元朝🎍登山二座目⛰️塩手山
- GPS
- 01:00
- 距離
- 3.1km
- 登り
- 247m
- 下り
- 247m
コースタイム
- 山行
- 0:58
- 休憩
- 0:02
- 合計
- 1:00
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
細めの登山道 |
写真
装備
個人装備 |
長そでシャツ
タイツ
靴下
雨具
毛帽子
日焼け止め
靴
ザック
行動食
飲料
保険証
携帯
|
---|
感想
鹿狼山での日本一早い山開きで、
初日の出を拝んだ後は、
おかわり😊
最寄りの塩手山を歩きました。
鹿狼山の賑わいと対照的に静寂の中。
登りの手長コースは、短くて斜度がある。
下だりのカタクリコース、ゆるやかだけど、1.5倍の距離。
どちらも、
登山道は狭めなので、
早歩きは注意です!
眺望よい、
気軽な里山でした。
そして、さすが、里山、伝説があります。
↓↓↓ここより、塩手山伝説コピペ
塩手山伝説
伊東康夫氏寄稿
相馬市山上茄子小田(なすごた)奥の標高281.5 m、国道115号西側の「塩手山」は伝説多く、また学術的・歴史的に貴重な山岳である。
古くは手長山(てながやま)とも言われ手足の長い仙人が住んだという。その仙人が手を伸ばし海 から魚介を採り貝殻を手前に捨てたという。それが現在の貝塚の謂われだ。
ふもとの西側、松母(まつぼ)地区は建武年間(1 334年~1338年)に開けたところで、霊山国司城を護る横川城が塩手山北 側にあり、正平年間(1346年~1370年)霊山城落城の折、落ち武者達がこのきたばたけあきいえ 横川城に集結し、また北畠顕家公の側室松代姫が横川の地で天童丸を出産し母になったので、ここに松母と地名を残した。
山裾の北側は深い谷川で昔は山上川といい、天正年間(1573年~1592年) 頃から宇多川という。深い谷川は横川城の護りであった。
現在の国道115号は明治に開削された。昔は中村街道と言われていた。時は移り、福島相馬間の自動車専用道路を開削し、塩手山の下にはトンネル(1801 m)が開通して、新しい時代と共に周辺の 様子も変わり、昔のことは忘れられつつある。
塩手山は相馬市内の山で市街地より一番目に付く山だ。登山道は茄子小田より登る道があり、途中より南側に分かれ緩やかな 花畑を通り吊り尾根で結ばれる二つの峰。 北嶺には神話に基づく手長明神がまつられ ている。
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