【花追い田園散策】丹荘駅〜健康緑道〜金鑚大師・神社〜御嶽山〜こだま千本桜〜児玉駅【己21.3】
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- GPS
- 04:34
- 距離
- 19.5km
- 登り
- 340m
- 下り
- 333m
コースタイム
- 山行
- 4:05
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 4:35
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路:JR八高線児玉駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
ほぼほぼ一般道歩き。車の往来に注意。 御嶽山の麓では意外とフカフカ、上るにつれて道は狭く急になる。岩場もあり。 |
写真
感想
3月の約20連勤と人事異動後の嵐のような1週間を経て、ようやく一息。
前任からの引継ぎも後任への引継ぎもろくにできないような職場環境では「働き方改革」など望むべくもなく、「早く帰りましょう」というアナウンスが空しく響くのみ。
愚痴はこのくらいにして、それでも山行は絶えずやっていこうと思う。なんとなれば山こそ我が力の源なればなり。山を訪れると元気になり、2週間も山行をしないと山の気が恋しくなる。この週末を逃せば好機は容易に再訪すべからず。
というわけで、山行の構想(計画ではない)を練る。
【前説(北面・南面両睨み)】
年の初めに南関東の山々を歩いたので、暖かくなってきた今頃は北関東でも歩こうと思い立つ。それで上武県境の上野村まで足を伸ばして父不見山、御荷鉾山界隈を考えたのだが、電車とバスで行くとなると尺が足らない。また、ちょうど桜が満開の時期、桜も楽しみたいと考えた時に結論は「時期尚早」。南に目を転ずる。
南では昨年ヤマビルの蠢動に早々退散した仏果山に目をつける。こちらなら盛りが過ぎているかもしれないが桜を楽しめそうだ。状況によっては高尾または橋本を終点とすることもできる。山行区域が定まり就寝する。
【前説やり直し(平成狸合戦ぽんぽこ)】
当日朝、目覚ましはなったものの、ここ最近の疲れ払拭しきらず、もう少し寝たい気分で結局7時前に起きた。
初動が遅ければ(私の場合、7時にまだ家にいるのは十分遅い)、歩ける尺も短くなるので、丹沢前衛には見切りをつけ、再び北方に目を転ずる。
折も折、前夜の金曜ロードショーで『平成狸合戦ぽんぽこ』を視る。私は本作を隠れた名作だと思っているのだが、その中でも最後の方の妖術によって田園風景が蘇るシーンには心洗われる心地がする。というわけで、一度訪れてみたいと思いつつ一山だけでは歩くに足りないとなかなか足を伸ばせなかった御嶽山に、田園風景と桜の楽しみを添えてセットで歩くこととして上武県境へ向かった。
【概要】
ちょうどよい八高線の便を捕まえて小ぢんまりとした丹荘駅に降り立つ。駅前にはハイキングコースの案内板があるものの、道標は十分とは言えず、手探り状態で健康緑道を目指す。健康緑道は、かつての上武鉄道軌道の跡で、直線に伸びた道と駅の跡に名残を残す。道中、GPSの電池が切れるというアクシデントが起きたが、幸いすぐにセブンイレブンがあり充電。ついでに食料も調達した。
緑道を離れてからは池田公園を経て金鑚大師・神社へ。住宅街からいきなり道が山の中に入っていくので、道標があるにもかかわらず大丈夫かしらとウロウロ。他に道が無いので突入すると、桜とツツジが満開の金鑚大師の側面に出る。
金鑚神社の奥が御嶽山である。なかなか木曽御嶽山に行けない上武の人々が行場としたこの御嶽山。どのくらい厳しい山道が待ち構えているのだろうかと思っていたが、今回歩いたルートは歩きやすかったようだ。岩山展望というピークからは360度の展望で、空気が澄めば榛名、赤城もより鮮明に見える。山頂は木々に囲まれていたが、結構満足できるものだった。今度は別のルートも歩き尽くそう。
御嶽山から来た道を戻り、児玉へ。小山川に並ぶ桜並木はまさに「千本桜」だ。丹荘駅前と同様、ベトナム人技能実習生または留学生と思わしき若者や、イスラム系の人など、観光地とはまた違った国際色である。
かくして、田園、金鑚大師・神社、御嶽山、桜に限らない春の花と見たいものは全て見ることができ、心洗われる気持ちで山行を終えたのだった。
【「故郷」について考え、駄文を書き連ねる】
『平成狸合戦ぽんぽこ』は故郷喪失の話である。「兎追ひし彼の山」も「小鮒釣りし彼の川」も時が経つにつれ失われていく。そもそも小さい自分に故郷で兎を追ったことのある者など齢60歳以上でもどれだけいるだろうかという今日、大多数の都市化された地域に生まれ育った人には、もはや故郷を偲ぶに即した歌さえ無い。
故郷を離れた人にとって故郷というと、たいていの人には憧憬と寂寥感を伴って、良いものとして映る。ほとんどの場合、故郷にいた時よりも今現在の生活の方が便利で快適であるにもかかわらず。一体何故なのだろうか。
それは結局、社会の荒波に揉まれる前、子供として守られ、ある程度自由に行動ができたということと、多感な少年期、青年期を過ごした故郷というものが自らの人格形成に大なる影響を与えていることが大きいかもしれない。良いことも悪いこともひっくるめて私という人格の一部になっている。
しかし、それだけでは故郷に対する寂寥感を伴う憧憬の説明としては足りない。故郷への思いには何かしら寂しさのようなものが付きまとう。それは自分ではどうにもならない、手の施しようのない喪失、風化への諦めであり、悲しみなのか。
私が子供の頃、小学校手前の道は舗装されていなかったが今は完全舗装。家からちょっと歩けば何町歩も広がっていた水田は今は「〇〇台」という新興住宅地となった。遊んでいた小川は暗渠になった。ついでに実家も建て直して私の部屋は無くなり、全然アットホームな気持ちにならない。
自分史を書いたノートがいつの間にか書き換えられたり墨塗りされているような気持ち悪さ、そして悲しさ。喪失感。私の生まれ育った地は、もはや私の故郷ではないという気さえしてくる。そうしたことを踏まえると、故郷への憧憬というのは、本当は、想像上の、「理想の故郷」に対する思いなのではないか。棚田ブームや軍艦島人気などもその類なのかもしれない。(だとすると、あまりにも観光地化しすぎた所は、所詮ただの観光地でしかなく、人の心に響くことは無いのだろう。)
【総括】
北関東に今年の初手を打つか、ヤマビルの活動が活発化する前に丹沢山域を歩くかは持ち越しとなった。いずれにせよ、決めたら迅速にやることが肝要である。
〜おしまい〜
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