志々伎山《九州百名山》
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- GPS
- 01:41
- 距離
- 3.9km
- 登り
- 305m
- 下り
- 300m
コースタイム
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
中宮までは石段の参道 山頂付近はロープの連続 |
写真
感想
志々伎町野子の阿弥陀寺横から中宮駐車場への林道が始まる。傍らには志々伎神社の参道があり此処を登りたいが、駐車場がなく800m先の中宮駐車場まで上がった。駐車場から中宮まで短絡路があるが一旦参道の鳥居まで下り登山を始めた。阿弥陀寺の伽藍越しに志々伎山の先端が見え尖った姿に本当に道があるのかと恐れを抱いた。
志々伎神社の参道は石畳が整然とあり時代を感じる苔と相俟って風格を感じた。安山岩の山で岩に刻まれた階段の部分もあった。志々伎神社は長崎県内最大の式内社で十城別王(とおきわけのみこと、仲哀天皇の異母弟、日本武尊の子)が祀られている。志志伎あるいは志自伎神社と記されることもある。無住ながら立派な社殿で信仰の篤さが偲ばれる。参拝者ノートがあり住所氏名を記帳した。
駐車場への短絡道を右手に見送り、再び登山道に入った。志々伎神社の裏手に石垣のエリアがあり「中宮跡」と案内板があった。昭和36年までこの地に中宮があったそうで熊野本宮の「大斎原」のように「古中宮」と呼ばれているようだ。志々伎山の核心部に近づいて来るとロープが掛かり、略山頂まで続いている。「ロープは地元地区が便宜上設置したもの」で損害が発生しても責任は負わない旨の立て看板があった。腰掛岩は注連縄が張られ案内板には祭神の十城別命が志々伎山に登るとき賊の流れ矢に当たり、この岩に腰掛けて矢を抜き取ったが命を落とした処とされている。この近くに展望地があり五島列島を近くに望むことができた。軈て核心部となり志々伎山の南西側を巻くように進んだ。
草履置場に到ると注連縄の張られた大岩があり、履いてきた草履は脱いで此処から先は裸足になって登ったと云う。折り返すようにして稜線に乗り上がりロープの続く険しい岩場を進んだ。展望が開け出したが景色は山頂に迄お預けとして歩を進め志々伎山(347m)山頂に到着した。志々伎神社の上宮があり石の祠が鎮座していた。祠の裏手に3等三角点「志々伎」があった。360°の展望があり、北の方には屏風岳(394m)を初め礫岩(287m)、遠く安満岳(537m')も望めた。登山道は一本しかなく来た道を戻り短絡路を通って中宮駐車場に戻った。
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