカルデラ式火山の跡です。
姶良カルデラ火山の噴火活動は、少なくとも十万年以上前から、なんども起こったと推定されていますが、特に約2.5万年前に起こった巨大噴火により、現在の海没カルデラ地形が形成されるとともに、鹿児島県を中心とした南九州一帯には、通称「シラス」とよばれる大量の火山灰、軽石類が降り積もりました。 注1)。
現在は、カルデラ底は海没して、最深部は海面下 約200mになりますが、現在でも海底では火山活動(噴気活動、熱水活動)が起こっている場所です。
火山としての桜島は、この姶良カルデラ火山の、巨大噴火の前後に、その南のカルデラ壁付近に形成された火山であり、いわば姶良カルデラ火山の後継者のような位置づけになります。
桜島火山の活動は、上記の姶良カルデラ火山の巨大噴火のすぐあと、少なくとも約2.3万年前から始まったと推定されています(なお、文献2−bでは、約2.6万年前としており、それだと姶良カルデラの巨大噴火より前となります)。
大隅半島や薩摩半島における桜島由来のテフラは、少なくとも17層確認されており(文献1−b)、この2万年以上の間、ほとんど休止期がなく活発な活動が継続して現在に至っている火山です。
比較的新しい時代の大噴火としては、1914年(大正3年)の「大正噴火」が良く知られています。この噴火以前は、桜島は、その名の通り、鹿児島湾に浮かぶ島でしたが、この大正噴火によって流下した溶岩流によって桜島の東側が大島半島とつながりました。この大正噴火は溶岩流出型で、東側山腹、西側山腹の2か所から溶岩が流下しています。また噴火開始後に、M7.1の火山性地震も生じています(文献3−b)。噴火と地震による死者は58名です(文献3−b)。
昭和時代には、1946年(昭和21年)に、山頂部(昭和火口)からの比較的大きな噴火が起きており、「昭和噴火」と名付けられています(文献3−b)。
また、1955年(昭和30年)には、山頂の一角、南岳火口から噴火が起き、死者1名がでています。それ以降、南岳火口からの噴火がほとんど切れ目なく続いています(文献3−b)。
(文献3−b)によると、桜島の直下 約4kmには、火口へとマグマを供給しているマグマ溜り(副マグマ溜り)があり、さらに前述の姶良カルデラの地下 約10kmにもマグマ溜り(主マグマ溜り)があって、主マグマ溜りー>副マグマ溜りー>火口 というマグマのルートが形成されている、と推定されています。
なお地質的には、文献2―b)によると安山岩〜デイサイト質であり、ごく一般的な火山岩です。
鹿児島市街からは、海を隔てて真正面に、いつも噴煙を上げている桜島があり、鹿児島の象徴でもあるし、「火の国・九州」の象徴として、阿蘇山と甲乙つけがたいほどです。
桜島は、山としては標高こそ1117mで、さほど高い山ではありませんが、名山というか、全国的にも有名な山です。ただし意外にも、(深田)百名山には入っていません(「日本三百名山」には入っています)。
古くは大正時代の大噴火で多量の溶岩を流出してからというもの、現在までほとんど途切れなく噴火を起こしていて、山頂部まで登ることができない(禁止されている)、不遇の名山とも言えます。
(※ 桜島では、比較的火山活動が穏やかな時に登れる最高地点は、「湯之平(ゆのひら)展望所(標高 約370m)」付近までです。)
さて桜島の火山としての活動史を、(文献1−b)、(文献2−b)、(文献3−b)を元に、以下、説明します。
12−2章、12―4章でも触れたように、桜島の北側、鹿児島湾の最奥部は、地形学的、火山学的には「姶良(あいら)カルデラ」と呼ばれる、巨大なカルデラ式火山の跡です。
姶良カルデラ火山の噴火活動は、少なくとも十万年以上前から、なんども起こったと推定されていますが、特に約2.5万年前に起こった巨大噴火により、現在の海没カルデラ地形が形成されるとともに、鹿児島県を中心とした南九州一帯には、通称「シラス」とよばれる大量の火山灰、軽石類が降り積もりました。 注1)。
現在は、カルデラ底は海没して、最深部は海面下 約200mになりますが、現在でも海底では火山活動(噴気活動、熱水活動)が起こっている場所です。
火山としての桜島は、この姶良カルデラ火山の、巨大噴火の前後に、その南のカルデラ壁付近に形成された火山であり、いわば姶良カルデラ火山の後継者のような位置づけになります。
桜島火山の活動は、上記の姶良カルデラ火山の巨大噴火のすぐあと、少なくとも約2.3万年前から始まったと推定されています(なお、文献2−bでは、約2.6万年前としており、それだと姶良カルデラの巨大噴火より前となります)。
