色黒美人「刈羽黒姫山」
- GPS
- 03:32
- 距離
- 6.1km
- 登り
- 718m
- 下り
- 719m
コースタイム
天候 | 曇り後晴れ と言うか 8時過ぎまで雨が止むのを待った 北の風1〜2m 視界は良いけど雲が少し 朝は湿度が高かった |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
全線アスファルト舗装 磯の辺登山口の路側に15台くらい停まる 一段上がった草地にも15台くらい停まる トイレ有り 24時間営業のコンビニは 柏崎方面 松代方面共 20km以上離れている au 1kmほど手前で途切れた |
コース状況/ 危険箇所等 |
磯之辺登山口から 9合目の鵜川神社を経て 山頂を往復した 展望を求めて山頂の先 折居登山口方向へ600mほど行った 整備の良い道に 手作りの道標がたくさん有る 粘土をたたき締めたような土は かなり滑る 雨上がりで 下りは足の置き場を慎重に決めながら歩いた 山頂の先600mの地点が 急勾配の痩尾根で 固定ロープが有る 他は危険と感じたところは無い 山頂は南と東方向が開け 条件が良ければ 苗場山・谷川岳・巻機山・八海山・浅草岳などが見える 他にも ところどころで木の間から 各方面を見る au 5合目から山頂まで○ 山頂の先折居側✕ |
その他周辺情報 | 上越妙高駅まで移動して 釜ぶたの湯を利用した トロミの温泉 新しい施設 480円 直近のじょんのび温泉楽寿の湯は まさかの休館日だった ネットで分かりずらいので無駄足になる |
写真
感想
古代の北陸、現在の越前から越後にかけて越(こし)と言う国が有った。 内陸の諏訪まで広がっていた。
大和の卑弥呼と同様 奴奈川姫が率いていた。
美人だったが、色が黒かったと伝わる。
記紀によると、出雲の大国主が 何度もプロポーズして やっと思いを遂げて結ばれたと記され ロマンス仕立てだ。
現代語に訳せば、越軍は何度も侵略を防いだが とうとう征服され、奴奈川姫は大国主の現地妻になった。
子供が二人でき、上の子は 出雲の美保神社の神様になった。
日本書紀は続ける「夫婦仲 よろしからず。」
略奪婚だから そんなもんだろう。
姫は逃げ出した。
追われて、糸魚川市と小谷村の間で自害したと 伝わる。
逃亡を助けたのは 下の子、建御名方(たけみなかた)で諏訪大社の神様になった。
驚くべきことに、今でも 出雲の古い家では 諏訪大社のことを「あんな、勘当した子供!」呼ばわりすると言う。
糸魚川、柏崎、北信に三座有る黒姫山は、色黒だったと伝わる奴奈川姫を 奉っているようだ。
刈羽黒姫山の頂上には、豊かな髪を頂いた石像 が鎮座し、姫を現しているとも思われる。
(記紀の記述は 極めて簡略で諸説有ります)
妙高の高台から 柏崎方向を見たとき、海岸沿いにツンと立つ米山。
そこから内陸の方に 同じようにツンと立つのが刈羽黒姫山だ。
900mに満たない里山だが、ピンクリボンが5mくらいの高さに有って、冬の豪雪の深さを想像させる。
ブナなど広葉樹の山で、紅葉を迎えれば賑わうかと思ったら、時ならぬ団体さんに遭遇した。
にぎやかだったけど、古代の奴奈川姫を偲んで歩いた。
!驚いたこと!
登山口に小型バスが先着。
ドライバーに聞けば、20人のツアーが入山。
9合目の手前で その団体さんを追い越した。
山頂から、展望を求めて先に進んだ。
小一時間後、戻ると 団体さんが食事休憩中。
ずいぶん ゆっくりだな。
二三、言葉を交わして、先に山頂を辞す。
9合目で守門岳などを撮っていると、上から声が聞こえる。
団体さんも腰をあげたようだ。
3合目まで下りて、団体さんを追い越した。
いつの間に 追い越されたのか?
近道も無いはずだ?
駐車場に下りて、疑問は氷解。
バスは2台停まっていた。
山頂で食事中のグループは後発だった。
二人のバスドライバーは大笑い。
月に200人入山する山に、紅葉も始まってない平日に 20人の団体が2組来るのは、椿事だと思う。
(長文 失礼しました)
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