白泰山・十文字山・三国山

- GPS
- 19:43
- 距離
- 34.8km
- 登り
- 3,329m
- 下り
- 3,329m
コースタイム
- 山行
- 8:57
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 10:07
| 天候 | 1日目(5/2):晴れ 2日目(5/3):晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2010年05月の天気図 |
| アクセス | 秩父市中津川のたつまの吊橋の袂に駐車 |
写真
感想
1日目(5/2): 晴れ一時霙
中津川は現在秩父市になっているが平成17年までは大滝村だった。山深い村で村の頃から群馬・長野・山梨・東京の4都県に接していた。4都道府県隣接の市町村は秩父市の他、岐阜県高山市と京都府南丹市があるだけと云う珍しい所だった。滝沢ダム建設により国道140号線から県道210号線は立派に付け替えられていた。中津川林道に入り森林科学館、こまどり荘を過ぎ人家の途切れた辺りに車を止め、車中泊した。
たつまの吊橋で中津川を渡りタツマノ尾根に取り付くと西側の谷へと周回するハイキングコースになっており展望小屋まで丸太階段が整備されていた。しかし等高線が詰り急登が続き、展望小屋といっても在り様は東屋でしかも前面の木が成長し展望は良くない。これではこんなに苦労して登って来る人はいないだろう。ハイキングコースと分かれ更にタツマノ尾根を登るが道が不明瞭になり踏み跡を探すのも面倒なので尾根を直登した。右側から踏み跡が現れたがすぐに不明瞭になった。P1359の手前にすごい急登があり木に掴まりながら這い登りピークで一息ついた。
左から寄ってきたシャクナゲ尾根に合流するのは小若沢三角点のピークだが、踏み跡は斜面右側へと下って行きピークを通らない。それは悔しいので藪漕ぎで直登しピークに立った。3等三角点「小若沢」があり標高は1,551m、残念ながら展望は利かなかった。
シャクナゲ尾根を進みP1546を越えた鞍部で踏み跡が合流した。この尾根には指導標は所々にあるが、どう云う訳かことごとく壊れ標識が転がっている。それも破壊されたようでも無く外された感じだ。登山道は馬酔木の林で石楠花が混じりだすともうすぐ稜線、最後はまた登山道を外れ急斜面を直登し稜線分岐のピークに乗り上がった。この稜線はかつての秩父往還十文字道で信濃川上から十文字峠を越えて秩父に到る間道であった。秩父側の栃本には関所が置かれ、関番は代々大村家が務めてきた。竹田勝頼の遺臣でこの地に隠れ住んでいた大村忠昌が初代だという。十文字道は栃本から1里ごとに石仏が置かれ約6里の山越えの道しるべとなっていた。
往還路を反対の東に進み白泰山を目指した。北東側を巻き登路がないのかと心配になった頃、指導標に「白泰山」の文字を見て、添書きに「ヤブあり、道不明瞭」とあるが、そんなことはお構いなし。登りだすと本当に道はなくなってしまった。しかし上に向かって歩けば山頂に着けるので藪の薄そうな所に突っ込んだ。そうして辿り着いた山頂は樹林帯で山頂標識と2等三角点「白泰」があるだけの静けさだった。山頂の少し手前の木の間から僅かに展望があり奥秩父主稜線の山を望めた。
さて下山はとなると何処を登って来たのか分らず、探しているうちに稜線沿いに踏み跡を見つけしかも赤テープが巻かれていた。これが地形図にある点線道のようだ。同じ道を通らなくて良いのは好都合だ。進んで行くとシャクナゲ尾根分岐のピーク手前の鞍部で登山道に合流した。分岐のピークの南側を巻き切ると白泰山避難小屋に達した。秩父往還の道標として石仏“二里観音”が傍にあり、“のぞき岩”が西に突き出している。初めての展望地で主稜線の唐松尾山から雁坂嶺、破風山、木賊山、甲武信岳、三宝山が一望できた。進む稜線には弁慶、岩ドヤ、赤沢山などの厳しい山容が連なっている。
