歴史を感じるハイキング・丹生山〜帝釈山
- GPS
- 03:04
- 距離
- 8.1km
- 登り
- 555m
- 下り
- 559m
コースタイム
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所はありませんが、里山によくあるように地図にない小道がたくさんあります。 道標をしっかり見ていかないと道に迷いそうです。 |
その他周辺情報 | ■観光地 重要文化財「箱木千年家」300円 14世紀ごろに建てられた茅葺の古民家。 ■温泉 「丹生山田の里温泉 銀河の湯」 http://minotani.jp/hot-spring/ ※みのたにグリーンスポーツホテルにあります。800円 レストランもあります。 |
写真
感想
神戸市北区、六甲山の北側に丹生山(たんじょうさん)系と呼ばれる山々の連なりがあります。
一番高い山は帝釈山の586mと低山ではありますが、里山の雰囲気をたっぷり楽しめます。
登山口に向かうために山間部を車で走ることが多いのですが、日本各地に「丹生」という地名、神社、川がたくさんあることに前から気になっていました。
読みは「たんじょう」、「にゅう」あるいは「にぶ」です。
(例)
群馬県富岡市丹生
岐阜県高山市丹生川町
滋賀県米原市の丹生川
奈良県五條市の丹生川 等
「丹生」の由来ですが、「丹(に)」は水銀の原料である朱砂(辰砂)を指しているということです。
朱砂はその名のとおり赤い鉱石で、古代は顔料として身体に塗ったり、石棺の彩色や壁画に使われるなど、とても貴重だったようです。6世紀ごろからは朱砂から水銀を取り出す技術も確立しました。
丹が生まれるところ、すなわち採掘地が「丹生」と名付けられたようで、いま日本各地に残っている丹生という地の多くはこの採掘地に関係していたと考えられます。
今回訪れた兵庫県神戸市北区の丹生山の名前の由来もそこから来ており、山の中腹には鉱山跡が残っています。
丹生山は、山頂に明要寺という寺が6世紀に建立され、平安時代末期には神戸・福原に都を構えた平清盛がこの寺に寄進して、福原京から参道を整備するなど、とても発展していたということが伝わっています。
戦国時代に織田家の播磨侵攻の際、明要寺は三木城に立てこもり敵対する別所氏に味方したということで羽柴秀吉に焼き討ちに合い、数千人の僧・稚児が亡くなったという悲劇も伝わっています。丹生山系の山に「稚児の墓山」という山がありますが、この悲劇に因んだ山の名前と思われます。
今回は、衝原(つくはら)から義経道で丹生山に登り、丹生山系縦走路を帝釈山に登ってから衝原へ下山するプラン。
※ちなみに、この「義経道」は、平安時代末期の源平の争いで、源義経が一の谷の戦いの際、鵯越へ向かうときに通った道と伝わっています。いろいろ歴史がある山です。
景色の見えない緩やかな登り道を坦々と登っていきます。
夏の低山なので、登る人も少なく、登山道には蜘蛛の巣がいっぱい。
これにかなり難儀しました。
1時間ほどで丹生山に到着。
山頂からは神戸市北区の鈴蘭台、山の街あたりのとても大きな住宅街が望めます。
帝釈山への縦走路はほぼ平坦。
稜線歩きではあるのですが、木々に阻まれ、まったく展望はありません。
帝釈山から南の展望が開けています。
瀬戸内海と明石海峡大橋を望むことができ、とても気持ち良いです。
六甲山の鉢伏山、須磨アルプス、横尾山の真北にいることが分かります。
丹生山系の登山道ですが、危険個所はないのですが、里山に特有の地図にない小道や分岐がたくさんあり、惑わされます。
しっかり道標を見ていないと道に迷います。
実際、今回の山行では下る道を間違えました。
GPSを頼りに無事に下山できたのですが、1/25000地図を持って行くべきだったなぁと反省しています。
今日の天気は曇りで夏にしては涼しい一日でした。
それでも汗はびっしょり。
また、もう少し涼しくなったら丹生山系の他の山(シビレ山、稚児の墓山など)まで足を伸ばそう思います。
衝原に「箱木千年家」という重要文化財があります。
14世紀ごろに建てられた茅葺の古い民家です。
屋根や梁の作り、部屋の雰囲気が、私たちが知っている近代の古民家とは違うことがはっきりわかります。
建築が好きな人はより一層楽しめるかと思います。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する