大隅半島や薩摩半島における桜島由来のテフラは、少なくとも17層確認されており(文献1−b)、この2万年以上の間、ほとんど休止期がなく活発な活動が継続して現在に至っている火山です。
比較的新しい時代の大噴火としては、1914年(大正3年)の「大正噴火」が良く知られています。この噴火以前は、桜島は、その名の通り、鹿児島湾に浮かぶ島でしたが、この大正噴火によって流下した溶岩流によって桜島の東側が大島半島とつながりました。この大正噴火は溶岩流出型で、東側山腹、西側山腹の2か所から溶岩が流下しています。また噴火開始後に、M7.1の火山性地震も生じています(文献3−b)。噴火と地震による死者は58名です(文献3−b)。
昭和時代には、1946年(昭和21年)に、山頂部(昭和火口)からの比較的大きな噴火が起きており、「昭和噴火」と名付けられています(文献3−b)。
また、1955年(昭和30年)には、山頂の一角、南岳火口から噴火が起き、死者1名がでています。それ以降、南岳火口からの噴火がほとんど切れ目なく続いています(文献3−b)。
(文献3−b)によると、桜島の直下 約4kmには、火口へとマグマを供給しているマグマ溜り(副マグマ溜り)があり、さらに前述の姶良カルデラの地下 約10kmにもマグマ溜り(主マグマ溜り)があって、主マグマ溜りー>副マグマ溜りー>火口 というマグマのルートが形成されている、と推定されています。
なお地質的には、文献2―b)によると安山岩〜デイサイト質であり、ごく一般的な火山岩です。
注1) 「シラス」及びそれに関連する補足事項
鹿児島県を中心とした地域に広く広がり、一部は台地(シラス台地)を形成している火山性堆積物は、一般的には「シラス」と呼ばれますが、火山学、地質学的には、「入戸(いと)火砕流堆積物」という固有名詞で呼ばれています。
また、この時の巨大噴火時には、遥か東日本まで火山灰(広域テフラ)が降下しており、この広域テフラは、「姶良Tnテフラ」(略称:“AT”)というテフラ名が付けられています。ATテフラは、考古学の分野や、比較的最近の地層の年代の決定に良く使われています。
また、この時の巨大噴火時には、遥か東日本まで火山灰(広域テフラ)が降下しており、この広域テフラは、「姶良Tnテフラ」(略称:“AT”)というテフラ名が付けられています。ATテフラは、考古学の分野や、比較的最近の地層の年代の決定に良く使われています。
3) 開聞岳
開聞岳(かいもんだけ:924m)は、鹿児島県の薩摩半島の先端部にある、端正な形をした小型の火山です。
標高は1000mに満たないのですが、海に突き出したような位置にあって以外と目立つ山容で、古くから海の船上からの目印となる山だったと言われる山です。「薩摩富士」の異名を持ち、百名山の一つにも選ばれています。
この山は、見た目は単純な成層火山のように見えますが、実は8合目付近までは成層火山体、それより上部は、成層火山の火口部分を埋めて成長した中央火口丘です(文献2−c)。
地形学的には二重式火山と呼ばれる種類の火山です(文献1−c)。ただしその継ぎ目はよくよく見ないと解りません。
登山する場合、北麓からの登山道がらせん状に付けられており、海側と陸地側とを交互に見つつ登る、ちょっと変わった登山道です。中腹までは灌木が多いのですが、山頂部は展望が開け、空気が澄んだ日には、南遥かに屋久島まで望めると言います。
さて、開聞岳の火山としての形成史を、(文献1−c)、(文献2−c)、(文献3−c)に基づいて説明します。
12−2章、12−4章でも触れたように、鹿児島湾の南側部分は、海没したカルデラ式火山です。この部分は、まとめて「阿多(あた)カルデラ」と呼ぶ場合(文献2−c)や、「阿多北部(あたほくぶ)カルデラ」と「阿多南部(あたなんぶ)カルデラ」の2つのカルデラに分ける場合と(文献1−c)、文献によって違いがあり、議論が別れているようです。
以下、ここでは説明を簡単にするため、「阿多カルデラ」という表記に統一します。
「阿多カルデラ」の火山としての活動時期は、(文献2−c)によると、観察されるテフラを元にすると、少なくとも約24万年前に遡ります。約11万年前にも大きな火山活動が起き、「阿多火砕流(あたかさいりゅう)」と呼ばれる火砕流を噴出しています。この火砕流堆積物は鹿児島県の南部を中心に、広く分布しており、北辺では熊本県の人吉盆地まで達しています。
開聞岳は、この「阿多カルデラ火山」の西側の縁に形成された、比較的新しい火山です。
また、開聞岳のすぐ北側には、池田湖という円形の湖がありますが、これもカルデラ式火山の一つで、「池田カルデラ」と呼ばれます(注2)。
カルデラ縁にできた新しい火山という点では、「姶良(あいら)カルデラ」と桜島との関係に似ています。
