記録ID: 7582200
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ハイキング
東海
旧東海道 東下り 三日目 関宿~石薬師宿~四日市
2024年12月10日(火) [日帰り]
三重県
体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 08:59
- 距離
- 35.2km
- 登り
- 73m
- 下り
- 162m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 8:42
- 休憩
- 0:15
- 合計
- 8:57
距離 35.2km
登り 73m
下り 162m
天候 | 概ね晴れ、ただし気温は低く冬の気候 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
夕方は歩き終了付近の関西線富田浜駅から帰路 |
コース状況/ 危険箇所等 |
概ね舗装路 |
その他周辺情報 | 今回、東下りで歩いてみて良くわかったが、日永の追分は,江戸時代のお伊勢参りで江戸方面からやってきた旅人には、「待ちに待った」追分分岐路だったと思う。ここまでくれ番お伊勢さんはもうすぐです。 |
写真
感想
京三条大橋出発してから三日目、前日に難所の鈴鹿峠をなんとか超えて、当分難所はない。ただ、今日も非常に寒く、またこの時期は日暮れ時間が早く、歩く時間が制約される。山城国から出発して、昨日は近江国を経て、今日は伊勢國、順調である。
今回、東下りで歩いてみて良くわかったが、日永の追分は,江戸時代のお伊勢参りで江戸方面からやってきた旅人には、「待ちに待った」追分分岐路だったと思う。ここまでくれ番お伊勢さんはもうすぐです。
4年前に旧東海道を江戸日本橋から京三条大橋を目指して歩きました。当時、ヤマレコアプリは知らなかったのでログ記録はありませんでした。
今回は「あずまくだり」=東下り、
江戸時代、五街道は重要なインフラとして整備されました。江戸と全国を結ぶ幹線道でしたが,朝廷が京にありましたので、実権が江戸幕府にあってもても、江戸から京へ行くことは「上り=上洛」と言われました。逆に、京から江戸へ行く時は、「下る=東に下る=東下り」と呼ばれてました。
江戸幕府の時代が終わり、天皇陛下が江戸=東京に移られてからは,東京へ向かうことを「上り」、東京から出る場合は、「下り」と言うことになりました。鉄道は全部そうなってます。
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