展望を楽しんだ後は西へ稜線を辿るが知らぬ間に弁慶(1,729m)には登らず南を巻いてしまったようだ。次の岩ドヤ(1,818m)も登路なく南側を巻き、次の赤沢山(1,819m)も北側を巻きそうなのでここは何とか登りたい。東の尾根は急だが何とかなりそうで取り付いてみると薄い踏み跡があった。山頂には3等三角点「若沢」があり存在感を誇っていた。腹拵えをして山頂を後にすると岩場に出た。断崖の絶景で素晴らしく登った甲斐があった。この先は断崖絶壁で下ることはできないので北側の斜面を木に掴まりながら下りて行った。
下り続けて標高1,640mになるとまた石仏が現れた。これは三里観音で白泰山避難小屋から既に一里の道のりを来たことになる。昔の度量衡の単位は生活から来たもので合理的にできている。1里は3.927辧∧臣呂覆虧1時間(半刻)で歩ける距離。因みに1坪(3.3058)の田は人ひとりが1日に食べる米が収穫できる広さ。1年なら1反=360坪だった。これがあの有名な太閤検地で1反=300坪と改められ人々の生活に混乱が生じたとか・・・
閑話休題、三里観音の先は稜線上を奥秩父林道に向けて登って行く筈だったが大きく南側に巻き南東に張り出した尾根に回り込んで登っているようだ。車を置いた中津川林道は明日通る三国峠(1735m)で長野県川上村へ越えているがその途中から分岐してこの十文字道まで続いているのが奥秩父林道、非舗装で使命は終えたのか車が走れる状態ではない。
林道跡はさらに50mほど続き登山道へと変わっていった。大山の南を巻くように道は付いている。この稜線は登山のために付けられた道ではなくあくまでも信濃と武州秩父を結ぶ古道なのだ。無駄なアップダウンは避けるのが当然と言うことだ。名前のある山なので素通りはしたくない。尾根の先端に登路を見つけ100m余り標高差があるが藪を漕ぎ大山 (1,860m) 山頂に到着した。標識などは無く、密林で展望もない。流石に登ってくる人はいないようだ。
元の取り付き点に戻りさらに巻き道を進むと大山の括れから発する谷間に水場が現れた。水量は十分出ている。次のP1867は北西側を巻き下りきった所は四里観音避難小屋、小奇麗な小屋で水場も近い。暫し休憩し先に進むと十文字峠に向けての登りとなった。約1,900mのピークも北西側を巻いて鞍部から少し登り始めた処に四里観音の石仏が鎮座していた。少し登ると川又から柳小屋を経由して来る股ノ沢林道の登山道と合流し巻き道に入った。標高1,800mを超えるあたりから所々にあった残雪がこの巻き道で本格的になりアイスバーン状態になっている。アイゼンが欲しい部分もあったが露出部分もあり最後まで付けずに通した。
8年ぶりに見る十文字小屋は以前のまま変わらない。鹿除けネットが張り巡らされた位が変化だろうか。テントがひと張りあるだけでまだ誰も到着していない。小屋番の宗村みち子さんがお茶を入れて迎えてくれた。定員は80名だが人気の甲武信小屋の影でひっそりしている。儲からないので10数年前に止めようかと所有者の甲武信小屋の山中さんが思案した時期があったが、それではと宗村さんが引き受けることになったそうだ。小屋の回りは石楠花の林で5月下旬から6月始めが花季らしい。今日の宿泊者は男性4名、女性2名の計6名、GWのこの時期にしては至って寂しい。しかしこんな小屋が楽しい。薪ストーブを囲み宿泊者が集いビールを飲んで山談義、壁に貼られた「八海山¥650」に魅かれてまた1杯、益々饒舌になるばかり。寝室は3段ベッドがならんで下段だけで十分の宿泊者だった。
2日目(5/3):晴れ
昨日は小屋に到着直後霙が降ったが、今日は朝から晴れている。先ずは三国尾根を三国山まで歩き、その後は上武国境尾根を滝谷山へ、東の稜線に分かれ南天山へ、鎌倉谷を下りたつまの吊橋に戻るコースだ。三国山以北は登山地図に登山道の記載のない山域となる。
5時少し前に出発し、残雪の道を登るとこの山行の最高所十文字山(2,072m)だが樹林帯で展望はなかった。3 等三角点「十文字」にタッチして通過、武信国境尾根を15分余り歩くとのぞき岩(1,922m)の展望地に出た。尾根の先には弁慶岩や梓白岩がにょきにょきと筍の如く稜線から突き出している。弁慶岩は南西側を巻いて登り口は見い出せなかった。しかし帰って十文字小屋のホームページを見ると登れば展望が良いと書いてあったので登れたのだろうか?