開聞岳は、地質学的には非常に新しい火山であり、(文献2−c)、(文献3−c)によると、約4400年前から約900年前という、かなり短期間に形成された火山です。
その火山活動史としては、まずは溶岩の流下を中心とした火山活動によって約1500年前頃までに8合目付近までの成層火山体が形成され、その後、頂上部を含む中央火口丘が形成されました。
この中央火口丘は、以前は単純な溶岩ドームとされていましたが(文献1−c)、(文献3−c)、最近の研究によると、スコリア(軽石の一種)丘と、溶岩ドームとの、複合的な構造を持つ、とされています(文献2−c)。(文献3−c)によるとこの中央火口丘は、下記のAD9世紀の火山活動によって形成されたようです。
開聞岳は現在、火山活動をしているようには見えませんが、(文献2−c)によると、最後の火山活動は、9世紀(AD 874年(貞観噴火)、AD 885年(仁和噴火))に起きています。
さらに1967年には開聞岳付近で群発地震が発生し、2000年には山頂部付近で弱いながら噴気活動が確認されており、まだまだ活動的な火山と言えます。
なお開聞岳の地質は、産総研「シームレス地質図v2」では山体全体を「安山岩、玄武岩質安山岩」としています。また(文献2−c)では地質は明記されていません。
が、(文献3−c)によると、8合目より下の成層火山体は玄武岩質の火山岩、それより上部は、安山岩質の火山岩とされています。
これから考えると、短期間に形成された火山ではあるものの、最初の成層火山体を形成したマグマ(玄武岩質)と、中央火口丘を形成したマグマ(安山岩質)とは性質が異なることになります。この理由として考えられる可能性の一つとしては、いわゆるマグマの分化作用により、最初は流動性の高い玄武岩質マグマが出てきて、その後、残り物として安山岩質マグマがでてきた、ということかも知れません。(この段落は全くの私見です)。
標高は1000mに満たないのですが、海に突き出したような位置にあって以外と目立つ山容で、古くから海の船上からの目印となる山だったと言われる山です。「薩摩富士」の異名を持ち、百名山の一つにも選ばれています。
この山は、見た目は単純な成層火山のように見えますが、実は8合目付近までは成層火山体、それより上部は、成層火山の火口部分を埋めて成長した中央火口丘です(文献2−c)。
地形学的には二重式火山と呼ばれる種類の火山です(文献1−c)。ただしその継ぎ目はよくよく見ないと解りません。
登山する場合、北麓からの登山道がらせん状に付けられており、海側と陸地側とを交互に見つつ登る、ちょっと変わった登山道です。中腹までは灌木が多いのですが、山頂部は展望が開け、空気が澄んだ日には、南遥かに屋久島まで望めると言います。
さて、開聞岳の火山としての形成史を、(文献1−c)、(文献2−c)、(文献3−c)に基づいて説明します。
12−2章、12−4章でも触れたように、鹿児島湾の南側部分は、海没したカルデラ式火山です。この部分は、まとめて「阿多(あた)カルデラ」と呼ぶ場合(文献2−c)や、「阿多北部(あたほくぶ)カルデラ」と「阿多南部(あたなんぶ)カルデラ」の2つのカルデラに分ける場合と(文献1−c)、文献によって違いがあり、議論が別れているようです。
以下、ここでは説明を簡単にするため、「阿多カルデラ」という表記に統一します。
「阿多カルデラ」の火山としての活動時期は、(文献2−c)によると、観察されるテフラを元にすると、少なくとも約24万年前に遡ります。約11万年前にも大きな火山活動が起き、「阿多火砕流(あたかさいりゅう)」と呼ばれる火砕流を噴出しています。この火砕流堆積物は鹿児島県の南部を中心に、広く分布しており、北辺では熊本県の人吉盆地まで達しています。
開聞岳は、この「阿多カルデラ火山」の西側の縁に形成された、比較的新しい火山です。
また、開聞岳のすぐ北側には、池田湖という円形の湖がありますが、これもカルデラ式火山の一つで、「池田カルデラ」と呼ばれます(注2)。
カルデラ縁にできた新しい火山という点では、「姶良(あいら)カルデラ」と桜島との関係に似ています。
開聞岳は、地質学的には非常に新しい火山であり、(文献2−c)、(文献3−c)によると、約4400年前から約900年前という、かなり短期間に形成された火山です。
その火山活動史としては、まずは溶岩の流下を中心とした火山活動によって約1500年前頃までに8合目付近までの成層火山体が形成され、その後、頂上部を含む中央火口丘が形成されました。
この中央火口丘は、以前は単純な溶岩ドームとされていましたが(文献1−c)、(文献3−c)、最近の研究によると、スコリア(軽石の一種)丘と、溶岩ドームとの、複合的な構造を持つ、とされています(文献2−c)。(文献3−c)によるとこの中央火口丘は、下記のAD9世紀の火山活動によって形成されたようです。
