4月13日(土)1.渋川市の古墳古代遺跡巡り
- GPS
- 16:00
- 距離
- 36.5km
- 登り
- 247m
- 下り
- 255m
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
|
写真
感想
午後藤岡歴史館での講演会を聴講するので午前中、渋川市北橘歴史資料館見学、そのついでに中筋遺跡と樽遺跡を訪ねた。とき始発にのり前橋駅8時17分到着、ロッカーに不要な荷物を預けて駅西口のシェアサイクルを借り、中筋遺跡に向かう。電源がどれだけ持つか心配なので途中前橋自動車教習所にあるポートのチャリを確認、さすがに電源満タン良いチャリばかり、駅には一台しかなかった。乗り換えるべきだったかも?中筋遺跡に向かう途中すぐに三分の二に減った。中筋遺跡に向かうと榛名山から流れ出した溶岩、火砕流が下ったと見られる山が迫りいかにもという感じ。
丘陵の際まで進むとようやく中筋遺跡の案内板があり、吠える犬を無視して史跡公園内にチャリを止め、見学。バンフレットの箱は空。こんもりした施設前に解説がある。そこから遺跡全体が見渡せる。説明では、六世紀の榛名山の噴火による火砕流により埋もれた竪穴式住居と平地式住居、垣根、祭祀遺構などがそのままの形で埋もれたまま発見され、黒井峰遺跡とともに画期的な発見となり、その一部が復元されている。これまで縄文時代の復元住居に茅葺きなどが採用されてきたが、古墳時代や古代の住居でも茅葺きはなかったようだ。樹皮と土葺という簡素なもので、茅葺きのような大変な労力を必要とするものは、かなり後の時代にならないと出てこないらしい。カヤを育てるのも大変なようだ。古代では人手が足りない。縄文時代では、鉄器もなくカヤの収穫が無理らしい。 中筋遺跡では、遠くから見た榛名山(二ツ岳)から続く山並みが、中筋遺跡まで押し寄せている感じです当時を想像するだに恐ろしい気分を味わったが、そこから一旦利根川に向かって下り、左岸に移動して樽遺跡に向かう。すでに電源が失われつつあり、左岸への登り返しがキツくなる。しばらく登るとついに電源喪失、無電源となると樽遺跡に到着した。つくしのはえるのどかな田園の広がる傾斜地にあった。この遺跡は杉原壮介氏ら、著名な考古学者が樽式土器を設定した学史上著名な遺跡で、先日本庄早稲田の杜ミュージアムで樽式土器片を見ることが出来たが、ここがその樽遺跡かと、感慨深いものがあった。遠くに榛名山が見えている。いや赤城かな?ー電源喪失により、渋川市北橘歴史資料館まで、重いペダルを漕がねばならなくなった。
樽遺跡から、一旦下り、再び登って北橘歴史資料館を目指す。電源を失ったチャリで登るのは大変!何とかだましだましチャリを漕いで資料館に到着した。渋川市は金井東裏、中筋、黒井峰遺跡など古墳時代の全国区で著名な遺跡があり、また、瀧澤石器時代遺跡など縄文時代も知られているが、実は古代遺跡が最も多いらしい。そこで今回その古代遺跡の企画展が開催されたのだった。有馬条理遺跡は知られているが、火山災害の半世紀後に再開発された中筋遺跡周辺では墨書土器や様々な役所を想起させる遺物や製鉄に関する遺物が出ている。都で流行った暗文土器や金属仏具に似せた剋愼器など、全国的にも珍しいものが出ており、中央政権と近い人々が暮らしたよう太。ここは、東北に向かう東山道のの要衝のようだ。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する