岩場が連続し結構険しい稜線がつづき梓白岩(1,853m)も切り立った岩峰でとても登れそうにない。長野側を巻き北端の付け根に達すると急峻だが登れそうな気がし、踏み跡らしきものもあり辿るって行くと難なく山頂に立つことができた。南側に張出した断崖は足がすくむようだ。険しく特異な山容の両神山を始めて望むことができた。そして今日最後に訪れる南天山がその手前に優美な形で横たわっていた。
秩父往還十文字道の古道と違い完全な山道の三国尾根は弁慶岩と梓白岩を巻いた以外は基本的にすべて山頂を通っている。丁寧に稜線を辿り、P1794を通り悪石(1,850m)に到着、3等三角点「梓山」が置かれ展望も良い。
上武信国境の三国山に随分近づき漸くこの先歩く稜線も判然としてきた。やがて長野側に電波塔が現れ三国峠に到った。標高は約1,735m、埼玉側の中津川林道と長野側の梓山林道が出合う地点で、埼玉側はダートだが長野側は舗装されている。2日前に冬季閉鎖が終了したばかりだが、通行できる半年間も夜間は通行が規制され17時〜翌8時まで車は通行できない。
南の悪石側は登り口がはっきりしているが三国山方面は切り通しの斜面が崩壊し取り付きが明確ではない。崖を這い上がり稜線に取り付き20分程で三国山(1,834m)山頂に到着した。西側に展望があり、毛木平の向こうに八ヶ岳が雪を背負い素晴らしい眺めだ。奥秩父主稜線の朝日山、金峰山は雪を背負い、小川山は単独峰の如くどっしりと構えていた。山頂標識には1,828mとあったが、地形図の等高線は3本あり、1,834mと標高表記があったのでこれを正式標高と見做した。
北方稜線(上信国境)には蟻ヶ峰(別名:ショナミの頭1,979m)が大きく構え誘惑に駆られる。蟻ヶ峰の北北西1.1劼良弦1,570mの地点は“御巣鷹の尾根”と呼ばれ昭和60年8月12日日航ジャンボジェット機が墜落した処で昇魂之碑が設置されている。今日は御巣鷹の尾根を見送って上武国境を行く。さてここから先は登山道が記されていないエリアだが県境尾根というものは大抵歩く人がいる。テープもあり薄い踏み跡が続き問題はなさそうだ。当初下山に使うつもりだった信濃橋への下山路は地形図に記載されているが十文字小屋によると「今そのような道はない」そうだ。藪のなかにそれらしき踏み跡が分岐して行ったがその先は歩く人も無く自然に帰ったのだろうか。
P1796の下りは倒木が多く、整備の手が全く入っていないので荒れ放題だ。岩場も続き決して楽な道ではない。ただある程度の藪を覚悟していたが鹿に葉を食べられ茎だけを残した笹が哀れな状態。縦走者は助かるが、自然破壊、生態系への影響は計り知れないものがある。鞍部に達した時、前方に人の気配がした。やはり歩いている人はいるものだ。男女3人組で昨日三国峠にテントを張り諏訪山を目指すと言う。時刻は8:30、峠からは1時間程度で来られる。とすると何と寝坊な人たちだろう。
そう言えば昨日は誰にも会わなかった。人に会って気が緩んだのか、枝尾根に入ってしまい断崖絶壁! 20分余りロスしてしまった。元に戻り気まずいながらも再び3人組を追い越した。標高1,490m辺りまで下り、高水ノ頭(1,614m)へ登り返した。狭い山頂は西側に一部展望があり、3等三角点「高水峠」が設置されていた。ただ山頂標識には「ガク沢の頭」とあった。20分ほど休憩していたが3人組は追いついて来なかった。もう会うことはないだろう。
