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将門塚(しょうもんづか)

最終更新:pinojp
昭和50年に東京都大手町の将門首塚から移された「南無阿弥陀仏」の石塔婆が建てられています。
都旧跡 将門首塚。古来よりこの地に首塚がある。朝早くからたくさんの人がお詣りしていました。
境内の胴塚。将門山と伝える塚があり、将門の胴を埋めた所と言われています。将門の首は京都に送られましたが、残った遺体をここに葬ったと言われています。
基本情報
場所 北緯35度41分14秒, 東経139度45分45秒
カシミール3D

山の解説 - [出典:Wikipedia]

将門塚(しょうもんづか・まさかどづか)とは、東京都千代田区大手町にある、平将門の首を祀る塚である。東京都指定の旧跡となっている。
かつては盛り土があったことから、古墳であったと考えられている。
この地はかつて武蔵国豊嶋郡芝崎村と呼ばれた。住民は長らく将門の怨霊に苦しめられてきたという。諸国を遊行回国中であった遊行二祖他阿真教が徳治2年(1307年)、将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈って首塚の上に自らが揮毫した板碑を建立し、かたわらの天台宗寺院日輪寺を時宗(じしゅう)芝崎道場に改宗したという。日輪寺は、将門の「体」が訛って「神田」になったという神田明神の別当として将門信仰を伝えてきた。その後江戸時代になって日輪寺は浅草に移転させられるが、今なお神田明神とともに首塚を護持している。時宗における怨霊済度の好例である。
付近一帯は江戸時代には姫路藩雅楽頭酒井家の上屋敷の敷地となり、山本周五郎の歴史小説『樅ノ木は残った』で知られる、仙台藩原田宗輔による刃傷沙汰が発生している(伊達騒動)。
関東大震災による被災後、周辺跡地に大蔵省仮庁舎が建てられることとなり(後述)、石室など首塚の大規模な発掘調査が行われた。昭和2年(1927年)に将門鎮魂碑が建立され、神田神社の宮司が祭主となって盛大な将門鎮魂祭が執り行われる。この将門鎮魂碑には日輪寺にある他阿真教上人の直筆の石版から「南無阿弥陀仏」が拓本された。
数十年にわたり、地元のボランティア団体が浄財を元に、周辺の清掃・整備を行っているが、その資金の預金先として、隣接する三菱UFJ銀行に「平将門」名義で口座が開かれていた。
2016年から2020年にかけて隣接地で大手町再開発事業大手町ワンの建築が行われた。この工事終了に合わせて2020年、将門没後1081年にあたって1961年の第1次整備工事以来、数えて第6次目の改修工事が実施された。関係各所の総意として、「敷地内の安全性と管理性の向上を目指すと共に、これからの時代にふさわしい新しい将門塚として皆様に愛されることを目指し」て実施。2020年(令和2年)11月から2021年(令和3年)4月末まで工事が行われた。

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