萩日吉神社〜児持杉〜西平の大カヤ:ときがわ町
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- GPS
- 00:26
- 距離
- 0.9km
- 登り
- 60m
- 下り
- 115m
コースタイム
- 山行
- 0:20
- 休憩
- 0:06
- 合計
- 0:26
天候 | 曇やや雨混じり |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
雨で濡れた岩表面がすべって危険(登口から数十メートル)、それ以外の危険個所はなし。 |
写真
感想
♠会合があって、久しぶりにときがわ町を訪れた。近くに、気になる神社があり、会合前に立ち寄ったが時間がなく、参拝が中途半端になってしまったので、会合後に再度参拝。地元の方3人が、参拝。私も参拝を終え、入口の鳥居のところの児持杉のところで、地元の方に、巨木のすばらしさを語りかけると、少し数百メートルほど奥に、大きなカヤの木があることを教えていただいた。
♠雨混じりで天候が怪しかったが、数百メートルレベルなので、神社の西側の道を登ってみた。すぐに、「大カヤ入口」の表示板があり、そこからは、登山道で登りだった。登り始めると、白い岩が露わなところが たくさんあり、そこに足を乗せると、ツルリとすべって、かなり危なかった。そんな雨にぬれめれの道を少し登ったところに、巨人のように佇む、巨木が立っていた。祀られた雰囲気はない。が、「埼玉県指定天然記念物カヤ」の立派な石碑と、石の杭の仕切りで守られていた。
♠「天然記念物カヤ」の、石に刻まれた文言を転写して記す。
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イチイ科の常緑樹である都幾山慈光寺の七本の一つに数えられ現存するもので唯一本のものであり當地方の名木である。樹齢推定1000年、周囲6.60m、樹高16m、枝張東西25m、南北26m(昭和50年7月建立)
♠萩日吉神社の歴史は古い。ときがわ町と言えば慈光寺だが、飛鳥時代あたりから、社寺等の創建の記録がいくつもあり、山が接近した決して平坦ではないエリアに、古代の文化や行政的な繁栄があったことを伺い知れるのだが、萩日吉神社の歴史も、その大きな足跡の一つである。
中でも有名なものが、児持杉である。これは、神社入口の鳥居のすぐ横にあり、巨大な幹は枝分かれして上に聳えていた。その高さ40mというから、まさに見あげるばかりである。
♠児持杉は、町指定天然記念物で、次のような説明書きがあった。転写して記す。
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男杉と女杉があり男杉の根回り六、四七米で三本に幹が分れている。女杉は根回り八、八九米あり二十四本に分れている。二本とも樹高が約四十米あり樹齢はおよそ八百年位といわれている。なおこの杉は古来より二樹を祈念する時は幼児を授けられるとの伝記あり、遠近男女の信仰があつい。(昭和五十六年四月一日、ときがわ町教育委員会)
♠萩日吉神社は、創建が欽明天皇6年と、とほうもなく古く、御祭神は、大山咋命、国常立尊、天忍穂耳尊、国狭槌尊、伊弉冉尊、瓊々杵尊、惶根尊――と錚々たる神々である。ホツマツタヱで解析すると、分かりやすそうだが、埼玉県の神社情報から、説明文を引用する。
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当社は、欽明天皇6年(537)11月、蘇我稲目によって創建されたと伝えられ萩明神とよばれていた。その後、平安時代初期に天台宗関東別院となった慈光寺一山鎮護のため、近江国(現滋賀県)の坂本から日吉大神を勧請合祀し、萩日吉山王宮に改称したといわれている。また、明治元年(1868)11月、神仏分離令の布告により、再び萩日吉神社と名称を改め、現在に至っている。
♠神社参拝のついでに、ちょこっとだけ山道を探索したミニ記録だったが、愉しかった。ところで、萩日吉神社はほぼ真北向きである。北向きの大日如来はときがわ町に2体あるが、国常立尊を祀っていることに、関わりがありそうな気がする。
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