開聞岳は現在、火山活動をしているようには見えませんが、(文献2−c)によると、最後の火山活動は、9世紀(AD 874年(貞観噴火)、AD 885年(仁和噴火))に起きています。
さらに1967年には開聞岳付近で群発地震が発生し、2000年には山頂部付近で弱いながら噴気活動が確認されており、まだまだ活動的な火山と言えます。
なお開聞岳の地質は、産総研「シームレス地質図v2」では山体全体を「安山岩、玄武岩質安山岩」としています。また(文献2−c)では地質は明記されていません。
が、(文献3−c)によると、8合目より下の成層火山体は玄武岩質の火山岩、それより上部は、安山岩質の火山岩とされています。
これから考えると、短期間に形成された火山ではあるものの、最初の成層火山体を形成したマグマ(玄武岩質)と、中央火口丘を形成したマグマ(安山岩質)とは性質が異なることになります。この理由として考えられる可能性の一つとしては、いわゆるマグマの分化作用により、最初は流動性の高い玄武岩質マグマが出てきて、その後、残り物として安山岩質マグマがでてきた、ということかも知れません。(この段落は全くの私見です)。
注2)「池田カルデラ」について
開聞岳の北側 約5kmの位置に、九州最大級の大きさ(直径 約4km、周囲径 約15km)を誇る、「池田湖」があります。カルデラ壁に高さがないので登山対象にはなっていませんが、これはカルデラ式火山であり、カルデラ底に水が溜まった火山湖です。
前述の「阿多カルデラ」の西側の火口壁付近に形成された火山という点で、開聞岳とは、兄弟関係にある火山体です。
(文献1−c)、(文献2−c)によると、池田カルデラ(火山)の形成は、約5700―5500年前と推定されており、開聞岳の形成より少し前に活動した火山、ということになります。
また、「池田カルデラ」の周辺には、爆裂火口と思われるマール状の地形がいくつか認められ(鰻池および山川港のある窪地)、この一帯が広く、火山活動地域であることを示しています。
「池田カルデラ」は、山とは言えないのですが、開聞岳と密接に関係しているので、ここで簡単に説明しました。
前述の「阿多カルデラ」の西側の火口壁付近に形成された火山という点で、開聞岳とは、兄弟関係にある火山体です。
(文献1−c)、(文献2−c)によると、池田カルデラ(火山)の形成は、約5700―5500年前と推定されており、開聞岳の形成より少し前に活動した火山、ということになります。
また、「池田カルデラ」の周辺には、爆裂火口と思われるマール状の地形がいくつか認められ(鰻池および山川港のある窪地)、この一帯が広く、火山活動地域であることを示しています。
「池田カルデラ」は、山とは言えないのですが、開聞岳と密接に関係しているので、ここで簡単に説明しました。
(参考文献)
文献1)町田、太田、河名、森脇、長岡 編
「日本の地形 第7巻 九州・南西諸島」 東京大学出版会 刊 (2001)
文献1−a) 文献1)のうち、
3−2章 「鹿児島地溝の火山群」の、
3−2−3)節 「霧島火山群の活動史と地形」の項
文献1−b) 文献1)のうち、
3−2章 「鹿児島地溝の火山群」の、
3−3−(2)−2)項 「桜島火山」の項、
3−3−(2)−1)項 「姶良カルデラ」の項、及び
表3.2.2 「桜島テフラの名称と層序、年代」
文献1−c) 文献1)のうち、
3−2章 「鹿児島地溝の火山群」の、
3−3―(3)節 「阿多カルデラと池田カルデラ、開聞岳」
文献2) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第8巻 九州・沖縄地方」 朝倉書店 刊 (2010)
文献2−a) 文献2)のうち、
第5−2章「(九州地方の)フロント上の火山」の、
5−2−5節 「加久藤カルデラと霧島火山」の項 及び、
図5.2.11 「霧島火山の形成史」
文献2−b) 文献2)のうち、
第5−2章「(九州地方の)フロント上の火山」の、
5−2―6節 「姶良カルデラと桜島火山」の項
文献2−c) 文献2)のうち、
第5−2章「(九州地方の)フロント上の火山」の、
5−2−8節 「開聞岳」の項、及び
5−2−7節 「阿多カルデラと池田カルデラ」の項
文献3)インターネットサイト
気象庁 「日本活火山総覧 第4版 Web掲載版」
2022年5月 閲覧
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
文献3−a) 文献3)のうち、