国境稜線を忠実に辿り1時間、滝谷山(1,659m)に近づくと前衛峰が連なり最奥に主峰があった。上武国境もここまでで南東に折れて埼玉県域の南天山への尾根に踏みだした。県境尾根から分岐し下りだすと、土が剥き出しになった急斜面に出た。展望は素晴らしく、この先の南天山への尾根、両神山、奥秩父主稜線の山々、そして昨日登った白泰山などが良く見えている。このガレ場は下まで落ち込んでいるので尾根の続きへは左へ藪を突切ってトラバースしなければならない。そしてその先がこのルートで一番の難所であろう岩の断崖を下る。下り切って見上げると大きな蜂の巣が岩にぶら下がっている。あそこでスズメバチに襲われたらと思うとゾッとしてしまった。
登り返すと造林小屋の跡らしき建物の残骸があり付近にはワイヤーや滑車が散乱していた。顕著なピークを3つ越え、P1538は地形からは判別できないが岩場の登りで山頂に達すると展望が良く、先には南天山がすぐそこまで近づき尾根を登る登山道までしっかり見えだした。流石に疲れてきたので15分ほど休憩、日差しが強く初夏のような暑さだ。既に1.5ℓ水を飲んでいる。
1,350m位まで降下すると祠が現れ明瞭な道が出てきた。南天山は中津川林道の鎌倉橋から登山道がある筈だが、これはその登山道ではないようだ。訝しみながら先に進むと鎌倉橋への分岐点が現れた。南天山へ往復しここから下山するのかと心に留めて先に進むと親子連れとすれ違った。やっと人のいる山域に入ったことに一安心だ。
P1374の南を巻いて登りに掛ると南天山の西の肩でまた鎌倉橋への分岐が現れ「⁇」、まあ帰りは近い方を歩こう。3人組が下山して来るのと出合い、最後の奮起で南天山(1,483m)山頂に到着すると若い男性3人組が寛いでいた。展望は頗る良く歩いて来た尾根を目で辿ると十文字山は何と遠いことだろう。その距離感に大きな達成感を味わった。この先へも踏み跡が続き、登山地図で見ると赤点線道で中津川とは反対側の広河原沢に下る道で、「15mの垂直岩稜要ザイル」記載がある。
最後の山頂を後にして西の肩にあった近い方の分岐で稜線を離れ鎌倉沢へと下り始めた。急斜面に付けられた道で直線距離より3倍は歩かされそうだ。標高1,150m位で鎌倉沢に達し、先程すれ違った人たちが河原で思い思いに寛いでいた。ここでもう一つの分岐から来た道「沢コース」が合流した。下ってきた道は「尾根コース」と言うらしい。後は沢沿いに下り、標高が1,000mを切った辺りに落差20m程あるだろうか「法印の滝」と標識の掛る見応えのある滝が現れた。2段になり途中の岩に滝壺が自然に穿たれている。
標高820mで中津川林道に達した。鎌倉橋を渡り林道を2.1卻發昨日歩き出したたつまの吊橋へ大きく周回して戻ってきた。近くのこまどりの湯に入りに行こうといざ行ってみると、入浴は16時まであと15分しかない! 諦めて車を走らせ国道140号線で栃本を通り有料の雁坂トンネルを越えて山梨県に入った。西沢渓谷から塩山方面に向かう途中にある三富温泉白龍閣に立ち寄った。露天風呂もあり¥500。
さっぱりすると後は帰るだけ。しかし今日はGW真っ只中、渋滞に嵌るのは嫌だ。双葉SAで4時間余り、養老SAで1時間半仮眠しながら全く渋滞には遭遇せず、4日5:08帰宅した。今回の走行距離は1,300勸賣更圓任海鵑覆砲倭ったのは初めてだった。
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山キチどん














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