【狭山演習】八国山緑地・荒幡の富士・狭山丘陵【己12.8*】
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- GPS
- 03:17
- 距離
- 12.3km
- 登り
- 206m
- 下り
- 169m
コースタイム
- 山行
- 3:05
- 休憩
- 0:12
- 合計
- 3:17
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路:西武球場前駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
歩きやすいが、雨の後につき滑りやすい。 八国山緑地から狭山丘陵までの間は森の傍の閑静な住宅地を縫って「アルペンロード」を辿ったが、道がわかりにくい。 |
写真
感想
【経緯&計画】
11月の三連休は久し振りに晴れ。計画の重点を4〜5日に置いているため、引き続き天気が気になるところだが、3日も晴れなので、1ヶ月ぶりの山行に備え、足慣らしを近場で行う。
6時頃に家を出たところ曇っていたので一旦家に戻ったが、7時頃には青空になったので改めて出発する。
(参考)
新・分県ガイド10『埼玉県の山』54荒幡の富士・狭山丘陵
【山行概要&総括】
所沢駅から歩いていくこともできたが、今回はただでさえロード歩きの割合が多いと思われたのでバスで近くまで行く。
かつて鎌倉へと攻め上った新田義貞の軍勢は小手指原、久米川、分倍河原と転戦したわけだが、それは、このラインが当時の中心だったことを意味する。そして、時代は変わって、かつての湿地帯には高層ビルが林立し、以前の中心には里山が残っている。
里山を歩きながら思うのは、昔見た、新藤兼人脚本だったかの映画かドラマに出てくる町田の風景(山の中に一軒の大きな農家がポツンとある)であり、学生時代によく歩いた稲城(若葉台の辺りはまだ開発の緒に付いたばかりだった)等の多摩の街である。昔の風景を知る者からすると、その愛したものが変っていくというのは、やはり物寂しいものだ。
その一方で、ヒトは太古より住み良い場所を探し求め、森山を切り開き、湖沼を埋め立ててきたのであって、開発もまた自然なヒトの営みである。逆に、開発に当たって、開発面積の一定割合を緑にしようとか、公園にしようという申し訳程度の規制の方は非常に不自然だ。
里山は昔から人々の生活と共にあった。山で薪や落葉を取ってきて日々の生活や農作業の用に供する等のことは、昭和の頃まで広く行われていた。しかし、電気・ガスが普及し、薪炭もホームセンターに行けば買えるような現在では、そのような営みを恒常的に続けている家庭は極一部だろう。里山が荒れていると言われるが、人々の生活が里山から乖離したのだから当然だ。そんな所に里山を整備しても街区の一角に「死んだ里山」が残るだけだろう。事件・事故現場に手向けられる花と同じ。手向ける人の多くは後始末などしない。花はただ腐り、枯れゆくのみ。
同様のことを単なる毎年恒例の行事或いは観光イベントになった祭、一般の人が見に行かない古典芸能にも感じる今日この頃。
ほとんどの人が都市に住み、あらゆることがオンラインでできるようなスマート化著しい今後の世の中において、国・地方公共団体といった行政区分以外の社会構成単位の意義はどんどん薄れていくのだろう。○○自治会といった地縁社会どころか、家族・親族といった血縁社会の維持すら覚束ない。バラバラの個あるのみ。
この、社会から個への流れは自然なもので止めることはできない。憲法に家族の規定を設けたところで無意味だ。個は個で結構。我々が考えるべきは、個を浮遊した根無し浮き草としないためにどうしたら良いかということ。まさに一身独立して一国独立。
我々が根差すのは?精神面においては人それぞれだろうが、身体面においては、やはり現実に住んでいる土地であり大地である。そして、私は山川草木花鳥風月と共に生きていると、生かされているということを実感するために、明日もまた山へ行く。
〜収拾の付かなくなった駄文を強引に山に結び付けておしまい〜
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