臥牛山(備中松山城) 頼久寺(庭園) 備中高梁市を散策
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コースタイム
- 山行
- 4:10
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:10
不惑の面々が集い、晩秋の湖北を巡り、鮒ずしを食し地酒を楽しむ旅である。
この人気企画を受けて、是非 々 山の会のシニア仲間が集い落ち着いた雰囲気の中で「歴史を探訪するもよし。俳句を詠むのもよし。」秋の休日を同好の仲間達と過ごし、かつ歓楽しようと企画されたのが第一回シニアクラブ例会「備中高梁松山城、頼久寺 枯山水庭園。」見学バスの旅である。
天候 | 雨 |
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過去天気図(気象庁) | 2015年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
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写真
装備
個人装備 |
防寒着
雨具
計画書
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感想
高梁市は岡山県の中西部に位置する町で、古くから備中地方の政治の中心として栄え、また笑いと郷愁、家族愛に一家言を持つ山田洋二監督の作品『男はつらいよ。』で、『寅次郎の恋歌』『口笛を吹く寅次郎』と全48作を通して2作品がロケされたのが唯一、備中高梁だけという「備中の小京都」でもある。
最初に訪れた松山城は天守閣が現存している城で、市内の一番高い場所にあり、岩の上にたつ城で、土塀、天守、二重櫓などが残り、東御門など多くが復元されている。現存するのは天守と二重櫓。天守は二層になっていて、一階には囲炉裏、装束の間、二階には御社檀が残っている。装束の間は一段高く、城主の家族が籠城の際にいる場所、落城の際に自決する場所である。御社檀に守護する神々をまつる城の造りは戦国時代を彷彿させる。
城は麓から徒歩1時間、ふいご峠にある駐車場からも700m、徒歩20分ほどかかる。家臣達は麓の屋敷に住んでいた様で、1574年ごろの備中兵乱(備中の戦国大名三村元親と毛利氏・宇喜多氏による戦い)の際には、この山全域が一大要塞となっていたと記されている。
城内や展望台で昼食をませた私達は雨の頼久寺へと向かう。頼久寺は庭園造りで有名な小堀遠州が、自身の好みで造った枯山水蓬莱庭園があることで有名である。
遥かに愛宕山を借景とし、白砂敷きの中央に鶴島、亀島を置いて蓬莱三尊の石を組みその周囲にサツキの刈込みとツツジの大作りを植え込んで巧みに、中島景観と大海波を表現した庭園である。庭は国の名勝に指定されている。(MI)
頼久寺を「頼むこと 久しき寺の 林泉に なびく いみじき 秋の霧かな。」と歌人与謝野晶子が詠み、備中松山城には、与謝野鉄幹の「松山の渓を 埋むる あさ霧に わが立つ城の 四方しろくなる。」歌碑がある。
煩悩がリックサックを担いで、バス旅にでた私達とは趣が少し違う様である。
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