「霧島山」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/87_Kirishimayama.pdf
文献3−b) 文献3)のうち、
「桜島」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/90_Sakurajima.pdf
文献3−c) 文献3)のうち、
「開聞岳」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/92_Kaimondake.pdf
(文献4)
インターネットサイト
ウイキペディア 「キリシマツツジ」の項
2022年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%84%E3%82%B8
(文献5) 気象庁 リリース資料
「平成 23 年(2011 年)の霧島山の火山活動 」
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/fukuoka/2011y/505_11y.pdf
「日本の地形 第7巻 九州・南西諸島」 東京大学出版会 刊 (2001)
文献1−a) 文献1)のうち、
3−2章 「鹿児島地溝の火山群」の、
3−2−3)節 「霧島火山群の活動史と地形」の項
文献1−b) 文献1)のうち、
3−2章 「鹿児島地溝の火山群」の、
3−3−(2)−2)項 「桜島火山」の項、
3−3−(2)−1)項 「姶良カルデラ」の項、及び
表3.2.2 「桜島テフラの名称と層序、年代」
文献1−c) 文献1)のうち、
3−2章 「鹿児島地溝の火山群」の、
3−3―(3)節 「阿多カルデラと池田カルデラ、開聞岳」
文献2) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第8巻 九州・沖縄地方」 朝倉書店 刊 (2010)
文献2−a) 文献2)のうち、
第5−2章「(九州地方の)フロント上の火山」の、
5−2−5節 「加久藤カルデラと霧島火山」の項 及び、
図5.2.11 「霧島火山の形成史」
文献2−b) 文献2)のうち、
第5−2章「(九州地方の)フロント上の火山」の、
5−2―6節 「姶良カルデラと桜島火山」の項
文献2−c) 文献2)のうち、
第5−2章「(九州地方の)フロント上の火山」の、
5−2−8節 「開聞岳」の項、及び
5−2−7節 「阿多カルデラと池田カルデラ」の項
文献3)インターネットサイト
気象庁 「日本活火山総覧 第4版 Web掲載版」
2022年5月 閲覧
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
文献3−a) 文献3)のうち、
「霧島山」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/87_Kirishimayama.pdf
文献3−b) 文献3)のうち、
「桜島」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/90_Sakurajima.pdf
文献3−c) 文献3)のうち、
「開聞岳」の項
https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/92_Kaimondake.pdf
(文献4)
インターネットサイト
ウイキペディア 「キリシマツツジ」の項
2022年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%84%E3%82%B8
(文献5) 気象庁 リリース資料
「平成 23 年(2011 年)の霧島山の火山活動 」
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/fukuoka/2011y/505_11y.pdf
このリンク先の、12−1章の文末には、第12部「九州地方の山々の地質」の各章へのリンク、及び、「序章―1」へのリンク(序章―1には、本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第12部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
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【書記事項】
初版リリース;2022年5月31日
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