記録ID: 1607864
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ハイキング
九州・沖縄
唐津城 虹ノ松原 鏡山
2018年10月08日(月) [日帰り]
体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 05:17
- 距離
- 23.1km
- 登り
- 408m
- 下り
- 410m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:18
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:18
鏡山は高さの無い山ですが立地的に絶景の山頂ですのでおすすめです。
時代は遡って古墳時代です。
日本の三大悲恋物語といわれる
唐津・東松浦地方に伝わる伝説が、
「松浦佐用(まつうらさよ)姫」の物語です。
古代、朝廷の命令で朝鮮半島の任那(みまな)、百済(くだら)の救援に派遣された
青年武将大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は、
停泊地である松浦の地で土地の長者の娘「佐用姫」と恋に落ちます。
やがて出帆の時が来て、別離の悲しみに耐えかねた佐用姫は鏡山に駆け登り、
軍船にむかって身にまとっていた領巾(ひれ)天女の羽衣にもあるスカーフ状のものを打振りました。
それでも名残はつきず、佐用姫は鏡山から飛び降り、
呼子加部島(よぶこかべしま)まで追いすがったものの、すでに船の姿はなく、
悲しみのあまり七日七晩泣き続け、ついに石に化したというものです。
この物語は、万葉の歌人たちにも数多く詠まれるものとなり、
以後詩歌や能などの文学や演劇の題材にもなりました。
鏡山はこの故事から「領巾振山(ひれふりやま)」と呼ばれるようになったといいます。
時代は遡って古墳時代です。
日本の三大悲恋物語といわれる
唐津・東松浦地方に伝わる伝説が、
「松浦佐用(まつうらさよ)姫」の物語です。
古代、朝廷の命令で朝鮮半島の任那(みまな)、百済(くだら)の救援に派遣された
青年武将大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は、
停泊地である松浦の地で土地の長者の娘「佐用姫」と恋に落ちます。
やがて出帆の時が来て、別離の悲しみに耐えかねた佐用姫は鏡山に駆け登り、
軍船にむかって身にまとっていた領巾(ひれ)天女の羽衣にもあるスカーフ状のものを打振りました。
それでも名残はつきず、佐用姫は鏡山から飛び降り、
呼子加部島(よぶこかべしま)まで追いすがったものの、すでに船の姿はなく、
悲しみのあまり七日七晩泣き続け、ついに石に化したというものです。
この物語は、万葉の歌人たちにも数多く詠まれるものとなり、
以後詩歌や能などの文学や演劇の題材にもなりました。
鏡山はこの故事から「領巾振山(ひれふりやま)」と呼ばれるようになったといいます。
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
自転車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
虹の階段コース途中に 崩壊あり通行禁止の看板あり車道への迂回を促しています。崩落現場は頂上まで20〜30メートル付近で階段の横杭の下の土が流れ出ている程度です。スニーカーで普通に通過出来ました。自己責任でご利用ください。 |
その他周辺情報 | 帰りに鳴神温泉ななの湯に立ち寄りました。露天風呂2個サウナあり天然温泉で510円。18時前に立ち寄ったらナイト料金410円でした。山深い所にある静かな温泉です。 |
写真
感想
城有、山あり、オフロードありで大満足です。
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